山 行 記 録

【平成18年4月15日(土)〜16日(日)/月山から肘折温泉



念仏ヶ原を歩く


【メンバー】西川山岳会(柴田、菊池、荒谷、蒲生)上野(ゲスト)※サポート(山中、安達)安達氏は山頂までの日帰り参加
【山行形態】テレマークスキーによる山行、テント泊、冬山装備(アイゼン、シュラフ、スコップ等)
【山域】出羽三山
【山名と標高】月山 1980m
【天候】(15日)晴れ&強風、(16日)曇りときどき小雨
【温泉】肘折温泉 「肘折いでゆ館」350円
【行程と参考コースタイム】
自宅530=開発センター7:20=姥沢駐車場8:00
(15日)リフト上駅8:50〜月山頂上11:30-12:30〜千本桜(1490m)12:00〜立谷沢橋(930m)13:55-14:10
    〜念仏ヶ原避難小屋(1080m)(泊)1520
(16日)小屋8:00〜小岳9:10-30〜978m10:10〜ネコマタ沢9:55〜778m10:45〜大森山12:10-12:55〜林道13:15
    〜朝日台13:30〜肘折温泉(肘折小学校前)14:00
    肘折小学校=(車)=「肘折いでゆ館」=そば屋=西川町開発センター17:10=(車)=自宅18:30

【概要】
 月山越えのツアーコースで有名な「月山〜肘折温泉」。その滑走距離はゆうに全長20キロを超えるロングコースである。月山からの東斜面は大雪城とも呼ばれ、その広大さは言葉などではとても表せないほどのものがあり、その滑走は天候に恵まれれば終生忘れ得ないものとなるだろう。立谷沢川の沢底から少し登れば秘境、念仏ヶ原に出る。しかしその念仏ヶ原の奥に建っている二階建ての大きな避難小屋も、4月上旬には通常、大量の積雪に埋まっていて、まだ影も形も見られない。そして念仏ヶ原からは変化に富んだコースが続いているので、山スキーに慣れた人々でさえもなかなか飽きさせないものがある。終点が大蔵村の肘折温泉というのもいい。滑り終えた後は古来からの鄙びた温泉に浸って帰宅の途につけるのだ。このルートは月山でも最大最長のコースでもあり、山スキーのツアーコースとしては日本でも3本の指に入るとも言われるほどで、山スキーの愛好家達は全国から毎年のように大勢訪れてもいる。

(4月15日)
 昨年は日帰りでこのツアーを行ったが、今年は一泊の月山〜肘折ツアーである。共同食糧などを振り分けられたザックはずっしりと重くなったが、リーダーの柴田氏のザックはというと、テント一式や何本入っているかわからないほどの缶ビールで、我々のものよりははるかに大きく膨れ上がり、少々の重さ程度が増えた程度はがまんしなければならなかった。月山スキー場は今週の月曜にオープンしたばかりで、周りを見渡せばいつもながらの大量の積雪に驚くばかりである。今日は6人でリフト上駅を登り始めたが安達氏が日帰りなので泊まりは5人の予定である。安達氏は我々のために缶ビールのボッカと車回収のためのサポートを引き受けてくれていた。本格的な春山が始まったとはいえ、今日は気温も低くさらに風も強いので、目出帽をかぶり、私以外の山スキー組は最初からスキーアイゼンを装着し完全装備で強風とアイスバーンに備えた。

 コースはいつもどおり金姥から牛首を経て山頂へ向かう稜線コースをゆく。しかし、一歩も進めないほどの強風に何度も耐風姿勢をとって立ち止まらなければならず、今日の強風ではこのコース取りは失敗だったようである。日差しはあるのだが、気温は一向にあがらず、牛首直下でも氷点下だった。牛首直下から私はシール登高を断念し、スキー靴にアイゼンを装着し、スキーはロープで引っ張りながら登ることにした。スキーアイゼン組は登りやすい方向に分散しながら、それぞれ山頂をめざして登って行く。私はアイゼンがあるので何の不安もなく直登していった。風速20m以上はあろうかという強風の中、急斜面の途中で休むわけにもゆかず、みんなの姿を確認しながら最初に鍛冶小屋跡に登り切った。他のメンバーも大分苦労しながら登っているようだったが、鍛冶小屋跡まではあと5分程度で到着しそうであり、私はその様子をみてそのまま月山神社へと向かった。

