【概要】
村山盆地や蔵王山麓などから西の山並みを眺めると、月山から湯殿山をへて大朝日岳へと延々と連なる、一枚の屏風のような尾根がある。このうち月山第1トンネルから鍋森を経て赤見堂岳に至るコースは私にとって長い間の懸案となっていた。この連綿とした長大な尾根をたどりながら紫ナデや障子ガ岳を越え、天狗小屋から大井沢へと下るのが今回のコースである。月山第1トンネルから紫ナデまでの区間には登山道はなく、雪のある今の時期しか歩けない。その稜線上で際だって高いピークを見せているのが赤見堂岳で、秀峰、障子ガ岳に次ぐ標高をもつ。その存在感はたかだか1400m級の山とは思えないほどで、知る人ぞ知る朝日連峰の秘峰とも言えるものである。私は毎年のように鍋森だけでもと思いながらも、他の山に明け暮れている内に、いつしか先延ばししていた。昨年は同じ西川山岳会による山行で、桧原から赤見堂岳を往復する予定だったが、結局時間切れのため山頂は踏めなかった。個人的にはいろんな思いが積み重なったルートであり、今回はそれだけに興味が尽きない山行であった。
(3月19日)
月山第1トンネルの駐車場で準備をしているときから雪が舞い始めていた。空は鉛色の雪雲に覆われて夕暮れのような薄暗さに包まれている。今回は、途中からエスケープルートを下山する1泊2日組の3名を含め、総勢12名の大所帯である。装備は山スキーがほとんどだが、うち1名がスノーシューの参加で、テレマークスキーは私だけであった。共同食料の分担を割り当てられて、今回のザックはいつもよりもずっしりと重い。今日は赤見堂岳手前のコルで幕営する予定なので、天候さえ問題なければそれほどきつい行程でもなさそうであった。
県内は早朝まで雪が降り続いていて、沢に沿って登り始めるとすぐに膝下ほどのラッセルとなり、今年の雪の多さにあらためて驚かされる。今日は人数が多いので交代しながらのラッセルなのでそれほどでもないが、単独ならばあっさりと退却するしかないような深雪が続いた。まもなく尾根に上がるとその積雪も少なくなってラッセルから解放されたが、樹林が疎らになった分だけ今度は急激に風が強くなる。時々薄日が差したりしたものの、予想とは裏腹に天候は悪くなるばかりで、視界はだんだんとなくなっていった。1195m峰からは丸みを帯びた鍋森が前方に一瞬うっすらと浮かんだが、風雪が強まると、まもなくその姿も視界からなくなった。鍋森直下の樹林帯で休憩していると、突き抜けてくる風に、立っていることさえ困難になり、風雪が止むまでの間、稜線の東斜面に雪を掘って一時待避となった。
雪堀の作業をしている間はあまり感じなかったが、3月も下旬というのに気温の低さは厳冬期と変わりがなかった。雪穴に身をかがめて休んでいると体はガタガタと震え始めていた。1時間ほど待ってもブリザードのような悪天候が収まる気配はなく、まだ11時だったが、リーダーからは早々とビバークの決定がされた。テントは8人用ほどの大きなエスパースと他に3人用のテントがあったが、メンバーのうち二人は、こんな時は雪洞がいいのだと言いながら、早くもスコップを持って斜面を掘り始めている。吹雪の中での作業のため、時間がかかったものの二つのテント設営を終え、全員がテント内に入ったところで早めの宴会となった。早速、各人のザックからは食材がつぎつぎと出てきて、テントの中は急ににぎやかになる。外は吹雪でも、肉とキムチと大量の野菜がはいった大きな鍋がぐずぐずと煮え出すと、テント内には湯気が充満し、寒さはほとんど感じなくなった。しかし、外では風雪がますます激しさを増しており、早めのビバーク決定は結果的に正解だったようである。
吹雪がようよく落ちついたのは夕方の5時過ぎになってからだった。テント内が少し明るさを増し、外に出てみると地吹雪は相変わらずだったが、上空の雲の一部が切れて青空も少しのぞき始めている。明日は間違いなく晴れそうな気配が漂っていた。その夜は翌日の好天に期待をしながらシュラフに潜り込んだ。
(3月20日)
