今回もまた新日本海フェリーを利用して、19日の深夜、新潟西港から北の大地へと向かった。航行中はどんよりとした雨雲が垂れ込めていて天候の心配がよぎる。北海道では昨日から雨が降り続いているらしかった。その後は晴れそうな予報がでているのだが果たしてどうなることやら。今回は幸いに台風の到来はなさそうである。苫小牧東港到着は翌日の17時30分。ここから幌尻岳の登山口まではおよそ90kmほどと苫小牧からだと意外に近いのがうれしい。しかし、数年前の大雨のため、地図に示されている林道ゲートからさらに2.5kmも手前に林道仮ゲートが設置されていることをインターネットで知り落胆してしまった。エアリアによると林道歩きの所用時間は1時間50分とあるが、これに30分ほど追加しなければならないようである。ただでさえ長い林道歩きがこれでまたさらに大変になったわけであった。仮ゲートには簡易トイレがあり20台から30台ほど駐車できるスペースがあるらしかった。
(8月20日)
アイヌの聖地とも言われる二風谷を通過し、振内の先にある「幌尻岳登山口」の大きな案内板から右折する。この林道は30km以上あったが半分は舗装道路なので走りやすい道だった。仮ゲートへの到着は夜の8時を過ぎていた。すでにあたりは真っ暗だったが、仮ゲートの左手にある駐車場には乗用車が3台ほど停まっているのがヘッドライトでわかった。その夜は缶ビールとコンビニの弁当でひとり前夜祭をしながらの車中泊となった。
(8月21日)
翌日は午前2時半に起床した。こんな時間ではまだ食欲はなく、バナナだけを食べて歩き始めた。月明かりがあるとはいえまだ真っ暗であり、ヘッデン無しでは歩けない。テントとシュラフが入ったザックは重く肩にずっしりと食い込んだ。さらに大雨で増水した場合は下山できなくなる恐れがあるので、食料は四日分入っている。それと着替え、渓流シューズなどで通常の幕営装備よりもかなり重い。周囲は見えないものの林道は広いので特に不安はなかった。静かな夜道に熊鈴の金属音が響き渡った。
1時間ほどすると薄明るくなり、周囲の様子がだいたい分かるようになった。やがて前方に取水ダムが見えると林道歩きは終わりだ。近くには四駆が1台停まっていた。ダムから40分ほど歩くと渡渉ポイントとなり、ここで登山靴を脱いで渓流シューズに履き替えた。渓流シューズとはいっても釣用フェルト靴の間に合わせである。それに今回のために購入した沢用ソックス。この時期、水はかなり冷たいらしいので厚地のネオプレーン製のものを新調した。
渡渉点からはすぐに岩場のヘツリがあった。ここにはロープが下がっている高巻きの道もあるが、垂直に近いような急斜面は雨上がりのために滑りやすく、どちらを進むか迷うところだ。私は岩場を直進することにして3点確保で通過した。往路は登りだからそれほどではないが下りでは結構危険な岩場のヘツリ道のようである。糠平川の渡渉は、もしかしたら飛び石伝いに歩けるかもしれないと思っていたのだが、最初からジャブジャブと沢を歩かなければならなかった。しかし、いったん川に入ってしまえばどうってことはなかった。前日にかなり雨が降ったというので増水も心配だったが、水量はそれほどなかった。ほとんど膝下程度であり、深いところでは膝上までの水量があったもののそれは1〜2カ所だけだった。2本のストックを頼りにして、次々と現れるテープを見逃さないようにしながら渡渉を繰り返してゆく。フェルト靴は濡れた石の上でも滑らないので安心であった。渡渉開始までは心配していたものの、いざ歩き始めるとこの沢歩きは意外と楽しいものだった。左岸と右岸側を交互に渡るのだが、対岸にテープがあっても線が引かれているわけではなく、渡渉ポイントを探しながら歩くのは、まるでパズルを解くような面白さがあった。
