二日前と同様に月山荘前に車を止めて、9時発の臨時バスに乗り込んだ。今日は連休最後のせいかスキーヤーは予想外に少ない。一昨日からみればがら空きといった感じである。遠方からのお客さんはみんな帰路についているのかも知れなかった。
リフトに乗りながら朝日連峰を滑りまくっている仲間達が気になり、竜門小屋や狐穴小屋の管理人と無線を交わしてみる。山小屋の無線は雑音は一切なく、まるで本人がすぐそばにいるかのようである。無線によると、みんなも山小屋を渡り歩きながら、この例年にない豊富な残雪の朝日連峰を楽しんでいる様子が伝わってきた。
リフト上駅からは例によって金姥、紫灯森、牛首とシールで登ってゆく。昨日の悪天候でまたまた新雪が降ったのだろう。広大な斜面はまた一段と白く輝いていた。しかし、この広い斜面にはほとんどスキーヤーの姿が見当たらなかった。せいぜい数えるほどしかいないのである。二日前のあの喧噪ぶりはどこにいったのだろうと思うほどだった。
今日も気温は高い。鍛冶小屋跡への急斜面も雪は柔らかく、シールで登るには全く問題なかった。途中、左手をみるとこれから向かう雨告山が眼下に見えている。あんなに低いのかと思うと同時に、その両側の田麦川と笹川も底が見えないほどに切れ込んでいる。あそこからの登り返しを思うと気が引けそうだったが、しばらく棚に上げておくことにした。まずは山頂から北月山コースを楽しもう。
月山の山頂には僕の他には二人だけだった。スキーはないので下に置いてきたのか、あるいはツボ足の登山者かも知れなかった。山頂で長居は無用である。シールを剥がしてさっそく滑降に移ろうか。なにしろ何も考えずにバスを利用したために、今頃になって時間が足りなくなりそうな気がしてきたのである。山頂からは鳥海山をめざして北月山荘へと向かうのだが、あいにく鳥海山は雲に隠れて見えなかった。
稜線付近はさすがに雪解けが進んでいたが滑降する分には問題は無かった。先日下ったばかりのオモワシ原が右手に広がっている。そんな様子を眺めながらスキーを飛ばし続ける。たちまち仏生池小屋へと滑り込んだが、付近にトレースは全く見当たらず、今日このコースを下っている人はいないようだった。本来ならばこの小屋の周辺でのんびりと休憩したいところだが、まずは先を急ごう。時間がないのだ。
少し前ならばすべて雪に覆われていたであろう稜線はすでに夏道がでていた。雪のある箇所まではスキーを担いだ。笹やハイマツを踏んでしばらく進むと笹川へと下る踏み跡を見つける。地形図にはもちろんないのでここはもしかしたら昔の登拝路かも知れなかった。もちろん雨告山から湯殿山へ通じている道なのだろうが、まあ正確なところはわからない。雪がでてくればそこからは笹川へと一気に滑ってゆく。この斜面も結構広くて快適である。そして左手に大きく迂回をしながらオモワシ山の尾根にでた。そこは信じがたいほど広い尾根になっていた。眺める光景はもちろん初めてである。周囲の風景はまさしく絶景であった。この風景を前にしては全く言葉もでてこない。
笹川を挟んで目標の雨告山まではまもなくの地点であった。この尾根にたどりついたことでようやく休憩をとるゆとりがでてきた。ほとんど休みなしで下ってきたこともあってとりあえず昼食をとることにした。尾根上から風景を眺めながらの食事は至福を感じさせた。遠方には品倉尾根があり、1619m峰は気が遠くなるほどに高い。紫灯森はいうとこれまた遠くにありすぎてはるかかなたという印象しかなかった。
笹川へは上流部から降りていった。豊富な積雪のおかげで雨告山直下までは快適に滑ってゆけそうだった。直下までくると右手からは大きな滝の音がした。ここはまさしく秘境というべきところで、雪がなければ立てない場所にいる喜びを感じる。雨告山までは急斜面だったが、距離は短そうなのでスキーはロープで引っ張ることにした。いよいよ神域といわれる場所に近づいているのがヒシヒシと伝わってくるようである。思わず両手を併せて安全を祈った。決して罪深いことをしているのではないのだと山の神に誓いながら登った。一方では登るほどに周りの景観が変化するので胸の高まりを抑えきれない。
ようやく雨告山の稜線に立つとそこからはやせ尾根と雪庇だった。慎重に慎重に進みながら、スキーはそのまま山頂まで引っ張りあげた。藪は一部でているもののまだ雨告山の山頂は積雪に覆われていた。ようやくこの山頂にたったのだという静かな喜びにしばらく浸った。しかし、周辺部分をいくら探してみても山頂に立っているはずの「守山神社」という標柱は見当たらない。まだまだ分厚い雪の下に隠れているようだった。
