山 行 記 録

【平成18年9月9日(土)〜10日(日)/飯豊連峰 ダイグラ尾根〜丸森尾根



モルゲンロートに染まるダイグラ尾根(飯豊山山頂 AM5:37)



【日程】平成18年9月9日(土)〜10日(日)
【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、避難小屋泊
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】飯豊山2,105m、御西岳2,013m、烏帽子岳2,018m、梅花皮岳2,000m、北股岳2,025m、門内岳1,887m、扇ノ地紙1,889m、地神山1,849.6m、
【地形図 1/25000】飯豊山、長者原
【天候】9日(晴れ)、10日(晴れ)
【温泉】長井市 「はぎの湯」400円
【行程と参考コースタイム】
(9日)天狗平5:50〜桧山沢吊橋6:30〜長坂清水8:10〜休場ノ峰9:10〜千本峰10:20〜宝珠山ノ肩標柱12:20〜飯豊山15:10-15:40〜本山小屋16:00(泊)
(10日)本山小屋5:20〜飯豊山5:35〜御西小屋6:35〜御手洗ノ池7:50〜烏帽子岳8:50〜梅花皮岳9:05〜梅花皮小屋9:25-9:40〜北股岳10:00〜門内岳10:50〜扇ノ地紙11:15〜地神山11:35-11:55〜地神北峰12:03〜丸森峰12:25〜夫婦清水13:10〜天狗平14:00
  
【概要】
 ダイグラ尾根は飯豊山荘から飯豊山まで一直線に突き上げる長くて急峻な尾根である。いくつものアップダウンが延々と続き、切歯尾根の異名もあるこの尾根は、単純な標高差だけでも1700mとかなりあるのだが、数え切れないほどのアップダウンを含めた累積標高差は2000mをも超える厳しい尾根でもある。飯豊連峰を登るのは6月の石転ビ沢以来で、このダイグラ尾根を登るのは2年ぶりだ。この尾根を登るためには一に体力、二にも体力、そして何よりも気力が必要だろうか。残雪期や紅葉の時期ならまだしも、本来ならばまだまだ残暑が厳しい折り、この長丁場のコースをまだ登りたくはないところだが、今年はこの時期を逃すとなかなか実行できそうもないため今回の山行となった。

(9月9日)
 今日の天気予報では山形や新潟、福島でも軒並み30度を超すだろうとのことで、少しでも早立ちするつもりでいた。しかし、予定どおり自宅を3時に出たまではよかったのだが、飯豊山荘に向かう途中、不覚にも突然睡魔に襲われてしまい、長者原の小玉川小中学校まできたところで仮眠を取らなければならなかった。そして再び目が覚めた時には、周りはすっかり明るくなっていた。

 飯豊山荘の駐車場には車はすでに数台停まっていて、いくつものグループが準備を始めていたが、夏の最盛期のような混み具合はすっかり影を潜め、いたって静かな天狗平であった。仮眠という不慮の出来事のおかげで、予定した4時半出発にはまるでほど遠い、6時も近くなってからの遅い出だしとなってしまい、私はいささか消沈ぎみであった。しかし、一方では久しぶりのダイグラ尾根とあって、胸がワクワクするような期待感がある。気温はまだ上がってはおらず、朝のひんやりとした温身平の林道は快適だった。いつもよりも早足だったのか、ほぼ40分ほどで桧山沢吊橋に着く。桧山沢に架かる吊橋は今年の大雪で支柱から破壊されたと聞いていたが、すっかり新しい吊橋に掛け替えされていて、つい先日まで壊れていた様子はどこにもなかった。ただ、吊橋の構造は従前どおりらしく、冬期に橋板などを外されれば全く通れそうもないのは、今までと同様のようであった。

