山 行 記 録

【平成20年6月1日/百宅口から鳥海山



雲が湧く鳥海山



【メンバー】西川山岳会6名(柴田、上野、荒谷、神田、蒲生)日帰り参加(大場)
【山行形態】テレマークスキーによる山行、春山装備、前日、大清水山荘に宿泊(※山行は日帰り)
【山域】鳥海山
【山名と標高】鳥海山(七高山2,230m)
【地形図】(2.5万)鳥海山、(20万)仙台
【天候】晴れ時々曇り
【温泉】秋田県由利本庄市鳥海町 猿倉温泉「鳥海荘」350円
【行程と参考コースタイム】
(31日)大清水山荘に宿泊
(1日)大清水山荘7:00(838m)〜タッチラ坂8:00-20〜唐獅子小屋9:15-10:00〜七高山11:15-45〜水場12:00-30〜大清水山荘13:30
  
【概要】
 板洗いとしては定番コースとなった感のある百宅口からの鳥海山。今回は前日から大清水山荘に宿泊して反省会を兼ねての山行となった。5月の最終週末ともなればようやく林道の除雪も終わり、誰でも手軽に百宅コースを楽しめるようになる。この百宅コースはまだ雪深い1カ月前にも滑走しているので、いさささか新鮮さには欠けるのだが、やはり一番遅く登山口が開かれる鳥海山の東斜面。その昔はこの百宅コースを登らずして鳥海山を語ることなかれ、などといわれたともあり、この歴史ある登路こそが私達の板洗いに相応しいコースだろうと思わないでもない。何しろこの鳥海山には今シーズンだけで7回目なのである。4月には大清水山荘などの山小屋やキャンプ施設などはほとんど雪に埋もれていたが、この時期の大清水園地は雪もすっかり融けてしまい、湿地帯にはミズバショウが咲き、周囲のブナ林は瑞々しい新緑に包まれていた。

(5月31日)
 大清水山荘には夕方5時過ぎに到着した。小屋では薪ストーブが焚かれ、テーブルには山菜の天麩羅や焼き魚などが所狭しと並べられていた。途中で低山をひとつ登ってきたという神田さんと荒谷さんは、雨のため早めに下山して、午後3時にはこの山荘に到着したらしかった。テーブルの山菜はその二人が山から採取してきたばかりの新鮮なものであった。二人は小屋に到着してから飲み始めているらしく、早くも完全に出来上がっている。遅ればせながら今シーズンの板洗いに乾杯すると、食べきれないほどのコシアブラとタラノメは、次々と神田さんが目の前で天麩羅にしてくれるのだから、これを至福といわずして何と云おうか。ちょうど柴田さんも少し前に着いたばかりらしかったが、すでに缶ビールを何本か空にしていて目の前に並べ立てていた。

 山小屋は二棟あって大清水山荘は私達だけの貸し切りだったが、古い方の避難小屋には関東からの登山者がすでに10数人泊まっているらしかった。しばらくすると老練の釣り師、上野さんが釣り上げたばかりのイワナとヤマメを携えて小屋に入ってきた。このイワナとヤマメがストーブの網に焼かれると、香ばしい煙が小屋いっぱいに充満した。こうして数えればきりがないほどの御馳走がテーブルに並べられ宴会は夜遅くまで続いた。そして最後は素麺を食べようということになり、神田さんは持参した大鍋で手際よく素麺を茹ではじめる。茹で上がったところで荒谷さんと二人ヘッデンを灯しながら外に飛び出していった。素麺は大清水山荘前の冷たい湧き水でキリッと締めてくれたのだから、そのおいしさはまた格別であった。もちろん薬味なども完璧に揃っているのである。雨は夜になっても降りやまず、それは一晩中屋根を激しく叩き続けていた。

(6月1日)
 
降り続いていた雨は朝方になるとすっかり上がっていた。薄明るくなったのを機に外に出てみると、モルゲンロートに染まる鳥海山が雲ひとつない空にそびえ立っていた。予定した7時の集合時間になると山形から大場さんがやってきた。今日はこの総勢6名での板洗いということになりそうだった。避難小屋のグループはみんな飲みすぎたのかまだ出発する様子はなかった。

