山 行 記 録

【平成17年11月13日(日)/信濃沢〜駒ヶ岳〜豪士山



駒ヶ岳山頂


【メンバー】単独
【山行形態】秋山装備、日帰り
【山域】奥羽山脈南部(置賜東部)
【山名と標高】駒ヶ岳(こまがたけ)1,067.5m、豪士山 (ごうしやま)1,022.4m
【天候】曇り時々小雨
【行程と参考コースタイム】
登山口10:20〜本沢分岐〜969m峰11:33〜駒ヶ岳12:00-15〜1074m(最高点)12:27〜ひかば越え分岐12:56〜豪士山13:17〜豪士峠13:30〜登山口14:30

【概要】
 ガイドブックによれば豪士峠はその昔、高畠町上和田と福島市茂庭を結ぶ古い街道上の峠だったようである。高畠村は古くは屋代郷に属し、江戸時代において幕府の直轄領となったり、米沢藩の一時預り地となったりして時の権力に翻弄されたところだが、その屋代郷民にとって豪士峠は二井宿街道に対する間道として利用されていたらしく、またそれは米沢福島間の表街道である板谷峠に対する、いわば裏街道だったようでもある。この街道は福島県側から高畠町の亀岡文殊堂までの最短距離だったことから、昔は多くの参拝者に利用されていたらしいが、その昔日の面影も今はまったく見られず、街道があったことさえ知る人は稀である。

 その豪士山から先にも登山道が続いていると知人から教えられたのは3年前のことである。それも駒ヶ岳という名前なのだから驚いた。この山形県にも、それも意外に身近なところに山形駒ヶ岳とも呼べる山があったのである。もちろん当時は「分県登山ガイド 山形県の山」(山と渓谷社)のガイドブックにも記載されてはいなかった山である。また2万5千の地形図には駒ヶ岳の名前はあるものの、豪士山から駒ヶ岳までは県境の境界線があるだけで登山道の記載はなかった。しかし、最近になって発行された「新・分県登山ガイド 山形県の山」(山と渓谷社、2005年7月25日発行)にはこの駒ヶ岳が独立した項目として新しく加えられ、信濃沢から登るコースが紹介されている。

 この豪士山と駒ヶ岳に登るのは約3年ぶりである。前回5月に登ったときには、次回訪れるとしたら紅葉の時期にと考えていたのだが、すでに11月も中旬と、晩秋というよりは初冬に近い季節になってしまった。3年前は現地にある案内図もよく見なかったため、その時は豪士峠から豪士山に登り、単純に駒ヶ岳を往復しただけなのだが、せっかく周回コースを取れる信濃沢コースを下っていなかったので、今回は新しいガイドブックに従って、前回歩けなかった信濃沢コースから駒ヶ岳と豪士山を登ってみることにした。

 今日の天気予報によると昼頃から雨が降り出すらしかったが、置賜地方は朝から快晴のような青空が広がり、午前中ぐらいは天候が十分に持ちそうな空模様であった。しかし、そんな時に限って急な雑用が入って、9時過ぎまで自宅に足止めをされてしまい、空を見上げてはしばらく指をくわえて眺めていなければならなかった。このぶんだと出発は大幅に遅れ、登り開始は10時半頃になることが予想された。今日の予定は、できれば信濃沢コースから駒ヶ岳を登って、豪士山、豪士峠、中ノ沢峠とたどりながら、中ノ沢から元宮キャンプ場に下る、外回りの大きな周回コースを考えていた。しかし、こうも出だしが遅くなってしまうと、下山は日没となる恐れもあるために、今回は無理をせず無難に豪士峠を周回するコースに計画を変更した。現地に到着する頃には早くも薄雲が広がり始めていた。

 元宮キャンプ場を過ぎ豪士山の登山口に着くと、駐車場には2台の乗用車と軽トラ1台があった。しかし、ちらっと見た限りでは登山者の車でもなさそうな感じで、みんなキノコ採りのような感じがした。昨夜の雨で道路や道端の草も大分濡れているのではじめからスパッツを装着し、季節も考えて冬物も少しザックに入れた。紅葉のまだ所々に残る林道を信濃沢に向かって歩き始めると、まもなく本沢と西信濃沢の分岐点に着く。ここは新・ガイドブックに記載されている駒ヶ岳登山口で、元宮キャンプ場のものと同様の案内図が立てられている。駒ヶ岳登山口には県外ナンバーも含めて2台留められてあり、こちらは間違いなく登山者の車のようであった。

