山 行 記 録

【平成22年8月20〜21日/河口湖口〜吉田口登山道〜富士山(剣ガ峰)



日本最高峰 富士山剣ガ峰



【メンバー】6名(伊藤孝、清水、田中、渡辺淑子、遠藤文子、蒲生)
【山行形態】夏山装備、小屋泊1泊2日
【山域】富士山
【山名と標高】富士山(剣ガ峰)3,775.6m
【地形図】(2.5万)富士山、須走(20万)甲府
【天候】(20日)晴れ時々曇り、(21日)晴れ
【温泉】山梨県北杜市「清里 たかねの湯」700円
【参考タイム】
(20日)長井7:00=荒川胎内IC=長岡JCT=(関越自動車道)〜鶴ヶ島JCT=(圏央道)=八王子JCT=(中央自動車道)=大月JCT=河口湖IC〜県道=(富士スバルライン)=五合目駐車場
(20日)河口湖口五合目駐車場16:20〜七合目小屋「トモエ館」(泊)18:40
(21日)山小屋3:00〜八合目5:30〜九合目7:20〜浅間大社奥宮8:06〜剣ガ峰9:40〜富士宮下山口10:00-10:50〜吉田口下山口11:10〜八合目12:00〜六合目14:30〜河口湖口五合目駐車場15:00
(21日)五合目駐車場=中央自動車道=R141号=山梨県北杜市「清里 たかねの湯」=野辺山高原「滝沢牧場キャンプ場」(テント泊)
(22日)「滝沢牧場キャンプ場」9:00=R412=佐久IC=上越IC=荒川胎内IC=R113=長井(着)17:00

【概要】
 数年前、山スキーで富士山山頂から滑降を計画したことがあった。その時は悪天候のため富士宮口から撤退しているが、富士山にトライするのはそれ以来である。その後も山スキーの機会を伺っていたのだがなかなか実現しないでいたところ、急遽、今年は夏山の計画が山仲間から持ち上がり、今回の富士登山となったものである。五合目からだと体力的には全然問題ない山だろうと思っていたのだが、唯一の心配事は高山病だった。これまでも3000m峰のいくつかで僕は高度障害を経験していた。

(8月20日)
 北陸、関越、中央と各高速道路を乗り継いで、富士山麓を走る富士スバルラインに入った時には夕暮れが近づいていた。この有料道路は8月17日までマイカー規制のため五合目まで上がれなかった。それがようやく規制が解除されたとあって、途中まではかなりの混み具合であった。下山してくる車を次々とやり過ごしながら辛抱強く待っていると、幸いに僕たちは五合目の駐車場にはいることができた。

 初めて見る河口湖登山口には大きな売店やレストランが建ち並び、登山客や観光客で辺り一帯は喧噪を極めていた。それに外国人の多いこと。さらには若い女性も結構目立った。それは華やかさを通り越して異様なほどの混雑ぶりだった。僕達が五合目を登り始めたのは午後4時過ぎ。今日は七合目の山小屋までとあって2時間程度の登りなのだが、それでもこんな時間に登るのは初めてである。下界は連日の猛暑続きで体も疲れ気味だったが、この時間であれば涼しい風も渡り、山登りには最適な気温といえそうだった。それに五合目の標高は2300mもある。真夏の暑さをつい忘れそうになるほど快適な登りの始まりだった。

 徐々に薄暗くなってゆく登山道を辛抱強く登ってゆく。空には一面星が瞬きはじめている。上部を見上げると山小屋の多くでは早くも明かりが灯り始めていた。七合目の山小屋到着は午後6時40分。五合目の登山口から2時間20分かかった。400mの登りだったが時間を要したのは高度順化のため極めてゆっくりと登ったせいである。すでにヘッドランプが必要なほどの暗さに包まれていたが、山小屋は不夜城のような賑わいをみせている。夜10時過ぎに登ってくる宿泊者もいる一方で、これから八合目をめざす人も多く、小屋の周囲は山小屋の夜という感じがしなかった。山の麓をみればヘッドランプをつけた登山者がこれからもひっきりなしに登ってくるのが見えた。ここ富士山は普通の山とは別世界のようだった。

