(21日)大朝日岳避難小屋6:30〜小朝日岳8:20〜鳥原山10:10〜鳥原小屋(朝日連峰山開き&神事)10:40-12:15〜畑場峰13:30〜古寺鉱泉14:40
【概要】
この週末は朝日連峰の山開き。今日は山岳会による前夜祭である。午前6時の古寺鉱泉駐車場は関東や関西などの県外ナンバーによって埋め尽くされ、スペースはほとんどない状態だった。今日の参加者は総勢19名。夏山の山岳会事業はとんとご無沙汰しており、久しぶりに出会う会員たちがほとんどだった。会長の挨拶が終わり大所帯による行軍が始まる。人数が多いだけにかなりスローペースで進んだ。道中はタケノコを探しながらなので、いつもの倍ぐらいの時間をかけて歩いてゆく。ボクは約1ヶ月ぶりの大朝日岳であり周りの風景がみな懐かしかった。前回はほとんど残雪歩きだったが、すでに雪はなく夏山まっさかりだった。
心配していた天候も良い方向に変わり朝から青空が広がっている。次々と湧いてくる白い雲は夏山を感じさせた。古寺山からは山小屋の確保のため先発隊が早めに出発した。小朝日岳の巻道から熊越を過ぎるとヒメサユリがいっせいに出迎えてくれるようになる。登山道の両側にもびっしりと咲いていてほとんど群落といってもよいほどだった。ヒメサユリの開花は例年よりも十日以上は早い気がした。銀玉水の雪渓を登り切ると大朝日岳避難小屋は目前となる。稜線の西側はチングルマやウスユキソウのお花畑となっていた。
避難小屋は大勢の登山者で賑わっていた。東北電力や他の山岳会も多くいて、アルコールが入りおおいに盛り上がっている。ボク達と同様にほとんどが翌日の山開きが目的の人たちだった。小屋では先発隊が確保してくれていたおかげですでに夕食会場の準備が整っており、会長の乾杯発声を合図に西川牛をふんだんに使った焼肉宴会が延々と始まった。
ボクはしたたかに酔っぱらってしまい、3階に上がって早めにシュラフに潜り込んでいた。異常なほどの部屋の熱気に寝苦しかったが、そのうち急な肌寒さを感じて目を覚ました。日没が始まったのか小屋の窓が全開されているためだった。室内がオレンジ色に輝いているのを見てボクも急いで階下に降りてみた。寒いほどの外気がほてった体に心地よい。カメラを構えながらしばらく日没の光景を眺めていた。
翌日のご来光は4時頃だった。すでに太陽は上がっていて小朝日岳の左肩に浮かんでいた。早々と起き出した登山者がご来光を眺めながら小屋前でたたずんでいる。ボクは日の出まもない風景を見たくて一人山頂に向かってみた。風もあってかなり寒かったがヤッケを着るとさほどではなかった。山頂には二人の先客がいるだけだった。時折視界を遮るほどの霧が覆ったりしたが、風が流れると月山までが見渡せるまでに晴れ渡った。
今日は山開き当日。小屋を出発するころにはほとんどの登山者が出払っていた。澄み切った青空が占めていて上空を爽やかな風が渡る。小朝日岳までは花の写真を撮りながらのんびりと歩いてゆく。ここは心地よい涼風を感じながらの快適な稜線漫歩だった。
小朝日岳には2時間近くかかって登り着いた。最近は巻道ばかり通っているため小朝日岳は久しぶりだった。大休止を終えて鳥原山に下りてゆく。ここはまだ急斜面に雪渓が多く残る区間。骨折してまだ3ヶ月も経っていない○田さんがつらそうに下りてゆく。なんでも登りは体力だけで何ともなさそうだが、下りでは足に埋め込んだ鉄板がかなり当たってしまい痛いのだそうだ。最後尾を慎重に下っていた。
鳥原山直下ではノウゴウイチゴが食べ頃となっていた。朝のフルーツは最高とばかり手当たり次第食べてみた。甘酸っぱい味は疲れをたちまち癒してくれるようだった。鞍部まで下りてくると雪渓ではかき氷を楽しんでいる。ミルクと小豆、それにバナナまで入れてもらったこのかき氷は最高のデザートだった。鳥原小屋の方角からは賑やかな話し声などが風に乗って聞こえてきた。
鳥原小屋では日帰り班が沢山のビールや食材を持ってきてくれていた。感謝感謝。山開きの式典が終わればタケノコ味噌汁鍋や焼きそば、タケノコ入りラーメンをごちそうになりながらの長いランチタイムとなった。集まった白鷹山岳会や大江山岳会の会員には知っている人も大勢いて驚いた。山の話をしながら話題は尽きなかった。
山小屋を下りる頃になって急に雨が降り出した。今日は天候の心配は皆無だろうと思っていただけにがっかりだった。はじめは傘を差しながら下ったが、畑場峰が近づく頃から雨は本降りとなったためカッパを着た。登山道は半分以上泥濘となっている。午後2時40分、滑らないように慎重に下りながら古寺鉱泉に降り立った。すでに大朝日岳避難小屋を出てから8時間10分。古寺鉱泉の目の前を流れる月布川は濁流となって大きな音を立てて流れていた。