翌日は昨夜の天気祭が功を奏したのか早朝から見事な快晴の空が広がっていた。単独ならばいざ知らず、8名ものメンバーもいれば時間を要するのは必至。5時には駐車場から歩きだした。このおむろノ沢は往復2300mの標高差を登らなければならず早出は必須だなのだ。
大日杉では朝から冷え込みが厳しかったが、まもなく直射日光が降り注ぐと全身から汗がほとばしった。ザンゲ坂を登ったところで上下の下着を全て脱いだ。空を見上げても一片の雲さえ見当たらない。気温はすごい勢いで上昇しているようだった。尾根は完全な夏道であり、登山道ではイワウチワが盛りを見せている。周囲にはタムシバやムラサキヤシオもかなり咲いていて、背景に聳える五段山や牛ケ岩山が美しい。スキーに明け暮れている内に季節は否応なく進んでいるようであった。まもなくすると長ノ助清水付近から登山道にも積雪が現れる。それも前日降ったばかりのような新雪がいたるところにある。それでもところどころで雪が切れているのでシール登高が可能となったのはダマシ地蔵直下からであった。担いでいたスキーを下ろせる開放感ほどうれしいものはない。バックカントリーはシール登高があってこその楽しみだとあらためて思う。左手に種蒔山や三国岳の稜線が見えてくるとダマシ地蔵もまもなくだ。地蔵岳の奥には飯豊山が大きく望めるようになり、このすばらしい光景に思わずたちどまった。飯豊山は再び新たな降雪があったおかげで厳冬期のような銀世界となっていた。それは夏山とは全く別の風格を感じさせた。
地蔵岳には2時間40分の所要時間で到着した。山頂には福島からきたという4名ほどの先客がいて、僕たちと同じように本社ノ沢を滑降する計画らしかった。僕たちは3回目だが出くわすのは初めてだった。すでに先週末にも訪れている人達も幾人かいて、このコースはいつのまにかみんなに知れ渡ったようである。
地蔵岳からはいったんシールをはずして大又沢出合まではおよそ400mのスキー滑走となる。雪面はまだまだ堅いのでここは大きく左手から卷くことにした。あたりいったには大きなデブリが散乱している。思わずビビリそうな場面だが、デブリがあるということはすでに危険物は落ちきったということでもあり、安全がある程度約束されたようなものだった。
大又沢の沢底に降り立つと普段は大きな穴が開いている箇所も全く今回は見当たらない。今年の積雪の多さに加えて春先の寒気により思ったほどには融雪が進まなかったようだ。スキーでくだればまたたくまにおむろノ沢出合だ。この地点に立つとまるで異空間にでも放り込まれたような不思議な感動を覚える。普段では見慣れない光景が展開するからだろう。おむろノ沢は普段にも増して多くのデブリもあったが、稜線の雪庇はほとんど落ち尽くした感があった。
しばらく快適なシール登高が続いた。そしていつもの地点からは尾根への急斜面へと取り付いてゆく。ここの急坂は石転ビ沢を髣髴させるようなところで上部は見えるのだがなかなか稜線は近づかない。斜度は少しずつきつくなっていった。雪の照り返しも暑くて喉の乾きには雪を食べて凌いだ。先客は稜線まで直登していったようだ。僕たちは右手の尾根に途中からあがった。直登コースは斜度が45度以上もあってあまりに急坂なのである。右手のやや緩斜面をを登り切ると広い尾根に出た。この無名尾根はまるで広い雪原のようでもある。尾根上は開放感にあふれ、爽やかな風が流れると疲れ切った体がたちまち息を吹き返すようだった。
無名尾根をしばらく登ると前方左手におむろノ沢の全容が現れてくる。前方には小さく本山小屋が見えてくるところだ。右手にはダイグラ尾根がありその奥には梶川尾根と杁差岳が見えた。見慣れない方角からの光景には思わず固唾をのんだ。一方、両足の筋肉は疲労で切れそうなほどだ。全身疲れ切っていたが一歩一歩ゆっくりと登った。
本山小屋到着は11時25分。6時間15分で今年は到着したことになる。8名のメンバーがいてこの所要時間はかなり早いはずである。本山小屋が近づくにつれて雲の中に入ってしまい、あいにく山頂からの展望はよくなかったが、それでもうっすらとした視界はありそうだ。そんな様子をながめて本山小屋へと入った。風が強い山頂だったが小屋の中は別世界。先客の4名がすでに昼食をおえて休憩中であった。聞いてみるとこのほかにも仙台からの単独行がいたらしかったがすでに下山していったようだ。僕たちはスキー靴を脱ぎしばらくのんびりとした時間を過ごすことにした。ほっとした表情がみんなにみなぎっている。全身が疲れ切ってもいたので昼食がたまらなくおいしい。小屋では1時間ほどののんびりとした時間を過ごした。
