(1日目)
今年は3月に入ってから春を通り越したような天候が続いている。予報では二日間とも好天が予想されているのだが、見附の集落では昨夜からの雨が止まなかった。小降りにはなってきたものの、天候の回復がだいぶ遅れているようだった。見附荒沢出合をめざしてしばらく見附川沿いの林道歩きが続く。久しぶりの宿泊装備を背負ってザックの重みが背中にずしっとくる。出合まではかなりの距離があるのでみんなゆっくりとしたペースだ。途中、デブリを通過する箇所が多くあって、これにはさすがにヒヤヒヤさせられる。この辺りは急斜面が多いので、ほとんどが底雪崩を起こしているようだった。
このコースで第一の難所は見附荒沢出合の渡渉と聞いていた。今年は大雪ということもあって個人的には大丈夫だろうとは考えていたのだが、やはり雪解けのスピードは予想よりもだいぶ速いようである。見附荒沢は結構な水量があってどこも大きな口が開いていた。ここは上流から遠巻きに対岸に渡って尾根に取り付いて凌いだ。
雪が柔らかいために、この尾根の取り付きにも結構苦労しなければならなかった。急斜面にはクラックも多く、トラバースもたいへんなのだ。見上げると雪庇が大きく尾根からはみ出していて、いつ崩れてくるかわからないような恐怖感がある。急坂を登り切るとヤセ尾根の始まりだった。ヤセ尾根といっても尾根をはずさない限りそれほどの危険はないのだが、数え切れないくらいのアップダウンにはうんざりするほどだ。ひとつのピークを越すと次々と現れるといった具合なのである。いくら登っても標高はなかなか上がらない状態が続いた。
ブナ林を歩いているとまもなくコースが大きく右折するピークにたどりつく。そこには太いネズコの大木がたっているところでしばし休憩をとる。降り続いていた霧雨もこの頃になるとようやく上がり始め、一部には青空も広がるようになっていた。気温も上昇しているらしく今日は予想以上の好天になりそうだった。広い尾根は歩いていても心地よいものだ。初めてのコースは周囲の光景も新鮮であり、登りは実に楽しいものだった。見附荒沢をはさんで右手に聳えるピークは竜ガ岳のようだった。形が台形なので目立つ山なのだが、稜線はというとなかなか見慣れない連なりを見せている。会長によると、猟師達が対岸に聳える竜ガ岳の稜線を走りながら、狙いを付けた熊を南尾根のブナ帯まで追い込むのだそうである。幻の登山道とはいってもマタギにとっては自分の庭のようなものなのだろうかと、なかば感嘆しながらそんな話を聞いた。
徐々に高度が上がると前方に大きなピークが見えてくる。そこは雪のブロックの崩落によりヤブが露出していて、容易には進めなくなっていた。左手はかなりの急斜面で、右側の斜面には大きなクラックが走っている。危険性はかなり高く、ここは本日最大の難所のようだった。右手の斜面をトラバースすれば楽に通過できそうだったが、雪崩は全て右側に落ちているのであまり勧められないようだった。まず安全を最優先しなければならないのだと、遠藤氏や佐藤氏はスキーをはずしてルート工作を始めている。枝をつかみながら慎重に攀じ登ると次はヤブ漕ぎが待っていた。さらにその先には大きな雪壁が行く手を塞いでいる。ヤブを途中で抜け出した私は、慎重に右手の雪庇を回り込んで向こう側の尾根に出た。そして巨大な雪壁となっている雪庇を登り、反対側からサポートする側に回った。上野氏はスコップを取り出し長い雪の階段を作ってルート作りをしていた。そんな事をしながら私達はこのわずか20m足らずの区間に1時間以上もかかって通過しなければならなかった。
難所を登り切るとようやく安心できる尾根となり、次のピークへと登って行く。まもなく粟畑からの主稜線が近づいているようであった。左手に見えるピークは二ツ石だろうと誰かが説明する。とすると前方に見えるピークは天狗角力取山だろうか。この直下まで来たところで、青空の広がる雪原にザックをおろして大休止となった。予想外に長い行程を歩いてみんな相当に疲れているようだった。しかし、小屋も近いのだと知るとさすがにみんなの顔には安堵の表情が浮かんでいる。ここからは天狗角力取山をめざしてジグを切りながら登った。