 山頂付近は稜線以上の強風で吹き荒れていた。軽く24〜5mはあるだろうと思われる、ともすれば体ごと吹き飛ばされそうなほどの、台風並みの強風である。やっとの思いで月山神社の西側に避難し、しばらくすると一人二人とメンバーが登ってくる。しかし、柴田氏と荒谷氏がいつまで待ってもやってくる気配がなかった。鍛冶小屋直下の柴田氏は確認しているので特に心配はしなかったが、結局二人がやってきたのは30分ほども経ってからであった。聞いてみると荒谷氏が鍛冶小屋直下で100mほど滑落したとのことで、その登り返しに時間がかかったらしかった。この滑落でコッヘルがつぶれ、無線機が少し壊れたが、今日の強風とアイスバーンという状況では幸運という言うべきだろう。幸いにして怪我だけはしなかったため、ツアーの続行には支障はなさそうで、みんな胸をなでおろしたが、今日の悪天候には全員苦労しながらの山頂到着であった。今日はそのせいか登ってくる人もほとんど見当たらず、皆、鍛冶小屋跡から下って行くようだった。大きなザックを背負った人も見当たらず、肘折に下るようなスキーヤーは我々だけのようであった。

 今日は低気圧通過の影響からか南風が吹いていた。普段の風向きとは逆の流れが少し不気味な感じがした。山頂神社付近の風は立っていられないほどで、そのため神社の北側の窪みに逃げ込んできたのだが、この強風のため今日はいつもよりも山頂への到着に時間を要してしまい、すでに正午も近くなっていた。昼食を兼ねて休んでいると男女の二人組が我々のいる小さな窪みに逃げ込んできた。よくよく見ると同じ山岳会の若手のクライマー、和田氏と芳賀嬢であった。こんな悪天候時にたまたま同じ山岳会のメンバーが偶然に出会うのも、考えてみれば何とも不思議なものであった。

 少し多めの休憩を取ったのだが強風が治まる様子がないので、私達は早めに念仏ヶ原に向かうことにした。もう必要がなくなった私のアイゼンはこれから姥沢に戻るという安達氏に託し、安達氏とはこの月山山頂で別れることになった。私達はいったん山頂の頭だけを踏んで、早速スキーを装着して強風に身を堅くしながら滑走に備える。しかし、いざ大雪城を滑り出して見ると意外にも風は穏やかなものに変わり、急に気力がみなぎってくる。南風のため心配していたが、東斜面では風は信じられないほど和らいでいた。毎年のように作り出してくれる、ここの広大な大雪城の自然のゲレンデにはただただ唖然とするばかりだ。登りの苦しさから解放された私達は、一転して楽しい滑降を味わうこととなった。滑っても滑っても大雪城は広く、なかなか末端までは届かない。振り返るとメンバーの何と小さな事か。この大雪城ではスキーヤーなどゴミ粒よりも小さな点に見えるだけであった。みんなは歓声をあげながら千本桜をめざして下った。

 千本桜の急斜面は少しクラックがあったものの、大量の積雪に助けられて楽しく下ることができた。ここに来てようやく風は全くなくなり、もう目の前は立谷沢へと下る緩やかな広い尾根が続いているだけである。念仏ヶ原はもう正面であり、ここで小休止をとってから立谷沢へと向かった。立谷沢への最後の急斜面も雪庇が大きく張り出していたが、その雪庇さえ崩さなければ雪崩れる心配はなさそうなので、みんな思い思いのコース取りで滑降してゆく。立谷沢川に降り立ち休んでいると、予想外にも単独行が一人下ってきた。地元の最上山岳会に所属しているというその人は、このツアーコースは30年ぶりだといい、大きなカメラの三脚を持ち、どうも写真撮影を目的に下ってきたものらしかった。