翌朝は朝3時に起床した。まだ外は真っ暗だったが、満天の星空と山並みの向こうには寒河江市や山形市街の夜景が煌めき、今日の好天はほぼ間違いなさそうであった。朝食に熱いラーメンを食べると体中が暖まり、半分眠っていた細胞が一気に元気を取り戻してくるようであった。大人数なので朝食に結構時間がかかったが、5時過ぎにはテント撤収を開始した。一晩中音沙汰がなかった雪洞組の二人も、雪に埋もれた入り口から抜け出し、無事に起き出してきた。ご来光は5時43分。しばしテント撤収の仕事を休めてオレンジ色に染まる東の空を全員で眺めた。今日の行程は、大井沢からバカ平経由で登ってくるサポート隊と天狗小屋で合流し、小屋では大宴会が予定されている。サポート隊のメンバーもまた今日の好天に胸をなで下ろしていることだろう。
幕営地からは鍋森をめざしてシール登高を開始する。今日は雲ひとつない快晴の空が広がり、昨日の悪天候がまるでウソのようだった。振り返ると朝日を浴びた月山や湯殿山が神々しいまでに輝き、左奥には鳥海山がくっきりと空に浮かんでいる。湯殿山が異様なほど近くに聳えており、月山も朝日連峰の一部なのだとあらためて認識させられる光景であった。鍋森への斜面を登っていると、雪面には私達の長い影が伸びていた。
鍋森からは離森山の白いピークが右手に聳えていた。名前のごとくコースからは離れているが、短時間で往復できそうなので日帰りでいつか訪れたいピークである。一方、赤見堂岳まではボコボコとした大小のピークが続き、まだまだ距離がありそうであった。しかし、快晴の天候では地図さえ不要とも思えるほどで、快適に下ったり登ったりを繰り返しながら赤見堂岳をめざした。右手には以東岳から北へと伸びる長い稜線に朝日が反射しているのが見えて、連峰の最奥にいるのを実感した。昨日幕営するはずだった赤見堂岳手前の1331mピークまでくると、コルまではみんな急斜面の滑降を思い思いに楽しむ。コルからは赤見堂岳へ200mほどの今日一番の登りが待っている。急勾配のうえに上部はクラストしていてシール登高がつらい。山頂でのビールが楽しみとばかり、ハイピッチで登っていた山岳会の重鎮、Eさんは一番乗りで赤見堂岳に登り着き、私は二番手であった。山頂からは月山や湯殿山が目前に聳え、南には枯松山、大桧原山、紫ナデへと長い縦走路が伸びている。奥には大朝日岳から以東岳への主稜線、さらには名もない朝日連峰の大小のピークが幾重にも連なっていた。来週の会山行で予定しているもう一つの秘峰、石見堂岳までは、スキーならばひと滑りで行けそうな近さだ。夏には絶対に眺められない光景にしばし言葉を失うようであった。
赤見堂岳でのんびりとした大休止を終えると、そこからはようやくシールをはずしての滑降となる。清々しい風を受けながらなだらかな稜線を下るのは楽しいばかりで、みんな思い思いにシュプールを刻んでゆく。赤見堂分岐からは、エスケープルートである馬場平を経由して下山する、Eさん達3人組を見送り、私達はまず枯松山へ向かった。前方の障子ガ岳を正面に眺めながら、ここからも小さなアップダウンが続いた。登りでは面倒なのでシールをつけずにスキーを担いだが、1400m峰へはシールを再び貼ることにした。1400m峰は別名高倉山とも呼ばれるピークで、この縦走路にあっては赤見堂岳に次いで高い山だ。南側に雪庇が大きく発達していて迫力があり、慎重に稜線を通過する。メンバーの中で紅一点のHAGAさんは意外と体力があり、疲れも見せず先頭集団についてくる。
1400m峰到着は12時40分。歩き出してすでに6時間以上が過ぎていた。リーダーによれば、紫ナデへ15時まで着けなければ障子ガ岳を越えるのは無理だが、このペースならば天狗小屋へは日没前には到着出来るだろうと説明する。しかし、早朝からの行動開始もあって、メンバーそれぞれに結構疲れが出てくるところでもあった。昨日の予定外によるビバークによって、今日はまるで二日分の行程を一日で歩くみたいなものなのだ。疲れのため、スキーの操作もままならなくなり、シールのまま下る者もでてきていた。
