今日の朝は冷え込みも厳しく自宅では氷点下14度と今年一番を記録した。これぐらい冷えれば好天は確実である。見上げれば雲ひとつ見当たらない快晴の空がひろがっていた。昨年も同時期にこの白太郎山を計画したが、集まったのは上野氏ひとりであった。それが今回は12名も集まってしまい、驚きを通り越して唖然とするばかりである。早朝、3時に自宅を出てきた人や、昨夜から道の駅で車中泊をした人などなどで、集合場所としたコンビニの駐車場は大混雑。みんなの白太郎山に寄せる大きな期待感がヒシヒシと伝ってくるようでもあった。
集合場所からは一路五味沢地区へと向かった。車も総数11台。山奥の集落を走る姿はまるで選挙運動のような行列である。さらに小国山岳会へ出張中のはずの柴田氏からは、こちらも白太郎山の予定だという無線が入って一同騒然となる。あの小さな白太郎山に30名以上も入ったらパウダーどころではないのは明瞭であった。
予想通り、徳網地区の県道沿いには数え切れないほどの車が列をなして駐車中であった。小国山岳会の井上氏にも会うのは久しぶりで、お互いに挨拶をかわしながら久闊を叙した。今日は山岳連盟による指導委員会のメンバーに加えて南陽山の会の皆さんも一緒らしかった。急遽合流したこの大団体は、登山口からほぼ同時の出発となった。今週は別行動だろうと思っていた柴田氏は、いつのまにか西川山岳会と合流し、いつもの楽しいメンバーが勢揃いした形となったのである。
まずはトップをきって目前の急斜面に取り付いた。今年一番の冷え込みにもかかわらず気温はどんどんと上昇していた。途中でアウターを脱ぎ、次にはフリースのジャケットまで脱いだ。例年のようなラッセルでもないのに汗が止めどなく流れた。杉林を抜けると、ミズナラやブナの混在する尾根歩きとなる。樹林といっても疎林帯なのでここもスキー滑降が楽しみなところだ。次第に右手からは視界が広がり展望が楽しめるようになる。やがて五味沢地区が眼下となり、遠く飯豊連峰や吾妻連峰までが視界に飛び込んでくる。付近には無数ともいえるほどノウサギの踏跡が散乱していた。
766mピークを過ぎるとブナの疎林帯となる。この辺りは積雪もかなり多く適度な斜面といい、まるで夢をみているかのような風景が続くところだ。途中何度かの休憩をとり、やがて木立が見当たらなくなると白太郎山の山頂である。時計をみれば登り始めてからまだ2時間しか経っていなかった。これはラッセルというほどの積雪がなかったというのが一番の要因だろう。これまではいつも4時間程度かかっていたのが信じられない思いであった。
山頂からは祝瓶山が正面だった。さらに左手には大朝日岳から西朝日岳へと連なる稜線。そして有名無名の山々がどこまでも見渡せた。わずか1000mの山とはとても思えないほどの大展望である。今回が初めての人からは感嘆の声がわき上がった。
後続部隊はまだまだ到着する様子がないので、僕たちは取りあえず山頂に雪のテーブルを設営し宴会の下準備を整えた。それでもまだ10時を少し回っただけなので時間はたっぷりとある。ここで僕たちは遭難対策のベテランが大勢いるのをいいことに、以前から狙っていた白太郎山の東斜面を楽しむことした。
昨年はこの白太郎山の山頂から祝瓶山へはなだらかともいえる広大な斜面が広がっていた。ところが今年は暖冬の影響からか、ほとんど雪庇が崩れてしまい大きなクラックが何カ所にもできている。とても滑降できる状態ではなかったが、僕たちは少し山頂から下った地点からであれば安全だろうと見当をつけた。ドロップポイントさえ決まればビーコンチェックしてなにはともあれ滑ってみようか。あとは重力の法則に従い身を任せるばかりである。東斜面の積雪は想像以上に豊富だった。さらに日影の部分は軽い粉雪なのだからたまらない。スキーでさえ膝上もあるところもこの軽い雪質にみんなは大感激である。結局僕たちはこの東斜面を3度も登り返して滑降を楽しんだのである。
気付いたときにはとうに昼時間を過ぎていた。山頂に戻ったときには小国山岳会はすでに下山しており、残っているのは西川山岳会のメンバーだけであった。そして、眺めるばかりで待ちくたびれたメンバーは、一足早く下ることになり、最後まで残ったのはいつもの6名だけとなってしまった。気付いたら2時間以上も東斜面を楽しんだことになる。腹が空き過ぎて僕たちはもう一歩も動けない。朝日連峰を遠方に、そして荒れに荒れてしまった東斜面を眺めながらの遅い昼食は至福の時間でもあった。
下山は元のコースをのんびりと滑るだけであった。すでに多くの人達が下っただけあってパウダーなどは微塵もなく、まるでスキー場のゲレンデと変わりがなくなっていた。さらに気温が上昇し過ぎたために雪は重いものとなっていた。いわゆる悪雪なのだが、それでもトレースをたどればどうにかスキーは走るようであった。しかし、東斜面のパウダー三昧を楽しんだ僕たちにとって下りの斜面はどうでもよくなっていた。自由気ままに斜面を滑ってゆくと、たちまち県道に到着してしまった。山頂からはたった30分しか経っていなかった。