 今回用意した水は4リットル。それに保冷袋にはミニトマトやプルーンなどの果物、茄子や胡瓜の漬け物などの水気のある食糧をどっさりと入れてきているので、ザックはいつになくずっしりと重く体にこたえた。しかし、このダイグラ尾根では水場が期待できないだけに、水分が一番重要なのでこれははずせない。そのかわり食材はほとんどインスタントの軽いものだけにした。吊橋でさっそく漬け物とおにぎりの朝食をとりながら、これからの急坂に備えて腹ごしらえをした。

 吊橋から対岸に渡ると一気に急坂の連続となる。このダイグラ尾根は下りも含めれば十数回ほど歩いているので、2年ぶりとはいえ、コースのおおよその概要は頭に入っており、見覚えがあるところを通過するたびに、今までの山行での様々な場面が頭をよぎった。容赦のないような急勾配もそうだが、飯豊特有の空気感や森の香りなど、みな懐かしいばかりだった。

 朝の冷気を感じながらの快適な登りも、それは途中までで、周囲に立ちこめていたガスが徐々に消え去ってゆくと、強い日差しが頭上から降り注ぐようになり、急坂は一気に真夏のような暑さに見舞われるようになった。気温の上昇に反比例するかのように朝方の意欲が失われて行く感じだった。休場ノ峰まではまだかなり残っているという地点でついに動けなくなり、日影の場所を探して横になって休まなければならなかった。早くも暑さに体力が奪われてしまったようであった。その上、ものすごい量の発汗である。まるで一年分の汗を一度にかくほどの汗が流れ続け、すでに下着までびっしょりと濡れていた。こんな状態ではたして休場ノ峰まではゆけるだろうか、と早くもモチベーションが下がり気味になっていた。重い腰を上げて再び歩き出したのは20分も休んでからであった。それからも何回も立ちどまりながら、呼吸を整えつつ少しずつ登って行く。もちろん熱中症が心配なので休むたびに水分を十分に補給した。汗は止めどなく流れ続けていて、タオルやTシャツは両手で絞ると大量の汗が滴り落ちた。

 休場ノ峰には3時間20分ほどかかって登り着いた。いつもよりも20分ほどよけいに時間がかかっているが、その20分は途中で大の字になって寝ていた時間だった。休場ノ峰は見晴らしの良いピークで、その分日差しは強かったが、標高は1400m近いこともあり、山頂を吹く風は涼しく爽やかなものに変わっていた。もう一歩も動けないほどの疲労感が全身を襲っていたが、ミニトマトや漬け物などを食べているうちに少しずつ元気を取り戻してくるようだった。

 飯豊山荘から約900mの高度差を登ったとはいえ、ダイグラ尾根の核心部はこれからであった。行く手を見渡すといくつものピークが連なっており、飯豊本山はまだ遥かかなた先にうっすらとしか見えない。その前には鋭いピークをみせる宝珠山が、まるでジャンダルムのように行く手を遮っている。あまり先のことを考えると気力が萎えてゆきそうな気がして、とりあえずは目の前の千本峰だけをめざそうと歩き出した。千本峰までの区間は紅葉にはまだ早かったものの、登山道にはオヤマリンドウ、アキノキリンソウ、ママコナなどが多く咲いていて、すでに秋の気配が濃厚に漂っていた。

 灌木帯が多くなるにつれ、日差しを浴びる度に体力が奪われて行き、歩き出してもすぐに動けなくなりそうな状態がずっと続いていた。ダイグラを登るのは4回目だったが、こんなに早く疲労感を感じたのは初めてだった。無理はしてはいけない、と自分を戒めながら、何回も木陰で休んだ。それでも岩稜帯を通過して、いくつものアップダウンを続けているうちに、少しずつ宝珠山が近づいていた。