 山小屋ではすでに床について眠りについている人も大勢いた。僕たちは畳一畳に一人分を割り当てられたおかげでゆったりと眠ることができそうだった。まわりを見ると他にも空いている布団があるようだった。混み合うときには一畳に何人もの登山者が割り当てられることを思えば今日は平日とはいえラッキーといえそうだ。まあ、なにはなくとも夕食である。宿の夕食メニューはボンカレーとレトルトハンバーグととご飯のみ。混み合う山小屋ではこんなものだろうがそれにしてもちょっと寂しいような気がする。僕以外は軽くアルコールで乾杯をしながらしばしの夕食時間を楽しんだ。

(8月21日)
 翌日は2時に起床した。計画では山小屋を2時出発だったのだが、それほど混み合うこともないだろうと判断し、1時間遅れの3時出発に変更していた。朝食は昨夜のうちに弁当をもらっており、身支度を調えればすぐに出発となる。もちろん外は真っ暗なのだが玄関前は煌々として明るく、今の時間が未明なのだとはとても思えなかった。小屋前のベンチにもたくさんの人達がたむろしていた。

 僕達はヘッドランプを頼りにまずは八合目をめざしてゆく。高山病が心配なのできわめてゆったりとしたペースを維持しながらである。4時を過ぎると白々と夜が明け始め、周囲の様子がわかるまでになっていた。この吉田口の良いところは、東側を背にしながら登るため、常にご来光を拝むことができる点にある。つまり早出をしなくとも、晴れてさえいれば登りの途中で誰もがご来光をみられるのである。その日の出はちょうど5時に始まった。一瞬辺りの暗さが増したと思うまもなく山の稜線の一点から閃光が放たれる。まぶしくも神々しい光に山の斜面全体が輝き始めていた。歩いていた登山者も全員立ち止まりながら、その荘厳な光景に見入った。

 何分ぐらい佇んでいたのだろうか。見渡すと一面の雲海が広がっていた。雲海の上から飛び出ているのは八ヶ岳連峰と秩父の山並みぐらいだった。上空は雲一つ見当たらない青空である。左奥には北アルプスの一角が見えた。天を突くような鋭峰は槍ヶ岳のようだった。雲海は飯豊や鳥海山、朝日連峰など、いままでも数え切れないほど見慣れているはずなのに、この富士山からながめる雲海は全く別のような感激を感じさせた。まるで大海原をみているようでもあり、それは世界の果てまで続いているような広大さを感じさせた。

 しかし、七合目小屋に泊まったというのに八合目までは遠かった。地形図をみても七合三勺、七合五勺とかいう表示があって、いくら登ってもまだ七合目なのである。いささかうんざりした頃になってようや八合目となった。九合目通過は7時20分。すでに4時間以上が経過している。ここでの標高は3600mあり、外輪山の一角に建つ鳥居が前方に見えた。山頂まではまもなくだった。その外輪山に建つ浅間大社奥宮についたのは8時6分。ついに登り切ったのだという感慨に全員浸った。

 山頂は大勢の人達で溢れ、これまで以上の混雑ぶりをみせている。とてものんびりとしていられる雰囲気ではなく、売店でお守りを購入してとりあえずお鉢巡りだ。もしかしたら全員そろってのお鉢巡りは無理かもしれないと考えていたのだが、メンバー全員の体調はよかった。僕もゆったりとしたペース配分がよかったのか、心配していた高度障害はでておらず、これならばチョモランマでさえ可能だと冗談がいえるほど快調だった。

 お鉢巡りは本来ならば時計回りが常道らしいのだがそんなことはどうでもよかった。僕達は左回りに進んで行き、富士山の最高峰である剣ガ峰に向かって歩いていった。少しのアップダウンがあるとはいえ、気温も低すぎず、高すぎずの快適な稜線歩きだった。売店前の混雑ぶりからみればお鉢巡りをする人はまばらだった。それでも剣ガ峰に立つ富士山測候所前では行列だった。1時間も待たなければならないかも知れないと思っていたこの行列も30分ほどの待ち時間で済み、僕達は日本最高所の標柱に全員揃って記念写真を撮った。

 剣ガ峰からは富士宮口に向かって歩いてゆく。登り切った疲れのためか、登山者がいたることろで横になって休んでいるのが目についた。僕達はこの富士宮口の山頂付近で休憩を兼ねて幾分早い昼食をとることにした。

