山 行 記 録

【平成19年1月20日(土)/吾妻連峰 二十日平と若女平】



西大巓山頂と飯豊連峰の遠望



【日程】平成19年1月20日(土)
【メンバー】単独
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、日帰り
【山域】吾妻連峰
【山名と標高】 西大巓1981m、西吾妻山2035m、大高森1888.8m
【地形図 1/25000】天元台、吾妻山、白布温泉
【天候】曇りのち晴れ
【行程と参考コースタイム】
北望台発(リフト終点)8:50〜西吾妻山10:20〜二十日平11:30〜グランデコスキー場12:10〜リフト終点13:00〜西大巓14:30〜1888.8ピーク(大高森)15:15〜若女平16:40〜スカイバレー17:45〜天元台ロープウェイ湯本駅18:00
  
【概要】
 この週末は久しぶりに晴れそうな予報を見て白布温泉に向かった。悪天候がこのところ続いていたが、ようやく巡ってきた貴重な移動性高気圧である。今回は以前から先延ばしにしていた、吾妻連峰における著名なツアーコースである二十日平と若女平を日帰りで行うことにした。西吾妻山と西大巓の山頂を踏みながら山形、福島の両県を往復するこのコースは、行程的には長くはなるものの、ゴンドラとリフトの機動力を利用すれば、山慣れしたスキーヤーであれば日帰りでも十分可能である。

 今年は異常なほどの暖冬とはいっても、吾妻連峰ではこの2、3日間でも結構な量の降雪があったようだった。さすがに3週間ぶりの山スキーともなると、体も半分なまってきているのか、単独でのラッセルを考えると少し気が重くなっている。今回の行程は、昨シーズン行った蔵王ライザスキー場から宮城県の澄川スキー場を往復するような単純な発想だが、体力と気力、そして天候次第と考えていた計画でもあり、好天が予想されるときのロングコースというのが、テレマークスキーにとっては何よりうれしいものがあった。

 今回は5分でも10分でも早く行動したいので、天元台湯本駅8時発、朝一番のロープウェイに乗り込んだ。しかし、前夜からの降雪のために、第2リフト、第3リフト乗り場で、それぞれ除雪や準備作業に結構待たされてしまい、北望台からの歩き出しは結局9時近くになってしまった。予想どおりというのか、今日は誰もまだ登っている様子はなく、吾妻連峰への入山は私が一番乗りのようだった。シールを貼ってさっそくコースに踏み出してみると、スキー靴が見えなくなるくらいの深い新雪に両足は埋まった。登り初めは期待したほどに天候は良くなくて、北望台から上部一帯はガスに覆われていて視界はほとんどなかった。

 今日はカモシカ展望台などをショートカットしてゆこうと最初から決めており、真っ直ぐに西吾妻山に向かうつもりだったのだが、視界のない中では、結局見覚えのある展望台付近まで登ってしまいがっかりする。大凹付近ではエビのシッポに覆われたツアーの指導標を確認しながら通過した。梵天岩も今日は興味がないので、西吾妻山山頂を一直線にめざした。しかし、周りが全く見えない中では予定したコースよりも左寄りに進んでしまい、最後は東斜面の急坂をラッセルしなければならなかった。

 西吾妻山の山頂ではガスが徐々に晴れだしてくる気配があって、その明るい雰囲気にホッとした。しかし、まだ展望はないので証拠写真だけを撮り、さっそく山頂から滑走に移ることにする。シュカブラの目立つ樹氷群を抜け出しいつもの南東斜面に出ると、樹林がひとつも見当たらなくなる。天候が良いだけにここの広々とした斜面で雪を舞い上げながら滑降する快適さは、苦労しながらラッセルをしてきた者だけに与えられるご褒美のようなものだった。常に風雪に晒される山頂はさすがに雪面が堅かったものの、少し下っただけで雪面は柔らかくなり、快適なテレマークスキーである。あまり調子づいて下ってしまうと、コースに戻るのが大変なので、途中からは鬱蒼とした樹林帯に入って行った。