渡渉してまもなくすると四ノ沢出合で正面に大きな滝が現れた。地形図では心洗ノ滝とある。この滝は高さと水量がかなりあってすごい迫力だ。思わずカメラを取り出して一枚撮影した。ガイドブックによると渡渉地点から幌尻山荘までは20数回ほど渡渉を繰り返すとあった。またインターネットでは渡渉回数が記載されているものが多かったが、そんなことはどうでもよく、私は数える気にはならなかった。緩やかなアップダウンを繰り返すと前方にようやく幌尻山荘が見えてくる。仮ゲート付近の標高は495mで、幌尻山荘までは460mの登りだった。しかし、変化に富んだ沢歩きは不思議に飽きることがなく、いつの間にか登ってしまったという感じである。数字ほどの高度差を感じなかったことに、なんとなくすごく得した気分になった。
幌尻山荘前では大勢の人達が朝食の最中であった。ほとんどツアーによる登山者で、ガイドや添乗員らしい若い人が、大きな鍋でご飯を炊いたりしながら、準備に忙しそうだった。たぶん食事付きのツアーなのだろう。大勢のツアー客はブルーシートにただ座り、朝食を配られるのを待っているだけのようであった。私はここでサブザックに入れ替えて準備を始める。戸蔦別岳から幌尻山荘への下山途中には再び六ノ沢の渡渉があるので、ここまで履いてきた渓流シューズもサブザックに入れた。
登山口は幌尻山荘の右手から始まるようだった。登り口付近がテン場になっている。テン場は広くはなくテントは二張りだけだった。登り始めるとすぐに急登が始まった。幌尻山荘から幌尻岳の山頂までは約1100mの標高差がある。勾配はかなりあってぐいぐいと高度を稼いでいる感じだ。やがて「命の水」の看板が現れ、左手に50mほど降りてゆくと、壁面から水が滴っていた。ほんとに雫が垂れるほどの量しか流れていなかったが、飲んでみると冷たくて美味しい。この伏流水を水筒に詰めて再び登り始めた。急坂が終わり1820m点に着くと急に視界が開ける。ここからはハイマツ帯となっていて太くて白いハイマツの根っこが複雑に絡み合いながら登山道に被さっていた。かなり歩きにくいが根っこの上を慎重に歩く。
天候は昨日まで雨だったというのが信じられないほどの好天だった。前方にはカール越しに幌尻岳が大きく聳えている。幌尻岳の左手にするどい頂きを天に突き上げているのは戸蔦別岳のようであった。1820m点からカールの縁をたどるようにしながら山頂へ歩いてゆくと、ようやく急登も一段落となり、気持ちがいい稜線漫歩を味わいながらの登りが続いた。この大きなカールは北カールといい、一面に広がる景観はまるで日本アルプスを眺めているようでもある。山頂直下に新冠川コースの分岐点があり、この付近で幌尻岳を往復してきたと思われる登山者4、5人とすれ違った。
幌尻岳の山頂には山荘から2時間40分で到着した。ここでは若い人が5人休んでいた。聞いてみると北大の山岳部とのことで、戸蔦別沢を登って戸蔦別岳に登ってきたらしかった。荷物もないので不審に思ったら、Bカールに幕営するつもりで稜線にザックを置き、この幌尻岳まで空身できたのだという。水筒も持たずによくやるなあと若さがたまらなくうらやましかった。
この幌尻岳からの展望は日高連峰の最高峰というだけあって素晴らしいものだった。全方位見渡す限り山、山、山しか見えなかった。南には日高連峰におけるもう一方の盟主ともいわれるカムイエクウチカウシ山。通称カムエクである。北には戸蔦別岳から北戸蔦別岳。そしてピパイロ岳やアポイ岳といった北日高の山並みが重畳と連なっている。人口物といったものはほとんど見あたらず、日高連峰の奥深さをしみじみと思うばかりだった。腰を下ろして休んでいると途中で追い越してきた団体がやってきて、山頂は急ににぎやかさを増した。みな標識を背景にしたりしながら山頂からの写真撮影に忙しいようだった。
