山 行 記 録

【平成20年2月17日(日)/吾妻連峰 天元台〜藤十郎 ※大沢下り敗退



雪庇崩落地点から帰還途中の柴田氏と筆者(上野氏撮影)



【メンバー】西川山岳会5名(柴田、山中、上野、菊池、蒲生)、ゲスト武田、大場
【山行形態】日帰り
【山域】吾妻連峰
【山名と標高】中大巓1,964m
【地形図】天元台(2.5万)、福島(20万)
【天候】風雪
【参考タイム】
天元台リフト終点(北望台)11:10〜中大巓11:50〜人形石12:00〜藤十郎12:50〜1890m地点(休憩)13:10-13:50〜人形石14:10〜中大巓14:20〜北望台15:00〜湯ノ平コース〜ロープウェイ湯本駅15:40

【概要】
 吾妻連峰の数あるツアーコースの中でも大沢下りは、総延長が20キロメートルにも及ぶという、とっておきのツアーコースである。山形県側から天元台ロープウェイとリフトを乗り継げば、もうそこは標高1830m地点。その北望台からわずかに中大巓に登れば大雪原の弥兵衛平をのんびりと歩いて、明月荘の避難小屋からは快適な滑走を楽しみながら、最後は大沢駅の構内まで滑り込めるのである。春になればゲレンデスキーでも楽しめるコースでもある。

 昨日から置賜地方には大雪注意報が継続して発令されていた。平地でさえもかなりの降雪があり、今日も朝から雪がやまなかった。米沢市内の集合場所から大沢駅に向かい、関根地区を過ぎると大沢の集落地帯に入って行く。いつもはひっそりと静かなやまあいの大沢集落だが、早朝から7台もの車を連ねるという異様な光景には、さぞ地元住民も驚いていることだろう。集落内の狭い道路ではようやく除雪作業が始まったばかりだった。

 大沢駅で一番列車を待っていると、積雪のために1時間以上遅れる予定だというアナウンスが、突然無人の構内に流れ一同騒然となる。見渡すと線路も雪に埋まっている状態で、これではいつ列車がやってくるのかわからないのも当然のような気がした。ここで急遽計画の変更を余儀なくされ、車で移動することになる。順調に行けば始発のパスに乗り込めるだろうと、車一台に全員乗り込み一路米沢駅へと向かった。ところが大沢駅周辺の除雪作業なのか保線区の作業車などが次々とあがってくる。ただでさえも細道なのにこの大雪である。すれ違うにも難儀するなか作業車がスタックしてしまい、みんなでその脱出を手伝ったりしたものだから時間を大幅にロスした。当然ながら米沢駅からの始発のバスはとっくに出た後であった。

 路線バスに乗り込み天元台ロープウェイの湯本駅に到着したときにはすでに10時過ぎ。心配していた天候は一部に青空がときどきのぞくなど、それほど悪そうな雰囲気ではない。しかし、西側からは雪雲が次々と流れ、稜線付近は見えなかった。しかも天元台スキー場では第3リフトがようやく動き出したばかりだという。今回の大雪のためにスキー場でも準備作業がかなり遅れているようだった。結局、北望台からの歩き出しは11時10分。計画が大きく遅れているので全員ヘッドランプの確認を行った。大沢駅への到着は間違いなく日没になるだろうという前提である。ビーコンチェックを終えてさっそく急斜面に取り付いた。

 北望台からは当然ながらトレースは全くなかった。登りはじめてみると降雪直後の深雪にスキーはいとも簡単に埋没した。それは一歩一歩スキーを雪中から引き抜くだけでも難儀な作業であった。それにしても今回の積雪量にはただただ唖然とするばかりだ。冬山のベテランが大勢いるというのに、ラッセルは1〜2メートル進むのでさえも困難を極めた。稜線にさえ出ればラッセルも楽になるだろうとみんなで交代をしながら登って行く。しかし風の強さもあまりにひどいという状況だった。気温が相当に低いのも気にかかった。北望台付近で氷点下16度〜17度くらいなのだろうか。それに加えて風速15、6mほどもある厳しい地吹雪が舞う。耐寒温度はいったいどの程度なのか見当もつかないほどだ。そんな厳しい寒さのためだろう。途中から山中氏がシールトラブルで遅れ始める。見ると購入したばかりのシールがすでに両方ともスキーのソールからはがれていた。

