(4月11日)
この週末は恒例になっている山岳会主催の月山肘折ツアー。今回の参加者はなんと25名というから驚きだ。事務局ではマイクロバスの他にスキーやザック運搬用に軽トラまで手配してくれていた。メンバーは西川山岳会の他、東京からの客人に環境省からも飛び入り参加があり、また山スキーの他にスノーシューやかんじきによる歩き部隊も3〜4名ほどいるという大混在部隊である。こうなるともうお祭りのようなもので早朝から異様なほどの騒然さが漂っていた。
月山肘折は長いコースに加えなんといっても月山山頂から東側に広がる大雪城の滑降が最大の魅力だが、ここ2年間は悪天候のために坪足での下りを余儀なくされていた。しかし、今年は朝から快晴の空が広がっていて天候の心配は皆無である。ここにきてようやく念願の大雪城が楽しめそうであった。
リフト終点では多くのスキーヤーで溢れていた。月山スキー場は前日にオープンしたばかりでもあり、また今年は全国一律1000円という高速料金を利用して県内外から大勢押し寄せているようあった。シールを貼り終えれば一路金姥をめざそう。見回すとすでに多くのスキーヤーが牛首の稜線や沢底をあるいているのが見えた。それにしても今年の月山は大分雪が少ないようだ。山頂付近は地肌がみえていて黒々としている。まるで5月の連休を見ているようでもあった。牛首から鍛冶小屋跡までは急坂となる。気温が高いためだろうか。雪はすでに融け出しており今日はなんの問題もなくシール登高が可能だった。
月山到着は午前11時。山頂は多くの人たちでにぎわっていて夏山を見ているような騒然さである。もっとも僕たちのグループも異様なほどの人数なのだから人のことはあまりいえない。山頂からは鳥海山こそ見えなかったものの視界は良好。見えないものはないほどの展望が広がっている。これからめざす念仏ヶ原もはっきりと見えていて避難小屋らしきものまでがわかるようであった。空は快晴だが風が強いのでひとまず大雪城を下ろうかということになる。広大な大雪原に降りてから休もうというわけである。この時期、月山神社もまだ雪に埋もれており、このてっぺんから滑り降りてゆくのは爽快だ。一人が滑り降りてゆくとあとは雪崩をうったように次々と大雪城へ繰り出していった。気温が高いだけに今年の雪質は最高のザラメとなっている。雪面もいたってフラットでありターンに苦労する必要もない。一気に沢底まで降りてゆくとしばし大休止となった。天候に恵まれたときの大雪城はまるで夢の世界をみているようでもあった。大雪城を滑ることのできなかった2年間の鬱憤はたちまちのうちに消えていった。
いまのところ僕たちの他に大雪城を下ってくる人はなさそうだった。しかし今日はかなりの混み具合が予想されるため、先発隊と称して僕たち数名は一足早く念仏ヶ原へと向かうことにした。小屋の掘り出しと宴会場の設営のためである。千本桜を一気に滑り降りて行き広い尾根へと降りてゆく。この頃になると斜度が緩んだ分だけスキーは少しずつ走らなくなっていた。気温の上昇で雪が腐ってしまい時々ブレーキがかかってしまうのである。初夏を思わせるような日射しが頭上から燦々と降り注いでいた。立谷沢川への急斜面をあっち転びこっち転びしながら降りてゆくと立谷沢の沢底へと降り立った。
立谷沢の沢底からはシールを再び張って沢沿いに登ってゆく。まもなく飛びだした広大な雪原は秘境念仏ヶ原だ。この頃になると気温はますます上がり汗がしとどに流れた。僕たちはすでに下着一枚になっていたがそれでも暑すぎるほどの気温であった。
念仏ヶ原避難小屋はほとんど雪面から出ていた。1階の入口も少し掘り出すだけで入れそうであった。避難小屋へはまだ誰も立ち寄った形跡はなく僕たちが今年の一番乗りのようであった。みんなでスコップを取り出して30分ほど入口の掘り出し作業に精を出した。掘り出し作業が終えれば今度は小屋前に宴会場の設営であった。
後続部隊がやってきたのはそれからかなり経ってからであった。みんなが揃えばプレ宴会の開始となった。その後他のグループも続々と到着してきたため、僕たちは予備として持ってきていたテントまで設営しなければならなくなった。それにしてもこんなに山小屋が混み合うのを見るのははじめてである。結局テントは他のパーティも含めて4張り山小屋の回りに設営された。まもなくすると立谷沢川で釣りを楽しんできたメンバーがやってきて全員が出そろった。しかしさすがに釣り師たちである。30センチを超えるほどのイワナをみんな数匹ずつ携えていたのである。これらはたちまちその道のプロによってさばかれ、新鮮な刺身となってみんなに配られた。残りは料理の隠し味として肉鍋に放り込まれたのはいうまでもない。こうして宴会は和気あいあいとした中、時間を忘れて延々と続いた。日没後は山小屋とテント内へと宴会が引き継がれたようだったが、僕は例によって早めにダウンしてしまい、いつ頃眠ったのかさえも定かではなかった。
