駐車場には釣り人のものと思われる車が1台あるだけでまだ誰も登っている人はいないようだった。登山計画書を記入して林道を歩き出した。トンボが早く里まで下りてくればいいのだが、まだまだメジロアブやブヨはうようよ飛び回っていて、終始体にまとわりついた。
桑住平の分岐から赤鼻尾根に取り付くとようやくメジロアブから逃れることができた。周りは新緑のブナ林が広がり、その樹間からは抜けるような青空が見えた。ブナ林に遮られて夏の強い日射しもここまでは届かない。ひんやりとした空気は山登りの楽しさをしばし思い出させてくれた。
800mを越えると潅木帯となり、左手には堂々とした祝瓶山が目に飛び込んでくる。紅葉にはまだまだ早く、深緑の山肌は夏山の盛りを思わせた。先日までの濃霧や雨模様が今日は嘘のようだ。広い空には雲ひとつ浮かんではいない。展望は文句ないのだが、反面、頭上からは容赦のない日射しが降り注いだ。ところどころで日陰があるからいいものの、今日は熱射病が心配になるほど気温がぐんぐんと上昇していた。
途中で何度か小休止をとりながら水分を補給しまた登りを再開する。1000mを越えるとようやく稜線に登り着いた。ここは祝瓶山と大朝日岳の縦走路でもある。ここまで登れば気温もだいぶ下がるかもしれないと考えていたがそれは甘いようだった。すでに30度近いほどの気温があり、日射しを浴びていると目眩がしそうだった。
大玉山に進むとまもなく水場がある。ここで意外な人たちと出会った。一人は小国山岳会の井上氏であり、もう一人は宮城の坂野氏であった。坂野氏はもう一人と野川本流から平岩山まで遡行した帰りで、今日はその下山途中らしかった。井上氏はというと自然保護関係の看板取り付けのための作業登山のようだった。井上氏は大玉山付近でその作業をしなければならないらしく、僕は途中まで井上氏の後ろを一緒に登ることにした。
稜線は予想以上の暑さだった。先日までのムッとした湿気はもうないのだが、快晴の頭上からは真夏の日射しが照りつけた。僕はこの頃から少し体調が悪くなっていたようだ。ようやく登り着いた前大玉山で僕はとりあえず一休みをとることにしてザックをおろした。井上氏はしばらく地図を眺めてから一人大玉山へと向かっていった。半ズボンにズック履きとその軽快な出で立ちは相変わらずだ。そんな様子をみているとこの人には体力の衰えなどとは無縁のようであった。
僕は前大玉山で早めの昼食をとってから下山することにした。大玉山までは30分ほどしかないのだが、その距離が今日は途方もないようにさえ思えた。僕は半分熱中症にかかっているのかもしれなかった。こんな時には決して無理をしてはいけない。単独にはこういったときの気楽さがあるからいい。僕は塩辛い茄子漬けを口いっぱいにほおばりながら前大玉山の山頂を後にした。