山 行 記 録

【平成20年8月2日/大日杉〜地蔵岳〜穴堰(御沢)



史跡 飯豊山の穴堰



【メンバー】2名(清水・蒲生)
【山行形態】夏山装備、日帰り
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】地蔵岳1539m
【地形図 1/25000】岩倉、飯豊山
【天候】晴れ
【温泉】西置賜郡飯豊町「白川荘」400円
【参考タイム】
大日杉5:10〜ザンゲ坂〜長ノ助清水6:50〜地蔵岳7:50〜御沢分岐〜穴堰10:10-11:00〜地蔵岳12:50〜大日杉15:00

【概要】
 今回はわけあって飯豊山の穴堰を訪ねる山旅だ。穴堰とは飯豊山の頂上近くの標高約1,600m地点に、尾根を貫いて作られたという全長150mほどの隧道である。開削されたのは1798年(寛政10年)というから今からちょうど210年前の話である。当時水不足に悩まされていた川西町に水を引くため、水量の多い小国町の玉川上流(御沢)の水を飯豊町側の白川へ流れ落とすという、奇想天外ともいえるような一大プロジェクトが200年以上前に作られたのだから驚きを禁じ得ない。米沢藩主であった上杉鷹山が算学を得意とする家臣黒井半四郎に命じて掘らせたものだが、当時はタガネで打ち砕くという非常に手間のかかる施工だったため、完成まで20年を要する難工事だったという。この穴堰を知ったのはかれこれ30年前にもなるが、記録映画を16ミリ映写機で見たときには心底驚いたものだった。これが飯豊連峰、切合小屋直下の御沢に今も残されており、昭和31年11月には貴重な史跡として山形県指定文化財にもなっているのである。この穴堰は山歩きをはじめてからも何回か立ち寄っているのだが、最近の状況を知りたくて友人と偵察することにした。

 早くも8月にはいり、連日猛暑が続いている。朝の涼しいうちに登りたいため大日杉登山口を5時に出発することにした。駐車場はすでに満杯であり飯豊連峰はあいかわらず最盛期を迎えているようだった。今日は朝からどんよりとした曇り空で、日差しがないのがありがたい。気温はまだ低いままで急坂のザンゲ坂を登るには願ってもない天候だった。白川に沿ってひんやりとした風が上流から下流へと流れている。この時間帯に登る人は結構いて、途中で追い越して行く者、また私達の方が追い付いてしまったりと、結構にぎわいをみせている。

 大日杉コースは5月の中旬以来だが残雪はどこにも見当たらなかった。今日は行程的には短いので、比較的ゆったりとしたペースだ。それでも途中では大勢の団体に追い付いてしまい、通り抜けるまで時間がかかった。団体は地元、中津川中学校の学校登山らしく、ジャージ姿の中学生が延々と登山道をふさいでいる。父兄や教師達も多く、数えては見なかったが全体ではかなりの人数であった。

 ダマシ地蔵まで登れば地蔵岳の背後に飯豊本山が現れる。5月には全山真っ白だった本山も、8月ともなれば残っている雪はわずかだった。地蔵岳にはおよそ2時間半で到着した。かなりのスローペースだったのだがザックが軽いせいもあるのだろう。前回はスキーを担いでの登りだったこともあって3時間ほど要していた。

 地蔵岳からは小さなアップダウンを繰り返しながら種蒔山をめざす。主稜線には切合小屋も見えるので高山帯にはいったのを実感する。稜線ではアキアカネが飛んでいて、良く見ると乱舞と形容したいほどの数である。もうブヨに悩まされることはなくなったのだが、季節は早くも秋の到来を告げているようだった。一方、高山植物はというと、端境期なのかほとんどみられなかった。あっても名前がわからないものばかりで、写真に撮る気持ちさえおこらない。わずかセンジュガンピが咲いているのと、目洗清水の展望台でニッコウキスゲが数輪残っているぐらいである。目洗清水から御坪まではそれほどの距離はない。少し高みに登ればダケカンバの林立する飯豊の奥座敷ともいえる御坪に到着する。御坪には自然が作り出した日本庭園が広がっていて、ここはどちらかというと紅葉の時期に訪れたいところだ。ダケカンバの向こう側には飯豊山や御秘所、草履塚などが透けて見えた。

 御沢別れまでくれば目的の穴堰は目前だ。ここからは稜線上の切合小屋も大きく見えてくるところだ。種蒔山への道を左に見送り御沢への道を直進すると、ここにも穴堰をしめす標柱が立っているので場所はわかりやすい。標柱から直進するのが本来のコースだが、私達はそこから直接御沢に降りてゆくことにした。といってもわずかな距離である。御沢の川原に降り立てば右手に飯豊山の穴堰がある。

 つい先日までは雪渓に覆われていたのだろう。御影石で作られた穴堰の石碑近くまで大きく雪渓が残っていた。久しぶりに見る穴堰は結構荒れているようだった。以前は鉄製の柵が穴堰の入口を塞いでいて、もっと明瞭な隧道といった趣があったのだが、今は入り口付近がかなりの土砂で埋まりかけているようにも見えた。

 まずは一通り穴堰を確認したことで一休みすることにした。御沢は数日前までは雪渓に覆われていたのだろうが、上流側に半分ほどしか残っていないようだった。それでも登って行く分には問題はなく、途中で出会った地元氏の二人連れが穴堰を確認すると、切合小屋までだと言いながら御沢の雪渓を登っていった。ここから主稜線まではまもなくである。ゆっくり登っても切合小屋へは30分ほどの距離しかない。私は切合か草履塚までゆくつもりでピッケルを担いでいたのだが、同行の清水氏が気乗りしないようなので、今日はここまでとした。

 御沢の雪解け水ははらわたに沁みるような冷たさだった。稜線を眺めていると大勢の人が行き交っているのが見えた。今日も飯豊連峰はかなりの混み具合のようである。のんびりと昼食を食べながら、今度はいつ飯豊に登れるだろうか、とまだ歩いていないコースがまだたくさんあるのを考えていた。朝方の厚い雲はすっかりと上がって、澄んだ青空がいたるところで顔をのぞかせている。今日も猛暑日となるだろう、といっていた天気予報はどうやら本当だな、と思いながら穴堰を後にした。



御沢と切合の稜線


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