この日は朝方まで雨が降り続いていた。その雨も6時頃になってようやく上がり始め、予報どおりの空模様に安心しながら、一路、笹谷峠に向かった。国道348号線を走っている時は、蔵王の上空の雲が切れ、青空が少しのぞいたりすると、期待に胸がふくらんでくるようだった。しかし、笹谷峠まで来てみると、辺り一帯は深い霧に包まれていて、いつもは多くの登山者で賑わう広い駐車場も、今日は車がまだ一台も見当たらなかった。晴れるどころか、駐車場では目に見えるほどの大粒の霧が流れていて、準備をしている間にも衣服はたちまち濡れてしまいそうになり、3人とも最初から雨具を着用した。
視界がないのにはがっかりだったが、私は暑さに苦しむよりは、むしろ今日のような涼しさの方がありがたいという気持ちであった。時間とともに徐々に晴れるだろうと、今日の天気予報を信じて濡れた登山道を登ってゆく。何回も歩いているコースとはいえ、私は久しぶりということもあって、周りの風景が実に懐かしい思いがした。関沢への分岐点からは少しずつ斜度が増して行く。登山道は昨夜からの雨に濡れた草木や灌木が両側から迫り、ゴアの雨具もすでにビッショリと濡れてしまっている。今日は雨具をはじめから着用したのは正解だったようだ。
カケスガ峰分岐をすぎると前山の東斜面をトラバース気味に進むようになる。この区間は乾いていても歩きづらいところだが、今日は特に濡れているために、気を抜くとすぐにスリップしそうなほどで、慎重に歩かなければならなかった。まもなくすると、新山コースとの分岐に着く。ここまではちょうど二時間弱と、標準的なコースタイムどおりだった。標識の立つ分岐点からは目の前に聳える雁戸山の勇姿を眺められるのだが、いつまで待ってもガスは晴れそうもなく、休憩もそこそこして雁戸山へと向かった。
蟻の戸渡りの岩綾帯は、急峻なヤセ尾根のため高度感もあって、左右の展望が楽しみなところだが、何も見えないのが残念であった。しかし、登山道の傍らに咲くミネウスユキソウやイワオトギリ、クガイソウ、ヒメシャジンといった可憐な高山植物が予想外に多かったのが唯一の慰めになった。
雁戸山到着はちょうど11時だった。のんびりと歩いたわりには、登り始めてから二時間半弱と、通常のペースで登りついたようだった。天候は相変わらずで、山頂全体が深い濃霧に包まれていた。いっこうにガスが晴れる兆しはなかったが、雨が降らないだけ増しだと思い、さっそく腰を下ろして昼食をとることにした。伊藤氏は早々と缶ビールをあけて乾いた喉を潤している。予想以上に汗をかいたせいなのか、冷えた漬け物などがおいしくて、やはり山での食事は下界とは違うなあ、などとあらためて思ったりもした。その後も登ってくる登山者は一人もなく、山頂は我々だけの貸し切りであった。ガスはいくら待っても晴れる様子がなかったものの、休んでいる間にも少しずつ山頂は明るさを増してゆき、むせるようだった湿った空気も、少しずつだが乾き始めていた。山の大気が本来の爽やかさを取り戻しつつあるようであった。
下山は有耶無耶関跡を立ち寄るコースを下ることにした。カケスガ峰分岐からは早くもヨツバシオガマやハクサンフウロなどが群落となって咲いていた。ヨツバシオガマがもう目立ってきたということは、山ではすでに秋を迎えようとしているのかもしれなかった。カケスガ峰付近には以前にはなかった慰霊碑がいくつか建立されていた。こんな場所でも遭難するのだから山というものはわからないものだなあ、とあらためて身が引き締まる思いがするようであった。
カケスガ峰からは展望のない樹林帯が続いた。登山道は最近の雨によって、水路と化しているところもあり、歩くのに結構苦労しなければならなかった。ずんずんと休まずに下ってゆき、一気に高度が低くなると、雲が少し切れて、青空が少し覗いたりした。日差しが降り注ぐようになると現金なもので、塞いでいた気分までが晴れ晴れとしてくるようであった。小沢を二箇所ほど横断するとまもなく有耶無耶関跡に着く。ここはもともと湿地帯なのか、ヒオウギアヤメが数輪咲いているのが印象的であった。有耶無耶関跡を示す太い標柱のすぐ側には、以前に立ち寄ったときにはなかったりっぱな案内板があって、ここの関所の謂われなどを三人で興味深く読んだ。有耶無耶関跡からは八丁平の広々とした原っぱに出て、そのまま横断してゆくと笹谷街道の舗装路に飛び出した。車道を少し山形県側に戻ってゆけば、登山口の笹谷峠まではまもなくである。天候は回復基調とはいいながらもガスはしばらく晴れそうにもなく、笹谷峠から眺める山形市内もまだうっすらとしか見ることができなかった。
ハクサンフウロ |
イワオトギリ |
クガイソウ |
ミヤマウスユキソウ |