 宝珠山ノ肩まではもう20分ほどだろうと思われる頃、一人の女性が下ってくるところに出会った。そこは木の枝をつかんで体を引き上げるような急坂のところで、私はちょうど足を攣っていて一人もがいていた。上で待っていてくれたその女性に、足が攣ったので先に下って欲しいと頼みながら、行き交う時にひと声かけてみた。女性は宮城からの人で、今日は日帰りの予定でダイグラ尾根を登ったのだが、暑さにまいったのか、宝珠山ノ肩で引き返してきたとのことだった。ダイグラ尾根は初めてだったらしいのだが、それにしても最初からこの尾根を日帰りで登ろうとする意気込みがすごい。今日はダイグラ尾根を登っている登山者などいないだろうと思っていたら、その他にも単独の人が日帰りで登っており、また若い夫婦連れが一組、御西小屋をめざして登っていることをこの女性から聞いた。この暑い時期にもかかわらず、今日のダイグラ尾根には5人もの人が張り付いているということを知り、私は何となく励まされる思いがしていた。宝珠山ノ肩で引き返すのはいかにももったいないと思い、私は宝珠山から飯豊本山までのコース状況などを簡単に説明したが、時間はすでに正午近いこともあり、彼女はもう山頂をめざすつもりはなさそうだった。

 そこからまもなくすると宝珠山ノ肩だった。いつもは横になっている標柱が、今回は真新しい標柱が真っ直ぐに立っていた。この前後からは樹林がほとんどなくなるので、さらに日差しが厳しさを増してくるところだ。初夏の頃であればまだ雪渓が残っていて、冷たい雪解け水を飲めるところだが、見渡しても残雪はどこにも見当たらなかった。前方に聳える宝珠山をめざしていると、今度は男性が一人降りてくるところに出会った。朝4時に天狗平を登り始め、早くも飯豊山の山頂を往復してきたという登山者だった。言葉がなんとなく置賜弁のような気がしたので聞いてみるとやはり南陽市の方であった。その人と別れると、男性は飛ぶように草原を下って行き、いくら軽装だとはいえ、まるで天狗のような人であった。

 宝珠山直下のガレ場を登っていると足が再び攣りそうになる。もう標高は1800m近いところまできていたが、両足はすでに悲鳴を上げているようだった。いったん宝珠山の鋭いピークを下り、次の岩場でいつものように一休みをする。もう御前坂は目前に迫っていたので、この場所はいくらか安堵感に浸れるところだった。岩場に体を投げ出して休んでいると、周りがガスに少しずつ覆われてくる。日差しが遮られるだけで、生き返るような心地になり、休憩をそこそこに切り上げてザックを再び担いだ。

 宝珠山から最低鞍部に下ればいよいよ御前坂だ。ここは最後の急坂といってもよく、標高差は約300m。ちょっとした拍子に両足はすぐにでも攣りそうな状態だったが、もう少し、もう少しと自分に言い聞かせながら、一歩一歩ゆっくりと登った。宝珠山が低く見える頃になるとようやく前方に飯豊山の標柱が見えてくる。右手には駒形峰から御西岳へと続いている吊り尾根のような稜線が見えた。沢筋からはいつのまにか冷たさを感じるほどの強風が吹き上がっていた。さすがに2000mまで上がると気温は全然下界と違うなあとあらためて思うばかりだった。

 飯豊山到着は午後3時10分。登り初めてから9時間20分を要してようやくたどりついた山頂だった。いつもよりも2時間近く余計に時間がかかったことになるが、もう登る必要がないのだと思うこの開放感がたまらなくいい。山頂にも、また前後を見渡しても人の姿はなく、静かな一人だけの山頂だった。なんとか生きて登って来れたなあ、などと少し大袈裟な言葉がでるほどまでに今日は疲れ果てていた。ここで残っていたコーラを飲み干して乾ききった喉を潤した。これで持ってきていた水や水物などはすべてなくなり、ザックに残っている水分と呼べるものは缶ビール一本だけとなった。私は写真を簡単に撮り終えると、しばらく山頂で両手両足を伸ばして横になって寝た。久しぶりに味わう幸福感だった。

 今回の当初の予定では御西小屋泊だったのだが、すでにその余裕時間はなく、体力も限界だった。一時はビバークも本気に考えていただけに、本山小屋に泊まれるだけでありがたかった。山頂から小屋に向かう足どりはかなり軽くなっていた。

