山 行 記 録

【平成18年6月11日(日)/古屋敷村〜番城山】



林道の途中でニホンカモシカに出会う


【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、日帰り
【山域】蔵王連峰
【山名と標高】番城山 1323m
【天候】曇り
【行程と参考コースタイム】
林道終点(590m)9:00〜尾根10:00〜番城山11:00-11:15〜林道終点12:40
  
【概要】
 番城山(磐城山とも書かれる)は奥羽山脈の脊梁の一角をなす山で、蔵王連峰と吾妻連峰間の数あるピークのひとつでもある。刈田岳からは舟引山、二ツ森山、そして番城山と県境尾根をなしており、この尾根は豪士山や栗子山などを経て吾妻連峰へと連なっている。標高はたかだか1323mとたいしたことはないが、蔵王と吾妻を覗けばこの区間では一番の高さを持ち、1000m前後の峰々が続く脊梁山脈では貴重な標高を誇っている山である。残念ながら以前からあった大深沢林道を利用した登山道は、とうの昔に廃道になってしまい、今では残雪期に歩かれる山か、若しくは冬に山スキーの対象として登られるのみだったのだが、昨年の地元紙、山形新聞(5月27日付)に地元の小学生や保護者、教職員らで、この番城山へ3時間で登ったという記事が載った。調べてみるとこのコースは山スキーで使われる萱平からの尾根のひとつ西側を登るらしく、上山市の古屋敷村から直登するものである。

 国道13号バイパスを走り、上山市の交差点から県道263号に進むと、15分ほどで上山市古屋敷村に着く。ここは松阪慶子主演の映画「ニッポン国古屋敷村」で有名になったところだが、その後、過疎化が進んで寂れていたところを、地元旅館などの改造をしながら観光地として甦らせたものらしく、現在はちょっとしたミニリゾート地といった雰囲気が漂っているところだ。この村には昔からの茅葺きの民家が多く保存されていて、他には民具資料館や真壁仁記念館などもある。その古屋敷村の案内板の立つ大きな駐車場の手前から右手の林道に入り、1.5kmほど進むと林道は小沢で寸断されて車は進めなくなる。その浅瀬の少し手前に車1台分を留めておくだけのスペースがあり、そこが番城山の登山口であった。

 私にとって番城山はすでに何年も前から山スキーの対象としていた山だったが、他の山に明け暮れているうち、いつも登る時期を逃していた。今年の3月にも山岳会の友人とゆくつもりでいたところ日程がとれず、その時には友人だけがテレマークスキーを楽しんでいる。この番城山には二等三角点の他に祠と小さな避難小屋までがあるというので、昔から信仰の山として地元の人達にはそれなりに登られていた山だったと思われる。6月も中旬といえば残雪もほとんど消えてしまったのかも知れなかったが、この時期を逃すと多くのヤブに覆われるかも知れないということを聞き、今年は今回が最後のチャンスだろうと思って登ってみることにした。

 林道の終点には特に登山口の標識などは何もないが、浅瀬を渡ると林道はさらにまだ先へと続いている。四駆でもあれば浅瀬も乗り越えて車でもそのまま進めそうだったが、その少し先で法面の土砂が崩落していて道を塞いでおり、無理をしなくて正解だった。林道は単調な歩きが長々と続くところだが、道の両側にはピンクの彩りも鮮やかなタニウツギが盛りで、またタラの芽の採り残しなどもあって、それほど飽きることがない。まもなく視界が開けてくると、林道は山の斜面をジグザグに登るようになる。振り返ると蔵王の一角が見えたが、今日はあいにくの曇り空で、山の中腹から番城山の山頂付近は厚い雲に隠れて何も見えなかった。しかし、山の斜面は木が切り倒されて丸裸となったところに、若い杉の木が植林されたばかりらしく、見晴らしはかなり良い。一見したところ牧草地のような感じさえするところで、実に気持ちのよい林道歩きが続く。ところどころには赤いテープがあって、特に迷うような心配もなかった。テープがまだ新しいところをみると、今年もまた地元の小学生たちによって登られたのかも知れなかった。

 林道もかなり高い地点までくると、目の前からガサガサという音とともにニホンカモシカが杉林に向かって一目散に駆けだして行った。カモシカはすぐ近くに潜んでいたらしく、人の気配を感じてあわてて逃げていったようだったが、杉林に入る前に一度立ち止まり、こららをじっと見つめていた。地元の人からは、この番城山は「熊の住家」の山だとも聞いていたので、物音がした時には一瞬心臓が止まりそうになったが、カモシカだったことがわかり、胸を撫で下ろした。しかし、汗をかいた体が一気に引いていったのは確かで、ここはあまり人が入らないだけに、野生動物たちにとっては格好のテリトリーになっているようだった。

