室堂はあいにく雨が降り続いていた。気分は落ち込み初日の天候はほとんどあきらめかけていた。ところが雷鳥沢キャンプ場をすぎる辺りから天候は一気に回復をみせる。それは劇的とも言えるほどで、もしかしたら神様がわざわざこの場面を作るための演出かとさえ思えるほどの天候の急変だった。約3時間で剱御前小屋を通過。剱沢キャンプ場で早めの昼食をとりながら大休止をとる。リーダーが仙人池ヒュッテに確認電話を入れると「まだそんな場所にいるのですか」と山小屋のスタッフから唖然とされる。この時点で私たちの仙人池ヒュッテへ到着はほとんどないものと山小屋からあきらめられたようだった。このやりとりを聞いてボク達はまだ今日の行程のホンの序の口にいるのだということをあらためて知った。剱沢小屋では山岳救助隊から雪渓の状況を確認した。雪渓通過に際しての指導を受けたものの平年とはちがって雪渓の状態がかなり悪そうだった。剱沢雪渓に下りてゆくと紅葉に彩られた平蔵谷や長次郎谷が美しい。剱沢雪渓はアイゼンなしで下った。雪渓を下り続け真砂沢ロッジには午後1時過ぎ到着。休憩後、雪渓を高巻いて河原に降り立つと、続いてハシゴ場や鎖場が次々とあらわれる。踏跡も不明瞭な河原をたどりながら午後3時ようやく二股吊橋に出た。ここからは仙人新道の急坂が待っている。仙人池ヒュッテまでのコースタイムは3時間。まるで飯豊の梶川尾根を彷彿させるような急勾配に汗が流れた。しかし左手からガスに見え隠れする八ツ峰や日本初の氷河『三ノ窓雪渓』『小窓雪渓』が現れるとその山岳景観に圧倒される。仙人峠まで登り詰めれば赤い屋根の仙人池ヒュッテはまもなくだ。後方の稜線は後立山連峰で右肩には鹿島槍の双耳峰が見えた。
仙人池ヒュッテ到着は午後5時30分。かなり陽が落ちていてまわりはすでに薄暗くなっていた。我々の到着をほとんど諦めていたという山小屋のスタッフからはよくぞこの時間に到着したものだと驚かれた。夕食前、仙人池に映る裏剱の絶景を見に行く。ほとんどの登山者はこの景観のためにこの山小屋に泊まるといっても過言ではなく大勢の登山者がカメラをかまえている。紅葉と裏剱の絶景にはみんなから感嘆の声が上がった。夕食は6時30分。今日のがんばりに全員で乾杯の声が高らかにあがった。10時間もひたすら歩き続けたおかげでこの日のビールの味は最高だった。
(二日目)
朝食は午前5時。主な荷物を小屋前において池の平小屋を見るために6時に小屋を出た。朝からまぶしい日差しが八ツ峰や周囲の山肌を染める。紅葉がひときわ鮮やかだ。2時間で池の平小屋を往復して仙人池ヒュッテに戻った。阿曽原小屋を下るとまもなく仙人谷の雪渓を歩く。仙人温泉小屋には順調についたのだがここで耳を疑うようなアクシデントが待っていた。雪渓が崩壊してしまい山小屋でストップさせられたのである。この先通行の見通しも立っていないらしく、阿曽原温泉からの登山者も同様にこちら側に渡れずにいる。私達にしてみれば室堂に引き返すことにもなりかねない緊急事態だった。例年は雪渓も消えて何の問題もなく通過できるところが今冬の大雪のため現在もまだ7月のような雪渓が残っているためらしかった。ちょうど訓練にきていた富山県警救助隊と小屋の管理人から、ルート検討とその対策に少なくとも3時間待ちといわれたためメンバーは缶ビールを山小屋から次々と購入しては休憩を兼ねてプチ宴会をはじめている。しかし関係者が崩落した場所に急ごしらえの丸太の階段を造ってくれたおかげで2時間もたたずに通過可能となったのは幸いだった。救助隊から一人一人誘導されながら薄氷を踏む思いで雪渓を慎重に通過した。一時はどうなることかと思ったこのアクシデントだけに必死で対応してくれた関係者にはただただ感謝であった。
