(3月20日)
朝の大井沢は小雨が降り続いていた。車1台を西川町見附に置き、一路、朝日連峰の最南端である小国町徳網へと向かった。予定外だったのは、メンバーの家族から登山口まで送ってもらえることになり、下山後の車回収が不要となったことだった。反面、引き返すことも出来ない状況下に置かれてしまい、退路を断たれた私達は前進するしかなくなったのだ。思わず身震いするような緊張感が走った。
夏場であれば大石橋まで問題なく車が入れるが、冬期間は徳網地区の除雪終了地点が出発点となる。ここの2時間近い林道歩きから今回の長いツアーが始まった。幸い降り続いていた雨も歩き出す頃にはあがっていた。デブリの残る林道を歩いて行けばまもなく針生平に着く。針生小屋の屋根の雪が林道とつながっていて積雪の多さを感じさせた。
ここから西側の県境稜線に上がるためにはひとつの沢を横断しなければならない。しかし、荒川の支流は流れが大きい割合に橋が無く、渡渉点がなかなかみつからなかった。水量が多く雪で塞がっていないのだ。しかたがないので幅の狭いポイントを探し、2メートルほどの川幅をどうにかジャンプして渡ることにした。ザックはロープを張って対岸に渡した。このルートの最初の核心部はこの沢の渡渉ともいえそうである。ここからは雪の状態を確認しながら地形図を読み、登れそうな尾根に取り付いた。尾根の両側は急峻な沢だが、雪はほとんど崩落していて雪崩の巣になっている。今年は予想外に大雪だったのだが、3月に入ってからはすごいスピードで雪解けが進んでいるようだった。
我々が取り付いたのは県境稜線の704m峰へと伸びる尾根であった。ここには積雪も適度にあって予想外に登りやすいものだった。ただし両側はすっぱりと切れているためスキーで登るためには結構難儀するところだ。順調に尾根を登ると稜線直下は急勾配の雪壁になっていて、そこは電光形に登った。振り返ると、背後には白太郎山や祝瓶山が聳えていた。空には薄雲が一面だったが、暑くない分だけかえって登りやすかった。
県境稜線に飛び出すと向こう側には下越の山並みが広がっていた。以前登ったことのある鷲ガ巣山や光兎山はすぐにわかった。目の前のピークは巣戸々山だろうか。それにしてもこの稜線のヤセ具合はすごいとしか言いようのないものだった。これでは登山道などは切れないだろうと思うほど狭いのである。一方では新潟、山形の山々を眺められるとあって展望はすごく良い。標高の割合に抜群の高度感があるところだった。
雪が融けだしたところでは藪が露出しているため、スキーを引っ張ったり担いだりして凌いだ。重荷を背負いながらのこの登りはけっこう体力を消耗した。まるで筋トレに励んでいるようなものだった。時計をみれば時間はすでに午後3時近い。今日はどんなにがんばっても桧岩屋山までは届かないので、どこか適当な場所をみつけて幕営しなければならなかった。862m峰付近に小広い箇所を見つけ、今日はそこをビバーク地点とした。ヤセ尾根の稜線にもかかわらず、風はほとんどなく穏やかな天候だった。行動時間は短かったが、幕営道具一式を背負いながらの急登と、予想外の藪漕ぎを強いられて、四人ともかなり疲れてしまい、その夜は早めの就寝となった。
(3月21日)
翌日は5時半起床。今日は朝から快晴の空が広がっていた。朝の冷え込みを心配していたが、雪の状態は良くアイゼンの必要はないようだ。テントから出てみると朝の空気が清々しい。思いっきり息を吸い込むと春の香りがした。昨日の曇天とは打って変わり、今日はどこまでも山並みが見渡せた。この素晴らしい朝の風景にしばしテント撤収の手を休めて見入った。目前に聳える祝瓶山や白太郎山の山肌に陽光が反射して眩しいほどだった。
