山 行 記 録

【平成18年8月22日(火)/滝口から雄阿寒岳】



雄阿寒岳の山頂



【日程】平成18年8月22日(火)
【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、前日、車中泊(山行は日帰り)
【山域】道東(北海道)
【山名と標高】 雄阿寒岳(おあかんだけ)1,370m
【地形図 1/25000】雄阿寒岳
【天候】曇りのち晴れ
【温泉】フェリーの風呂
【行程と参考コースタイム】
滝口発4:50〜次郎潟分岐点5:00〜一合目5:23〜二合目5:41〜三合目6:06〜四合目6:28〜五合目7:06〜六合目7:16〜七合目7:27〜八合目7:35〜九合目7:43〜雄阿寒岳山頂7:50-8:05〜五合目8:37〜一合目9:40〜滝口着10:10

滝口=(滝口、R.240、R.241、足寄、R274、日勝峠、R237)=平取町=(日高道路)=苫小牧東FT(フェリー:22日19:50発)新潟FT(23日15:30着)
  
【概要】
 雄阿寒岳はマリモで有名な阿寒湖のそばに聳える山で、阿寒湖の反対側には雌阿寒岳が対峙している。雌阿寒岳のほうは今も噴煙を上げる活火山で、今回は当然ながらその雌阿寒岳も登るつもりでいたのだが、2006年3月21日、7年4ヶ月ぶりの噴火を起こしたため、再び登山禁止となってしまい、今は片方だけの雄阿寒岳しか登れないのが少し残念といえば残念である。しかし、規制されたところを無理矢理入山し、有毒ガスで事故を起こしてもいられないのであきらめるしかない。雌阿寒岳は行程的にはそれほどきついコースではないので、この山は今度、観光に来たときにでもちょっと往復することにした。なお、深田久弥が登ったときも、この雌阿寒岳は噴火活動のために登山禁止となっていて、この雄阿寒岳しか登れなかった山である。

 昨夜は雄阿寒岳の登山口である滝口登山口の駐車場に車中泊をした。トイレや地蔵尊もある駐車場は意外と狭くて、10台前後ぐらいのスペースしかないようだった。コンビニや道の駅などに駐車したかったのだが、当日、駐車場が満杯になっても困るのでこの滝口登山口で夜を明かすのがベストのようだった。またこの阿寒湖周辺の駐車場はほとんど有料のためもあって、他に留めておく場所がなかったためもあった。

 滝口駐車場を4時50出発する。いくら道東とはいえ4時にはまだ薄暗かったのだが、5時近くになるとさすに明るくなっており、あわててザックのパッキングをした。5時前とはいっても山を歩くにはちょうどよいような時間であった。歩き出したところに夫婦者が車でやってきたため、朝の一声を掛けてから水門を通って登山道に入っていった。

 この雄阿寒岳には熊はいないと思ったので熊スプレーは持たなかったが、一応カウベルだけはザックにつけた。阿寒湖の淵をたどりながら太郎沼を過ぎ、次郎沼への分岐点までくると本格的な山道となる。まわりは鬱蒼としたトドマツやカラマツなどの針葉樹林帯で、少し薄暗い感じのする山道が続いた。始めこそ電光系に登ってゆくものの、なかなか高度が上がらず、水平道をしばらく歩いてゆくと、うんざりした頃になっとようやく一合目に着く。かなりの距離を歩いたつもりだったので、この一合目の標識にはちょっとがっかりした。この山は標高以上に意外と手強いコースのようだとこの時点では思った。阿寒湖の湖畔のためだろうか、濃霧のような朝霧が樹林帯一帯を覆っている。少しずつ高度は上がっていったものの、途中で少し下ったりするので、二合目までも予想以上に遠く感じた。

