山 行 記 録

【平成17年10月10日(月)/勧進代尾根〜昭和堰〜葉山奥ノ院】



奥ノ院からの祝瓶山


【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備
【山域】朝日連峰
【山名と標高】長井葉山1,210m
【天候】曇りのち晴れ
【温泉】長井温泉「桜湯」300円
【行程と参考コースタイム】
   勧進代登山口(350m)9:30〜稜線分岐11:27〜昭和堰分岐11:35〜昭和堰標柱11:50〜奥ノ院12:35-13:00〜
   葉山山荘13:10〜昭和堰分岐13:25〜稜線分岐13:30〜勧進代登山口登山口15:00
  
【概要】
 長井市史によると「昭和堰」とは、長井葉山の西斜面を流れるいくつもの沢水を集めながら、葉山東面の集落である勧進代村へと取水するために、長井葉山の山頂直下に作られた用水路である。嘉永6年の大旱魃を機に、草岡村には「桶佐(オケサ)堀」、勧進代村には「嘉永堰」を開削したのが始まりで、その後、昭和7年から昭和9年にかけてその「嘉永堰」の堰幅を拡張補修し、鍋割り沢からさらに奥にある御秘蔵沢まで延長し、新たな用水を確保すると共に、「昭和堰」とあらためたのが由来のようである。当初の「嘉永堰」の開削工事は、予定された堰筋に大岩や大木の根が顕われるなど、かなりの苦難を極めた工事のようであった。

 勧進代の集落から西山の山麓を走る農免道路を横切り、500mほど入った林道の路肩に車を止める。林道はまだ先まで続いていたが、その先は行き止まりとなりUターンも難しくなると聞いていたので、ためらいもなく林道を歩くことにした。登山口の標高はまだ350mほどしかなく、草岡(オケサ堀)コースや白兎尾根と同じような高度差を登らなければならないようであったが、登山口を示す標識などはどこにもなく、いささか不安な気分を抱きながらの歩き出しであった。沢沿いの道を右へ左へと交互に渡り返し、途中、古いロープの張られた岩場をへつりながら上流を目指した。最後に少し大きめの沢を渡って右の尾根に上がると、ようやく明瞭で広い登山道が続くようになった。地形図を見ると白兎尾根より距離的には短いだろうと考えていたが、急坂になると次第にジグザグ道となり、なかなか高度が上がらない。この尾根は白兎コースの直登尾根とは違い、予想外に距離があることがわかって時間もかかった。展望のない樹林帯がしばらく続いたが、標高840m地点で長井市の市街地や農村の集落が望める展望の良い場所を通過する。朝から薄曇りの天候で気分は沈みがちだったものの、次第に秋の陽射しが登山道に降り注ぐようになり、見上げると黄色に色付き始めたブナの葉が眩しく感じられるようになった。

 まもなく草岡コースとの合流地点が近づくと傾斜も緩み、爽やかで心地よい秋風に晒されるようになった。合流点付近の標高は約1000m。葉山山荘まではまだ200mほど登らなければならなかったが、すでに灌木類は鮮やかな紅葉に染まり始めていて、この周辺付近でもすでに初秋から本格的な秋を迎えつつあるようであった。勧進代尾根は左からの草岡コースと稜線上で合流し、この分岐点から少し登ると、昭和堰への分岐標識が立っている。今回の目的はもちろん初めての勧進代尾根を歩くことだが、その一方でここからの昭和堰コースを歩くことの方がむしろ主たる目的でもあった。昭和堰へは葉山山頂の手前にそびえる、1201mピークを大きく西側に回り込むようにルートがとられている。もちろんこのまま葉山山荘へ直登するよりも、歩く距離は2km近く遠回りとなる。以前、春の残雪期に誤ってこのコースに入り込んだことがあったが、その時は残雪のトラバースに阻まれて断念しており、このルートを歩くのは今回が初めてであった。未踏の山道を歩く楽しみもさることながら、葉山山荘を通らずに奥ノ院へ直接登れるのがこのルートの最大の魅力だろうか。