今日もまた昨日に続いてヤセ尾根歩きから始まる。865m峰まではシール登高が困難なため、スキーはしばらく引っ張ってゆく。地形図に現れないような小ピークがいくつもあって、少々うんざり気味なのだが、今日は見渡す限り大パノラマが展開するので、登りそのものは実に快適であった。
桧岩屋山に登るためには手前の大きなピーク1018m峰を越さなければならなかった。この頃になると降り注ぐ陽射しは強く、徐々に体力が奪われてゆく。ついに柴田氏と私は半袖のTシャツ一枚になる。こうなると完璧に春山である。紫外線も心配で、休む度に日焼け止めを塗った。汗は止めどなく流れ続け、喉が渇くと頻繁に雪を食べながら進んだ。ペットボトルの水も今日の気温ではすぐに底をついてしまい、休憩のたびにボトルに雪を積め込んだ。しかしこれがなかなか水にはならない。気温は意外に低いのかも知れなかった。やがて桧岩屋山が目前となったところでヤセ尾根の状態を再確認する。ヤセ尾根にはわずかばかりの残雪が貼り付いているだけで一見するとルートなど見当たらなかったが、右手の雪庇を大きく回り込めばどうにか登れそうだった。
桧岩屋山の登りになるとようやく前方に大朝日岳が見えてくる。直線距離ならばわずかだが、大朝日岳はまだまだ遥かかなた先である。思わずため息が漏れそうだった。今日の行程は大朝日岳避難小屋までゆくつもりだったが、まだ桧岩屋山までも到達していないのだ。すでに11時を過ぎていることと、まだ予定の半分も登っていないことを考えると、今日中にたどり着くのは相当に困難だろうと判断するしかなかった。桧岩屋山直下では突然大きな雪庇が現れた。雪庇には大きな亀裂が走っているが、ここはどうしても通過しなければならなかった。恐る恐る雪庇に乗り、急いで斜面を登ってゆく。疲労は頂点に達していて、一歩一歩登るたびに絞り出るような喘ぎ声が漏れた。
桧岩屋山の山頂到着はちょうど12時だった。ようやくたどり着いたという感じであった。桧岩屋山はたんなる通過点の小ピークと考えていたが、少々甘く見ていたかもしれなかった。ここまでたどり着くのにすでに2日間もかかっているのである。このコースの核心部はこの桧岩屋山だったのだとあらためて知った。それだけにこの桧岩屋山を登り切った壮快感、達成感は格別だった。前方には広々とした尾根が広がっていて、もう藪に悩まされる必要がないという、大きな開放感がこみ上げてくる。
桧岩屋山山頂では心ゆくまで休憩を楽しんだ。今まで寄り添っていた祝瓶山はすでに後方に遠ざかっている。逆に大朝日岳や中岳の主稜が近づきつつあり、ようやく行程が大きく前進したのを感じた。新潟県側でひときわ目立つ山は鷲ガ巣山だった。飯豊連峰は霞んでいて見えなかったが素晴らしい展望には変わりがない。まだまだ先だと思われた袖朝日岳もようやく射程圏内にはいってきたことを実感する。しかし、袖朝日岳まではまだ見た目ほど容易ではない。ここから2時間以上かかることを考えれば、今日は袖朝日岳の山頂にテントを設営するしかないだろうと話し合った。
桧岩屋山から下り始めると予想通り稜線の様相が一変した。雪庇も大きいがとにかく広い尾根ということもあり、シールを貼ったままでもスキーで下る爽快さは感無量だった。袖朝日岳手前のピークは西側斜面を卷いた。袖朝日岳まではもう1時間ぐらいだろうという地点までたどり着くと、いよいよ最後の急登が待っている。見上げると覆い被さってくるような迫力があり、ここで一息をいれることにした。このあたりは周囲のどこを見渡しても全山真っ白であり、信じられないような山岳パノラマが展開する。私たちは今、朝日連峰の最奥に立っているのだと思うと身震いするようであった。袖朝日岳を見上げると圧倒されるような迫力があるのに対して、主峰の大朝日岳は、まるで脇役のような存在にしか見えなかった。袖朝日岳は大朝日岳よりも200m以上低いにもかかわらず、山容は威厳があってその存在感は他の山をはるかに凌駕していた。