 本山小屋に入ると結構登山者が多いので驚いた。大日杉への林道が通行止めとなっているためだろうか。聞いてみるとみんな川入からの登山者達だった。私はとりあえずザックを下ろして水汲みに行く。本山小屋の水場は普段、二ヶ所あるのだが、今日は一ヶ所しか出ていなかった。それに水量が極端に少なく、糸を引くようなわずかな水量しか流れていなかった。500ccのペットボトルを一杯にするのに5分以上もかかりそうなほどで、5リットルほどある全部の水筒を満たすためにはどれだけ時間がかかるかわからないようであった。しかし、ほとんどの登山者は水汲みを済ませたのか、他には誰も水汲みに来る者はいなかった。

 小屋に戻るとさっそく二階に場所を確保した。一階はびっしりと登山者で埋まっていたが、二階は思いのほか空いていて、6〜7人ほどしかいない。すでに夕食を始めている人や、中には食事が終わったのか、のんびりと横になって休んでいる人もいた。また、川入から入った登山者の中には御西小屋まで足を延ばした人が6人ほどいたということを聞き、ずいぶんと健脚の人が多いものだなあと感心するばかりだった。

 横になっている時、小屋の中が急に暗くなったのを見て起きあがった。いつのまにか夜の気配が忍び寄っていて、日没が迫っているようだった。二階の窓から眺めていると、太陽はちょうど飯豊山の方角に沈むところだった。しかし、すでにガスが広がり出していて、小屋の周りは濃霧に包まれようとしていた。日没の写真は望めそうもないので、私は夕食を始めることにした。カレーとアルファー米で夕食を作りながら、出来上がる間、缶ビールで一人祝杯をあげた。缶ビール一本で簡単に酔ってしまった私は、疲れも加わってすぐにでも眠れそうなほどだった。夕食後、シュラフの上に横たわると、その冷たい感触がたまらなく気持ちよく、いつのまにかそのまま眠ってしまった。

(9月10日)
 翌日は四時頃に目が覚めた。予定では暗いうちにでも歩き出したかったが、なかなかシュラフから抜け出す気にはなれなかった。一晩ぐっすりと寝たおかげで疲れはだいぶとれていたが、まだ両足の筋肉に疲労感が少し残っているようだった。シュラフの中でまどろんでいると、東側の窓が少し赤らみ始めていた。二階の人達はまだほとんど眠っていて、誰も起き出すような気配はなかったが、外に出てみると何人もの人達が高台に立ってご来光を待っていた。眼下には雲海が広がっていて、東の空が少しずつ赤く染まり始めていた。しかし、そうこうしているうちに周りが霧に覆われてしまい、ご来光は朝食を済ませてからでも間に合いそうなのをみて私は小屋に戻った。

 朝食は簡単にカップラーメンで済ませ、小屋は五時過ぎに出た。ほとんどの人たちは川入に下る人達で、本山に向かう人は誰もいなかった。のんびりと山頂に向かっているとガスの中から日の出が始まり、やがて周囲の景色が少しずつオレンジ色に輝き始めてくる。ご来光は5時20分。その光景は美しく、何度見慣れていても感動する瞬間だった。私は手当たり次第に何枚も写真を撮った。飯豊山の山頂が近づくにつれて霧が晴れてゆき、正面の大日岳もご来光に染まって山肌が輝き始めていた。

 飯豊山の山頂から御西小屋に向かうと、何人かの登山者とすれ違った。昨夜、御西小屋に泊まった人たちで、みんな川入登山口へ下る人たちだった。朝の風は涼しくて昨日の暑さがまるで嘘のような快適さだった。こんな気温ならばどこまでも歩けそうな気分になるほどである。草月平付近は早くも紅葉が始まっていて、黄紅葉の草原が広がっていた。玄山道分岐からは少しずつ登りにはなるものの、穏やかな稜線歩きは快適そのものだった。

