山 行 記 録

【平成18年8月20日(日)/岩尾別温泉から羅臼岳】



羅臼岳山頂から見る知床連山



【日程】平成18年8月20日(日)
【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、車中泊(山行は日帰り)
【山域】知床連山(北海道)
【山名と標高】羅臼岳(らうすだけ)1,660m
【地形図 1/25000】羅臼
【天候】曇りのち晴れ
【温泉】岩尾別温泉 露天風呂(無料)及び、清里町 きよさと温泉「緑清荘」380円
【行程と参考コースタイム】
(17日)新潟FT 23:50(新日本海フェリー)苫小牧東FT着(18日:17:15)=(R235,R257,十勝清水IC=足寄IC=R241,R243,美幌=R334経由)=清里町(19日:800)=斜里岳登山口=ウトロ知床自然センター(車中泊)

(20日)ウトロ知床自然センター発=7:00 岩尾別温泉着7:20-7:40発〜弥三吉水8:45〜銀冷水9:30〜大沢9:45〜羅臼平10:10〜羅臼岳山頂11:00-12:00〜羅臼平〜弥三吉水13:40〜岩尾別温泉14:45

岩尾別温泉=(R.334、宇登呂、斜里経由)=きよさと温泉「緑清荘」(車中泊)

【概要】
 羅臼岳は知床連山における最高峰の山で、最近この知床一帯が世界遺産に登録されたこともあり、以前にも増して多くの登山者が訪れているようである。一方でこの知床半島は、北海道の中でも一番ヒグマが多い生息地とも知られており、ヒグマに対する注意書きや看板などが至る所に目についた。羅臼岳登山にあたってはこのヒグマ対策をまず一番に考えなければならないようだった。岩尾別温泉からのコース距離は7km強で、頂上までの標高差は約1400m。行程的にはかなり長いほうなので、できれば朝の涼しいうちに早立ちをしたい山でもあった。

 今回は遅い夏休みを利用しての2年ぶりの北海道百名山巡りだが、羅臼岳、斜里岳、阿寒岳、そして幌尻岳の四山が未踏の山として残っていた。体調と天候さえ問題なければ、実質5日間もあれば余裕で登ることができるはずで、幌尻岳を終えた後、余力が残っていればニペソツ岳も登られればと計画に組み込んだ。しかし、九州や四国地方に長時間停滞している台風が気にかかっており、遙かに遠い北の大地にもかかわらず、北海道に居座っている前線の活動が、この台風の影響を受けて活発化しそうな気配も漂っていた。

 新日本海フェリーの新潟西港出航は23時50分。仕事を終えて早めに自宅を出たので、余裕で入船手続きを完了した。今までも何回かフェリーは利用しているのだが、岸壁を離れる時はいつもながら、旅情をかき立てられるようである。仕事のことも忘れてしばらくは山のことに没頭できそうであった。

 翌日になると薄雲が空全体を覆っていて青空はなかった。デッキにでてみると小雨がぱらついていた。目指す北海道を見るとさらに厚くて黒い雲が北の大地全体を包んでいて、これからの行く末を暗示しているかのようでもあり、一抹の不安感が心の片隅に残った。

 苫小牧東港には定刻通り翌日の17時20分に入港した。ところが、案じていたとおりというのか、北海道の全土に渡って大雨洪水警報が発令中で、フェリーから下りると土砂降りの雨であった。天気予報によれば明日も雨だが、明後日以降は雨も治まるだろうとの予報が出ている。それでも道東であれば少しは天候が幾分良さそうと判断し、私は少々の雨でも山は計画に従って予定どおり登るつもりだった。近くのコンビニで食料を仕入れ、燃料を補給して一路、知床半島へと向かった。

 ナビに表示された距離は約450km。途中60kmほどは高速を使えそうだが、それ以外は一般道なので、目的地まではいくら時間がかかるか検討もつかなかった。それにこの大雨である。ワイパーを最高速度で動かしながら、雨で見えにくい国道をひた走った。途中で午前0時を過ぎたため、コンビニの裏側に車を止めて仮眠をとり、斜里町の手前の町、清里町に入ったのは翌朝の8時過ぎだった。もっと早く着くのも可能だったのだが、車中で大雨の音を聞いていると、急いで起きてまで運転する気分にはなれなかった。

