今日の参加者は総勢12名。うち茨城からのゲストが2人いて、この2人はスノーシューでの参加だ。一方、同じようにこの連休を利用して朝日連峰に入山している人達がいる。昨年の年末、大朝日岳で滑落事故があったがその当事者である埼玉「わらじの仲間」である。彼らは行方不明の仲間捜索のため9名ほどが、根子から古寺鉱泉までの区間をスノーモービルで入山していた。この「わらじの仲間」とはその後も前後しながら道中を歩むことになった。
地蔵峠から古寺集落まではいったん下りとなる。スキーで滑ってゆき平坦部分からはいよいよシール登行の始まりだ。ここから翌日の大朝日岳山頂まではもうシールをはずすことはない。林道歩きは結構長く古寺鉱泉「朝陽館」まではおよそ1時間かかった。「朝陽館」周辺の積雪はまだまだあるものの例年から見ればかなり少ないようだ。「朝陽館」から稜線までは結構な急斜面となり、みんな喘ぎながら電光形に登って行く。登り切ったところは早くも雪が融けて夏道が露出していた。しかし尾根をたどるにつれて積雪は次第に多くなっていった。ブナの疎林帯は快適な山歩きとなり、このどこでも登ってゆけるという感覚が実にいい。これは春山ならではの楽しみであろう。この頃になると青空が広がるようになり、歩いていると春の日射しが燦々と降り注いだ。大きな雪庇を抱いたハナヌキ峰が右手に見えてくると今日のテン場もまもなくだ。
全員そろったところで早速テン場の設営となる。持参したのは10名ほども泊まれる大型エスパースと5人用エスパース。それに茨城組のエスパースとテントは3張り。風を避けるために東斜面の窪んだ地点を選びみんなで宅地造成のために精を出す。結構な広さが必要だったが、今回は12名もいるのでたちまち広々とした分譲地が出来あがった。トイレはいつものように柴田氏が作ってくれた。今年は特に豪華で芸術品のようなトイレである。こうして2時間ほどの作業を経て快適なハナヌキホテルの完成となったのである。
テント内に入ると早速宴会だ。牛鍋や鍋焼きうどん、それに飲みきれないほどのアルコールで盛り上がった。しかしその夜は疲れもあって早めの就寝となった。寝る前に用足しのため外に出てみると空は満点の星空であった。月が無いだけに無数の星がそれこそ降り注ぐように煌めいている。明日の好天は間違いなさそうであった。
(3月21日)
朝は5時に起床した。のんびりとした朝食を終えて外に出て見るとかなりの冷え込みに体が震えた。もちろん雪面は堅いアイスバーンであった。テン場から古寺山へは急坂が連続する。始めこそ快適なシール登行だったが、次第にストックも刺さらないほどの雪面となり、途中からほとんどスキーアイゼンを装着した。スノーシューの二人は最初からアイゼンとピッケルの装備である。古寺山へ登るためには最後大きな雪庇を乗り越えなければならなかった。一歩踏み外せばどこまで滑落するのかわからないほど雪面は堅く要注意区間だった。スキーアイゼンでさえもたわむほどの堅さなのだ。ここは今日一番の核心部だった。不慣れな人のためにここはみんなでサポートして難所を乗り切った。
稜線に上がれば小朝日岳の雄姿が目前となる。そして右手には大朝日岳、中岳、西朝日岳の主峰が目に飛び込んでくる。全山真っ白に雪化粧した姿にみんなからは歓声があがった。振り返れば月山が大きくそして鳥海山が青空に浮かんで見えた。小朝日岳と古寺山とのコルまでくれば再び急斜面が立ちはだかる。さらに雪面は堅くなる状況を見て、スキー班の3名以外はアイゼン歩行に切り替える。スキーはコルへデポしてゆくことになった。
小朝日岳の山頂は大量の積雪に覆われていた。山頂の東側は大きな雪庇である。標柱は雪に埋もれまだ陰も形も見あたらない。いうまでもなく小朝日岳の山頂からは360度の展望が広がっていた。雲ひとつ見当たらない光景に、少しぐらいは雲がほしいよね、などと冗談が飛び出すほどの快晴であった。飯豊連峰や吾妻連峰。そしてその中間に鋭利な頂きを見せる磐梯山。村山葉山の右奥には栗駒山らしい白い峰が横たわる。蔵王連峰はというと全てのゲレンデがはっきりと指呼できるほどの鮮明さだ。山名を数え上げればきりがないほどで、今日は見えないものはないというほど全てが見渡せた。主稜線にわずか残っていた雲はいつのまにかすっかりなくなっていて、この信じられないような朝日連峰の大パノラマを全員でしばらく楽しんだ。