 稜線が近くになるにしたがって風はますます激しさを増した。視界もないのでGPSによる計器行動が続く。稜線に出るとラッセルから少し解放されたが、それでもスキー靴が埋まるほどだ。そしてこんどは顔も上げられないほどのブリザードである。吹き荒れる中での行動は非常に困難を極めた。地吹雪が荒れ狂う中ようやく人形石に到着する。ここからは通常シールをはずして藤十郎までは快適に下って行けるのだが、今回はシールを貼ったまま人形石の斜面を下ることにする。ホワイトアウトの中でははぐれてしまう恐れがあるからだった。しかし1メートル先が見えず、コースがほとんどわからない。GPSのルートは適当に省略しているので小さなアップダウンや尾根の形状次第ではすぐに変な場所に進んでしまいそうなのだ。そんなときだった。一歩一歩ストックで確認しながら前を進んでいた柴田氏が目の前から突然消えた。すぐ後ろを歩いていた私は、柴田氏が雪庇を踏み抜いたのがわかった。恐る恐るのぞいてみると幸い5、6mほどの落下で済んだようだ。しかしそこから登ってくるのは容易ではなさそうだった。吹き溜まりの場所ということもあって、柴田氏は胸までもの深雪にもがいている。雪に埋まってしまい歩くことさえ困難なのだ。柴田氏は下から平行して歩いて行くというので、我々は雪庇を避けながら左に大きく卷いて行く。そうして左へ左へと移動しているときだった。私の右足が妙な感覚で沈んだと思った瞬間、ズドンというような鈍い音をたてて雪庇が崩れた。かなりの長さに渡って雪庇が大きく割れたのだ。私はかろうじて左足一本で体を支えて難をのがれた。ホッとしたのもつかの間。もしかしたら柴田氏がこの下を歩いていたのではないかという、とてつもない不安感が襲ってきた。この辺りは視界もないので地形がほとんどわからないのだ。急いで崩落地点を覗き込み、大慌てで柴田氏の名前を呼ぶ。しかし返事がない。もう一度大声で叫んでみる。するとかなり下の方で片手を雪面から振り回しているのがかすかにみえた。しかし動けるような状態ではなさそうだった。

 そこからはとりあえず私が崩落地点を乗り越えて救助に向かった。巨大な雪のブロックがそれこそ数え切れないほど散乱していて容易には前に進めないのがもどかしい。下方では崩落した雪庇に誘発されたデブリがうっすらと見えた。私は慌てていたのだろう。柴田氏に手が届きそうなほど手前まで近づきながらブロックに足を取られてしまい転倒した。転倒すると体全体が雪に埋没した。すぐ近くでは柴田氏の片手が雪面から出ているのだが体は見えない。雪に埋まりながら柴田氏に声をかけてみた。すると呼吸はなんとかできるとの返事だ。少し安心した。私ははずしたスキーを手がかりにしてなんとか深雪から這い出し、スキーを履き直してから柴田氏に近づいた。柴田氏は片手とスキーの片足半分だけが雪面から飛び出しているだけで体は全て雪に埋没していた。しかし顔面だけを雪面から出しているところはさすがに雪崩の講師だ。ビンディングの片方を解除してくれというのでスキー靴をはずすと、あとは自分でもがきながら雪中に埋まったスキーをはずしたようである。しばらくすると柴田氏は自力で雪面から抜け出した。