 ラジオでは盛んに今回の大雨による被害や通行止めの情報が流れていた。バケツをひっくり返したような豪雨は収まっていたが、それでも強い雨は降り続いていた。今日の予定では羅臼岳だったが、この雨ではと二の足を踏むしかなかった。それでは行程的にも短い山ならばと、一応近くの斜里岳登山口に向かってみることにした。しかし、林道の入口まできてみると道路は太くて頑丈そうなゲートで堅く閉じられ、通行止めとなっていた。同じことを考える人はいるもので、少しも経たないうちに2台の車がやってきた。一台は石川ナンバーで、もう一台は東京ナンバーであった。雨は上がりそうな気配も見えることから、このゲートがなんとか開かないかどうか、記載されてある連絡先の土木出張所に、三人それぞれが問い合わせてみたりした。しかし、連日の大雨で危険水量に達したために、今日中にゲートを開く予定は全くないという。これでは今日の山行はあきらめるしかないだろうと、二人とはお互いにここで別れ、私は羅臼岳に向かうことにした。

 ウトロ知床自然センターまできてみると、岩尾別温泉へ通じる入口がやはりゲートで閉ざされていて、バイクでさえも通れない状態だった。連日の大雨のため、土砂崩れがあったらしく、これにはさすがに落胆するしかなかった。知床は世界遺産に登録されたこともあって、大勢の観光客も訪れていたが、特に今年からは知床五湖などへは通年通行止めとなり、観光客は全員シャトルバスで行くしか方法はない。その大勢の人達もみんな足止めをされたかたちで、ウトロ知床自然センターは大混雑を極めていた。

 夕方、役場の職員がゲートに来ていたので確認してみると、今日中の開通はやはりないらしく、早くて開通するのは明朝の7時以降だという。私は腹を決めてこれ以上移動するのはあきらめ、明朝の開通を期待しながら、ウトロ知床自然センターで一晩を明かすことにした。

 翌日は予定通り7時に通行止めが解除され、私は一番乗りで岩尾別温泉に向かった。岩尾別温泉までは10分程度で到着した。通行止めの影響もあったのだろう。車の台数は数える程しかなかった。しかし、通行止め解除を待ち望んでいた登山者が次々とやってきて、温泉前の駐車場はたちまち大にぎわいの状態となった。登山口である岩尾別温泉は「ホテル地の涯」という名称の一軒宿のようだったが、普通のありきたりのホテルにしか見えず、秘湯と呼ぶにはちょっと大げさな感じにがっかりする。駐車場の左手には無料の露天風呂の看板があり、これは是非とも下山後に入らなければと思った。

 知床は道内でも高密度でヒグマが生息している地域である。本州のツキノワグマならまだしも、ヒグマは人を恐れないと言うからやはり怖い。いつものカウベルの他、今回の山のために用意した、一個一万円の熊スプレーをザックにセットした。またそのホルダーだけでも3000円ほどするので、それは100円ショップの素材を利用して自作した。そのほかに呼び子も首から提げて、ヒグマ対策に万端の体制で望んだ。

 ホテルの脇を通ってゆくと裏手に木下小屋があり、ここで登山届けを記入してゆく。木下小屋は自炊の山小屋で、管理人が熊スプレーの貸し出しを行っていた。料金は一回3000円というから結構高い。トイレで用を済ませながら眺めていると意外と借りてゆく人は多いようで、私は事前に購入してきて良かったのだと思った。みんなお金よりは命のほうがやっぱり大切なのだ。

 登山道ははじめジグザグに急坂を上るとすぐになだらかな山道となる。広々とした道で歩きやすく、ここではヒグマ以外は何の不安もなさそうであった。ミズナラなどの雑木林からダケカンバ帯に変わると強い森の香りがした。おもわず飯豊や朝日連峰を連想するようでもあり、私にはたまらなく懐かしい匂いだった。560m岩峰からの区間は、ヒグマが餌にしている蟻塚があるとかで、一番ヒグマが目撃されるところだという標識があり、いっそう緊張感が漂うところだった。何人かの登山者を追い越してきたために前後には誰も見あたらなくなっていたのも不安感を煽った。

 緩やかな山道がその後も続きしばらく歩き続けたが、途中の弥三吉水の水場で小休止をとった。ここはちょっとした広場になっていて、ちょうどよい休憩ポイントのようであった。汗を拭いて、一口飲んでみると冷たくて美味しかった。その先でも銀冷水という水場があったがここも弥三吉水のような広場になっている。何人かの登山者を追い越してゆくと、しばらく一人旅が続いた。一人きりになると胸元の熊スプレーが俄然心強い感じがした。

