山 行 記 録

【平成19年6月17日〜18日/飯豊連峰 ダイグラ尾根〜石転ビ沢



初夏 石転ビ沢



【日程】平成19年6月17日(日)〜18日(月)
【メンバー】単独
【山行形態】アイゼン、ピッケル他、夏山装備、避難小屋泊
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】飯豊山2,105m、御西2,013m、烏帽子岳2,018m、梅花皮岳2,000m、
【地形図】(2.5万)飯豊山、長者原、(20万)村上
【天候】17日(晴れ)、19日(晴れ)
【温泉】長井市 「はぎの湯」400円
【行程と参考コースタイム】
(17日)天狗平4:40〜桧山沢吊橋5:15〜長坂清水〜休場ノ峰7:40〜千本峰8:55〜宝珠山の肩10:50〜飯豊山13:40-14:10〜御西小屋15:40(泊)
(18日)御西小屋4:30発〜烏帽子岳7:50〜梅花皮岳8:10〜梅花皮小屋8:30-8:40〜石転ビノ出合10:00〜天狗平14:30

【概要】
 ダイグラ尾根は飯豊山荘から飯豊山まで一直線に突き上げる長くて急峻な尾根である。いくつものアップダウンが延々と続き、切歯尾根の異名もあるこの尾根は、単純な標高差だけでも1700mとかなりあるのだが、数え切れないほどのアップダウンを含めた累積標高差は2000mをも超える厳しい尾根でもある。ダイグラ尾根は昨年の9月以来で、この時期は残雪歩きを楽しみに登ることになる。しかし、最近とみに体力が落ちていることを考えて、例年よりもかなり早立ちとした。

(一日目)
 まだ朝の4時を過ぎたばかりというのに、飯豊山荘では日帰りと思われる登山者が続々と集まってきていた。早朝のひんやりとした温身平はいつもながら気持が良く、久しぶりの森林浴を味わいながら歩き出す。温身平は日本で初めてという、森林セラピーロードに指定されたとかで、新しい看板や案内板が至るところに設置されていた。このセラピーロードを歩いているうちに、眠っていた細胞が徐々に目を覚まし始めてきて、登高意欲が沸々と湧いてくるようだった。天狗平から桧山沢吊橋までは小一時間。足慣らしのための運動には適度な区間のようである。前後には人の姿もなく、ダイグラ尾根に向かう人は見あたらない。今日は日曜日なので、山頂から下ってくる人ともそのうち出会うだろうと思いながら桧山沢吊橋へと向かった。

 桧山沢は大きな雪解け水が奔流となって轟き音を響かせていた。通常はこの時期、どこかに残雪が見られるものだが、全くと言っていいほど周りに雪はなく、ほとんど融けてしまったようだ。対岸から休場ノ峰までは急登の連続となる。ここは容赦がない急坂といっていいほどで、本格的な夏場になればこの登りだけでばててしまいそうな区間でもある。今日は朝の涼しいうちだったからまだいいようなものの、それでも汗がすぐに噴き出してしまい、背中はすでに汗でびっしょりであった。

 休場ノ峰まではちょうど3時間で着いた。ここではヒメサユリとニッコウキスゲが早くも咲いていて、疲れた体を癒してくれるようだった。私は今年初めて見るヒメサユリとニッコウキスゲだった。日差しはすでに暑くてのんびりと休む気分にもなれず、少し先の木陰で休憩を取る。正面には烏帽子岳や梅花皮岳、そして天狗の庭、御西岳へと稜線が水平に伸びている。今年は例年よりもかなり残雪が多いようで、青々とした深緑と多くの残雪を抱いた山容は息を呑むような美しさだ。

ピークを少しおりてゆくと、鞍部付近にテントが一張りあって、中で人が一人休んでいた。昨日、本山経由で下ってきたという人だったが、こんなところで幕営しているのを見るのは初めてだった。今日はこのダイグラ尾根をすでに二組、登っていったということを聞き、さらに3時頃出発したというのだから驚いた。先行している登山者は軽装らしく、その話からたぶん日帰りの人達だろうと思われた。