まもなく山頂だろうという辺りから、周りは急速にガスに覆われ始めてくる。ますます晴れそうな空模様だっただけに、まさか逆に悪くなろうとは誰が予想しただろうか。やはり山の天候とはわからないものである。一人トップを行くのも心細くなってくるような天候の急変であった。右手は雪庇なのでなるべく左方向にジグを切って行くと、少しずつ斜度が落ちてゆく。天狗角力取山はもう目前だった。
いつのまにか後続と少し離れてしまったためにしばらくその場で待つことにした。視界が全くないというのは不安が募るものだ。小屋を目前にしながら遭難するケースは多いだけにここからはまとまって行かなければならなかった。全員が揃ったところで恐る恐る小屋の方角におりてゆくと、一瞬だけガスが薄れた。小屋への斜面は広いのだが、雪面はすでにクラスト状態で、なかなか思うようなターンが出来ず、転倒するものが続出する。今日一番の滑りだというのに快適とはほど遠いものだった。しかし、全員揃って無事に小屋へと入ることができたのだからよしとしようか。
その夜は8時間という長い登りに耐えてきただけに宴会は盛り上がった。みんなの表情にはそれぞれによくやったという満足感に溢れていた。アルコールも食事もどんどんと進んだようだったが、私はあいかわらずたった一杯のアルコールに倒れてしまい、会で調達したキムチ鍋などはほとんど口に入れないままシュラフに眠ってしまった。
(2日目)
夜は満天の星空が広がり、翌日は雲ひとつ見当たらないほど朝から良く晴れ渡った。今日は絶好の山日和になりそうであった。天候次第では障子ガ岳を諦めなければならないこともあるわけで、それだけにこの好天はうれしいばかりだ。私達は予定どおり障子ガ岳ルートで下山することが決まった。小屋前でシールを貼り直し、天狗角力取山をめざして登って行く。朝の清々しい空気は気持ちが良かった。そして、一面の白い斜面はまるで広大なゲレンデのようだ。登り切るとそこからは大パノラマが待っていた。出谷川の向こう側には雄峰、以東岳の姿が大きい。そして大朝日岳へと稜線が続き、右手にはこれからめざす粟畑のピークと障子ガ岳が聳えている。天狗角力取山の山頂では全員で記念写真を撮りながら、しばらくこの大展望を楽しんだ。
粟畑へは快適なシール滑降だった。夏には潅木の密生する粟畑も、今は全山雪に覆われているので全く別の表情を見せている。このなだらかな斜面を見ていると、どこへでもスキーで滑走して行けそうだった。鞍部からはわずかで粟畑のピークに登り着いた。障子ガ岳は雪を抱いてまさしく圧倒的な姿を見せている。夏とは比較に鳴らない程の迫力だ。粟畑からはバカ平経由グループとしばし別れての行動となり、私達は障子ガ岳へと向かった。
障子ガ岳の右側には巨大な雪庇が張り出していた。ところどころ崩落している箇所も多いから要注意だ。一方では常に以東岳を眺めることができる区間であり、このうえない快適な登りが続いた。急斜面を登り切ると広々とした雪原に出る。そこは障子池のようだったがもちろんこの時期は池の輪郭などはどこにも見当たらない。さらに目前の急坂を登り切ると障子ガ岳だった。山頂からはさらに感激するような大展望が広がっていた。秘峰、赤見堂岳や枯松山、鍋森などの山並みが連なり、鳥海山、月山、蔵王、吾妻、飯豊連峰といくら眺めていても飽きることがない。遠く船形山や神室連峰、さらには栗駒山までが見渡せた。
障子ガ岳山頂で十分に休憩をとれば、待ちに待った滑降の始まりだ。次の大きなピークである紫ナデまではスキーで下って行けるので、シールをひとまず仕舞おう。風が強く雪面はカリカリに凍り付いていたが、スキーで滑る分にそれほど支障はなかった。横滑りや斜滑降で難所を凌げば、鞍部まで一気に降りて行く。途中の小障子を左手から回り込むと紫ナデの鞍部へと降り立った。ここは風が弱いので休憩場所にちょうどよかった。先はまだまだ長いのだ。のんびりとしよう。柴田氏がときどき無線を取り出してバカ平チームの状況を確認している。向こうのグループも堅い雪面に苦労しながらも楽しんでいるようだった。
