山 行 記 録

【平成17年11月6日(日)/徳網山】



徳網山山頂から朝日連峰の大パノラマ
左から西朝日岳、中岳、大朝日岳、平岩山、大玉山、祝瓶山


【メンバー】2名(妻)
【山行形態】冬山装備、日帰り
【山域】朝日連峰周辺
【山名と標高】 徳網山(とくあみやま)787.5m
【天候】曇り
【温泉】西置賜郡小国町「白い森交流センターりふれ」500円
【行程と参考コースタイム】
徳網山登山口9:50〜636mピーク11:20〜徳網山(昼食)12:00-30〜徳網山登山口14:30
  
【概要】
 徳網山は山形県の西置賜郡小国町の北西部に位置し、五味沢地区のさらに奥の集落である、樋倉地区のすぐ裏手に聳える山である。この徳網山とはちょうど荒川をはさんで白太郎山や祝瓶山が対峙しており、以前から「知る人ぞ知る眺望の素晴らしい山」として地元の住民には登られていた山のようであった。私は昭文社発行のエアリアマップ「飯豊山」の著者である井上邦彦氏が開設しているホームページ「飯豊・朝日連峰の登山者情報」により、今年の9月19日にこの徳網山への登山道が切り開かれたのを知り、また10月29日付けの地元紙「山形新聞」においても、この徳網山への登山道が新たに整備されたという記事を読んでいた。新聞記事には「傘を差しながらでも登山できる道幅を確保している」と記載されていた。妻はちょっとした不注意から右足を捻挫してしまい、最近は山歩きから遠ざかっていたが、だいぶ治りかけていることもあって、この新聞記事のことを話すと急に乗り気になり、二人での山登りは久しぶりである。標高は788mとたいしたことはないが、展望がかなりよいというので、これは近いうちに登ってみなければと考えていた山でもあった。

 登山口は宿泊施設でもある「白い森交流センターりふれ」から少し進み、荒川に架かる樋倉橋を渡ると樋倉地区に入る。その樋倉集落手前の道端に登山口を示す新しい標柱が立っていた。県道から細道にわずかに入ると駐車スペースがあったがそれ程の広さはない。井上氏の記録によれば、ここは昔の採石跡地とのことでせいぜい5、6台程度の広さしかなかった。駐車中の車は2台だけで、うち新潟から来たという3人組がちょうど準備中で、パッキングを済ませるとまもなく私達より一足早く登っていった。

 天気予報では今日は快晴のはずだったが、早朝からの濃霧は一向に晴れる兆しはなく、薄雲が上空を一面覆っている。それでも薄日は差しているので、山頂での好天を期待しながら山道に入った。薄暗い杉林を抜けるとまもなく明るいナラ林となる。いかにもキノコなどが豊富に採れそうな感じのする雑木林で、この辺り一帯は昔から地元住民にとって、山菜やキノコなどを採ったりする生活圏の一部になっているようであった。最初の急坂を20分ほど登ると目的の徳網山が深い谷をはさんで正面に見えるようになる。しかし、尾根道は左から大きく迂回するように続いていて、山頂はなかなか近づかなかった。雑木林はナラからブナ林となり様々な広葉樹も多く目立つようになった。この付近は紅葉が盛りであり、特にカエデが多いためか、鮮やかな赤色がとくに美しさを際だたせている。これで陽射しさえあれば一段と輝くだろうにと思うと今日の曇り空が少し恨めしい。

 山道は途中刈り払いされたばかりの区間が目立ったが、それでも半分以上は昔からの登山道があるような感じがした。確かに傘も差しながら歩けそうな山道ともいえそうだったが、それはちょっと大袈裟で一般の登山道とそれほど違わない。心配していた妻の足は快復がまだ十分ではなさそうなので、途中で何回も休憩をとり、ゆっくりと時間をかけながら登った。妻は傘を差して登れる山と聞き、遊歩道のような道を想定していたらしく、これでは誇大広告ではないかとしきりにぼやいた。それでも途中の636mピークを超えると比較的なだらかな尾根道となった。ここからは小さなアップダウンが続くところで、左側が急峻なヤセ尾根となっている。しかし、潅木が多いのでいざというときにはつかめる枝も多く、特に不安は感じられなかった。