 しばらくシラネアオイやマイヅルソウ、サンカヨウなどの咲き乱れる夏道が続いた。この付近はいくつもの小さなアップダウンの繰り返しだ。千本峰を通過し、ちょっとした岩場を下れば宝珠山が大きく迫るようになる。途中、まだ残雪が残っていたが、その通過は難しくはなかった。ブロック状に残っている雪庇はちょうど歩きやすい場所にあり、しかもまだ崩れる心配はなさそうだった。しかし、早くも疲労が蓄積してきたのか、雪上を歩いているうちに足が攣ってしまい、その都度休まなければならなかった。あまりに早い足の疲れに日頃のトレーニング不足を思わないではいられない。短時間の休息だけでは足の痙攣は治まらず、時間ばかりが経ってゆく。

 宝珠山直下まで来れば飯豊本山に近づいたのを実感できるところだ。宝珠山の肩の標注付近は雪が解けだしていたものの、最後はやはり残雪の急坂を登ることになる。ここでも足が何回も攣ってしまい、短い区間ながらも何回も休まなければならなかった。宝珠山から次の岩稜帯までも距離はわずかなのに時間だけはかかった。体力や筋力の衰えをあらためて思い知らされているようであった。

 御前坂手前の岩場ではいつものように大休止をとって疲れた体を休めた。もうここから本山まではひと登りなのだが、今日のように足が何度も攣るようでは、どのくらい時間をみればよいのかわからなかった。小さなピークを2カ所ほど降りてゆくと最低鞍部だ。ここも夏道に出るまでは残雪歩きが続いた。よく探せば先行者の踏跡は残っているのだが、今日の強い日差しにあってはほとんど消えかかっていた。それでも何も無いところを歩くよりは、このかすかな先行者の踏跡をたどった方がやはり楽ではあった。

 夏道ではなんでもないところも雪道となるとスリップするためなのか簡単に足が攣った。御前坂のトラバース区間まで上がると、爽やかな風が吹き渡り、疲れた体を癒してくれた。御西岳や天狗岳が正面に迫り、烏帽子岳や北股岳は右奥に遠ざかっていた。一足一呼吸といった具合でゆっくり登ってゆくと、正面に飯豊山の三角点が見えてきた。

 飯豊山の山頂には9時間かかってようやく登り着いた。もう登ることはないのだという、この開放感がたまらない。この快感を味わいたくてこのダイグラ尾根を登っているようなものだった。ザック、ストックを放り投げ、大きく息を吸った。下界は真夏日でも2105mの頂上は別世界である。汗だらけの体には、少し肌寒いくらいの、乾いた風が舞っていた。

 不思議なことに周囲を見渡しても誰もいなかった。ダイグラの日帰りと思っていた二組の人達は、どうやら石転ビ沢か梶川尾根を一周するコースをとったようだった。人間離れした体力の持ち主などは、世の中にはいくらもいるものだなあと妙に感心する。私は今日の足の具合から本山小屋泊まりにしようと決めていたので、山頂に銀マットを敷き、しばらく一眠りすることにした。

 体はもう一歩も動けないほど疲れ切っていた。体力、筋肉は完全に限界だとも感じていた。しかし、しばらく休んでいるうちに、本山小屋への10分から15分くらいの距離が、妙に遠くに思えてきてしまい、その距離を歩くのならば御西小屋へ向かうのとそう違わないのではないかと、さきほどまでの決心が揺らいでいた。それだけ元気が出てきたのかも知れなかった。時計を見ると午後2時を過ぎていたのだが、のんびりと歩けばまだ歩いて行けそうな気がしたのだった。

 駒形山を下ると一面の雪渓が広がっていた。玄山道分岐の標注も半分は雪に埋まっている。この雪渓歩きとなるとたちまち足が再び攣ってしまい、何度もまた立ち止まらなければならず、本山小屋に戻らなかったことを後悔する羽目になる。御西小屋まではすべて雪道だった。幸いに一カ所だけ雪解け水を取れる場所があって、そこでは3リットルほどの水を汲んだ。雪が解けだしたところからはハクサンイチゲやミヤマキンバイ、カタクリやコイワカガミ、チングルマ、ショウジョウバカマなどが咲き出していて、春の花と夏の花が同時に楽しめるという珍しい光景を目にすることができるところだ。