紫ナデのピークからは夏道のないバリエーションルートに入ってゆく。ヨウザ峰コースは2回目だが前回に続いて好天に恵まれたのがありがたい。ここからはまさしく山スキーでなければとてもトレース出来ない区間でもある。地形図をながめてもスキールートになるなどとは誰が考えつくだろうか。紫ナデを越えると雪は徐々に柔らかくなり、4人はそれぞれ思い思いにシュプールを斜面に刻んで行く。ヨウザ峰から桧原までは数え切れないほどのアップダウンがあるのだがシールを貼るほどではなかった。少々の登りはスキーで登って行き、残りは滑りの勢いで楽々とピークを超して行けるのだから楽しいばかりである。途中で振り返る障子ガ岳や紫ナデは徐々に遠ざかっていたが、その迫力は衰えるということがなかった。障子ガ岳は午後の陽射しを浴びて鈍く輝いているのが印象的だった。
大桧原川を挟んで対岸には赤見堂岳や石見堂岳が寄り添うようについてくる。その後方に聳える湯殿山や姥ケ岳、月山も多くの積雪を抱いて全山真っ白だった。この大パノラマを眺めながら下るこの快適さはなかなかのものである。特に赤見堂岳は1450m足らずの標高とはとても思えない存在感を持つ山だ。この奥深い朝日連峰も雪に覆われれば至るところが山スキーの対象になるのである。そのことがとても不思議に思えてくる。そんなことを考えているうちにヨウザ峰を通過し、徐々に桧原が近づいていた。
前方に大井沢の集落や県道が見えてくるとツアーも終盤だ。825m峰からは目標としていた杉林へと入って行く。そして大桧原川へと降りて行く頃には雪が腐りはじめてしまい、スキーの操作に苦労させられるようになる。急斜面はキックターンや横滑りで凌ぎ、沢底に降りてしまえば今回のバリエーションルートも終了となる。この先は平坦部となり林道の道形も明瞭としてくるところである。しばらく推進滑降気味に進み、樹林帯を抜け出すと広々とした雪原に飛び出した。雪原の向こう側には民家が見えていて、めざすは緑色の屋根の「平三郎そば」である。私達は一直線にスキーを走らせて先を急いだ。
「平三郎そば」の裏手から玄関口へと滑り込むと、早めに着いていたバカ平メンバーの「お疲れ!」といった声が2階から一斉に降り注いだ。下り着いたところが「日本一のそば屋」などという、こんな贅沢なコースはそうそうないだろうと思う。こうして2日間とも天候に恵まれたおかげで、今回の幻の天狗南尾根は長く記憶に残るスキーツアーとなった。
見附荒沢出合 |
尾根の取り付き |
ネズコの巨木を見上げる |
快適に高度を上げる |
汗が流れる |
ヤブ漕ぎの核心部を通過 |
核心部のピークに登り着く |
前方は天狗角力取山 |
ガスに包まれる天狗角力取山 |
ようやく見つけた天狗小屋 |
お待ちかね! |
二日目の朝、天狗角力取山への登り |
天狗小屋 |
天狗角力取山から障子ガ岳を仰ぐ |
以東岳 |
大朝日岳と中岳 |
以東岳と渋谷会長 |
粟畑をめざす |
粟畑から竜ガ岳を |
粟畑(障子ガ岳方向から) |
障子ガ岳をめざす |
障子池を通過 |
以東岳を眺めながら |
粟畑を振り返る |
障子ガ岳が間近に |
以東岳と出谷川 |
障子ガ岳山頂 |
障子ガ岳山頂 |
障子ガ岳山頂(月山をバックに) |
障子ガ岳からの滑降 |
障子ガ岳山頂から滑る |
紫ナデをめざして |
紫ナデ直下 |
紫ナデ山頂 |
紫ナデからの滑降 |
紫ナデからの滑降 |
1196m峰から障子ガ岳 |
月山をバックに |
滑降ポイントを探るメンバー |
月山と湯殿山が前方に |
ヨウザ峰の下部付近を滑る |
エンディングは近い |
蕎麦屋が目前(緑の屋根) |
日本一うまい、平三郎蕎麦屋に到着 |