【概要】
月山のツアーコースでは著名な「月山〜肘折温泉」。その滑走距離はゆうに全長20kmを超えるロングコースである。月山からの東斜面は大雪城とも呼ばれ、その広大さは言葉などではとても表せないほどのものがあり、その滑走は天候に恵まれれば終生忘れ得ないものとなるだろう。立谷沢川の沢底から少し登れば秘境、念仏ヶ原に出る。しかしその念仏ヶ原の奥に建つ二階建ての大きな避難小屋も、4月上旬には通常、大量の積雪に埋まり、まだ影も形も見られない。そして念仏ヶ原からは変化に富んだコースが続くので、山スキーに慣れた人々でさえもなかなか飽きさせないものがある。終点が大蔵村の肘折温泉というのもいい。滑り終えた後は古来からの鄙びた温泉に浸って帰宅の途につけるのだ。このルートは月山では最大最長のコースでもあり、山スキーの愛好家達を魅了してやまない。
(4月14日)
この週末は恒例になっている山岳会主催の月山肘折だ。今回のメンバーは西川山岳会が11名。そして宮城の朋友会メンバーが5名。朋友会はこのコースが全く初めてのメンバーばかりなので、西川山岳会と行動を共にするという形での特別参加である。結果、女性がそれぞれに1名入っている、総勢16名という大人数の構成となった。
姥沢駐車場は雨であった。準備をしている間にも雨は本格的に降り始めていた。それも強風を伴った雨であり、山スキーとしては最悪の出だしだった。駐車場から見上げると視界はほとんどなく、姥ケ岳も裾野付近しか見えない。月山スキー場の営業は10日から始まっていたが、今日は悪天候のためにリフトの運転を見合わせているようだった。しかし、私達が肘折に向かう山岳会だとわかると、スタッフからは上にだけはあげてあげましょう、という形でリフトに乗り込むことができた。
リフトに乗っている途中から雨は次第にみぞれになり、そしてリフト上駅では湿気を含んだ雪へと変わっていた。視界は全くなかった。風雪に加えてこのホワイトアウトの中、稜線を進むのは自殺行為のようなものなので、とりあえず沢コースから牛首をめざすことにして、一列縦隊の隊列を組んで歩き出す。初めから目出帽などを装着し完全装備で望んだ。
姥ケ岳の東面から夏道沿いに沢底に向かうと風がウソのように穏やかになってゆく。視界はなかったものの、この分だと牛首付近までは行けそうだと、とりあえずの判断をする。リーダーは柴田さん。そして、昨年エベレストを征服して、いまや時の人となった感のある我が会の重鎮、遠藤博隆さんが最後尾という隊列の編成である。
しばらく視界のない中のシール登行が黙々と続いた。晴れていればウグイスのさえずりも聞こえてきそうなこの時期の春スキー。口笛も吹きたくなるほどの楽しいはずのツアーも、今日の二つ玉低気圧ではそうもゆかない。ときどき吹き上げてくる風雪には顔も上げることができなかった。今日の風は通常とは違って背後から吹いていた。つまり南風であり、いま低気圧が上空を通過中なのだと推測できた。背中を押される形なので、前進する分には少しは凌ぎやすい風であった。
GPSには山頂からのルートしか入っていなかったが、山頂のポイントだけはわかるので、斜面の状況と併せて現在地を推測しながら進んで行く。いつもはトラックログを取るだけの安物のGPSだが、こんな天候の時はポイントがわかるだけでも頼もしい助っ人になるのだ。しかし所詮、機械は機械で天候を無視するわけにはゆかない。一応歩き出しはしたものの、今日の悪天候では牛首直下付近までが限度だろうとリーダーとともにルートをとっていった。しかし、この人数にもかかわらずペースが早くて、いつのまにか稜線まで登り切ってしまっていたことに気づき唖然とする。それも本来の稜線よりも一本東の尾根のようであった。高度計をみると鍛冶小屋とほぼ同じくらいの高さまで上がっていて、今日のホワイトアウトと暴風雪では、すでに引き返せない地点まで登っていた。
幸いに背後からの風雪なので前進するにはそれほど難しくはないように思えた。山頂を越えてしまえば山の陰になるので風が和らいでくるのがわかっている。こんな状況では山頂を踏むことなどはどうでもいいので、メンバーの安全が最優先と、私はリーダーとサブの遠藤さんの伝達係のような形で意志を確認し合う。そこからは山頂をトラバース気味に卷く形でルート修正しながら、月山の東斜面にまっすぐに向かうことにした。しかし、そこからも進むのは容易ではなかった。後ろを振り向くことさえできないほどの風雪は風の音もすさまじく、すぐ後方の声も聞こえない。まして最後尾などは全く見えなかった。ここまでは無線で最前列と最後尾の確認も行っていたが、山頂付近の暴風下ではその無線さえ役立たずだ。これではスキーで下るのは無理だと判断し、スキーははずすことになった。ひとつには今日の参加者の中に超がつくほどのスキー初心者も含まれていて、判断を誤れば間違いなく遭難してしまう恐れがあったのだ。ツボ足で大雪城を下るなどとは初めてだったが、これならば前の人の後ろ姿さえ見ていれば隊列からはぐれることはなかった。