 しばらく夏道に沿って登り始めた。雪はかなり融けたとはいっても昨年よりは雪は豊富だった。ところどころに残雪があり、新緑のブナとのコントラストが美しい。雪が多いとはいっても途中で切れているために、1時間ほど夏道を歩かなければならなかった。そしてタッチラ坂の五合目、1190m付近からシール登高を開始する。見上げると鳥海山の西側から雲が湧き出していたが崩れる様子はなかった。

 順調に高度を稼ぎながら唐獅子小屋には約2時間で到着した。小屋前では昨夜宿泊したという秋田県の団体が入っていた。他に宮城の大学山岳部もいて賑わいを見せている。みな坪足の登山者達で、昨日は雨の中をこの唐獅子小屋まで登ってきたのだという。今日はあらためて山頂をめざしたらしかったが、強風とガスのために9合目から引き返し、これから下山するところであった。そういえば山頂付近にはいつのまにか雲が居座り、視界もなくなりつつあった。私達はしばらく天候の快復まで小屋で待ってみることにした。

 小一時間もすると天候は快復して再び青空が広がるようになった。この避難小屋から山頂までの標高差はおよそ600m。普通に考えれば2時間の行程だが、シールで登ればロスもないので1時間ちょっとしかかからない。楽勝だろうと思って颯爽と登り出したのだが、それでも山頂直下の急坂ともなると何回も立ち止まりながら呼吸を整えなければならなかった。

 山頂には11時ちょっと過ぎに到着した。好天にもかかわらず人の姿は一人だけしか見当たらず寂しいほどだ。その単独行も私達と入れ違いに祓川へとスキーで下っていった。七高山の山頂からは始めこそ日本海まで見渡せたが、まもなくガスに覆われてしまった。休んでいると登山者が一人二人とちらほら登ってくる。しかしそれでも数えるほどしかいないようだった。風はさすがに冷たいので30分ほどの休憩で切り上げ、途中の水場まで下ってから昼食をとることになった。

 広大な鳥海山の東斜面とザラメ雪はスキーの技術も何もいらない。山頂からは快適な滑降の始まりだった。斜度もあるのでスキーも良く走った。ふざけたり戯れたりしながら下っていたら何でもないところで転倒したりした。今日の私には緊張感がまるでなかった。一方、今日が新しい板の使い初めという荒谷さんは終始ご機嫌の様子だった。下るほどに気温は上がってゆき、水場までくだる頃にはアウターも必要がなくなっていた。

 屏風岩からひとつ北側の尾根の陰に水場がある。ここはおよそ1400m地点でいつもの休憩場所となっているところだ。ここでは風もないのでそれぞれ思い思いにのんびりとした時間を過ごした。山頂はすでに薄雲が覆っていて先ほどまでの好天は失われていた。

 いつもの赤沢川も気持ちの良い滑走だった。尾根に戻る地点では急勾配のトラバースが待っていたが坪足で凌いだ。この辺りからは残雪の幅も狭くなり、藪をかきわけるようなスキー滑走が続くところだがそれもしばらくの辛抱だ。途中から沢底を滑るようになると一気に大清水山荘が近づいてくる。そして大清水園地の標高まで下ってしまえばスキー滑走も終了となる。

 そこからは昨年同様に沢を一カ所渡渉しなければならなかったが、深さも川幅もたいしたほどではない。沢中にスキーを放り込み、ジャブジャブと汚れを綺麗に洗い落とすと、今年のスキーに思い残したことは何もなくなったような気がした。対岸に渡って10mほどの藪を抜けると、ミズバショウが咲き乱れる大清水山荘は目の前であった。

 シーズン当初はパウダー三昧の日々が続き、春スキーになると豊富な残雪を利用して至るところを滑りまくったという思いが今年はことのほかに強い。そして今年のように天候に恵まれた年もなかったのではないか。例年にない豊富な雪と好天に恵まれて充実した山スキーのシーズンが終わろうとしている。こんなシーズンはもう後にも先にもないのかも知れない。当たり前のように週末毎に続いていた11月からの山スキーが、今回で最後なのだとはとても信じられないでいた。


早朝の鳥海山(大清水山荘から)am4:30


大清水山荘の朝


タッチラ坂を登る


ようやく五合目


快適なシール登高


若い女性で賑わう唐獅子避難小屋


ようやく山頂へ


山頂からの滑降


赤沢川通過地点


今回のルート

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