 登るに従って風が徐々に強くなってきていた。その強風に煽られて、雑木林からの滴がまるで雨に降ってくるのでザックや衣服が濡れた。四合目の標識までくると、ここには「半分以上クリアしました。ここから五合目迄がガマン所」とあり、なんとなく半信半疑な気分になる。そしてこの四合目からは実際に急騰の連続となった。喉が乾いていたが、次の五合目までは我慢しようと、両手両足を総動員して登って行く。傾斜が急なせいもあるのだろうが、ここの区間が一番遠く感じられた。時々振り返ると山の頂が雲の上から飛び出している。あの山頂はいったいどこの山だろうかと思ったのだが、後で地図を広げてみるまでははわからなかった。

 周りを見渡すと雲海が下界を隠していて、上空には青空が広がっていた。利尻、稚内や上川地方は今日も大雨洪水警報がでているが、そんな天候が信じられないほどの好天だった。今日も昨日と同様に、朝方の雲が時間と共に消えて行くので、この幸運には感謝した。五合目には2時間掛かってようやく到着した。この標識には「ここまで来たら8割クリア」と書かれてある。ということはこの五合目の標識は、実質八合目ということだろうか。高度計を見ると標高もかなり上がっていた。

 五合目からはハイマツ帯となって見晴らしがよくなってくる。少し先で廃道化したオクルシュベコースへの分岐点があり、さらに行くと、時々霧が流れて左手には雄阿寒岳の頂きらしき山の頭が見えてきたが、まだ山頂まではあんなに遠いのかとがっかりする。左手のカールらしきところはどうやら噴火口らしく、その噴火口を取り囲むように、いくつかのピークが連なっている。雄阿寒岳は少し複雑な山頂部を形成しているようだった。しかし、ここからは平坦な道が続いており、六合目、七合目と標識が次々と現れて、まるで今までの距離が嘘のように短く感じられた。この山の合目標識は高度を基準にして設置しているのか、しかし、それでもかなり違和感のある標識であった。

 八合目は台地状の高台になっていた。ハイマツもほとんどなくなり、辺りには高山植物が少し見られる程度になる。八合目からはいったん下って雄阿寒岳との鞍部である九合目につく。このあたりまで来るとすっかり上空は晴れて、左手下にはカール状の草原が広がっていた。もう雲の上に出てしまったらしく、右手には美しい雲海が広がり、山頂はもう目前であった。最後のガレ場の急斜面を登るとほどなく三角点のある雄阿寒岳の山頂に到着した。昨日の斜里岳に続いて今日も誰もいない山頂だった。登山口からちょうど3時間かかっていた。

 山頂の向こう側からは森に囲まれたパンケトーと呼ばれる湖が俯瞰できた。右手のペンケトーは雲海に覆われているが、パンケトーは鮮やかなほどすっきりと晴れていて、そして両側から霧が迫りそうになると、すぐにまた晴れだすといった具合であった。この大展望には感激するばかりだった。朝の濃霧がなかなか晴れず、今日の展望は半分以上、あきらめかけていたのである。山頂ではさすがに風は強かったが、かなりの汗を絞り取られただけに、その強風も心地よい涼風であった。

 三角点から少し西側に下がると風は嘘のようになくなるので、ここにザックをおろしてパンケトーを眺めながらの朝食とする。今日もコンビニで仕入れた漬け物とおにぎりであるが、それだけのものが、ここではたまらなく美味しい。静かな山頂を独り占めしているだけで心が落ち着いてくるようであった。眺望は素晴らしく、霧が流れる風景と朝日に輝く雲海に、山の魅力というものをあらためて思った。

 山頂を後にして、元の道をたどり下り始めると七合目付近で4名のグループが登ってきた。そして朝方登山口で出会った夫婦連れとは四合目付近まで下ったところでようやく出会った。よくよく拝見したら二人は昨日の斜里岳でも出会った大阪のご夫婦であった。こうしてみるとどうもみな北海道では同じようなコースをたどるようである。二人の予定では明日、トムラウシと言うから明日は会うこともないね、とお互いに笑いあった。何日間の山旅かわからなかったが、毎日の山登りを続けている二人はかなり健脚の人たちのようであった。