袖朝日岳へは急登の連続だった。疲れもピークに達していてみんなそれぞれのペースで登った。背後の祝瓶山はすでにかなり低くなっており、この付近は高度をがんがんと稼いでいることを実感できるところだ。斜度が緩んでひとつのピークを越して行くと袖朝日岳はまもなくだった。遠藤氏が早くも山頂に立ってバンザイをしているのが見えた。
袖朝日岳の山頂は広い雪原だった。大朝日岳、中岳、西朝日岳の見慣れた山々がさらに近づいたことを思う。本当に到達できるのだろうかとさえ一時は思ったほど、はるか遠くに聳えていた袖朝日岳についに登り切ったのだ。ここまではなんと遠かったことだろう。疲労の極地に達していたのだが、それだけに目的の一端は果たしたのだという、言葉にできないほどの深い感慨にしばし浸った。
袖朝日岳ではいつのまにか冷たい風が吹き渡り、辺り一帯の雪面はすでにクラストしていた。陽は大きく西に傾き夕刻が近づいていた。急いでテン場を探さなければならなかった。西朝日岳の方向に少し進んだ付近を今日のビバーク地点に決めてザックをおろした。距離的に袖朝日岳は今回のコースのちょうど中間地点である。予定していた大朝日の避難小屋までは到達しなかったものの、それでも3時間もあれば手の届く距離まで近づいていた。暗くなっても明日中にはきっと根子までは下山できるだろうと思うと、安心感とともに達成感が沸々と湧き上がってきた。
テン場は日没を眺められる場所で、西朝日岳にも近い地点を選んだ。私達はしばらくテン場作りに汗を流した。少々の風でもテントが煽られることがないように雪のブロックで壁も作る。テン場は日本海まで眺められる場所とあって、抜群の眺望が楽しめるところだった。西斜面だけにまだまだ陽が高く、日没まではまだ時間がありそうである。もちろん今日の乾杯は外で行うことになった。
(3月22日)
もうすぐご来光だぞという声でテントから飛び出すと、東の空がオレンジ色に染まり始めていた。今日も暑くなりそうだった。朝食を終えると素早いテント撤収となる。今日は放射冷却現象のために雪面は氷のように堅く凍っていた。全員アイゼンを装着し、スキーは引っ張ることにした。主稜線にあがるとすでに陽は昇っていて、大朝日岳は少し逆光気味だった。空気があまりに澄んでいるからだろうか。鳥海山が一見、月山と勘違いしそうなほど至近距離にあって驚いた。
西朝日岳までは手が届きそうな距離なのだが、標高差にして200mほど登らなければならない。三日目ともなると疲れも相当蓄積しているのか、わずかばかりの急坂でも足に来た。西朝日岳は三角点のあるピークであり、実際に夏山で登っている西朝日岳とは違うものだ。スキーで滑るためには夏山のピークまでもうひと登り必要だった。
西朝日岳の標柱にはエビのシッポがびっしりだった。山頂からは遠藤氏と工藤氏がそのままアイゼンで歩いていったが、せっかくの大斜面を滑らないという手はない。柴田氏と私はスキーで下りてゆくことにした。中岳直下からはこれまで歩いてきた稜線を眺めることができて感慨深いものがある。中岳からはいよいよ大朝日岳小屋が目前となった。
大朝日小屋の外壁には一面に氷が張り付いていた。この付近は想像以上の悪天候なのだろうが、こんな状態を見るのは初めてだった。大朝日小屋からは柴田氏と私がスキーを引っ張り、遠藤氏と工藤氏はアイゼン歩行で山頂に向かった。