 昭和堰の分岐からはほぼ等高線に沿って道が切られていて、ほとんど水平道の歩きが続いた。まもなくT字路にぶつかると、そこには昭和堰を示す標柱と、やや幅広な水路が山道に沿って南北に流れていた。奥ノ院へはT字路から右手に折れ、そこからはこの昭和堰に沿って登山道がずっと続いていた。初めてみる昭和堰は、部分的には荒れているところがあるとはいえ、このような標高の高い地点に丁寧に掘削された水路が切られているのだから驚くばかりだ。また登山道の路肩には崩れ掛けたコンクリートブロックがところどころに残っていて、当時としてはかなりの大工事だったことが伺えた。この登山道は意外にも道幅が広くて歩きやすく、まるでこちらの方が葉山へ登る本来の登山道と勘違いしそうなほどである。途切れなく続く平坦な道は、ほとんど遊歩道とも思えるほどの趣を感じさせる山道でもあった。もちろんこれは昭和堰開削のための工事として一緒に整備されたもののはずで、その当時の並々ならぬ農民達の意気込みや苦労が忍ばれようであった。水平道を大きく回り込み、ほぼ中間地点までくると林間からは祝瓶山の鋭鋒や、常には見ることのできない前大玉山や大玉山の朝日の稜線をちらほらのぞき見ることができ、歩いていても少しも興味が尽きることはなかった。

 さらにいくつもの小沢を横切りながら何回か裾野を回り込むと、正面には葉山や奥ノ院の本峰が見えてくる。鮮やかな紅葉に全山が覆われているのを見てあらためて感激するほどである。考えてみれば昭和堰コースは葉山の西斜面を歩くので、通常の登路よりもずっと紅葉が進んでいるようであった。水平道が終わるといよいよ奥ノ院への最後の登りとなる。疲れも溜まってきたのか、ここまで予想外に時間がかかっており、力を振り絞って最後の急坂を登った。

 予定どおりのコースを歩いてきたとはいえ、登り切ったところが奥ノ院というのが、私はしばらく信じられないような気持ちに襲われていた。いつもの歩き慣れた葉山とは大きく勝手が違っていて、周囲の光景も新鮮そのものである。今回はまるで初めての山に登ったような不思議な感動があった。好天にもかかわらず奥ノ院の山頂には誰もいなかったが、山頂からは360度の展望が広がっていて、正面の祝瓶山は以前に眺めたときよりも褐色に彩られ、その渋い色合いは見ているだけで心が落ちついた。素晴らしい眺めだった。誰もいない山頂だったが、この静けさが疲れた体を少しずつ癒してくれるようであった。山頂では実に満ち足りた思いに浸りながらつかの間の休憩を楽しんだ。

 山頂をからは登ってきた昭和堰コースを見送り、葉山神社へと向かった。途中で葉山湿原に立ち寄って行くと、草原はすでに草紅葉の最盛期を迎えており、それはまるで刈り取りを迎えた黄金色の稲穂にも見えて、何ともいえない長閑な田園の風景を思い起こさせるようであった。葉山神社に参拝をして葉山山荘を後にすると、山荘からはほとんど下り一方の道となり、西に傾きかけた柔らかい陽射しが登山道に降り注いだ。道端の紅葉は午前中よりもずっと陰影が濃くなっていたが、その紅葉も下るに従って再び緑色に戻って行く。私は黙々と下山をしながらも、一方では昭和堰から奥ノ院に登ったことで、いつもの長井葉山とは明らかに違う不思議な違和感のようなものを感じていた。それはもちろん期待していなかった分だけ感激が大きかったという意味で、あらためて身近な山を見直したというようなものだろうか。私は紅葉の楽しみが終わると、今度は至るところに落ちている山栗の実を拾い集めながら、勧進代の集落に向かってのんびりと下った。


今回のコース(縮尺約54,000/1)



昭和堰の標柱



紅葉の登山道


奥ノ院が目前


草紅葉の葉山湿原


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