 下りは体の調子もよく一合目まで一気に下った。さすがに喉がカラカラに渇いてしまい、残っていたジュースをここで飲み干した。すっかり天候も良くなっており、朝方の濃霧はすっかり消えていた。まだ10時前ということもあり、これから登ってくる登山者も多くいて、暑くてたいへんだろうなあ、と他人ごとながら心配になる。夏山はやはり早立ちが一番である。登山口には10時ちょっと過ぎに戻った。

 計画ではこの日のうちにもうひつとの雌阿寒岳に登るはずだったが、登山禁止となっていてはあきらめるしかなく、私は次の目的地である、幌尻岳登山口に向かうことにした。日高地方まではかなりの距離があって、雄阿寒岳から幌尻岳の登山口である平取町までは300kmほどもある。すべて一般道なので5時間以上のドライブとなるようであった。

 弟子屈町のコンビニで食料やビールを仕入れ、ようやく平取町の国道から林道に入ろうとすると、道路工事中の人たちから手で制止の仕草をされて車を止められた。どこへゆくのだというから、これからの行程を話すと、幌尻岳への道路は完全に崩壊していて、数日前から通行止めなのだという。はっきりしたことは近くの交番で確かめてほしいというので、地元の警察署に寄って訪ねてみると、やはり数日前の大雨のため、林道は寸断されて、通行は全く不可能のようであった。数日前に登った登山者達も、山小屋に4日間も閉じ込められてしまい、その人たちは5日ぶりの今日になってようやく下山してきたのだという。道路は完全に陥没しているために登山者達もザイルを頼りに谷底まで下りて登り返したりしながらようやく戻ってきたらしかった。復旧の見通しはまだ立っていなくては、今回の幌尻岳はあきらめるしかなかった。今も現地では雨が降り続いているらしく、渡渉区間も一時は濁流が胸元以上に水位が上がって、とても下れる状態ではなかったというから、さながら現場は地獄のようなものだったのだろう。かといって、これからほかの山に振り替える気分にはならなかった。それほどこの幌尻岳の状況は私を打ちのめしたようだった。

 今回の北海道山行は最初から出鼻をくじかれ、そして、最後の幌尻岳も登れないで終わろうとしていた。再度建て直した予定表では、翌日のうちに幌尻岳を下山後、当日のフェリーで帰るつもりをしていたのだが、私は警察署を出るとすぐにフェリー会社に電話を入れて、急遽、今日の便に変更してもらい、一日早く帰宅の途につくことにした。

 ナビで苫小牧FTを目的地に設定し、無料開放されている日高道路を利用して苫小牧市内に入った時には19時近くになっていた。フェリーの出航時間は19時50分。平取町から向かっているときから降り出した雨は、苫小牧付近から激しい降りとなり、バケツをひっくり返したような大雨になっている。すでに市内は暗く視界が悪いので、ナビだけを頼りにフェリーターミナルへと向かった。フェリーターミナルでは変更の手続が必要だったが、苫小牧フェリーターミナルでは肝心の新日本海フェリーターミナルがなかなかみつからず、見たこともない建物だけが建っていた。土砂降りの中を車から降りて、傘を差しながら近くにいた係員に尋ねてみると、新日本海フェリーターミナルは全く別の場所だという。そういえば利用しているフェリーターミナルは苫小牧東港だったことを今頃になって思い出し、あらためて電話番号でナビを設定すると、本来のフェリーターミナルまでは30km近くも離れていた。私は大慌てで大雨の降りしきる中、元の道を引き返すはめになってしまった。新たに設定されたナビがあるにもかかわらず、日高道路を反対方向に突っ込んでしまったりして、さらに余計な時間を取られたりした。大雨と夜の暗さで視界がほとんど無かったせいもあるのだろうが、私はかなり慌てていたようである。ようやく見覚えのある新日本海フェリーターミナルに着いたときは、出航時間がすぐ目前に迫っていた。


雲海から頭を出しているのは雌阿寒岳


山頂から森に囲まれたパンケトーを俯瞰する


ペンケトーを覆う雲海


滝口登山口


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