 その間も地吹雪はすさまじかったが私達がいた場所は雪庇の陰のため風はなかった。そして高度が下がったためだろう。視界が少し戻っていた。他のメンバーが見えないので無線で確認すると全員無事なようだ。みんなには藤十郎手前の平坦地で待っていてもらうことにした。そこの雪庇崩落地点からメンバーの待つところまで引き返すのも困難を極めた。ここは人形石の東斜面のため、稜線から吹き飛ばされた雪の墓場みたいなところなのだ。スキーを履いても腰まで体が沈んだ。暴風雪は相変わらずだった。みんなの待つところまで合流するのにどのくらい時間を要したのだろうか。まずは事なきを得た形となったが、このまま日帰りでの山行継続はほとんど不可能と判断するしかなかった。引き返すとなると今しかなかった。往路を戻るにしても今度は向かい風になるので簡単ではない。今度は正面から暴風雪が我々に襲ってくるのである。

 稜線に少し戻ったところで、ツェルトを張り休憩をとることにした。地吹雪の荒れ狂う稜線ではツェルト設営も簡単ではなかった。普段ならば風の弱い風下を選んで設営するところだが、稜線でさえもラッセルが難儀だったのだ。ツェルトの中に入るとさすがに気持ちが落ちついてくる。私の指先を見ると一部が紫色に変色していた。手足の指先は凍傷寸前のようだった。しかし脇の下で温めているうちに少しずつ感覚が戻ってくる。血液が指先に戻るときには相当痛むものだというのを初めて知った。休憩にはいつも冷えた軟水やコーラを楽しみにしているところだが、今回だけは誰もそんな気分にはなれなかったようだ。テルモスのお湯を飲むと死んでいた細胞が生き返るようだった。

 あまりに寒さがひどくて休憩は20分ほどで切りあげた。すでに午後2時近い時間になっていた。午後から天候も回復するだろうという期待はあっさりと裏切られたようである。短時間の休憩を終えツェルトを撤収しても悪天候は変わらなかった。しかし、幾分明るさを増しつつあるような兆しが見えていた。視界の無い中を高みへ高みへと登って行く。私の新しいゴーグルは簡単に内部から凍り付き、たちまち見えなくなってしまった。体温で温まった空気が外気温に触れた瞬間凍り付いたようだった。しかたがないのでゴーグルははずした。手先は再び凍傷になりそうなほど感覚がなくなっていた。目出帽にも寒気が突き刺さってくるようだった。

 人形石を通過する頃には待ちに待った晴れ間が少しのぞくようになった。中大巓の山頂付近まで来るとようやくシールも不要となる。しかし下りもラッセル状態ではほとんど滑りにならない。それこそパフパフのパウダーなのだが斜度がなさ過ぎるのだ。みんな適当なところから少しずつ降りて行ったものの、あまりの雪の多さにスキーはほとんど走らなかった。

 北望台に飛びだせばもう不安はない。全員無事に戻れたことでやっと肩の荷が下りた気持ちだった。ゲレンデにはスキーヤーは数えるほどしか見当たらない。圧雪車をかけたのだろうが降り続く雪のため、至るところがオフピステのようである。雪面は荒れてはいるものの、深雪のパウダーがどこでも楽しめるようだった。ここにきてようやく滑りを楽しむことができて、みんなの顔には笑顔が戻っていた。ゲレンデをほとんど滑らない我々だが、今日の雪面はまさしく山スキーと同様のようである。ゲレンデの末端からは湯ノ平コースを下って行き、全員無事にロープウェイの湯本駅に戻った。

 天元台からのバスは運も悪いのか1時間後しかなかった。湯本駅で凍り付いた装備類をストーブで乾かしながら疲れ切った体を休めた。路線バスで米沢駅に戻ると激しいほどの雪が市街地に舞いはじめていた。暗くなった大沢の集落地内には私達の車が道路の片隅に残っているばかりだった。

動画 雪庇崩落地点から脱出(1)

動画 雪庇崩落地点から脱出(2)

(以下上野氏撮影の写真)


北望台の取り付き付近


人形石到着!


地吹雪の中の行軍(中大巓の稜線付近)


人形石へ戻る


人形石へ戻る


中大巓付近でようやく明るさを取り戻す


コース概略図

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