(4月12日)
翌日は4時起床。出発予定は午前7時である。大所帯ともなると何をするにしても時間がかかるので例年よりも1時間早めの設定となった。まだ薄暗い中外に出てみると月山が青白く光って見えた。中空には真っ白い月が浮かんでいる。今日も暑くなりそうな予感がする早朝の風景であった。朝食を全員が食べ終えたのは2時間以上も経ってからであった。月山は朝日を浴びて白く輝き、その月山を背景に小屋前で全員の記念写真を撮る。他のグループはすでに1時間以上も前に小屋を出発しているようであった。
小屋からはいつもの快適なシール登行が続いた。小岳には約50分で到着した。小岳からはシールは不要なのでザックの底へしっかりとしまおう。ここからは快適なスキー滑走の始まりだ。歩きの部隊も数名いるのだがこれがなかなか侮れないのである。スキーでもたもたしているとたちまち追い抜かれてしまうのだ。一方前日で難儀させられた雪質だが今日はウソのようにスキーが走った。赤砂沢沿いに下ってゆくと、鞍部からはすぐに978m峰への登り返しだ。と思うまもなく978m峰からは本日のメインステージであるネコマタ沢への最上部にたどりつく。この目まぐるしいほどのコース変化がこのツアーコース最大の魅力だろうか。ネコマタ沢での滑走は説明も無用だろう。早めに下った人は高みの見物となり、しばしスキーヤーの叫び声や労りのない励まし声が辺り一帯にこだました。
ネコマタ沢の末端からは778m峰への登り返しだが、ここで僕たちは再び先発隊となり一足早く大森山に向かった。778m峰から大森山直下までは長いトラバース区間となる。この次々と変化するコースは何回経験しても飽きることがない。あまりに快適すぎるので疲れも感じないほどである。トラバースが終えればそこは大森山直下。ここから大森山山頂までは見上げるほどの急坂が待っているところだ。ここで早立ちしていた別グループに追い付いたが、僕たちはかまわず先を行かせてもらった。大森山の急斜面は雪解けも早いところだが、今回は予想外に積雪もあって坪足でも難なく登って行くことができた。しかし最後の急登だけあって汗がしたたかに流れ、これまでのペースはたちまちダウンしてしまった。
大森山に登り切った壮快感は格別であった。登り返しも終わりあとは肘折温泉まで下って行けるのである。僕たちはとりあえず宴会用のテーブル設営に汗を流した。出来上がった食卓は一年に一度だけ開店する”レストラン大森山”となる。そのうちぞろぞろと後続部隊が登ってきたが、全員が揃ったのはそれから1時間近くも経ってからであった。会長の発声よる乾杯が大森山一帯に響きわたると宴会も最高潮だ。残りの食材やアルコールなどが次々と雪のテーブルに広げられ、しばし歓談に一同盛り上がった。
大森山山頂からは最後の滑走となる。ブナ林を縫って行くこの区間は急斜面ながらもツリーランが楽しめるところだ。アルコールの勢いもあってみんな大胆な滑りを繰り広げる。林道に降り立てば今回のツアーも終盤だ。林道をショートカットで滑って行くと肘折温泉の朝日台に飛び出す。朝日台はまだまだ多くの積雪に覆われていた。林道の除雪がされていないせいもあるのだろうが例年よりも積雪が多いようにさえ感じた。夏道にそってスキーを走らせていると除雪終了地点もまもなくだ。そこには私達の到着を今か今かと待っていてくれた軽トラとマイクロバスがあった。
下山後、私達は「肘折いでゆ館」のしっとりとした温泉に浸ってこの二日間の汗を流した。その後は舟形町「重作」の美味しい蕎麦で締めくくり、一路、西川町の開発センターへと向かった。
リフト終点から月山を望む |
鍛冶小屋直下を登る |
月山神社 |
賑わう月山山頂 |
大雪城の滑降 |
念仏ヶ原をゆく |
先発隊による入口の掘り出し作業 |
宴会始まる |
立谷沢川での収穫の一部(柴田氏) |
宴会もたけなわ |
今日のメインディッシュです |
月山の日没 |
念仏ヶ原の夜明け |
小岳への登り |
レストラン”大森山”開店! |
朝日平から肘折温泉へ |
千本桜の急斜面(上野氏撮影) |
立谷沢川への急斜面(上野氏撮影) |
月山の日没(上野氏撮影) |
二日目の朝(上野氏撮影) |