私はここにきて心配していた膝の痛みを感じていた。しかし北にそびえ立つ戸蔦別岳が手招きしているのを見れば、このまま幌尻山荘へと引き返すわけにはいかなかった。幌尻岳のピストンから比べれば倍ぐらいの距離がありそうだったが、計画通り戸蔦別岳へと向かうことにする。縦走路に踏み出すと先程の北大山岳部の5人も下りはじめてきたようだった。そして追いついてきたと思うとたちまち追い越されてしまい、5人は走るようにしながら戸蔦別岳へと下っていった。この区間は縦走路というので稜線漫歩の気分を味わえるかと思っていたら、やはりここでもハイマツが登山道に被っていた。それに結構ガレ場も多く慎重にくだらなければならなかった。
1950mの肩まで来るとこのピークから眺める戸蔦別岳の迫力に圧倒された。さらに肩からは大下りがあって最低鞍部からは200mの登り返しである。その途中には3カ所ほどの岩峰がそびえ立つ。その鋭い穂先とやせた稜線のアップダウンはすさまじいほどだ。一方、右下には広大な七ツ沼カールが広がっていた。この時期の七ツ沼は干上がっていて水は全く見られないのが残念だったが、テン場としても最高のロケーションを誇る七ツ沼。残雪が残っていればさらに美しい景観だったろうと思わせるカールであった。コルへと降り立つと岩峰の通過が始まった。この上り下りを繰り返していると足が攣りそうになり慌てた。膝の痛みはなくなることはないので、意識してスローペースを保ちながら歩き続ける。岩峰の両側は切り立った崖になっているのでハイマツに捕まりながら登った。
三つの岩峰を通過するとようやく戸蔦別岳への登りとなった。ハイマツ帯から抜け出したために急に歩きやすくなる。砂礫地のような急斜面にはジグザグに踏跡が続いていた。このあたりからだろうか。急速にガスが糠平沢から吹き上がってきてしまい、たちまち視界がなくなってしまった。戸蔦別岳山頂からの展望も素晴らしいと聞いていたのでこれにはがっかりであった。
戸蔦別岳山頂到着はちょうど12時であった。私は膝の痛みもあって超スローペースだったのだが、幌尻岳から追いかけてくる人は誰もいないようであった。この縦走路はあまり人が歩かないのかも知れなかった。戸蔦別岳山頂には標識だけが立っていて三角点は見当たらなかった。休んでいる間にもガスは流れていて、ときどき青空が透けて見えたりしたが、結局視界が戻ることは無かった。
地形図をみると幌尻山荘へ下る分岐点までは20分とありようやくホッとした気分となる。今回の周回コースも終盤が近づいていた。前方に1881mピークが見えてくるとその直前に分岐の標識が立っていた。大きな石には赤ペンキで「山荘」という文字と下降を示す矢印があった。
分岐からは怒濤のような下りが始まった。大きな花崗岩がゴロゴロしているうえに、またしてもハイマツの中に登山道が隠れている感じで、歩きづらいことこのうえなかった。勾配もまた半端ではない。大袈裟にいえば逆さまになりそうなほどの急坂なのだ。おまけに道はわかりづらく、この状態は樹林帯まで続いた。このコースはほとんど人が歩いていないようだった。ルートファイデングが常に必要で、体力ばかりではない、日高連峰のレベルの高さを思わないではいられない。普通の登山道からみればこの六ノ沢コースはバリエーションルートにも見えるほどだ。樹林帯から抜け出すと前方に広々とした笹原が現れた。これまでの悪路からみればこの笹原は桃源郷のようだった。六ノ沢出合はそこからまもなくだった。