紫ナデまでの稜線はヤセ尾根のうえ、雪庇がかなり発達しているので要注意の区間であった。大桧原山へは少しヤブっぽい斜面に苦労したものの、それもつかの間で、紫ナデ手前に聳える1320m峰からの急斜面にはみんな難儀しながらの滑降となった。何しろ狭い雪稜の左側は大きな雪庇なのだ。私はブナ林の安全地帯をつないでようやく紫ナデ直下のコルまで降りたが、この頃になるとみんなの足並みがほとんど揃わなくなっていた。薄雲も広がりだして天候は下り坂というのも気にかかっている。一日持つだろうと思われた快晴の空も、今はすぐにでも雪が降り出しそうな鉛色の空に変わっていた。疲れがたまった体には、コルから紫ナデへの登りはきついものだった。気温が下がり始め、風も出てきたために、雪面はカリカリのアイスバーンと化していた。慎重に登り切ると、懐かしい紫ナデの標柱が立っていた。このコースで唯一、人間臭い物に巡り会った気分であった。障子ガ岳はもう正面であったが、コルから紫ナデまでの、この短い区間でさえも最後尾は30分以上も遅れていた。リーダーは天狗小屋のサポート隊に無線連絡をし、応援隊の迎えを打診していたが、小屋のメンバーも今日の行程で疲れて果てており断られる。この時点で今日の障子ガ岳越え天狗小屋泊はあきらめることになり、大クビトにビバークすることに決定し、翌日はヨウザ峰を経由して桧原へ下山することになった。
昨日に続いて二日目もビバークであった。嵐の前の静けさの漂う中、テント設営は順調に進み、6時前には全員テントに入居を完了した。落ちついてまもなくすると外は猛吹雪となり、テントは風に煽られて終始、大きな音が止まなかった。しかし外は大荒れでもテントの中は天国である。みんなのザックからは、まるで魔法の小箱のように、次々と食材やアルコールが飛び出してくる。食べきれないほどの料理をたらふく食べながら、二日目の夕食は時間を忘れて遅くまで続いた。
(3月21日)
一晩中外は大荒れであった。テントは吹き飛ばされそうなほど揺れ続けた。朝方になっても吹雪は治まらず、起床時間が延び延びになり、4時には目覚ましをセットしたものの、結局6時過ぎの起床となった。この頃になるとようやく外が明るくなり、行動も可能となった。今回は風の弱い場所を選んだつもりが逆に風の通り道だったようである。朝のコーヒーを全員で飲み、昨夜の内に作っていた餅入りキムチ鍋を温めて朝食とする。外に放り出していたザックは新雪に埋まっていたが、風雪が止まないのでテント内でザックのパッキングをした。テント撤収は目も空けていられないほどの吹雪の中での作業であった。
風が強かったわりには昨夜の積雪は思ったほどもなく、大クビトから1196m峰へは順調に高度を稼ぐ。シールを貼ったままの人もいたが、私はスキーを担いで登った。ピークからはシールをはずしていよいよ滑降を開始する。振り返ると障子ガ岳や紫ナデが圧倒的な迫力をみせる。下るに従って風も弱まり、気温が徐々に上昇してきていた。左手には昨日歩いてきた長い稜線が見えており、赤見堂岳は大桧原川の深い谷をはさんで、はるか遠くに聳えているだけであった。右手には小朝日岳や大朝日岳がうっすらと見えたが、大きな雪煙が舞い上がっており、主稜線は台風並みの強風が吹き荒れているようであった。手前の低い稜線は天狗小屋からバカ平に伸びる夏道の尾根で、サポート隊が下っているはずである。無線のやりとりを聞いていると隊のメンバーもまた、今日の悪雪に難儀しながら下っている様子であった。
1080m地点まで下ったとき、休憩時を利用して南斜面の樹林帯をちょっと滑ってみた。雪は少し重いがブナ林の中は雪が深く、快適な滑降を一本楽しむことができた。わずか200mほどの滑りだったが、今日の行程で一番ともいえる滑走に満足した私は、シールを貼って、皆の待つ休憩地点へと気分良く登り返した。天候がよいとこんな道草も楽しいばかりである。そこからも大小のピークのアップダウンが続いた。ヨウザ峰からの下りは適度な斜度があるところだったが、次第に重くなった雪にほとんどのメンバーが撃沈する。先頭を滑っていた私は、ここぞとばかりにカメラを向けてみたが、決定的な写真はなかなか撮ることができなかった。825m峰まで来ると前方にようやく大井沢の集落が眼下となる。直線距離にしてまだ2kmほどあるが、まもなく長く楽しかった朝日連峰縦走もフィナーレが近づいていた。徐々に狭くなってゆく尾根を下りながら、雪に埋もれた林道に飛び出すともうゴールは近い。最後尾のメンバーを途中の樹林帯で待ち、林道を快適に滑って行くと大井沢の集落が目前だ。
県道には天狗小屋から早めに下山したサポート隊が車で迎えに来てくれていた。車の回収後は大井沢の温泉で3日間の汗を流して、間沢の「一松そば」を食べてから解散となる。下山後、GPSで確認してみると全行程は30km以上もの長い距離をたどったことがわかり、朝日連峰の秘峰をめぐる3日間はこうして二泊のビバークを経てようやく終わった。