 立谷沢からは再びシール登高となる。沢沿いに登っていると確実に熊のものと思われる大きな足跡がコースを横切っていた。早くも冬眠から目覚め、餌をもとめて熊も動き出したようであった。そうして眺めてみると周りのブナの木には熊棚が多く見られた。登り切ったところが、広大な念仏ヶ原の一角で、夏には潅木や湿地帯で有名なこの念仏ヶ原も今はただ茫漠としたただの大雪原である。念仏ヶ原の避難小屋までは約30分ほどで、しばらくとぼとぼとした足どりで平原地帯を歩いて行く。天候も穏やかで青空の中をこうして広大な念仏ヶ原を歩けるのは至福の時間を感じさせた。振り返ると白く輝く月山が美しい。陽が傾きかけたためか、斜面が逆光を受けて銀色に鈍く光り始めている。私と柴田氏以外の三人はこのコースが初めてなので、その三人組は至るところで立ち止まりながら写真撮影に余念がなかった。

 15時20分。ようやく念仏ヶ原の避難小屋地点に到着した。しかし、小屋の姿、形はどこにも見当たらず、昨年と同様にまだまだ大量の積雪に埋まっているようであった。ここの避難小屋も二階建てでかなりの高さがあるのだが、その小屋の存在を一切感じさせないほどだから、月山東斜面の積雪にはさすがに驚くばかりである。もう上空には薄雲が広がりだして、明日の天候が少し心配だったが、予報も下界では間違いなく雨を予想しており、天候はもう下り坂のようであった。私達は風や雨を考えて大きな窪地にテントを設営する。エスパースの4〜5人用だから設営は極めて簡単である。そのうち先ほどの単独行が追い付いてきたが、どうやら小屋泊をあてにしてきたらしく、スコップもツェルトも持っていないと聞きびっくりする。さすがにナイロンのシートぐらいはあるらしいのだが、私達のテントも4〜5人用と余裕がないので、私達のスコップやツェルトを貸すことにした。

 テント内に全員落ちついたところで、早速缶ビールで乾杯となる。この最初の一口の何とうまいことか。山では下界のどんなものでも美味しく感じるものだが、下戸の私でさえもこの一杯がたまらなく美味しい。それを楽しみに登ってくるのも山泊りのひとつなのである。それからは様々な食材を煮込んだ大きな鍋作りが始まった。途中で最上山岳会の人も我々のテント内に招き、しばし山の一時を共にしたらしいのだが、私は缶ビール一本と少しの焼酎で簡単に酔ってしまい途中でダウンした。そのために、その後の記憶がほとんどない。気付いたときには豪華なご馳走は一口も食べずに鍋は片づけられていて、私はシュラフにもぐってしまっていた。その夜は風はそれほどでもなかったが、雨か雪かわからない音がテントを一晩中叩いていた。

(4月16日)
 朝、テントから抜け出してみるとうっすらと雪が降り積もっていた。天候は曇り空ながらも小雪が舞っている。相当の雨も覚悟していただけに、この天候はうれしい誤算であった。全員起床したところで早速朝食作りとなり、柴田氏は喉が渇いたと起き抜けに缶ビールをさっそく空け、荒谷氏はこういうときはワインがいいのだと早速喉を潤していた。メニューは昨夜の鍋の残り汁にインスタントラーメンを入れただけの簡単なものだが、鍋の具はほとんど残ってはいず、私にとっては結局幻の鍋料理となった。