小朝日岳からは女性陣2名がテン場へと戻ることになった。また佐藤事務局長は今日中に下山しなければならないらしく、山頂からは一足早くスキーで下って行くことになった。他のメンバーは取りあえず大朝日岳をめざして熊越へと下った。茨城組は少し先に大朝日岳へと向かっていた。スキーで全区間たどるつもりだった我々スキー部隊も、雪の少なさに途中で諦めざるを得なくなり、熊越までは泣く泣くツボ足に切り替えた。熊越からは再びシール登高だ。
銀玉水までくれば大朝日岳が近づいたのを実感できるところだ。日射しは強いのだが風は意外に冷たい。稜線では厳しいほどの風に煽られ続けた。トップの柴田氏は猛然といったスピードで登って行く。その後を僕が追いかける形だが後続はというと少し遅れているようだった。茨城組は柴田氏の100mほど先を登っている。そんなとき後続組が途中で進むのを断念したらしく僕たちに合図を送ってよこしたようだった。そこは銀玉水までまもなくの地点で、4名が腰を下ろしているのが見えた。菊池氏は最後尾で遅れていたが、山頂へと向かっているところだと無線が入った。
大朝日岳の避難小屋へは小朝日岳から1時間20分ほどで到着した。すでに正午を回っていることもありシャリバテで動けそうもなかった。ここで菓子パンなどを食べるために小休止する。避難小屋から山頂まではさらに雪面は堅いものになっていた。いわゆる氷化している状態で、スキーアイゼンの限界を感じさせた。まもなくすると下山途中の茨城組と出会った。2人はすでに山頂を踏んできたようだったが、僕たちと合流すると再び山頂へとUターンした。
大朝日岳の山頂到着は12時30分。もうこれ以上高いところはない。スキーをはずすことなく山頂に立ったということで、今回は何とも言えないような達成感がこみ上げる。もちろん山頂からの大展望はいうまでもなかった。南方を見れば飯豊連峰が大きな屏風のごとく横たわっていた。そして朝日連峰南端の祝瓶山は、まるで孤高を誇示するかのように端然と聳えているのが印象的だった。
茨城組は記念写真などをひととおり撮り終えると一足早く下山して行った。まもなくすると入れ替わるように菊池氏が山頂へと登ってきた。その菊池氏はというと驚いたことに一休みもせずに山頂から引き返していった。まるでとんぼ返りである。菊池氏はスキーを銀玉水上部付近にデポしてきたらしかった。柴田氏と僕は十分すぎるほどの休憩と展望を楽しんだので思い残すことはない。それでは山頂から下るとしようか。
柴田氏はシールをはがすと一気に避難小屋へと下って行った。僕は大斜面を見てかなり意気込んではみたものの慎重だった。なにしろ洗濯板のような堅い雪面なのである。試しにワンターンしたところ簡単に転倒してしまった。僕はテレマークターンをあきらめてアルペンで下った。アルペンならば何の問題もないが氷化した雪面のガタガタ感には閉口した。なんとかテレマークターンも可能になったのは銀玉水上部からである。ここで遅れていた菊池氏をしばらく待ち、そこからは快適なスキー滑走の連続となった。たちまち熊越まで滑り降りてしまい、いまさらながらスキーの機動力を思った。
大朝日岳の山頂から小朝日岳まではちょうど1時間で戻った。風はほとんどなくなっていて小朝日岳は至福の山頂であった。鳥原山への稜線もまだ多くの積雪に覆われている。そのたおやかな雪の稜線は夏山の雰囲気とは全く違う魅力を感じさせた。僕たちはこの時期ならではの光景にしばらく見入った。まもなくすると菊池氏が追い付いてきた。
小朝日岳の山頂からはさらに快適なスキー滑走となった。たちまち古寺山へのコルへと降りてしまい、そこからはひと登りで古寺山山頂だった。古寺山の山頂では茨城組の二人が休憩中だった。二人はかなり早く着いたはずだったが、好天と展望の良さになかなか下山する気にはなれないらしかった。僕たちも一緒この極楽のような山頂での時間をしばらく楽しんだ。陽は少しずつ西に傾いていた。陽の傾きにつれて山肌の明暗がはっきりしてくる。稜線が際だってくると山容の美しさは数倍も増してくるようだった。雪庇は陰影を帯びて美しく稜線は銀色に鈍く輝き始めていた。
古寺山からは心地よいツリーランの始まりだ。雪はさらに柔らかさを増してこのうえない雪質となっている。スピードに乗って下っているとたちまちテン場が近づいていた。テン場では仲間達が雪のテーブルをこしらえて宴会に盛り上がっていた。僕たちはテン場に滑り込みビンディングをはずしていた。そんな時冷え切った缶ビールが目の前に差し出される。喉が乾ききっていただけにこのビールは体の隅々まで吸い込まれてゆきそうだった。この時飲んだビールの美味しさは終生忘れられない気がした。同時に仲間達のこうした心遣いには言葉もなくただただ心で感謝するばかりだった。