本山小屋を出ると風はだいぶ穏やかなものになっていた。視界もそれなりに見えていて滑降するには全く問題はない。さて今回のコースをどうしようかということになる。いつもの本社ノ沢右俣は急斜面だが広々としたゲレンデのようなもの。しかし右俣と左俣出合付近のノドの通過がちょっといやらしそうにも思える。デブリで通過できない恐れあることも考えて、左俣をすべることに決まる。先客も、さらに仙台の単独行も左俣のようである。今回は3パーティも登ってきているというのに右俣は全くトレースがないバージンスノーのままということになる。何とも不思議といえば不思議である。高度を下げずに一の王子へとトラバースしてゆくとほどなく左俣上部に到達した。眼下には右股にも劣らない広大な斜面が広かっていた。そして斜度も右股からみれば緩斜面なのだ。ということは滑降できコースも長いということでもある。こんな様子をながめて僕たちは早速滑降へと突入した。
今年は前日の新雪が60センチほどあって厳冬期を思わせるような銀世界だ。しかし、この時期の新雪はすぐに溶けてしまうので、今日のように好天の場合はややブレーキがかかるのだが、滑り出しは結構な斜度があるのでみんなスピードに乗って飛ばしていった。斜面はかなり急なのだがあまりに広いので恐怖感などはほとんどない。まさしくこの楽しみのために苦しい登りに耐えてきたのだ。しばらく至福のような時間が続いた。
右俣との出会いまで下ればほとんど斜度はなくなる。ちなみに右俣をのぞいてみるとノドの部分は多くのデブリでふさがれていた。こんな光景は初めてであった。結果論だが右俣を回避したのは正しい判断だったということになる。ここからは緩斜面となりあとはおむろノ沢出合までまっしぐらだ。ここもスキーは意外に走った。振り返るとたちまち後続が見えなくなってしまった。おむろノ沢出合では雪解け水を飲みながら乾いた喉を潤した。みんなの表情もおむろノ沢を無事に滑り終えた満足感に溢れている。シールを貼りなおしていると近くでウグイスの鳴き声がした。そして青葉の香りを運んでくるような薫風がどこからともなく流れてくる。ここはまさしく別世界だった。この人里離れたこのおむろノ沢に佇んでいると時間の立つのを忘れてしまいそうであった。
おむろノ沢出合からは地蔵岳への登り返しが待っている。今回は元のコースを戻り、途中から進路を左手にとる。つまり地蔵岳への直登する沢を詰めるのである。雪はすでに腐れ始めていたが今日の好天には感謝しなければならないだろう。なにしろ僕たちはまる1日停滞しているのである。前泊組は2泊3日の行程となっているである。登るに従って背後の飯豊山が大きく立ち上がってきた。その飯豊山は離れてゆくどころか逆に迫力が増すようだった。まるで望遠で見ているような風景にみんなが圧倒された。山頂付近はふたたび青空が広がりはじめていた。
地蔵岳山頂には1時間20分ほどで戻った。山頂には鳴海さんが待っていてくれた。僕たちの計画は本来は前日だったので、鳴海さんの行程は最初から不明だったのだが、今日はひとりのんびりとこの地蔵岳から周囲の沢を滑り、そして何回か登り返しながら楽しんでいたようだ。様子がなんともよくわからなかっただけに僕たちも不安だったが、これでようやく安心してみんなで下れることになったわけだった。個人的な感想だが山スキーではビーコン、スコップなどとともに、無線も全員必携であろう。全員で記念写真を撮ればあとは地蔵岳から滑れるだけ滑ってゆくだけだった。
スキー滑降が可能だったのはダマシ地蔵から少し下った付近までだった。そこからは安全を期してスキーは担いだ。みんなほとほと疲れ切っていたこともあり、最後の最後にきてから怪我などしていられないのだ。長ノ助清水を通り過ぎれば大日杉までは30分もかからない。眼下に赤い屋根の大日杉小屋が見えれば下界はまもなくだ。長い一日だったが今年もまた飯豊本山からのダイレクトコースを滑り切った喜びが心をいっぱいに満たしている。この心地よい余韻に浸りながら僕たちは大日杉に向かった。
上野さんがゲット |
まだ正午なのに完全に出来上がっている |
山菜の天麩羅と岩魚の刺身などなどが並ぶ |
朝5時 |
ザンゲ坂 |
ザンゲ坂上部 |
ダマシ地蔵がもうすぐ |
地蔵岳と飯豊山 |
無名尾根への登り(右手の緩斜面) |
本山小屋 |
本社ノ沢左俣上部にて(前方は地蔵岳) |
飯豊本山を振り返る |
地蔵岳からの滑降 |
まもなくスキーも終わる |
逆光のイワウチワ |
タムシバと五段山 |
ザンゲ坂を下る |
お疲れさまでした |