 御西小屋到着は15時40分。早朝から歩き始めてちょうど11時間だった。御西小屋は小屋の周りだけ地肌がでているものの、周囲はほとんど雪景色である。その残雪は例年よりも遙かに多いという印象だ。大日岳へも一区間という距離だが、山頂直下にはまだ多くの残雪があり、朝の早い時間であればアイゼンやピッケルは必携のようである。

 6月のこの時期、日はまだまだ高く、日没はかなり先のようだった。この好天にもかかわらず、小屋も稜線上にも誰もいないというのが信じられなかった。その後も御西小屋にくる登山者はなく、静かな山小屋のひとときを夕刻まですごした。

 風が強くなってきたのを機に小屋に入り、冷やしておいた缶ビールで早速祝杯をあげた。しかし、たった一缶ですぐに酔いが回ってしまい、座ってさえいられなくなる。酒はもともと弱いほうなのだが、今日はそれに加えて疲労度がピークに達しているようだった。横になりながら作ったラーメンで簡単な夕食を済ませると、私はそのままシュラフの上でいつのまにか眠ってしまった。次に目を覚ましたときにはもう外は真っ暗になっていた。

(二日目)
 昨夜は早めに就寝したおかげで、3時頃から目をさましていた。まだ外は真っ暗だったが、東の窓が少しずつ明るみ始めている。ちょうど御西岳の陰になるために、この小屋ではご来光が眺められないのが残念だったが、モルゲンロートに染まってゆく大日岳や天狗岳は見ていて飽きることがなかった。曙光の空にシルエットのように浮かぶ朝日連峰のスカイラインが何ともいえず美しく、無理してこの御西小屋まで歩いてきてよかったと思った。小屋泊まりで味わえるいちばん楽しく優雅で、そして贅沢な時間でもあった。

 御西小屋から梅花皮小屋までは快適な稜線歩きが待っていた。夏道は豊富な残雪に隠れていて、ほとんど雪上歩きだった。このどこをどう歩いてもいいのだという感覚が、この時期の一番の楽しみでもある。今は通行禁止となっている天狗の庭も今回は雪の上を通ってゆくことができて、そこではなつかしい角度からの写真を何枚も撮影した。雪道がとぎれたのは烏帽子岳の直下と梅花皮岳の頂上付近だけであった。

 多くの残雪を抱いた梶川尾根を背景に、烏帽子岳ではミネザクラが盛りだった。まるで4月か5月上旬のような感じだ。梅花皮岳を下ると左手にはハクサンイチゲが大群落となって広がっていた。

 梅花皮小屋の近くまで来ると、一人の登山者が写真を撮っているところに出会った。昨日は頼母木小屋泊まりで、これから梶川尾根を下る予定らしかった。梅花皮小屋では水を汲んだだけですぐに下ることにした。アイゼンを装着し、右手にピッケル、左手にストックというスタイルである。不要なストックは肩に差した。石転ビ沢をのぞいてみると、小屋の直下まで多くの雪渓が残っていた。例年ならば中ノ島あたりから雪が現れるのだが、やはり今年の雪は、低山でははるかに少なく、高山では逆に多いという珍しい年だったようだ。この残雪の多さのおかげもあって、傾斜はいつもよりも緩く感じられ、そして雪は柔らかいので特に危険な感じがしなかった。

 石転ビ沢には昨日下ったと思われる登山者の、グリセードによる深い溝だけがはっきりと残っていた。下り始めれば傾斜があるだけに早い。見る間に梅花皮小屋が遠ざかっていった。アイゼンがあると滑らないので、北股沢の出合への途中でアイゼンははずした。傾斜がきついだけにグリセードが楽しい。しかし一方では、残雪が多い今年は落石もまた多いようである。雪渓上には大小様々な石が大量に落ちていた。これらは皆左岸、右岸から飛んできたものだ。この落石がくせ者で、音もたてずに猛スピードで落ちてくるから要注意である。ときどき振り返りながら急ぎ足で下ってゆくと、北股沢の出合を過ぎたあたりで、30センチ程度の石が上から落ちてくるのが見えた。大きくバウンドするたびに音がしてもよさそうなものなのに、ほとんど無音だった。そして私の20mほど左手を一瞬にして通過していった。