スキーを担ぐと今日の強風ではすぐに体毎吹っ飛んでゆきそうだった。スキートップに穴がない者もいたが、荒れ狂う天候の中でそれぞれに知恵を絞った。私のロープはすでに人に貸していたのだが、そのロープも強風で飛ばされてしまったらしく、見当たらなくなっていた。仕方がないので私だけはシールのままスキーでルート取りをしてゆく。ロープの他にもサングラス、カラビナなども風に飛ばされて失っている人もいる。ロープの予備を持っている人もいるのだろうが、それをザックから取り出すのも困難なほどの暴風雪が私達に襲いかかっていた。
大荒れの中、最後尾の遠藤さんからは「絶対に一列縦隊を守れ!」と大声での激が飛ぶ。この遠藤さんが隊列を見ていてくれるので安心だった。大雪城をしばらく下ると予想通り風が弱まってくる。後ろを振り返るとツボ足での隊列からはようやく安堵の表情がみえてくるようだった。しかし、風が弱まると同時に雪は次第に雨模様に変わってきていた。無事に千本桜までたどりつくと、眼下にはうっすらと念仏ヶ原の雪原が見えるまでに視界が戻ってきていた。風が弱くなったとはいってもそれでもときどき強風が吹き付けてくるので、雨は次第に雨具から浸透してゆき、そこへ風が吹き付けると体の芯から冷えてくるようだった。千本桜の急斜面も全員がツボ足で下り、降りた先からは半数がスキーを履き、残りの人達はそのままツボ足で下り続ける。予想に反して強風は治まらず、安全に滑られる状況ではなかったからである。昼時間はとうに過ぎていたが、安心して休める立谷沢川の沢底まで一気に下りて行くことにした。
立谷沢は例年よりも雪が少なくて、すでに大きく口が開いていた。それをみた柴田さんと片倉さんが釣竿を取り出して渓流釣りを始めてしまった。餌も付けずそれほど簡単には釣れないだろうと思っていたら、十分ほど経ったところで突然、片倉さんが見事な20cm超の岩魚を釣り上げ、周りからは一斉に歓声があがった。冷たい雪上で飛び跳ねている岩魚には可哀想だったが、それは骨酒としてさっそく今晩の酒の肴になりそうだった。一方の柴田さんからは一向に歓声が聞こえず、釣れるまではまだまだ沢底でがんばるようだった。私は千本桜付近までの悪天候でもその状況をむしろ楽しんでいる余裕があったのだが、立谷沢川に降り着いた頃から体中が冷えてきてしまい、身体の震えが止まらなかった。古い雨合羽のせいで、雨が浸透していまい、すでに下着までびしょぬれになっている。そして滴った水はスキーブーツまで達してしまい、歩くだけでジャブジャブと音がした。そこに強風が吹き付けるとどうなるかは自明であろう。疲れ果てていた人も多く、まだまだ出発する気配がないので、私は先発隊として念仏ヶ原に一足先に向かうことにした。小屋が出ていなければスコップで掘り出す予定だった。歩き出すと少しずつ体が温まり震えが止まってゆく。急斜面では汗が流れるまでになり、体調が少しずつ快復して行くのがわかった。
念仏ヶ原の大雪原を避難小屋めざして一直線に歩いて行く。振り返ると通過してきたばかりの千本桜付近がうっすらと見えたが、月山の山頂付近は厚い雲に覆われたままであった。
全身ずぶ濡れになってしまい沈んだ気持ちのまま、念仏ヶ原を右手に大きく回り込む。すると、前方に小屋の屋根が見えているではないか。小屋の屋根が出ているだろうとは、半分は未確認情報でもあったので、最悪の場合には雪洞を掘るか、ゾンデ棒で小屋を探し出す予定だったのだ。一緒に歩いていた丹野さんとは小躍りするように二人して喜び合った。
小屋に入ると早速濡れたものを乾かして、階下のストーブに火をいれる。こんな状況の時のストーブほど有り難いものはなかった。ストーブに手をかざしていると、徐々に死んでいた細胞が生き返るように温まってゆく。そして濡れネズミのような惨めな感情が少しずつ消えていった。私は数年前にも今日のような悪天候を突いて、月山山頂を単独で突破したことがあったが、その時も同じ様な濡れネズミ状態で小屋に逃げ込んだことがある。今日はその時と全く同じだったことを今頃になって思い出していた。