対岸からは雲切新道の急坂を登る。ここは鎖やロープの連続で緊張の連続だった。急なハシゴを何本も下り最後は垂直の長いハシゴを伝って仙人谷ダムへと降り立った。標高2100mの仙人池ヒュッテから標高870mの仙人谷ダムまで一気に1200mを下ってきたことになる。ここは黒部ダムからの下ノ廊下との接続点でS字峡の直下。迷路のようなダム上を進み「旧日電歩道」の看板に従い作業用トンネルに入る。途中で谷を渡るトンネルを横切るのだがまるでサウナのような熱風が吹き出ている。他の山ではとても考えられない、この変化に富んだコースに飽きることがなかった。しばらくするとふたたび山を登るようになる。たった100mぐらいだがこの時間帯の急坂はけっこうきつい。水平歩道が続き最後に100m下って今宵の宿、阿曽原温泉に着いた。今日も10時間を超えるハードな行程だった。荷物を下ろしたところでビールを注文し全員で早速乾杯。ここにはなんとビールの自動販売機まであった。宿泊の手続きをしていると、山小屋の主人から「今年のシルバーウィークは大混雑が予想されていて11時までに欅平に着かないとその日のトロッコ電車には乗れないだろう」といわれる。予定では小屋を8時頃のんびり出発するはずだったのだがこれを聞いて急遽予定を変更。最終日は最低でも6時間ほどの行程なので起床を午前3時半。朝食は食べずに午前4時には小屋をでることに決定した。
夕食前のひととき、阿曽原温泉名物の露天風呂に入る。風呂はひとつしかなく男女1時間ずつの交替制。露天風呂にはテン場から5〜10分ほどかかるのだが、露天に行く途中テン場で何気なく話をしていたら突然自分の名前を呼ばれた。振り向いたらなんと阿部ニーではないか。はじめは信じられないほど驚いたのだが阿部ニーはボク達とは逆コースで今日欅平からあがってきたらしかった。今回は北峰稜線をたどりながら剱岳を登り立山へと下山するようだった。風呂に入っているとその阿部ニーもやってきてしばらくぶりの邂逅に話もはずんだ。夕食はコロッケ付きの絶品カレー。あまりにおいしいので何杯もお代わりをした。夕食後は節っちゃんと二人で、テントで休んでいた阿部ニーを呼びにゆき小屋前のベンチに座って消灯時間までの2次会を楽しんだ。
(三日目)
小屋で作ってもらった朝食弁当をザックに入れ山小屋を予定どおり午前4時に出発した。真っ暗なので全員ヘッデンをつけての行動。危険な箇所も多いので前方を照らしながら慎重に先を進んだ。午前5時を過ぎ薄明るくなったところで朝食をとる。その後は旧日電歩道の水平歩道を欅平まで延々と歩く。この道は黒部川の電源開発の為に作られた道幅約80センチ程の道なのだが、谷底までの高度差は高いところで300メートル程もあり、垂直の壁に掘り切られた道や、丸太で作られた桟橋を、深い谷底を見ながら通過するのはかなり緊張の連続。間違って足を滑らしたら、それこそ一巻の終わりなのだ。折尾大滝で大休止をとったあとは、頭上に切り抜いただけの大きな岩がのしかかる大太鼓、不気味で真っ暗闇の長い志合谷トンネルの通過と、この先もいささかも気が抜けない。この志合谷トンネルを抜けてもまだ緊張の水平歩道が5キロメートルも残っているのだ。
欅平には10時20分到着した。欅平は大勢の観光客で溢れていて現実の世界に戻ってきたのを実感させられる。危惧していたトロッコ電車は幸い11時46分発が残っていたがそれ以降はすべて×印。私たちは駅二階の食堂でさっそく乾杯をし、久しぶりのラーメンを味わう。欅平からは最後に黒部峡谷鉄道のトロッコ電車が待っているがもう歩きの行程はない。9名全員が無事に全行程45km以上を歩き通し、裏剱を堪能した感動の3日間が終わった。