六ノ沢出合からは再び渓流シューズに履き替えた。糠平川の渡渉ですでに慣れているので何のためらいもなく沢へと入った。沢はすぐに糠平沢の本流となったが、幌尻山荘からの下流側とは違って、渡渉の目印ともいえるテープやペンキ印はほとんどなかった。ところどころに小石を積んだ小さなケルンがあるのでなるべくそのケルンを見つけながら下って行く。それだけにルーファイは必須であり、それがまた楽しいものだった。迷うほどではなかったが、わからなくなったら六ノ沢に沿ってくだってゆけばよかった。
地形図には2〜3回の渡渉とあったが実際はそれ以上に沢を渡る必要があった。この六ノ沢の渡渉区間は結構長く感じた。もうそろそろ幌尻小屋が見えてきてもよさそうなものなのに、沢の屈曲点をいくら過ぎても深閑とした六ノ沢が続いていた。ようやく前方に青い吊橋のようなものが見えてくると山荘はまもなくだった。吊橋と見えた青いものは幌尻小屋へ水を引くためのパイプのようであった。最後に本流にかけられた丸太橋のようなものを渡って小屋の裏手に出た。今日の行程は朝から歩き始めてちょうど12時間かかった。
幌尻小屋では大勢の登山者が夕食の真っ最中であった。夕食を早めに終えた人達はベンチに腰をかけて夕刻のひとときを楽しんでいる。私は幕営の申し込みをするために小屋に入った。管理人にテント泊をお願いすると、一人だけならば小屋泊でも可能のようなことを話してくれたのだが、それは鄭重にお断りをした。せっかくここまで担ぎ上げたテントである。それ以上にテントの気楽さは混み合う山小屋には比較にならないものがある。しかし幕営料金が小屋泊と同額の1500円には釈然としないものを感じた。それに2年前は1000円だった料金が早くも5割増しとなっていたのにもがっかりであった。
テント設営を手早く済ませると、近くの材木をテントの前に並べ、そこに腰を下ろした。私は小屋前での賑わいを眺めながら、缶ビールで一人祝杯をあげた。幌尻小屋の煙突からは青々としたストーブの煙がたなびいている。小屋はちょうど夕陽が見える位置に建っていて、見上げると爽やかだった青空もいつのまにか茜色に染まり始めていた。まもなく幌尻山荘の日没が始まろうとしていた。
(8月22日)
幌尻山荘の夜はかなり冷えた。ラジオを聞いていると旭川ではなんと1.5℃という気温で、これは観測史上8月としては最低気温を記録したらしかった。1.5℃というと氷が張ってもおかしくはなく、北海道では秋を通り越して冬が目の前に迫っているようであった。
テントから出てみるとまだ薄暗かったが、ものの輪郭がようやくわかるくらいまでになっていた。まもなく夜が明けようとしていた。朝食前にコーヒーをドリップし、腹におさめると疲れ切っていた体の細胞が少しずつ生き返ってくるようだった。5時を過ぎ、幌尻山荘から大勢の人達が飛び出してくると、それまでの静寂さは一変して、山荘前は驚くくらいの騒々しさに包まれた。外はあいかわらず寒かった。私はテント内で朝食をとり、その後はザックのパッキングを手短に済ませた。
幌尻山荘からの下りはすぐに糠平川の渡渉から始まる。沢用ソックスは一晩では乾かず、冷たく濡れたままだったが、それも沢に入ってしまうと不思議に暖かさのようなものを感じた。昨日の幌尻岳と戸蔦別岳の疲れは一晩寝てなくなった気がしていたが、歩き出すと太股とふくらはぎに痛みが走り、かばうようにしながら歩かなければならなかった。当たり前だが水量は昨日とほとんど変わってはいない。しかし、往路とは違って思いのほか糠平沢の光景が別のものに見えた。一日前のことなのに感覚は新鮮であり、それだけに全く違う沢を渡っているような楽しさがあった。
