山 行 記 録

【平成16年10月17日(日)〜18日(月)/飯豊連峰 大日杉〜飯豊山〜大日岳】



冠雪した大日岳を仰ぐ


【メンバー】単独
【山行形態】冬山装備、避難小屋泊(本山小屋)
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】地蔵岳1539m、飯豊山2105m、御西岳2012m、大日岳2128m
【天候】17日(快晴)、18日(晴れ時々曇り)
【温泉】西置賜郡飯豊町「白川荘」300円
【行程と参考コースタイム】
(17日)大日杉7:30〜ザンゲ坂7:48〜長ノ助清水8:10〜滝切合9:00〜地蔵岳9:25〜目洗清水10:00〜御坪10:30〜切合小屋11:25〜
    草履塚11:55-12:15〜本山小屋13:20(泊)〜(飯豊山往復)
    
(18日)本山小屋5:50〜御西小屋6:50〜大日岳7:40-8:00〜御西小屋8:45〜本山小屋9:55-10:10〜草履塚〜切合小屋11:10〜
    御沢分岐〜地蔵岳13:10〜長ノ助清水14:25〜大日杉15:00(※2日間の行程37.6km)
  
【概要】
大日杉からの飯豊連峰は今年の7月以来である。今日は移動性高気圧に覆われるとあって登山口に向かう気持ちもいつになく弾んだ。天候の心配のない週末というのも久しぶりである。昨日は肩すかしを喰わされたような磐梯山の天候だったが、今日は朝から雲一つない快晴の空が広がっており、今度こそ好天は間違いなさそうであった。大日杉の駐車場には、数えてみると15台ほどのマイカーが留まっており、この週末は、久しぶりの好天に誘われた登山者が大勢登っているようであった。

今回は冬山用シュラフを持ってきたために、歩き始めるとザックがずっしりと肩に食い込んだ。前日、磐梯山の山頂から初冠雪した飯豊連峰を眺めて、これでは夜もかなり冷え込むだろうと思ったからだが、そのほかの装備も冬用に入れ替えたために、ザックの重さが徐々にこたえてくるようであった。気温は低く風は冷たかったが、陽が高くなるにつれてまもなく汗も流れ始めてくる。ザンゲ坂を登り切ったところで長袖シャツを脱ぎ、Tシャツ一枚となった。いつものように長ノ助清水では乾いた喉を潤し、水筒をいっぱいにしてから地蔵岳へと向かう。一段高みの尾根筋に上がると、周囲のブナや潅木は眩しいほどの日差しを浴びて、紅葉がひときわ鮮やかに輝いていた。ダマシ地蔵が近くになると左手からは飯豊山が望めるようになる。てっきり雪に覆われた飯豊山を想像していたが、ここから眺める飯豊山は、山頂付近がわずかに白く見えるだけであった。地蔵岳から早くも下ってくる登山者に出会ったところで、雪の状況を聞いてみる。すると、山頂付近にまだ残っているものの、昨日の好天で雪はほとんど融けてしまったようである。その人は、その証拠にと、昨日撮影したデジカメの画像を見せてくれたが、写真を見る限りではかなりの積雪があったことは確かなようであった。

地蔵岳から切合小屋までも快適な山歩きが続いた。御坪ではダケカンバがすでに葉をほとんど落としていたものの、紅葉した潅木が実に鮮やかで、迫り来る冬を目前にして、山々が一斉に最後の華やかさを競っているようであった。御沢分岐からも見事な色彩を楽しみながらの尾根歩きが続く。今は秋の飯豊山でも一番の美しさを見せているようであった。切合小屋には約4時間で到着した。ザックはいつになく重たかったが、天候の心配がないというのはそれだけで足どりが軽くなるのか、ここまではいつもの所用時間であった。小屋のまわりには不思議に登山者は見あたらなかった。草履塚まで登ったところで今日初めての大休止をとる。飯豊山まではもうひと登りというこの草履塚でのひとときはいつも楽しい。ザックに忍ばせていた林檎の瑞々しさが乾いた喉に美味しく、大日岳や御西岳を眺めていると時間が経つのを忘れた。姥権現を過ぎ、御秘所の岩場を通過すると御前坂の急坂となる。この付近で単独行と出会ったが、川入からの日帰り登山者であった。御前坂を登っているとようやく雪が現れてくる。水場では岩場から滲み出すような清水を4リットルほど汲んで小屋に向かった。