 西信濃沢に沿う山道は杉林が多く、薄暗い感じもして少し寂しさが漂っていた。しかも少しヤブっぽくなっていて道が良くわからなかったが、沢を渡渉し、登りにさしかかる頃から徐々に道形がはっきりとする。そして再び西信濃沢を渡り返すと登山道は沢から離れ始め、急坂のつづら折りの山道が続くようになった。付近はミズナラが多かったが少しずつブナも混じり始めてくる。登山道には落葉した葉が大量に降り積もり、道形がよくわからなくなっている。晩秋のいつもの特徴だとも言えばそのとおりなのだが、ところどころにある赤テープを目印に、また途中、何カ所かに設置されているトラロープに導かれるようにしながら上へ上へとめざしてゆく。枯れ葉色となったブナの葉はどうにか枝にしがみついていたが、冷たい風にあおられると、そのわずかな枯れ葉も耳元でかすかな音を立てながら散っていった。

 しばらく登るとやがて明瞭な尾根にでた。主稜線から派生する支尾根のようで、ここには案内の標柱がたっている。尾根からは見晴らしが急によくなり、前方にはめざす駒ヶ岳が大きく聳えていたが、手前にはいくつかのピークが立ちはだかり、距離はまだまだありそうであった。傾斜が少し緩み、しばらく登ると969mピークに着く。この付近は見事なブナ林が広がっていたが、葉は全て落ち尽くして丸裸の状態であった。ピークからは赤松が目立ちはじめ、岩稜帯のヤセ尾根も現れたが、特に危険な感じではない。いったん最低鞍部まで一気に下って、登り返しの急登をひとがんばりするとようやく駒ヶ岳の山頂であった。ここには「山形駒ヶ岳」と書かれた古い標識がぶら下がっている。雨雲が心配でここまではほとんど休憩をとらなかったので、この山頂ではじめての小休止をとることにした。ちょうど時間も正午になっていた。前回は5月ということもあり、山頂を取り囲んでいる潅木に遮られて眺望はなかったが、今回はほとんど葉が落ち尽くしているので前回と比較にならないほど展望が楽しめるのがうれしい。物音がひとつもせず、登山者は他に誰も見当たらない、静かな駒ヶ岳の山頂であった。

 駒ヶ岳の山頂を下り、登り返したところが高畠町の最高峰、1074.8m峰である。ここには三角点と標柱が立ち、右手には栗子山などが続いているのだが、残念ながらこの尾根には登山道はない。ここからは左に折れて豪士山まで見晴らしのよい稜線歩きとなる。しかし、笹薮がひどくなって山道をほとんど隠しており、もしもこの山が初めてであれば、間違いなく引き返していただろうと思われるほど、道は荒れているようであった。豪士山だけであれば豪士峠から簡単に登れるが、駒ヶ岳からの縦走路を歩く人はあまりいないのかもしれなかった。この辺りから少し小雨が降り始め、気分が一気にブルーになる。私は3年前の記憶を少しずつ思い出しながら先を急いだ。稜線に出たら急に気温は低くなり、温度計をみると4度〜5度ぐらいしかない。風もあるので体感温度はもっと低いはずであった。充電してきたばかりのデジカメのバッテリーがもう切れてしまった。

 「ひかば越え」まで降りてくると急に道形がはっきりとし、道幅も広くなり不安感が払拭された。ほとんどの登山者は豪士山に登って「ひかば越え」コースを下って行くのかも知れなかった。小雨は降ったり止んだりを繰り返しているものの、まだ霧雨状態なのがありがたい。豪士山への登りはたいしたことはないと思っていたが、疲れが出てきたのか筋肉ははちきれそうなほどで、予想していたよりもつらく感じた。しかし斜度が緩むとほどなく豪士山の山頂に到着した。山頂にはやはり登山者は一人も見当たらなかった。広々とした豪士山の山頂は休憩するには絶好の場所で、ここからは高畠町の街並みや置賜や福島県の山々もほとんど見渡せるところだ。しかし、あいにく厚い雲が空全体を覆っており、今にもまた雨が降り出しそうな空模様にはがっかりするばかりだった。豪士峠を下る頃には再び小雨がぱらつきだしてきたが、それほどの大降りになることはなく、雨具はザックから出さないままで下った。

 下るにつれて色鮮やかな紅葉が戻ってきたが、すでに盛りは過ぎていて雪の降るのを待っているような寂しさが一帯を覆っていた。登山道は歩きやすく厚く降り積もった落ち葉を漕いでゆくのは、ちょうど降ったばかりの新雪を蹴散らすような感じにも似て、心地よかった。今日は結局、5台も車がありながら一人の登山者とも出会わなかった一日であった。また、どうもこの山とは相性が悪いのか天候には恵まれなかったが、展望がそれなりに楽しめたのも三年前と同じであった。今度登るときにはまだ残っているコースである、中ノ沢と本沢コースを組み合わせた山行にしようと決めながら下った。駐車場にもどると車がまだ2台残っており、道中出会わなかったとすると、やはりキノコ採りの人達のようであった。車まで戻るとついに我慢しきれなくなったのか急に大粒の雨が降りだし始めていた。



豪士峠から下る途上で駒ヶ岳を仰ぐ
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