山 行 記 録

【平成17年4月3日(日)/焼走り〜岩手山】



1000mの大斜面を滑降する
右上は岩手山の山頂


【メンバー】3名(柴田、山中、蒲生)
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備(アイゼン、ピッケル含み)、日帰り
【山域】奥羽山脈北部
【山名と標高】 岩手山 2,038m
【天候】雨後晴れ
【温泉】岩手山焼走り国際交流村「焼走りの湯」500円
【行程と参考コースタイム】
自宅2:20=R348=山形蔵王IC(山形道・東北道)西根IC=焼走り国際交流村5:30
焼走り国際交流村駐車場8:30〜第1噴出口跡10:40森林限界11:20〜岩手山13:40-14:10〜森林限界14:50〜駐車場15:40
「焼走りの湯」17:00=西根IC・泉IC=多賀城(夕食)=仙台東部道路・南部道路=山形蔵王IC=R348=自宅着23:50
  
【概要】
盛岡市北西方にそびえるコニーデ式火山である岩手山。東斜面のみが美しく裾を引くことから「南部片富士」とも呼ばれる東北の秀峰である。今回はこの岩手山を滑ろうという柴田、山中氏の計画に加わった。二人は昨日の大沢下りを終えるとすぐに現地に直行し、昨夜から現地でテントを張って前泊中であった。登りの標高差が約1500mもあることから6時には登り始めたいというので、私は午前2時過ぎには自宅を出た。

東北道を走っていると、盛岡付近から雨模様となり、高揚していた気持ちが一気にブルーに変わった。現地に着いても雨が降り止む気配はなく、焼走り国際交流村の駐車場はひっそりと濃い霧に包まれていた。周囲の視界は100mもなく、岩手山も雨雲に覆われて全く姿が見えなかった。前泊組の二人と合流後は、テント内でコーヒーを飲んだりしながら、今回は長距離ドライブに終わってしまうのか、などと一時は山をあきらめかけていた。しかし3時間ほどすると雨は少し小降りになり、ガスも次第に晴れてきたため、途中敗退も視野に入れて出発することにした。

駐車場からはすぐ目の前に広がる雪原から歩き出しとなる。天然記念物である「焼走り溶岩流」は、いつもならばこの時期では雪がほとんど消えているらしかったが、今年は例年にない大雪のためにまだスキーの滑走が可能だ。しかし溶岩の一部はすでに露出しており、1週間後、この雪原はほとんどなくなりそうな状況であった。昨日もかなりの人が入山したらしく、雪原にはスキーのトレースが入り乱れていた。この山裾の平坦な歩きは2km以上もあり、小雨が降る中をしばらく同じ様な風景が続いた。雪は雨でしっかりと締まっているが、湿雪だけにシールが徐々に重くなってゆく。少しずつ傾斜が増して行き、密林のようなヤブに入る前に一本休憩をとる。ここは地形図の第2噴出口跡の下部付近で、標高はまだ930mほどである。400mほど登ってきたのだが、山頂まではまだ1100mも登らなければならないのだと知ってがっかりする。しばらく夏道に沿って樹林帯を登って行く。傾斜はまだそれほどではないが、水分を吸ったシールが足枷のように重く、ペースは少しも上がらなかった。1200mを超え、樹林帯から抜けだすあたりから、雨が次第に細かい雪に変わり、風と共に少しずつ陽射しが差すようになった。独立峰だけに風の強さはかなりだ。ときどき立ち止まりながら耐風姿勢をとらなければならなかった。まもなくするとドスン、ドスンという大きな音が鳴り響き驚いた。初めは雷鳴かとも思ったのだが、なんと自衛隊の演習による大砲の音響のようであった。音は女神山付近から聞こえていたが、それは岩手県全土にも聞こえそうなほどの轟きでもあった。結局その空砲は私達が下山するまで止むことはなかった。