 まもなく林道が尽きてしまうと、その先からはブナ林に入ってゆく。ここも若くて細いブナが多く、明るい雰囲気に満ちているところだ。ブナ林にはいると踏跡が現れ、ようやく登山道らしくなる。そして道は尾根をたどるように続いていて、徐々に勾配が増して行く。一つのピークに登り着くと、そこからはわずかに下って尾根の少し右下を歩くようになる。ブナ林に入って30分ほどすると道は左手の谷筋に下りてゆき、踏跡はその谷筋に沿って上へと続いていた。この辺りではつい先日まで雪渓が残っていたようだったが、今はサンカヨウが咲き乱れていて、登山道を半分隠していた。この区間にも間隔こそ離れているものの、赤いテープがあるのでそれを頼りに登ってゆく。やがてハクサンイチゲの群落が現れ、登り切ったところで行き止まりとなった。稜線はまだ上のようだったが直登する道はなく、よく見ると昔は登山道だったのではないかと思われる水平道が左右両側に別れていているようにも見えるところだ。しかし、半分以上ヤブになっていることもあって、踏跡がよくわからない。それでも山頂方向は左手のようなので思い切って進むと再び踏跡も現れてコースが間違っていないことを確信する。すぐに切り開きがなくなり、まもなく背丈ほどもある笹ヤブに遮られてしまうが、ここも思い切って笹ヤブを突っ切ってゆくと、再び赤布が現れ、そこから踏跡は山頂へと続いていた。ここは最後の急坂らしく疲れ始めた両足を踏ん張るところでもある。

 山頂にはちょうど2時間ほどで到着した。山頂の一角には祠があってその祠と並んで小さな避難小屋がある。避難小屋といっても屋根の三角部分がかろうじて残っているだけの、極めて粗末なものである。中を覗いてみると最近の登山者名が書かれた張り紙が数枚、屋根の裏側に貼られている。祠には「奉納 古峰神社磐城 平成十八年五月吉日」と墨書きされた紫色の垂れ幕が下がっていた。その祠のすぐ裏手が本当の山頂で、そこには二等三角点が設置されてあった。さて、展望は?というと辺り一帯は雲の中らしく、強い風と共に山頂は霧に包まれていて、残念ながら周囲の景色は何も見えなかった。今にも雨が降り出しそうな感じが漂っていたが、それでもまだ少しは持ちそうなので、せっかく登った山頂でもあり、しばしの休憩をとることにした。本来、ここは蔵王の好展望台らしいのだが、今日は諦めるより他ないようである。しかし、歴史を感じさせるような立派な祠もある山頂を確認できただけでも、今回は苦労して登ってきた甲斐があったのだと思うことにした。

 帰路は往路を忠実に下るだけである。必死に踏跡を探しながら登ってきたせいか、ヤブの中での記憶は早くも薄れかけていた。それでも谷筋は意外と急勾配だったらしく、転がるように斜面を下ってゆくとたちまち尾根に移る地点まで着いてしまった。天候は下り坂なのか、この尾根にも霧がたちこめていて、しっかり見渡さないと赤いテープもよくわからなくなっていた。

 この登山道はあらためて整備を行ったというよりも、刈り払いをある程度しただけで、ほとんど獣道同然という部分も多く、春の残雪があるうちならば初級者でも可能だろうが、残雪期を過ぎると急に中級者か上級者向けの山になるといっても良さそうである。この登山道もこのままでは来週にはさらに多くのヤブに覆われることだろうと思われた。それだけに地元の一部の人達だけに登られている山を、今日は登ることができたのだといういつにない充実感がある。ブナ林を抜けると、あれほど見晴らしがよかった林道はすっかりガスに包まれていた。今度は雪の時期にでも萱平からの尾根を利用してこの番城山に登らなければ、という気持ちをあらためて抱きながら視界のない林道を下った。


浅瀬を渡る


林道中腹から蔵王の一角を望む


サンカヨウの群落


番城山の三角点


祠と避難小屋


祠の正面


避難小屋の内部に張られてある登山者名


古屋敷村の民家


山形新聞の記事(平成17年5月27日朝刊)


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