 御西小屋は人影がなくひっそりとしていた。大日岳に向かった人はいないらしく、稜線を眺めても登山者の姿はなかった。御西小屋は新しく建て替えられたばかりで、ちょうど本山小屋のような作りでもあり、外観はなんとなく杁差岳の避難小屋を彷彿とさせた。一応内部を確認してゆくことにして小屋に入ってみると、新しい木の香りが鼻をついた。ここは環境に優しいバイオトイレと聞いていたが、管理人が去ってしまったためか、入口には横棒でしっかりと鍵がかかり、内部のトイレが使用できなくなっていた。そして外のトイレを使用する旨の張り紙がしてあった。

 御西小屋を出ると丸森尾根への分岐点までは長い稜線漫歩を楽しめる区間でもある。すでに日は高く気温がかなり上昇していたが、ときどき吹いてくる風がまだ涼しくて気持ちのよい縦走路が続いた。しかし、それも御手洗ノ池付近までくれば、暑さに耐えきれなくなる。ここでも日差しを避けるようにしながら、日影を探して休まなければならなくなっていた。今日の予報は雨も予想されていただけに、本来ならば快晴を思わせるような天候には感謝しなければならなかったが、これからの長い行程を考えれば、できれば雨でも降って欲しいような、そんなわがままな気分にもなるほど、今日も厳しい残暑が訪れようとしていた。タオルもTシャツもすでに汗でびしょ濡れになっていた。

 御手洗ノ池から烏帽子岳まではちょっときつい急坂が続くところだ。しかし、烏帽子岳まで登ってしまえば、あとはほとんど登りらしい登りもなく、梅花皮小屋まで下って行けるのがうれしい。時々新潟県側から吹き上がってくる風が涼しくて、ここはいつもの稜線歩きの楽しさを味わいながら歩いた。

 梅花皮小屋の水場では二本のホースからあふれるような勢いで水が流れ出ていた。さわってみるといくらも手を差し出していられないほどの冷たさである。つい先日まではこの水場も枯れかかっていたらしいのだが、小国山岳会の方々が手直ししてくれたことを聞いている。私は感謝しながら心ゆくまでこの冷たい水を何杯も飲み干した。大きな水槽からも冷たくてきれいな水が、もったいないほど溢れ続けている。できれば他の小屋にも分けてあげたいほどの水量だった。

 梅花皮小屋には誰もいなかったが、北股岳では男性が一人、腰をおろして休んでいた。その人は足ノ松尾根を登って昨夜は頼母木小屋に泊まり、今日は空身で北股岳を往復してきたらしかった。御西小屋をでてから今日初めて出会った人であった。その人とはすぐに別れて先に北股岳を下ったが、空身の男性はしばらくしてから下ってきたなと思う間もなく、私はすぐに追い越されてしまい、たちまちのうちに先にいってしまった。

 北股岳から門内岳の区間は一面のお花畑を期待していたが、花の時期はとうに過ぎていたのか、あまりみられないのが少し残念だった。それでもハクサンイチゲやマツムシソウ、ハクサンフウロなどは目立ったが、一帯はほとんどハクサントリカブトに覆われているといってもよさそうな状態であった。

 門内小屋ではいつのまにかトイレ棟だけが新しくなっていた。このトイレは使用後に、自転車のペダルを漕いで処理をするという、一風変わったバイオトイレであった。ペダルを前に20回、後ろに10回漕いで撹拌することで微生物に酸素を与えるという、この初めて見るめずらしいトイレに、ついつい時間を取られてしまった。