 テント撤収を終えるとさっそく二日目の行動開始だ。単独行の人は私たちが貸したツェルトは使用せず、ブナの周りに竪穴を掘ってビバークしたようであった。スキーにシールを貼ってとりあえず小岳をめざして緩斜面を登り出す。晴れていれば朝日に輝く月山が望めるのだが、今日は千本桜付近が少し見えるだけで山頂は雲に隠れていた。しかし、雨が大降りにならないだけ増しであろう。曇り空ながらも雪や雨はしばらく降る気配がないようであった。快適に稜線をたどって小岳に登りつくと、ここでも早速缶ビールが開けられ、回し飲みとなる。ここからは快適にスキーで下ってゆける二日目の最初のポイントである。赤砂山の中腹付近には雲がうっすらと横たわり、まるで墨絵をながめているように美しい風景が展開していた。快晴の山並みもいいのだが、こうして雲海に見え隠れする光景もなかなか風情があっていいものであった。

 赤砂沢の途中からは978m峰への登り返しを経ていよいよ今日のメインであるネコマタ沢に出る。気がかりだったのはもちろん雪崩だが、沢の上部に大きな雪のブロックと亀裂がある程度で、斜面の途中から滑り出す分には問題なさそうであった。早速待ちきれないメンバーはそれぞれ思い思いにネコマタ沢の急斜面を滑走してゆく。私はいつもながら懲りずに右側から急斜面をおりたが、何回目かのターンで転けてしまい、そこからは人間雪崩となって沢底まで落ちていった。

 いくら雪崩が起きなかったとはいえ、今回のネコマタ沢は危険地帯である。休憩は取らずに一気にネコマタ沢の末端まで滑ってゆき、778m峰へと登り返してゆく。ここでもやはりシールは貼らずにスキーを担いだり、ロープで引っ張ったりしてピークまで登った。登り切ったところからはもう大森山が大きく望めるところで、ここまでくればツアーのエンディングもまもなくとなる。ここで大休止をとっていると、山中間の丹野さんから無線が入ったりして、迎えの山中さんが大森山に向かっているのがわかり、一同みなひと安心となる。

 ここから大森山までは尾根のトラバースがしばらく続いた。この区間は結構長く、片足だけが異様に疲れるところだ。一気に大森山直下まで滑ってくると、もう大森山への最後の登りが待つだけとなる。大森山の斜面は半分ほど早くも雪が融け出していて、途中からスキーを引っ張りながら坪足で登った。この大森山への急斜面さえしのげば後はゴールの肘折温泉まではひと滑りとなり、疲れてはいたが、自ずと両足とストックに力が入った。

 大森山山頂に一番乗りで到着すると山中氏が出迎えてくれた。みんなが到着したところで、一斉に歓声をあげて最後の乾杯となる。もうこれで今回のツアーは最後の行程を残すのみとなり、みんなのザックからは残っていたアルコール類がすべて出されて、最後の宴会に盛り上がった。心配した天候はいつのまにか青空も部分的にみえるほどになり、ほとんど濡れなかったのもありがたかった。そしてここからみる風景はいつもとは違って、今日は美しい雲海に覆われていて、ただ座って眺めているだけで心が洗われる想いがするようであった。

 大森山からの斜面は雪質も重くなっていてスキーはほとんど走らなくなっていた。それでもブナの林間を滑る楽しさは変わらない。各人、それぞれの技術を駆使して下ってくるところだから、早めに滑り降りて、みんなを待っているのは楽しい時間であった。尾根の最後の部分を滑り終えると林道に降り立ち、楽しかったツアーも後は林道を残すのみとなる。そこからは林道をショートカットしながら杉林を抜け出すと広々とした朝日平に飛び出した。先頭をきっていった山中氏はゴール近くで先ほどから無線の交信をしていた山仲間の丹野さんと合流していた。最後にこの朝日平で記念写真を撮り、車の待つ肘折小学校へと下ってゆき、今年の月山肘折ツアーが終了した。肘折温泉ではゆったりと2日間の汗を流し、肘折温泉唯一の蕎麦屋で軽く反省会をし、西川町の開発センターへと戻った。


鍛冶小屋直下を登る柴田氏(後ろの稜線は品倉尾根)


テント内で


二日目の朝、幕営地にて(後ろの雪原に念仏ヶ原の小屋が埋まっている)


山中さんの出迎えを受けて朝日平(肘折温泉)にようやく到着


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