 本石転ビ沢を過ぎたあたりだろうか。ストックが一本背中から無くなっているのに気づいた。下るだけのはずなのに、体は非常に疲れていて、そのぼんやりした頭で、いったいどこで落としてしまったのだろうと考えていた。すると、ちょうどアイゼンを脱いで登山靴だけでスキーのように下った時があったのだが、そこで一度転倒したため、ピッケルで滑落停止をしていたのを思い出していた。落としたとしたらあの時しかなかった。あの時は体を停めることしか頭になく、ストックを落としたとしても気づかなかっただろう。しかし、そこから登り返してまで探しにゆく気力、体力はなかった。この石転ビ沢は見た目以上の距離があって、落としたと思われる地点からは、もう遙か下まで降りてきているのだった。この紛失で私は肩を落とすしかなかった。

 石転ビノ出合まできたところで夏道と合流した。まだ雪渓は下流まで続いているようだったが、雪渓の下からは雪解け水の流れる音が大きく聞こえていて、いつ踏み抜いてしまうかわからないという不安感がある。ここは安全最優先と、夏道を下ることにした。この6月という時期にここから夏道を歩くというのは久しぶりのような気がした。雪渓歩きが終わると気温が急に上昇したのを感じ、今日も暑い一日になるようだった。

 途中まで下ったところで、梅花皮小屋で汲んできた水を飲むためにザックをおろした。そこで妙な違和感があった。いつのまにか熊スプレーが胸元から消えていた。これには再び愕然とするしかなかった。石転ビノ出合まではたしかにあったはずだった。出合からはもうすでに20分以上下ってきていたのだが、未使用品で高価なものゆえに今度は探さないわけにもゆかず、ザックをおろして下ってきたばかりの道を空身で引き返した。しかし石転ビノ出合まで戻っても熊スプレーは見あたらなかった。途中で足を踏み外したときだろうと確信していたのだがなかった。あきらめるしかなかった。

 気落ちしていた。全身の疲れが倍加するようだった。梅花皮小屋までは体調も問題なく、これほどはないだろうと思われる快適な稜線歩きを楽しんできたのにである。体の調子がいつもと違う感じがしていた。いろいろ落としても、命まで落としてはいられないぞと、まじめに考えていた。なにか歯車が狂っているようだった。その直後だった。急な岩場で片足をとられたまま転倒してしまったのだ。瞬間、左足の足首がボキッと嫌な音がした。あまりに痛くてすぐには立ち上がれなかった。

 しばらくしてから恐る恐る足首に少し力を入れてみたら動いた。骨折をしなかったことにとりあえず安心したが、普通の捻挫の痛みとははっきりと感覚が違っていた。どうやら靱帯を損傷したと思ったが、容易には歩けそうにはなかった。そこからは携帯も無線も通じなかった。私は這ってでも下らなければならなかった。それからは何でもないところで足を踏み外したり、滑って転んだりと散々だった。

 必死で下り続けて足の痛みは麻痺し、ほとんど夢遊病者のようだった。温身平まで戻ったときにはようやく飯豊山を巡る長い一周が終わったのを感じた。飯豊山荘到着は14時30分。こんなにボロボロになりながら下ってきた飯豊連峰はもちろん初めてだった。もう一歩も動けないほど私は疲れ果てていた。


休場ノ峰


休場の峰付近から烏帽子岳と北股岳


御前坂付近


御前坂付近


ダイグラ尾根


飯豊山山頂


御西への稜線から梶川尾根


御西への稜線から烏帽子岳


ようやく御西小屋が前方に


大日岳に朝日が差す(18日04:33)


モルゲンロートの朝日連峰(18日04:35)


天狗岳付近から烏帽子岳方面(18日05:54)


天狗の庭から縦走路


烏帽子岳直下から縦走路を振り返る


烏帽子岳付近からの梶川尾根


ミネザクラと梶川尾根(烏帽子岳山頂)


梅花皮小屋付近


梅花皮小屋直下


タニウツギと石転ビ沢


梶川ノ出合


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