 扇ノ地紙までくると地神山に向かっている二人連れが前方に見えた。その二人連れには地神山手前の岩場で追い付き、私を見て道を譲ってくれたようだったが、二人は下山ルートが丸森尾根だというので、ああ・・・この人たちが昨日ダイグラ尾根を登ったというご夫婦なのだなあと確信した。声をかけてみるとそのとおりで、福島のkenrokuさんという方達であった。昨日の猛暑の中、同じダイグラ尾根を登ってきた人達だと思うと不思議と親近感が湧いてくるようであり、私はすぐには別れがたくて、しばらく話を聞かせてもらった。聞いてみると驚くべきことに、今回はたった3リットルの水を二人で分け合いながらのダイグラ尾根だったというのである。一人でも最低4リットルの水が必要なこの時期のダイグラ尾根にあって、無謀というのか、ほとんど奇跡に近いような二人の話に驚いた。さらにこのご夫婦は昨年から飯豊を登り始めたばかりだといい、ダイグラ尾根は二回目だというのだからびっくりする。そして今年はほとんど毎週のごとく、いろいろな登山口から飯豊連峰を登っていることを聞き、私はしばし唖然とした。

 地神北峰からは縦走路をはずれていよいよ丸森コースの下山となる。ラジオを聞いていると、今日はかなり気温が上昇し、新潟ではすでに36度にもなっているという。下るにつれて暑くなるのは目にみえていたが、地神山を下る頃からガスが湧き上がり、強い日射が遮られるようになったのは幸いだった。丸森峰手前の鞍部では小国山岳会の平田氏が一人でコーヒータイムをとって休んでいるところだった。平地はとても暑くて下る気にはなれないといいながら、しばらくのんびりしてから下る様子であった。

 丸森峰を過ぎると、ほとんど怒涛の下りとなった。先ほどまでは視界を遮るほどだったガスも、樹林帯に入るとまもなく晴れてしまい、下界の猛暑に自ら突っ込んでゆくようだった。夫婦清水では最後まで残しておいた、行動食の菓子パンを一個食べて昼食代わりとした。これでザックに入っているものは水だけとなったが、梅花皮小屋で汲んだ水がまだ十分に残っているので下るには問題はなかった。この頃には余計なことをするほどの気力はすでになくなっていて、夫婦清水を確認する気にもなれなかった。日陰に座っていた時間はほんの2〜3分程度だろう。そこからは一気に飯豊山荘をめざして下り始めた。下るごとに風もなくなり、真夏のような暑さが容赦なく襲いかかってくるような気がした。

 ようやく眼下には飯豊山荘の赤い屋根が見えてきたが、つぎつぎと小さなピークがでてきて、なかなか登山口にたどり着けないのがもどかしかった。水はまだ豊富に残っていたので、途中でペットボトル1本分を頭からかぶった。この頃には頭から湯気が出そうなほど体が火照っていて、意識は半分朦朧としはじめていた。今まで丸森尾根をこんなに長く感じたことはなかったような気がした。前方の倉手山がかなり高く見えるほどまでに高度は下がっており、登山口まではもう間もなくのはずだった。似たような岩場のヤセ尾根を何度も下り、うんざりとした頃になってようやく右手下に駐車場が見えて来ると、飯豊山荘はもう目前に迫っていた。


GPSの軌跡(縮尺1/100,000 ※5万地形図を半分に縮小しています)


夜明け前の大日岳と有明の月(本山小屋から)AM5:00


桧山沢吊橋


オヤマリンドウ


ママコナ


飯豊山山頂にようやくたどり着く


ご来光直前(AM5:01)


雲海が朝日に染まる(AM5:24)


早朝の本山小屋付近周辺(ダイグラ尾根方面 AM5:28)


早朝の飯豊山と大日岳(AM5:35)


飯豊山から振り返る本山小屋(AM5:35)


御西小屋近くからの大日岳と雪渓(AM6:07)


草紅葉と御西小屋(AM6:30)


新築された御西小屋


御西小屋を振り返る


御手洗ノ池


ハクサントリカブトと烏帽子岳


タカネナデシコ(烏帽子岳付近)

ハクサンフウロ(門内岳付近で)

タカネマツムシソウ(門内岳付近で)


コゴメグサ?


門内小屋の新しいトイレ


門内小屋の新しいトイレの内部


バイオトイレの自転車漕ぎ?


地神山付近から望む胎内尾根


福島のkenrokuさんご夫婦に追い付く(地神山)


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