 ところが、途中の小さな下りになったところにきて、妻が急に足の痛みを言い出した。どうも登りよりも下りの方が足の痛みが増すようであった。それまでも妻は少し我慢をしながら登ってきたのをわかっているだけに、ここにきて痛みを訴えるくらいだから相当痛いのだろうと思った。徳網山の山頂まではまもなくであったが、そこからはペースががくんと落ちた。私は妻にこの辺りで待っていてもらい、山頂までは一人で走ってでも往復して来ようかと提案したのだが、妻はここまで来たのだから山頂までは行きたいと気丈な様子に少し安心する。私は妻の手をつかみ、ひっぱり上げたりしながらも、下山時には妻を背負わなければならないかも知れないことを覚悟していた。黄色に染まったブナ林の間からは右手奥に大朝日岳から西朝日岳の稜線が見えていた。ここでは取り残しのクリタケやコガネダケのキノコを少しだけ採取することができ、少しは妻の気分を紛らわすことができたようだった。妻はキノコが大好物なのだ。最後は小さな岩場と五葉松の混じる100m足らずの急坂を一気に登り、無事に二人で徳網山の山頂に到着した。

 山頂には三角点と山頂を示す新しい標柱が立っていた。ちょうど昼時間のため、山頂では2パーティ、7人ほどが標柱を囲んで、それぞれに休憩を楽しんでいるところだった。登りはじめてから2時間10分。今日の妻の足の状態からすれば予定していたよりもかなり早く到着したようである。山頂からの展望は新聞記事に違わず、祝瓶山から以東岳までの朝日の稜線が全て見渡せるのでびっくりするほどだった。反対側には冠雪した飯豊連峰が一望のもとで、飯豊本山から連峰北端の杁差岳まで連なる各々のピークも全て指示できそうである。西には下越の名山、鷲ガ巣山や光兎山なども至近距離に聳えており、徳網山の山頂からはまさに360度の大展望であった。妻もこの展望をみては非常に感激し「あの山は?」とか私にいろいろと質問を投げかけてくる。無理して登ってきただけにその喜びもひとしおなのだろう。妻の顔色は明るく、先ほどまでの必死で登っていた時のつらそうな表情は消えていた。

 山頂はそれほど広くはなく、私達は端の方に陣取って昼食をとることにした。残念ながら天候だけは予想していた快晴にはほど遠かったものの、高曇りの状態ながら予想以上の眺望を楽しめたのだから文句はいえない。風だけは冷たいので防寒着に身を固め、熱い味噌汁をすすると冷えた体が内部から温まった。心配していた妻の足も大丈夫だというのでとりあえず一安心しながらの昼食であった。

 早めに登っていた女性の4人組が山頂から去ると、私達も後を追うように後かたづけを始めた。新潟からの3人組は大きな鍋を担ぎ上げてきており、日本酒のパックや缶ビールの空き缶が散在していて、山頂での宴会はまだまだ終わる気配はなさそうであった。

 山頂を後にすると案じていた妻の足が再び痛みだしたのか、登りよりも時間をかけながら慎重に下っている。しかし、背負ってもらうほどではないと再三、妻が言うので、しばらく様子をみることにした。天候は確実に下り坂に向かい始めているらしく、上空の雲は午前中よりもさらに厚みを増し、まもなく雨が降り出しそうな気配を見せている。稜線から離れるに従って冷たい風も徐々におだやかになったが、二人とも体はかなり冷え切ってしまい、下山後は一刻も早く「りふれ」のお湯に浸りたい気分になっていた。


山形新聞の記事(10月29日)


徳網山山頂から望む五味沢集落や飯豊連峰
写真ではよくわからないが冠雪した飯豊連峰の各ピークが全て見える


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