その夜は最後の夜という事もあって前夜以上に盛り上がった。アルコールはそれこそ売るほどもあるのである。昨日の牛鍋に続いて今日は豚肉がたっぷりはいったキムチ鍋。さらに大量のツマミと、最後は洋食での締めくくり。話は弾み様々な逸話やら名言などが飛び出したが途中でダウンした僕は残念ながら記憶が半分曖昧模糊としている。気付いたときにはシュラフに潜り込んでいる始末であった。
(3月22日)
最終日は朝から薄曇りだった。天候は下り坂のようであった。日の出はなんとか拝めたものの空は厚い雲に覆われていた。重荷を背負った状態で雨にたたられるのは正直いやなものである。なんとか降らないうちに下山したいところだ。しかし気温は意外と高いらしく、テントの外に出して置いたコッヘルの水が、今日は全く凍ってはいなかった。テント撤収を終える頃は青空も一部に見えはじめていて、午前中はなんとか持ちそうな空模様に見えた。
ハナヌキ峰まではひと登りだ。しかしテントなどが濡れているためか、ザックが初日よりもずっと重いものに感じた。ハナヌキ峰の直下からはスキーで下って行くだけとなる。今日はほどよいザラメ雪。まるで昨日のアイスバーンがウソだったかのようだ。ハナヌキ峰からは樹林も混んでいるのでそれぞれが慎重に下った。古寺鉱泉に連なる尾根に乗れば後は勾配も緩やかなので快適な滑走となる。しばらく山スキーのためにあるような尾根が続いた。夏道が現れるようになるとほとんどがスキーを担いだ。スキーにこだわりたい柴田氏と僕は西側斜面をトラバースしながら滑走を続けてゆく。
尾根の末端からは古寺鉱泉「朝陽館」の赤い屋根が見えてくる。急斜面をひと滑りすると「朝陽館」に降り立った。きわどいトラバース区間を通過すれば駐車場だ。駐車場といってもまだ広々とした雪原である。僕たちは下ってきた勢いのまま駐車場を一瞬ですり抜けて行く。林道はスノーモービルのトレースが残っていてここも予想外にスキーが走った。つくづくスキーのありがたみを感じないわけには行かなかった。結局林道の中間地点まで滑ってきたところで後続をしばらく待つことにした。
泣きそうな空模様が続いていたが、メンバーを待っている間にもぽつりぽつりと雨が降り出してきた。しかしすでに山行はまもなくエンディングを迎えようとしている。ここまで下れば少しぐらいの雨で文句は言えない。昨日までの2日間の天候があまりにも出来過ぎたのである。
林道の途中で全員が揃ったのは1時間近く経ってからだった。心なしか交わす言葉が少ない。みんなも相当疲れているようであった。さて残りもわずかになった。緩やかな下り坂の林道を滑ってゆけば古寺集落だ。古寺集落からはスキーを引っ張りながら地蔵峠へと向かった。ここはおよそ1時間近く登らなければならない。疲労困憊の体には結構きつい区間となった。距離はそれほどはないのだろうが意外に時間がかかった。地蔵峠から駐車地点まではいくらも残っていない。いよいよ最後の滑走を残すのみとなった。林道を滑っているときから僕の脳裏には温泉がちらつき始めていた。見上げると降り出した雨はいつしか本降りとなっていた。
古寺集落を歩く |
古寺鉱泉 朝陽館 |
尾根に上がる |
ハナヌキ峰(右) |
ハナヌキ峰のトラバース |
テン場が完成する |
2日目 坪足組の二人 |
古寺山の急斜面 アイスバーンです |
ハナヌキ峰をバックに古寺山を登る |
雪庇の乗り越え |
滑落しそうです |
雪庇を乗り越え古寺山へ |
小朝日岳 |
古寺山を下る |
大朝日岳と中岳が正面 |
小朝日岳への登り |
小朝日岳への登り |
小朝日岳への登り |
小朝日岳への急斜面 |
小朝日岳山頂から |
こちらは西朝日岳 |
避難小屋がまもなく |
ようやく小屋到着 |
アイゼン組の二人が待っていてくれた |
平岩山から祝瓶山への稜線 |
大朝日岳山頂で |
銀玉水への滑降 |
銀玉水への滑降 |
小朝日岳から鳥原山を俯瞰 |
小朝日岳からの滑降 |
古寺山への軽い登り |
三日目の朝(テント内から撮影) |
朝のテン場 |
テント撤収後の造成地 |
ハナヌキ峰への登り |
古寺鉱泉上部の尾根 |
古寺鉱泉 朝陽館へ下る |
朝陽館前の橋 |
地蔵峠 |
お疲れさまでした |