めったにこられない場所にいるのだと思うと、周辺の風景をかたっぱしから撮影した。撮影が済めば田麦川への滑降だ。途中、月山の聖地の一つである西普陀落へと立ち寄ってゆく。崩落が進んでいてこれでは夏場にきてもなかなかたいへんな場所だろうと思わずにはいられない。下部付近はまだ残雪に覆われているものの、西普陀落の様子はおおむね確認できたのは幸いだった。聖地には清水が岩を伝って流れていた。ここでもやはり両手を合わせながら清水を飲み干した。
さて、田麦川からはどこを登ってゆこうかと迷うところだった。なるべく上流部から対岸の尾根を登りたいのだが、そこはすでに流れも見えているうえに、対岸はあまりに急斜面というか絶壁のために登り返しは相当難しそうだ。しょうがないので田麦川の下流部まで滑り込んでから登り返すことにした。
沢底からはふたたびシールを貼った。沢底の標高はおよそ1000mほどか。ここから1619m峰への登りを思うとめまいがしそうだった。両足は疲れに疲れ切っていたが、これは日頃の体力不足を恥じるしかない。それでも時間さえかければ少しずつ高度が上がってゆくのは確かだった。しばらくすると見覚えのある地点が近づいていた。そう、品倉尾根の北尾根である。トレースは見当たらないので今日下った人はいないのだろうか。いたるところでデブリが見られる。よくみれば稜線には雪庇が大きく発達していてあまり近づきたくはないところだ。斜度は少しずつだがきつくなっていった。どこを登っても良さそうだったが、シールが濡れてスキーからはがれるというアクシデントに何回かもたついた。今日は気温が高すぎるのだ。
高度1400mを超えるとようやく先が見えてくるようだった。しかし、時間はすでに午後も3時近い。のんびりとしている暇はなさそうだった。途中で少し藪をこがなければならない箇所があり、そこでは予想外に時間を費やした。積雪が多いので藪から降りるときと登り返すときにかなり難儀をしなければならなかったのだ。コース取りが少し間違ってしまったようだ。前方にようやく1619m峰が見えたときは、これで今日中には自宅まで帰れるだろうと確信した。陽は大きく西に傾きかけていて、夕陽が山肌を薄赤く染めようとしていた。
1619m峰到着はちょうど午後4時だった。山頂部は平坦な雪原となっていた。よくみると今日のトレースが残っていた。もしかしたら湯殿山スキー場へと下った人達がいたのかもしれない。しかし、すでに人の姿はどこを見渡しても見当たらなかった。紫灯森や月山から滑り降りてくる人もこの時間では全くいなくなっていた。それでもこの時期は陽が沈むまでにまだ時間がありそうなのがありがたい。ピークでシールを剥がせばあとは適当な場所から紫灯森を巻きながら姥ガ岳北面へとトラバースだ。
金姥直下を経由して大きなトラバースを終えると、前方には湯殿山があり、そして装束場への大斜面が続いていた。一昨日の光景とほとんど同じだが、時間帯だけが違っていた。静かな装束場と石跳川滑降は今日も一人舞台のようだった。一気にネーチャーセンターへと滑ってゆくと風を切る音がした。火照った頬には心地よい風だった。気温が低くなってきたおかげでスキーもよく走った。
両足はともすると痙攣しそうなほどだった。疲労は極致のような状態だったが、念願だった月山の秘境や聖地と呼ばれるところを山スキーでたどった達成感は格別であった。月山荘前の駐車場に滑り込むと、あたり一帯は早くも夕陽に染まり始めていた。まもなく日没が近づいているようだった。喉はからからに渇いていた。きっと緊張感の連続だったせいだろう。気持ちは異様に高揚していた。こんどは雪の無い時期に雨告山を登ってみようかと心の片隅で考えていた。
牛首付近から見る品倉尾根 |
牛首付近から見る雨告山(黒い部分) |
月山山頂からの湯殿山 |
北月山コースの途上 |
仏生池小屋 |
仏生池小屋から雨告山を見下ろす(左上) |
笹川 |
雨告山(望遠) |
雨告山直下(笹川で) |
笹川から月山方向 |
雨告山目前 |
雨告山からの1619m峰 |
雨告山から振り返る |
西普陀落付近 |
品倉尾根への登り返しで |
1619m峰からの紫灯森(左奥) |
トラバースを終えると湯殿山が正面に |
夕日に染まるネイチャーセンター |