大朝日岳山頂からは360度の大展望だった。袖朝日岳の威圧感漂う迫力にも感激したのだが、朝日連峰における最高峰というアドバンテージはやはり大きい。いままで登ってきた県境稜線が遥か下方に見えていて、さっそくその光景をバックに、セルフタイマーを使い記念撮影をする。山頂からどこを見渡しても人の姿などは見当たらなかった。この広大な朝日連峰が今は我々4人だけのものだった。
大朝日岳の山頂から滑り降りる感激は、ここにスキーを担ぎ上げた者だけの特権であろう。これからはほとんどスキーで下って行けるのだと思うと、ここまでが本当に長かったという思いでいっぱいになる。あいにく山頂付近の雪面はまだまだ堅くて、快適には滑ることができなかったが、気分は最高潮に達していた。
大朝日避難小屋からは4人そろってスキー滑降するものだと思っていたら、遠藤氏と工藤氏は熊越までこのままアイゼンで下るらしかった。二人はまだまだ慎重な様子を崩していないようだった。柴田氏と私は二人と別れ、金玉水方向に少し巻きながら銀玉水の上部へと滑ってゆく。雪はすでにザラメ化していて実に快適だった。この時期の大朝日岳は初めてだけに積雪の多さがたまらなくうれしい。このまま豊富な雪をたどれば、そのまま熊越まで下れるようであった。振り返っても遠藤氏と工藤氏の姿はまだ見えない。熊越で待っているとまもなくして遠藤氏と工藤氏が追い付いてきた。二人はやはりスキーを履けば良かったと少し後悔しているようだった。それだけ大朝日岳から熊越までは快適に滑り降りる事ができたのだ。
熊越からはいよいよ最後の小朝日岳を登らなければならない。ここはシールを貼り直して登った。この急斜面は疲れもあって両足は棒のようだった。みんなも足が重いのかなかなか高度があがらなかった。汗が止めどなく流れ、少し登っては雪を食べ、また登っては雪を食べるといったことを繰り返した。
小朝日岳は大量の積雪に埋まっていた。標柱でさえ、まだ影も形も見あたらなかった。小朝日岳から古寺山へは東側の雪庇が大きく張り出していた。小朝日岳からはそれぞれ思い思いに古寺山へとシュプールを刻んでゆく。古寺山からはブナ林の快適なツリーランが待っていた。ハナヌキ峰直下では最後の大休止となった。今回のコースでは数え切れないほどのアップダウンがあったが、いよいよ最後の登り返しとなった。あとは日暮沢まで一気に下って行けるのだと思うと、トンネルの出口がようやく見えてきたようだった。
携帯電話はハナヌキ峰の山頂にきたところで何とかつながるようになった。予定時間を大幅にオーバーしていたが、今日中には下山できそうなことと、帰宅は夜10時を過ぎるだろうといったことを家族に伝えた。ハナヌキ峰からは夏道沿いに下り、途中から一本東側の尾根を下った。雪は多く快適だったが、尾根が途中で消滅してしまい少し慌てた。暑すぎる気温のため、急斜面では雪のブロックが崩落し、いたるところで雪崩を誘発していた。こんな時の急斜面のトラバースは危険極まりないようなものだったが、慎重に下りてゆくしかなかった。さらにその先では滝壺までが現れたりした。幸いみんな無事に通過することができて胸をなで下ろしたが、これが沢を下る際の恐いところだ。やがてカラマツ帯の平坦部へと降り立つと、ようやく難所を乗り切った安心感が広がった。そこは竜門滝の少し下流側で、日暮沢小屋まではしばらく歩かなければならなかった。
