【概要】
峩々温泉は蔵王の御釜に源を発する渓流濁川(にごりがわ)沿いの緑豊かな山間に位置する一軒宿で、北蔵王連峰、名号峰への登山口となっている。
最近は体調がいまひとつで出かけるのも億劫になっている。ましてや暑い時間帯には登りたくないわけで、結局刈田峠付近から安直なコースでお茶を濁そうかと考えていた。予想通り下界との気温の違いは歴然で10度から12度ほども違う。さらに梅雨の真っ直中でありながら山形県側では澄んだ青空が広がっていた。刈田峠までは別世界であった。ところが宮城県側は信じられないほどの濃霧に覆われていて、視界はまったくといっていいほどなかった。予定していた大黒天付近も一面白い闇の中だった。蔵王連峰を境にして天候は極端な違いを見せているようだった。かといって闇の中を登る酔狂さもない。そんなことから峩々温泉まで下ってみることにした。
峩々温泉も似たような天候だったが濃霧からはさすがに抜け出したようだった。さらに日射しがないのもありがたい。過ごしやすい気温のために久しぶりに名号峰へでも登ってみようかとなったわけである。後で調べてみたら4年ぶりの峩々温泉であった。
石畳の急な階段を登ると、ミズナラ林の目立つ雑木林の急坂がしばらく続いた。風は結構強いのだが気温が高くないので気分的にはだいぶ楽である。それでも梅雨特有の鬱陶しさはかなりのものだった。おかげで尾根上の分岐点である猫鼻まで汗を大分搾り取られてしまった。しかし、前回は猫鼻という標識があったような気がしたが今回は見あたらなかった。しばしザックを下ろして一息をつくことにし、ここで漬け物などを食べて体力を補った。
分岐の標識からは緩やかに下ってまた登り返しとなったが道は歩きやすい山道となった。道幅も広くハイキング気分で歩ける区間だ。何よりも暑くないのがうれしい。少しずつ高度が上がってゆくとやがて湿地帯を横切る。ここからはさらに登りが続いた。ここは予想外に距離の長さを感じる区間だ。周りにダケカンバ帯が広がるようになると稜線もまもなくだ。稜線上の分岐から名号峰へは2、3分の距離であった。まさしく峩々温泉は名号峰への直登コースなのだと知る瞬間でもあった。
予想通りというのか名号峰の山頂はガスに覆われていて展望はほとんどなかった。熊野岳は全く見えず、わずかに右端の地蔵岳が雲に見え隠れしているのだが、暑さを避けたい僕にとっては山頂の涼しさだけがありがたい。しかし山頂で休んでいると急に薄暗くなりあわてた。白い濃霧は変わりはないのだがまるで日没のような暗さに急変してしまったのだ。見上げると雷雲も近づいているようである。急いで下り始めなければならなかった。予報によると今日の雨は夕方からのはずだったが山では何が起こるかわからない。たちまちのうちに雨が降りだし、それは視界を遮るほどの大降りとなったのである。まさしくゲリラ豪雨のようなものだった。徐々に降り出すだろうと考えていたが甘かったようだ。一瞬にしてずぶ濡れになってしまったが、それでも冷えるよりはいいだろうと雨具を取り出して上着だけを羽織った。上空では休みなしに雷鳴も轟いているのも気がかりだった。急いで稜線から降りなければ。それだけを考えて僕は登山道を走り続けた。