周囲にはほとんど木立はなくなっていたが、西側に大きく回り込むと森林限界となった。1500mを超えると全く樹林が見あたらなくなり、この付近からはいよいよシール登高がきつくなってゆく。アイスバーンの上に、昨日から今朝方にかけて降った新雪が降り積もり、トラバースすると大きくずれるのだ。柴田、山中氏の二人は途中からスキーアイゼンを装着した。わたしはスキーアイゼンがなく、二人のトレースをたどりながらシール登高を続けた。大きなジグザグを何回か折り返すと、はるか遠くに思えた山頂もあと200mほどの登りとなる。午後からは天候が回復するだろうと言う予報どおり、見上げると上空にはいつのまにか青空が広がっていた。眼下には盛岡の市街地や裾野の集落などが遮るものがなく広がっており、それはまるで飛行機から下界を見ているようでもあった。

このままゆけば、山頂までスキーでも大丈夫だろうと思っていると、途中からアイスバーンの雪面が多くなり、簡単には進めそうもなくなる。スキーのエッジがほとんど効かず、転けたら1000mの標高差を一気に滑落するほどの緊張する場面に立っていた。山頂直下では昨夜の雨がガチガチに凍り付いているようであった。ここで私は10本爪アイゼンを装着してスキーはロープでひっぱることにした。柴田氏はさすがにエキスパートで、そこからも小気味よくアイゼンを効かせながらスキーの一人旅を続けて行く。しかし山中氏はもう100mというところまできて山頂を断念した。私はストックをたよりに直登したが、スキーで横滑りさえも不可能な雪面をみて、ふいに危険を感じてしまい、山頂までもう20mのところで断念する。この付近はアイゼンの爪もきかないほどのアイスバーンであった。途中、アイゼンを装着した段階でスキーをデポし、ピッケルだけで山頂まで往復すればなんということもなかったのだが、そんな当たり前のことができないほど疲れていたのだろうか。そこは山頂とほとんど変わりがないとはいえ、カルデラが見られないのはやはり残念であった。山中氏の休んでいる地点まで引き返そうとしたところで、今度はそんな気持ちに追い打ちをかけるように、思わぬアクシデントが続いて発生する。何かの拍子にスキーがカラビナからはずれてしまい、一本だけ斜面を滑り出してしまったのだ。一瞬のことであった。大声を上げたが山中氏は気付かない。目の前が暗くなりながらスキーを見送っていると、スキーは途中でシュカブラに突き刺さって停止した。

スキーを回収してから山中氏の地点まで下り、小休止をとりながらしばらく大展望を楽しんだ。休んでいるところも2000m近い標高があり、ここからは八幡平や茶臼岳、安比の山々が目の前であった。両側にきれいな稜線を引く女神山が東側に対峙していて、そのいずれもがすぐ手の届きそうな距離である。左手のはるか下には避難小屋の小さな屋根が見えた。まもなく柴田氏が山頂からスキーで滑走してきて合流すると、そこからはいよいよ大滑降の始まりだ。標高差1000m以上の一枚バーンはまさに雄大のひとことで、これほどの規模は東北でもこの岩手山の東斜面をおいて他にないのではないかと思えるほどであった。滑ってみると少しきつい斜面だが、20cmほどの新雪がターンを快適にしてくれる。いくら下っても同じような斜面がずっと続いているのだから楽しい。登りのつらさはこのために耐えてきたのだと今更ながら思った。しかし、森林限界まで下ってくると、3人ともモナカ雪に足を取られ、思わぬところで転倒したりした。すでに時間は午後の3時近く、気温の低下と共に急激に雪面が氷化しはじめていた。ヤブの中はボーゲンや大周りで迂回しながら下った。まもなくすると「焼走り溶岩流」を残すのみとなった。朝方は湿雪のために、平坦部はほとんど滑りにはならないだろうとあきらめかけていた「焼走り溶岩流」だが、下山が遅くなった事が幸いして、アイスバーンにスキーが良く走った。一気に駐車場近くまで下ると、ようやく雲が晴れて辺りは日没が近づいていた。私達は岩手山のすっきりした姿を仰ぎ見ながら、先ほど斜面に刻んできたばかりの自分たちのシュプールを探してみたが、逆光に遮られてそれはほとんどわからなかった。


岩手山を正面に焼走り溶岩流を歩く


ひたすら高度を稼ぐ


山頂直下まで下がり小休止(1950m付近)


滑降(1)


滑降(2)


焼走り溶岩流から仰ぐ岩手山(午後3時40分)


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