 二十日平コースは今回が6回目ぐらいになるのだろうか。ノントラックの深雪斜面は今までで一番の雪質といってもよいほどで、適度な斜度のツリーランは、言葉に言い尽くせない心地よさがある。スローモーションのようなスピードで木々の間を縫って行き、少し広々とした斜面になるとパウダーを舞い上げながら下って行く。まもなくすると、ようやくガスが晴れだして行き、上空を見上げると快晴に近いほどの青空が広がっていた。途中の平坦部は深雪のために推進滑降やラッセルも必要だったが、バージンスノーの快適さと好天を考えると今回は少しも苦にはならない。やがて前方の樹氷群の向こう側には黒々とした二十日平の平坦部と、その奥にはピラミダルな磐梯山が正面に見えてくる。そして、斜度が急になだらかになるとそこはすでに二十日平である。ここまで下ってくると右手からはグランデコスキー場のざわめきが聞こえてくるようになっていた。

 あまりに快適に滑ったせいもあるのだが、いつもの渡渉地点を知らず知らずのうちに通過してしまい、コースに戻るために少し時間がかかった。またトレースも無いために、坪足で安全な渡渉地点を見極めたりしなければならず、ここでも無駄な時間を必要とした。しかしゲレンデはまもなくであり、対岸からは再びスキーを履き、グランデコスキー場へと向かった。

 グランデコスキー場着はすでに正午を過ぎていた。西吾妻山頂からは2時間以上もかかったことになり、予定の行動よりも1時間近く遅れているようだった。二十日平コースは意外と長い行程なのを、私は今頃になってあらためて知った。しかしこの時点では、天候が崩れる心配もなく、不安感はまだほとんどなかった。ゴンドラとリフトを乗り継いで、西大巓まで登り返せば白布温泉は眼下となるのである。そう考えると気持ちにはまだ余裕があった。両足の筋肉もパンパンに張っていて、予想以上の疲労感に襲われていたのだが、疲れた体はゴンドラの中で休めようと思い、私はリフト券購入のためにスキーセンターに急いだ。

 リフト終点ではカップ麺を作りながら、片方ではシールの貼り付け作業を行った。燦々と降り注ぐ陽光の下での昼食は短いながらもツアーの楽しさをあらためて思い出させてくれるようだった。腹ごしらえをしている間にも筋肉の疲労回復に努めるようにしたせいか、食後は再び元気を取りもどして、西大巓への第一歩を踏み出して行く。途中にはスノーシューの踏跡があって、私はありがたく利用させてもらった。疲れているだけに今日はこの踏跡がなによりもうれしくもあり、またそれほど両足には疲れが溜まっているようであった。

 樹林帯をしばらく登って行き、振り返ると磐梯山や氷結した桧原湖などが見渡せた。さらに登って行くと右手からは広大な樹氷原に覆われた西吾妻山が見えてくる。ここはこの西大巓への登りで一番好きな景観でもある。西吾妻山一帯の樹氷原は、樹氷で有名な蔵王連峰にも劣らないほどで、それはまさしく特筆すべきものがあるのだ。視線を右手に移すとたったいま滑ってきたばかりのコース全体が眺められ、二十日平コースの長さをあらためて思わずにはいられなかった。なだらかな西吾妻山の左手にはポツンと小さな西吾妻小屋の赤い屋根が見えた。

 山頂直下まで来ると突然、左手からスキーのトレースが合流してくる。ストックの跡を見ると二人分しか見当たらず、こんな好天にもかかわらずスキートレースの少ないのが不思議だったが、それでも西大巓の無木立の斜面には多くのシュプールが刻まれていた。濃紺の蒼空に西大巓の山頂部分が見えてくると、いよいよ最後の急坂が目の前に近づいていた。

 西大巓の山頂到着は午後2時半だった。1時間半ほどかかって登り返したことになるのだろうが、休憩も取らずに登ってきてこの所要時間はやはり予定よりも時間がかかっている。疲れはピークに達していたが、山頂からは雲海に浮かぶ飯豊連峰が美しく、この見事な光景を眺めているだけで、登りの疲れは吹き飛びそうであった。常には強風が吹き荒れる西大巓山頂でも今日は無風快晴。あとは若女平に向かって一気に下って行くだけだった。