 極楽平という平坦地を過ぎると、なだらかだった登山道も、大沢の標識からは徐々に傾斜が増してゆき、羅臼平までは結構きつい登りが続いた。しかし、道の両側にはシナノキンバイと良く似たチシマノキンバイソウ、イワギキョウなどが咲いていて、そんな可憐な高山植物は疲れた体を癒してくれるようであった。途中で一カ所雪渓が残っていて、吹き下ろしてくる風が冷たくて心地よい。雪渓の上部にはエゾツツジが群落となっていて、その濃いピンク色に覆われたお花畑の鮮やかさにはあらためて目を見張った。徐々に天候は回復し、羅臼平に着く頃にはすっかり雲がなくなり、空一面に青空が広がっていた。下界に薄雲が広がっているところを見ると、すっかり雲の上に飛び出したようである。

 羅臼平からは左手に硫黄岳への縦走路が伸びており、近くには木下弥三吉翁のレリーフが建っている。右手を見上げると羅臼岳の大きな岩峰がそびえ立っていた。羅臼平には爽やかな風が吹き渡っていて、ここからの登りは至って快適だった。途中で早くも下ってくる人がいて、聞いてみるとホテルに泊まった人らしく、朝、五時半に出たという人たちであった。登りの取付には岩清水という水場があり、名前のとおり、岩場からしみ出るように滴り落ちている清水で、飲んでみると下の二つの水場とは比較にならないほど冷たい。三ヶ所の水場を比較すれば、ここの水が一番冷たくて美味しかった。

 最後は大きな岩場の登りとなった。下ってくる人も多かったが、大きな岩を飛び石伝いにどこでも歩けるからすれ違うには少しも支障がなかった。しかし、勾配はきつく、疲れもピークに達してきたのも事実で、私は途中で何回も呼吸を整えなければならなかった。振り返れば知床連山がだんだんと姿を現しはじめ、岩肌も露わな硫黄岳の全体が見渡せるほどになった。その右手は太平洋らしく、うっすらと見える島影は国後島だろうか。太平洋側は雲は多いものの、予想外に晴れて、地元の人によれば羅臼岳がこんなに晴れ渡るのも珍しいのだというのだから、昨日までの悪天候による停滞はすっかり帳消しといっても良さそうであった。

 羅臼岳の山頂はそれほど広くはないが、多くの人たちが写真を撮りあいながら展望を楽しんでいるようであった。私も同時に登り切った人たちとお互いに記念写真だけを撮りあい、その後は山頂の向こう側に進んで休憩をとることにした。眼下には大きな沼が見えていて、地図で確認すると羅臼沼らしかった。とするとその遙か向こうに見えるピラミダルな山は明日登る予定の斜里岳だろうか。早速、ザックから食材を取り出し、のんびりとすることにした。疲れた体には自宅から持ってきていた茄子とキュウリの漬け物が特に美味しい。冷たくてしょっぱいこの食べ物が登りの疲労をとってくれそうであった。昼食後はザックを枕にして昼寝を決め込むことにした。

 ちょうど一時間の休憩を終えて下りはじめると、これから登ってくる人も三々五々と目立ってくる。中には大きなザックを背負った、大学の山岳部らしいグループもいる。たぶん硫黄岳なども含めたテント山行なのだろうが、若い人は時間が豊富にあるというのがうらやましかった。下り始めると一気に弥三吉水まで下った。気温が上昇してきたこともあり、体温も異様に高くなっていた。ここの冷たい水でタオルを濡らし、私は水の滴るタオルを頭から被って岩尾別温泉まで下った。

 今日は雨で待たされた団体も多く、心配したヒグマにも出会うことはなかった。今日のように登山者が多くては、ヒグマも恐くて姿を見せることはできなかったのだろう。羅臼岳は最後の登りはきつかったものの、割合に登りやすく、そして下りやすい登山道であった。多くの人が歩いているだけに、藪こぎなどはもちろんなく迷う心配もない。そして危険な個所もほとんどみられず、それでいて展望が抜群の山といえそうであった。下山後は、岩尾別温泉にある無料の露天風呂で汗を流し、さっぱりとした後で次の斜里岳に向かうことにした。


木下小屋


エゾツツジの群落(大沢で)


イワブクロ(極楽平で)


チシマノキンバイソウ(極楽平で)


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