 富士宮口山頂を後にするといよいよ下山開始だ。途中で御殿場口への下山口を通過し、再び吉田口への下山口に向かってゆく。途中で火口を眺めたり、対岸の測候所を眺めたりと、このお鉢巡りも飽きることがない。足元が危ないような岩場も結構あったりして、遠方から眺める絵はがきのような秀麗な姿からはとても想像できないほど、富士山の山頂は荒涼としていた。

 まもなくすると売店のある休憩所が近づいていた。ここで僕は急にトイレにゆきたくなり、先を少し急いだ。後の祭りだったのだがこれがいけなかった。そこまではなんの問題もなく歩いていたのに、ここにきて急に頭痛がでてしまったのだ。耐えられないような吐き気も伴っていた。ここまでペースを守りきっていたのだが、ちょっとした拍子にあわてて行動したのが悪かったのだろう。懸念していた高度障害がついに出てしまった。

 僕にとって山頂からの下山は苦しいものになった。この吉田口は登りと下山路が別になっていた。下山道はブル道といって急な砂地の連続だった。その砂地を僕は駆け足で下った。そして八合目で横になってみんなを待ち、今度は六合目でみんなを待つために横になって休んだ。すでに高度は2400mぐらいだったが、それでも頭痛はなかなか治る気配はなかった。

 五合目に向かっていると登山者達が列をなして登ってくるのに出会った。それはまるでとぎれることのないような行列で、異様なほどの混みようだった。後で知ったのだが、この日の宿泊予定者は今シーズン一番らしかったのだ。マイカー規制が解除されたことにもよるのだろうが、富士登山のシーズン終了が間近いのを物語っているようだった。

 五合目の登山口には15時に戻った。土曜日ということもあるのかも知れなかったが、売店が建ち並ぶ登山口の混み具合は昨日の比ではではなかった。山頂から1500m近い高度差を一気に下ったおかげだろうか。僕の高度障害は徐々に回復基調をみせていた。しかし、苦しさを我慢しながらの下山だったために写真撮影はほとんどできなかった。

 僕達は駐車場でのんびりと後片付けをしながら、日本一の富士山を登った達成感にしばらく浸った。標高でいえば日本第5位の槍ヶ岳が3180mであり、第2位の北岳が3192m。たった12mの中に4つの高山がひしめき合っているというのに、この富士山だけは3776mと、まるで他の4山をあざ笑うかのように高さが飛び抜けているのである。この高山に登り切った感激はやはり登った者だけが味わえるものなのかも知れない。山の大きさというものをつくづくと知らされたような二日間だった気もした。この富士山を登ったことで僕の今年の夏山が終わった。

 土産物を買うために売店に立ち寄っていたメンバーが全員そろったところでとりあえず温泉だ。山梨県北杜市にある「清里たかねの湯」で二日間の汗を流し、その後は八ヶ岳を一望できるという、標高1400mの高原にある野辺山高原「滝沢牧場キャンプ場」へと向かった

 温泉でのんびりとしたこともあって、野辺山高原キャンプ場には夜遅くなってから到着した。テントは2張り。すでに他のキャンパー達は夕食の準備にいそしんでいるものもいたし、寝静まっているテントもあった。僕達はテント設営班と食料の買い出し班とに分かれて遅い行動開始となった。しかし、遅い開始時間だったとはいえ、テント生活は楽しいものだった。無事に富士山に登頂したことを祝いながら宴会が夜遅くまで続いたのはいうまでもない。飲み切れないほどのアルコール。それにコンビニから調達した数々の食料はとてもインスタント食品には思えないほど豪華なものばかりだ。僕はほとんど記憶がないのだが、それらは翌日まで飲み続けたメンバー達によってすべて消化されたようであった。


五合目駐車場と富士山


五合目の売店


歩き出し


今宵の宿


宿の受付


夕食(缶詰は持参品)


午前3時出発


ご来光


ご来光に見入る登山者達


雲海と八ヶ岳


ご来光を眺める


九合目


山頂直下


山頂までもう20歩


外輪山の一角で


剣ガ峰がもうすぐ


剣ガ峰を下る


野辺山高原「滝沢牧場キャンプ場」の朝


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