馬ノ背から立入禁止を示すロープの柵を越えてお釜への道を降りてゆく。この辺りは山スキーで下っているので、不安は感じられない。刈田岳からお釜の淵まではちょうど200mほどの高度を下る。意外と大下りでもある。お釜の畔にでる少し前がちょうど分岐点だが特に標識はなかった。まっすぐに進む時計回りでもかまわないのだが、右手の岩場は登りの方がより安全というわけで、今回は反時計回りにコースをとることにした。右手へのルートはよくわからなかったが、特に危険な個所はないようなので、歩きやすいルートを選んでゆく。登山道というよりも、砂地を歩いてゆくといった感じで、歩くたびにスリップして足場が崩れてゆくようだった。
急斜面の岩場のようなところを登り切るとそこからは勾配が緩やかになり、目前は五色岳の稜線だ。付近には盛りをすぎたコマクサの群落があり、写真を撮っていると登山者が二人降りてくるところだった。出会ったのはこの二人だけで、刈田岳や馬ノ背の喧噪とは別世界のような静けさだった。また、吹き渡る風が涼しく、刈田岳の山頂より低いにもかかわらず、五色岳とお釜一帯付近は風の通り道になっているようだった。
稜線にはケルンが二つあり、ちょうど分岐点の標注のような役目をしている。五色岳の山頂は左へと進んだ一際高いピークのようだった。右手の端は不帰ノ滝の上部付近だったが、雲が次々とわき上がってきて、壮絶な懸崖といった光景は見ることができなかった。ふたたび五色岳へと向かうと熊野岳が正面で、上空は澄み渡るような青空である。このカルデラ付近は風が不規則に巻いていて、宮城県側では雲が湧いたり消えたりを繰り返しているようだった。
五色岳の山頂からは火口壁の大迫力が圧巻であった。人口に膾炙しすぎた感じもするお釜だが、こうして一人もいない五色岳山頂から眺める大パノラマにはあらためて感激した。ここにもケルンが立っていて、近くには花が終わったコマクサも残っていた。先週はコバルトブルーに彩られていたお釜も、今日は鮮やかなエメラルドグリーンの神秘的な湖面をたたえている。馬ノ背を歩いている人はあまりに小さくて目をよく凝らしてもよくわからないほどだった。多くの人で賑わっているであろう馬の背や刈田駐車場も、ここまではその喧噪が少しも聞こえず、五色岳はまさしく別世界である。しばらくこの絶景を楽しみながら腹ごしらえをすることにした。
五色岳からはお釜の淵をたどるように下ってゆく。あまり端を歩くと崩れる恐れもあり、ここは注意する必要があるようである。右手を見ると、今は通行禁止となっているロバの耳コースが見えたが、当然ながら人の姿はなかった。お釜の水辺まで降りてゆくと、熊野岳から小沢が数本お釜へと流れ込んでいた。この水を飲んでみたが少しも冷たくはなくがっかりした。
水辺の標高は1550mほどだから熊野岳まではおよそ300m上らなければならない。今回のコース自体は短いのだが、上り下りが多いせいなのか、痛めた足首が少し痛み始めていた。ここからは夏道といってもよさそうな踏跡がお釜の畔を回り込むように続いていた。お釜の水辺までは意外と多くの人達が降りてくるのかもしれなかった。
馬ノ背に戻ると、降りてきたとき以上の観光客であふれていた。登山リフトを使って上ってくる人達も多く、眺めているだけで疲れてくるような混雑ぶりである。しかし、風があるので熊野岳までは快適な稜線歩きが続いた。
熊野岳では避難小屋の近くにザックおろして、しばらく昼寝をすることにした。早めに下っても、猛暑、酷暑の下界にはまだまだ戻りたくはなかった。山頂とはいえ、日射しはそれなりにあるのだが、やはり高山を渡る風は心地よいばかりである。大朝日岳とほぼ同じ標高だけに、この蔵王連峰も下界の猛暑を忘れさせるような爽やかな風を心ゆくまで味わった。刈田岳と違ってこの熊野岳まで足を延ばす観光客は少なく、ここでは登山者の方が多く目立つようだった。疲れもあったのか、私はいつのまにか1時間近く眠ってしまった。
熊野神社では参拝をしながら山での安全を祈った。そして馬ノ背は人混みをかき分けるようにして刈田岳へと戻った。山頂神社は相変わらずの大賑わいを呈していた。この山頂ではやはり風は弱々しかった。私は最後まで残しておいた果物の缶詰をザックから取り出し、少し一休みしてから、刈田峠への登山道を下り始めることにした。
ロバの耳(五色岳より) |
お釜の畔から刈田岳を仰ぎ見る |