日暮沢小屋のすぐ先で沢を横断箇所する箇所がある。手が切れるような雪解け水が流れていて、口に含むとようやく喉の乾きが癒えていった。ついに我々の行程は日暮沢小屋から根子集落までを残すのみとなった。この林道の区間は約8キロメートルあり、さらに2時間以上を歩かなければならない。しかし、三日間という短いようで長かったドラマは、今静かに最終章を迎えようとしていた。
根子の集落に着いたときにはすっかり日が暮れていた。私たちはがっちりと握手を交わし、三日間の健闘をたたえ合った。4人がいたからこその難ルート突破であり、何とか3日間で遂行できたのだと思うと実に感慨深いものがある。ひどく疲れてもいたのだが、ついに困難を克服したのだという成就感で気持ちは高揚していた。根子からはひとつ橋を渡れば見附の集落だった。出発点の見附駐車場に到着したのは18時20分。すでに夜の帳(とばり)がおりていて、雪深い山里の家々のあちらこちらからは、夕餉の明かりが灯り始めていた。
針生平 |
沢をジャンプで通過する(針生平付近) |
県境稜線をめざして尾根に取り付く |
ヤセ尾根 |
まもなく県境稜線に(704m地点) |
雪庇を乗り越える |
ようやくテン場(862.9m三角点) |
二日目の朝 |
祝瓶山(テン場から) |
テン場にて(左手に白太郎山、右に徳網山) |
テン場にて |
865mピークにて |
快適な尾根 |
暑い!暑い! |
ところどころ広い尾根も |
桧岩屋山が目前(下に二人)1018mピーク |
桧岩屋山山頂で(奥は平岩山と大玉山) |
左から西朝日岳、中岳、大朝日岳(桧岩屋山から) |
桧岩屋山からの滑降 |
桧岩屋山からの尾根(右奥は大朝日) |
袖朝日岳(左奥) |
袖朝日岳目前! |
袖朝日岳の直下にて(中央奥、袖朝日岳) |
袖朝日岳の急坂 |
登ってきた尾根を振り返る(右奥、桧岩屋山) |
袖朝日岳目前! |
袖朝日岳到着! |
テン場作り |
登頂を祝って乾杯! |
西朝日岳の夕照 |
三日目、早朝の以東岳(望遠) |
大朝日岳からのご来光(小屋が見える) |
朝の西朝日岳 |
稜線めざして、テン場を出発する |
西朝日岳をめざして |
西朝日岳をめざして |
西朝日岳(三角点)山頂(右奥に鳥海山) |
夏山の西朝日岳山頂 |
西朝日岳から望む大朝日岳(望遠) |
西朝日岳からの滑降 |
大朝日岳をめざす(左は中岳) |
中岳のトラバース(左は小朝日) |
中岳からの大朝日岳 |
大朝日岳避難小屋 |
大朝日岳山頂目前! |
大朝日岳から望む飯豊連峰と祝瓶山 |
大朝日岳山頂で(セルフタイマー) |
雪壁?! |
大朝日岳から熊越へ滑降する |
銀玉水上部付近を滑る |
小朝日岳が目前! |
熊越にて二人を待つ |
小朝日岳への登り |
小朝日岳への登り |
小朝日岳目前 |
小朝日岳山頂で |
小朝日岳から滑降 |
小朝日岳から滑降 |
古寺山へ |
古寺山からドロップポイントをさぐる |
ハナヌキ峰で(右奥は月山) |
ハナヌキ峰から見る古寺山 |
竜門滝付近へ滑り降りる |
橋を通過、日暮沢小屋をめざす |
日暮沢小屋 |
日暮沢小屋前 |
沢の横断(日暮沢小屋の裏) |
根子をめざして林道を歩く(堰堤付近) |
2日目 快適な尾根歩き?(1018m峰手前のブナ林) |
雪庇の通過(筆者) |
桧岩屋山山頂で |
袖朝日岳をめざして |
テン場 夕照 |
テン場 |
三日目 大朝日岳避難小屋 |
避難小屋目前の筆者 |
大朝日岳山頂の標柱 |
筆者 小朝日岳 |
小朝日岳から遠藤さんの豪快な滑り |
小朝日岳から |
筆者 小朝日岳 |
筆者 小朝日岳 |
滝壷の通過 |
根子に到着、お疲れさまでした |