やがて後続部隊も続々と小屋にやってきて、念仏ヶ原小屋は騒々しいほどの賑やかさにつつまれる。みんなもあらかた濡れてしまったらしく、全員がストーブの回りに集まった。そして少し身体が温まるとすぐに宴会モード突入となる。悪天候が続いていただけにみんなの表情には笑顔が広がり、よくぞ生き延びてきたといったような、半分冗談とも本心ともつかない言葉が盛んに飛び交った。一同落ちついたところで乾杯をすれば、その後はいつもの宴会と変わりがなくなってゆく。私はたった一本の缶ビールで早くも酔いつぶれた。そして我がチームの紅一点、亀岡さん手作りの牛鍋が出来上がると、いよいよ宴会も最高潮に達してゆく。その後も天候は雨模様が続き、時折風音が窓際から聞こえていたが、新たに小屋に入ってくる人もなく今晩の山小屋は私達の貸切であった。私は早々とシュラフに入ったものの、ほとんどのメンバーは夜遅くまで山小屋の夜を楽しんでいた。
(4月15日)
翌朝、小屋から出てみると、少し小雪が舞っているものの上空には青空が広がっていた。昨日の悪天候がまるでウソだったかのような好天に一安心した。私は昨日、ほとんど写真を撮っていなかったため、朝の時間を利用して手当たり次第に周りの風景を撮影した。五時を過ぎると全員が起き出して朝食が始まった。今日は私達を肘折温泉まで迎えにきてくれる車がかなり遅くなるというので、全く急ぐ必要はなく、例年よりもかなりのんびりとした出発となった。
小屋から出発する前に全員で記念写真を撮る。昨日とは違ってみんなからは笑い声が弾け飛び、その表情は生き生きとしていた。月山は中腹まではきれいに見えてはいたが、山頂付近はやはり雲に隠れていて、今日も風雪のような天候に見舞われているようであった。
小屋からはいつもの快適なシール登行が続き、小岳では時間調整のための大休止となる。そして誰からともなく軟水が出てきてみんなで回し呑みとなるのだが、そんな状況を見て朋友会の人達は目を丸くして驚いている。そういえば昨日の悪天候ではほとんど休憩はとらなかっただけに、こうした休憩シーンは今回が初めてだったのだ。もうここからはアップダウンが続くものの、あとはシールの出番はない。シールははずしてしっかりとザックにしまおう。
小岳からはいよいよ待ちに待った滑降だ。私は昨日からこの小岳まではシールを貼りっぱなしだったので、ようやく本来の山スキーができるとあって、まるで手枷足枷をはずされたように心が弾むようでもあった。私はトップでスタートを切って行き、急斜面付近でみんなの滑降写真を撮ることにした。小岳を下ると赤砂沢沿いのなだらかな滑降となるのだが、スキー初心者の女性に付いている最後尾のメンバーがなかなかやってこなかった。ザックも重いのでスキーもままならないのだろうと思った。今日の好天のおかげで途中で待つのは楽しいばかりだったが、スキーが初めてのような人にとってはかなりつらいものだろうとも思った。
赤砂沢の途中からは978。峰への登り返しを経て、いよいよ今日のメインステージであるネコマタ沢に出る。気がかりだったのは沢底の積雪と雪崩だが、斜面の中間地点に大きな亀裂がある程度で、特に問題はなさそうだった。その亀裂を避けながら、早速待ちきれないメンバーはそれぞれ思い思いに沢底めざして急斜面に飛び込んでゆく。私は再び撮影部隊に徹して一足早く下ってみんなの滑りを眺めていた。雪崩の危険さえなければ、この斜面は最後の楽しみともいえる箇所だが、この斜面は一度転けると人間雪崩となって沢底まで落ちてゆくほどの急斜面である。今回もそんな人が何人かいて、いち早く沢底に降り立った人達は高みの見物を楽しんでいる。ここの斜面はいつもながら楽しいばかりで、私はもう一度登り返してもよいような気分だったが、もちろんそれは気分だけにしておいた。急斜面を楽しんだ後は一気にネコマタ沢の末端まで滑ってゆき、778。峰へと登り返してゆく。ここもやはりシールは貼らずに、スキーを担いだりロープで引っ張ったりしながらのツボ足である。登り切った778。峰からは大森山が前方に大きく望めるところで、そんな展望を楽しみながらの遅い昼食となった。