 シールをはずせば、後は西大巓からショートカット気味に若女平をめざして北東方向に下って行くばかりである。しかしこれが今回のアクシデントの原因となる一歩だったようである。雪質が良いだけに勝手気ままに滑っているうちに、本来のコースからいつのまにか遠ざかってしまい、なかなか戻れなくなっていった。今回のために一万分の地形図まで用意して、最短コースを下って行ったつもりだったが、樹林帯の急斜面につかまったときにはもう手遅れになっていた。気が付くと今にも雪崩が起きそうなほどの急な斜面に私はへばりついていた。ここは地形図以上の斜度があるようでもあり、回り込んで行くのは非常に難しかった。私はその頃から少しずつ焦りがでていたようである。距離は遅々として進まず、時間ばかりが経過していった。

 トラバースしながらコースに戻るのはあきらめて、目の前の1888.8mピークを登り返すことにした。このピークは地元で大高森と呼ばれている小さなピークだが、急斜面から見上げると、とんでもないほどの迫力に圧倒されるようだ。急斜面でスキーをはずすと腰下まで体が沈んだ。足場を固めてシールを貼り、急斜面にジグを切りながら上部をめざして行く。ここでの時間のロスはいくらぐらいだったろうか。日の光はまだまだ高かったが、それでも時間はみるみる過ぎていった。難儀しながら電光形に大高森の山頂付近まで登り切ると、徐々に斜度も緩んできて、見覚えのある尾根が前方に見えてくる。大高森のピークからは若女平コースへと下って行けるので、ここでようやくホッとしながら胸を撫で下ろした。

 この区間は意外に滑りを楽しめるのだということを山仲間から聞いていたが、実際に大高森から下るのは初めてだった。樹林は少し混んでいるものの、深雪に助けられてどんどんと樹の間を縫うように下って行くことができ、少しずつ見覚えのある沢や樹林の形状が現れると、安心感が徐々に広がっていった。しかし一方では時間の方も容赦なく過ぎていくようだった。ようやく若女平に出たときには日没が寸前まで近づいていた。ここにきて、不意にスキーのトレースが右手から現れて驚いた。トレースは一人分だけであって、どうも尾根沿いを下ってきた人のようだった。このトレースをたどりながら薄暗くなったダケカンバ帯を過ぎると急斜面にでる。そしていつものヤセ尾根はスキーのまま下り、渡り終えたところでヘッドランプをザックから取り出した。ヘッドランプで照らすと周りの暗さがひときわ際だって見えた。眼鏡をはずしていたせいもあるのだが、すでに周りには夜の帷がおりているのを知った。

 杉林に入って行くとほとんど暗闇の中の滑走となった。昨年1月上旬の若女平も、今回のような夜行になったのを思い出していたのだが、懲りずにまた同じ事をしているなあ、と自分の不甲斐なさを嘆くしかなかった。杉林では何回転倒したことだろう。眼鏡は汗ですぐに曇ってしまうので、乱視と近視の裸眼の状態で、闇夜の雪山を下って行くのはさすがに辛いものがあった。疲労のためすでにスキーの制動はほとんどできなくなっていた。目の前に杉の木が現れると自ら転倒して衝突を避けた。おかげで安全に転ぶことにかけては、妙な自信がついていたようである。しかし、一方ではそれほど危険な状態を感じているわけではなかった。暗くなるにつれて少しづつ焦りがあったのだが、いざヘッドランプを出してしまうと、不思議と落ちついた気持ちにもなり、危機感や緊迫感のようなものはそれほど感じてはいなかった。

 最後の杉の植林地はスキーをはずして担いだ。先行者のトレースは横滑りのせいもあってすでに見失っていたが、下れば林道があるのがわかっている。もうゴールは目前なのだ。急斜面を半分転びながら下りて行くと藤右衛門沢の沢音が聞こえてきて、林道が近いことがわかった。そこからは再び現れたトレースに沿って林道を下ってゆくとスカイバレーは目前に迫っていた。

 煌々とした街路灯が誰も通らなくなった道路を照らしていた。気温だけを見れば、氷点下3度とたいしたことはなかったが、放射冷却現象のためだろうか。私はまるで全身が氷詰めのようになったような、相当の冷え込みを感じていて、アウターや手袋などはガリガリに凍り始めていた。


ルートマップ


西吾妻山山頂


二十日平への途上で


二十日平への途上で


磐梯山(西大巓への途上)


右は西吾妻山(西大巓直下)


シュプールが賑わう西大巓


若女平で


スカイバレーにようやく到着


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