1時間ほどすると辺りはすっかり明るさを増した。見上げると雲ひとつ見当たらない快晴だったが、長袖のシャツでもまだまだ肌寒く、今日の強い日射しがうれしいほどだ。誰も登ってくる様子がないなあと思っていると、糠平川のちょうど中間付近で一休みしている単独の人と出会った。金曜日なのに少ないなあとさらに下ってゆくと、ツアーらしい大勢の団体が列をなしてこちらに向かってくるのが見えた。総勢30名もいるのだろうか。今日も幌尻山荘は混み合うようであった。この団体とすれ違ってまもなくすると取水ダムが前方に見えた。
取水ダムからは最後の林道歩きだ。取水ダムからも渓流シューズのまま歩き続けることにした。履き替える元気もなかったのかも知れなかった。両足の疲れや膝の痛みもあったのだろう。いくら歩いてもゲートが見えず、この林道が昨日と違ってやけに長く感じていた。結局仮ゲートのある駐車場に到着したのは幌尻山荘を出てから3時間40分も経ってからであった。復路は下りにもかかわらず、登りよりも時間がかかっていた。駐車場には大きな観光バスが留まっていて、ツアー客の到着を待っているようだった。
駐車場では強い日射しが降り注いでいた。汗でびっしょりだったTシャツやザックは後かたづけをしている間にすっかりと乾いてしまった。まもなくするとツアーの団体が何台かの車に乗って下山してきた。堅く閉じられたゲートもツアー客には関係なさそうである。ここでも釈然としないものを感じてしまったが、この長い林道歩きがあってこその幌尻岳だろうと思わないでもない。林道歩きもなくただ幌尻山荘から往復するだけでは、日高連峰の奥深さというものがわからないだろうに、と私は負け惜しみを誰にともなくひとりブツブツとつぶやいてみた。
十分に時間をかけて後かたづけを終え、あとは温泉に入る楽しみが残っていた。ようやくこの幌尻岳を登り終えて、長く放っておいた宿題を片づけたような気がした。北海道における深田百名山は9山あるが、2年前、最後の幌尻岳を目前にしながら撤退を余儀なくされていただけに、今回の幌尻岳はとりわけ感慨深いものがある。とくに幌尻岳から戸蔦別岳へと縦走路の一端を歩き、六ノ沢を下ったことでなにか大きな達成感に満たされていた。
北海道では急に秋がやってきたような涼しい風が吹いていた。それは晩秋にも近いような肌寒さを感じるものだった。山形ではまだまだ厳しい残暑が待っているのかもしれなかったが、今年はこの幌尻岳を登ったことで私の夏山が終わった。
糠平川の渡渉が続く |
幌尻山荘が正面に |
命の水(左手に下る) |
山頂(中央奥)が近づく |
稜線漫歩(幌尻岳は左奥に) |
幌尻岳直下で憩う登山者 |
山頂からは東に幌尻湖が |
幌尻岳山頂 |
幌尻岳山頂から戸蔦別岳と北日高の山並み |
幌尻岳(左奥)を振り返る |
戸蔦別岳山頂 |
山荘分岐 |
笹原に抜け出す |
幌尻山荘への最後の渡渉点 |
渡渉を終えて幌尻山荘の裏手に出る |
テント設営完了 |
幌尻山荘前の夕食風景 |
糠平川の渡渉(二日目) |
岩場をヘツる(下流を見る) |
取水ダム |
ゲートを振り返る |
仮ゲートから自転車で向かう人もいる |
仮ゲートの駐車場に戻った |
国道に立つ標識 |
エゾトウウチソウ |
イワブクロ |
リンドウの一種? |
リンドウの一種? |
?(不明) |
ヒダカトウヒレン |
エゾノタカネツメクサ |
タカネナデシコ |
?(不明) |
チシマギキョウ |
ミヤマウズラ |
コウメバチソウ? |
リンドウの一種? |
ヒダカオトギリ |