778。峰から大森山までは部分的に雪が付いてないところもあったものの、尾根の滑走、そして急斜面のトラバースと快適に下って行くことができた。この快適さにあらためてスキーの機動力を思わずにはいられない。一気に大森山直下まで滑ってくると、もう最後の登りを待つだけとなるのだが、やはり総勢16名ともなると最後尾はかなり遅れていて、待っている間に身体が冷えてくるようだった。ふと気付けば小雨がいつのまにか静かに降り出していた。私は2、3名とともに大森山にステップを作ってやろうと、先発隊として一足先に大森山へと向かった。動いていないと体の震えがくるほどの寒気を感じていたのだった。リーダーからは早めにいって、山頂に宴会の準備をしておけとの励ましの言葉が飛んできた。
大森山の斜面は半分ほど早くも雪が融け出していたが、思った以上に雪が付いていて安心した。これならばスキーを引っ張りながら坪足で登るには支障がなかった。この大森山への急斜面さえしのげば後はゴールの肘折温泉まではひと滑りとなる。疲れてはいたが、自ずと両足とストックに力が入った。いつもながらこの急斜面では嫌というほどの汗を搾り取られた。大森山山頂に到着すると一緒にトップで登っていた丹野さんと共に早速宴会場の設営だ。十六名分の雪のテーブルと椅子をこしらえると次々とメンバーが登ってきて、みんながそろったところで、軟水による最後の乾杯となる。もうこれで登り返しは終わった。後は最後の斜面を滑り終えれば林道を下ってゆくだけである。「乾杯!」という高らかな声は、一斉に周囲の山間に響きわたるようであった。みんなのザックからは残っていた非常食や軟水がすべて吐き出されて、最後の宴会に盛り上がった。心配した天候は小雨模様ながらも、ここまでなんとか持ってくれたようである。
大森山からは少し急な斜面があり最後の楽しみなのだが、疲れていた人にとってはかなりつらい状況だったようだ。3人ほどのメンバーが大森山からスキーを担ぎながらツボ足で降りてきていた。一番の安全策ということだったが、当然ながら時間もかなりかかった。最後の急斜面を滑り終え、林道に降り立てば、楽しかったツアーも9割9分は終わったようなものである。まるで花火大会が終了した後のような寂しさが募ってくるようでもあり、まだまだこの楽しいツアーが続いて欲しいという気持ちと、疲れていた身体をいち早く温泉でほぐしたいという気持ちが交錯していた。ここで朋友会のメンバーは、仲間の迎えの車がすでに肘折温泉まできているらしく、一足早く林道を滑っていった。
林道はスキーの初心者でも問題はなく、全員スキーで下って行く。しかし、とっくに肘折温泉に到着しているだろうと思っていた朋友会のメンバーに途中で追い付いてしまい、結局、全員同時に除雪終了地点の朝日台へと飛び出した。
朝日台からは温泉街でも最も遠い「肘折いでゆ館」まで歩かなければならない。最後にこの朝日台で記念写真を撮り、スキーを担ぎながら肘折温泉街へと向かった。肘折温泉までは山岳会の事務局長自らがマイクロバスを運転し、「肘折いでゆ館」の前で私達を何時間も待ってくれていたことを後で知った。
「肘折いでゆ館」ではすでに営業時間を終えようとしていたのだが、十数名の来客をみて慌てて私達を迎え入れてくれた。山間(やまあい)の温泉街にはすでに夕暮れが迫り、雨は本降りとなっていた。全員疲れ切っていたが、しっとりとした肘折温泉の湯はこの二日間の疲れを徐々に癒してくれるようだった。私達は途中、舟形町で蕎麦を食べ、西川町の開発センターに戻って、今年の月山肘折ツアーが終了した。
リフト終点から、さあ出発! |
風雪(シール登行からツボ足に移る頃) |
千本桜からようやく念仏ヶ原が見えた! |
立谷沢川の渓流釣り |
立谷沢川の渓流釣り |
感激の一匹! |
今晩は骨酒に召されるイワナ |
熱々の牛鍋に心まで温まる |
エベレストの神様(仙人?)遠藤さん |
978m峰への登り |
夜明け |
明け方の念仏ヶ原小屋 |
明け方の念仏ヶ原小屋 |
小岳めざして |
小岳めざして |
月山を眺めながら |
小岳への登り |
小岳からの滑降 |
978m峰で元気な亀岡さん |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢、人間曼陀羅 |
ネコマタ沢のシリセードも楽しい! |
大森山直下 |
大森山山頂にぞくぞくと到着 |
いつも元気な3人組 |
全員集合して乾杯 |
林道への最後の滑降 |
朝日台で使用後の写真を撮る |
温泉に向かう |
「肘折いでゆ館」ではマイクロバスが待っていた! |