本山小屋ではトイレが新しくなっていた。豪華というほどではないものの、新しいトイレはかなりりっぱな構造で、これで名実とも快適な山小屋となったようである。3箇所あるうちの二つの水洗トイレは、すでに冬支度を終えて使用出来なくなっていたが、従来型の一箇所だけは常に使えるようになっているようであった。本山小屋のほうも冬期入口が玄関側に変更されていて、従来の入口はすでに使えなくなっていた。小屋に入ると、二階にはザックが一つ置かれてあるだけで人の気配はなかった。持ち主はどうやら大日岳をピストンしているようであった。私はとりあえずカメラだけを持って飯豊山の山頂まで往復することにした。快晴というのに登山者の姿は全く見あたらないのは不思議だったが、もしかしたらみんなは早めに下山したのかもしれなかった。山頂からは冠雪した大日岳や烏帽子岳、北股岳が見えた。ダイグラ尾根の西斜面には雪がまだびっしりと張り付いていたが、東側にはほとんど雪が見あたらず、どうやら昨日、今日の好天でだいぶ融けてしまったようであった。

小屋に戻るとビールを飲みながら遅い昼食を作って食べた。まもなく疲れがどっとでてしまい、シュラフに潜るといつのまにか眠ってしまった。しばらくして、物音がするので起きてみると、大日岳を往復してきたという単独行が小屋に入ってきたところであった。その人は福島の人で、私よりはずっと若く、今日、川入から入山して早々と大日岳を往復してきたという、かなり健脚の人であった。日没が始まるとカメラを持って外に出た。夏場は北股岳に太陽は沈むのだが、今の時期はちょうど御西岳と天狗岳の中間付近に沈もうとしていた。その夜は満天の星空が広がり、新潟市や米沢市、会津若松市などの夜景をほとんど見渡すことができた。この光景をみる限りでは明日も晴れそうであったが、私は翌日の行程を、大日岳を往復するか、それとも7月と同様に五段山を経由して下山するかは、翌日の天候次第と決めて、その日は早めに眠った。

翌日は5時に起床した。まだ真っ暗だったが東の空が赤く染まり始めている。刻々と変わる光景をデジカメに撮ってはみたものの、うまく写るかはわからなかった。ようやくご来光が吾妻連峰から昇りはじめたのは5時50分であった。大日岳がオレンジ色に染まり始め、空が徐々に明るくなり始めていた。私は急いで朝食を食べ終えると雨具や行動食などをザックにつめて大日岳に向かった。朝の眩しい光がダイグラ尾根に当たり、宝珠山が輝いていた。飯豊山から御西小屋へ向かうと、夏道と雪道が交互に現れたが、玄山道分岐付近からはほとんど雪道となる。雪道といってもまだ気温は氷点下のため、堅雪となっているのでスパッツを装着する必要はなかった。ところどころでは30〜40cmほどの吹き溜まりとなって登山道を塞いでいる。私は早くも飯豊連峰の冬景色を眺めることができて心が弾むようであった。御西小屋にはちょうど1時間で着いた。もちろん人の気配はなく、そのまま大日岳への登山道に進む。雪道には一人分の踏跡が残っていたが、それは昨日の本山小屋で、同宿した人の踏跡のようであった。文平ノ池を過ぎると最後の登りとなる。山頂直下には雪がさらに多く張り付いていて、堅く締まった雪渓の急斜面を慎重に登らなければならなかった。

山頂には本山小屋から2時間弱で到着した。久しぶりに訪れた大日岳山頂であった。飯豊連峰の最高峰というだけあってここからは抜群の展望が広がっていた。大日岳は飯豊連峰の最奥に位置していることもあって、めったに来られない山頂だけにここからの展望は実に新鮮であった。杁差岳から三国岳まで延々と続く主稜線を見渡しながら、私は最高の贅沢を味わっている気分に浸った。稜線の奥には遠く月山や鳥海山が青空に浮かんでいた。しかし、ここから大日杉まで下らなければならないことを考えると、のんびりとしているわけにもゆかなかった。昨日とは違って風もほとんどない穏やかな山頂であったが、20分ほどの休憩を終えると本山へ戻ることにした。

飯豊山の山頂では二人の登山者が休憩中であった。一人は切合小屋、もう一人は三国小屋に泊まった人たちで、今日は本山までのピストンであった。本山小屋へは約4時間で戻った。ザックのパッキングを終えれば後は飯豊山から下山するだけである。今日は大日岳まで往復したことで心は満たされており、この山頂から去ることに未練はなくなっていた。切合小屋までも快調であったが、さすがに大日岳を往復した後では足に疲れを感じていた。地蔵岳の登りでは足が異様に重く、一歩登るたびに喘ぎ声が漏れたが、最後まで残して置いた果物の缶詰を励みに両手両足を総動員して踏ん張った。地蔵岳の山頂にはようやく登り着いたという印象であった。この地蔵岳まで登り返せば後は下りの行程しか残ってはいない。ダマシ地蔵への少しの登り返しがあるものの、飯豊山の山頂から続いた、数え切れないほどのアップダウンから比べればたいしたことはなかった。本格的な冬を前にしたつかの間の飯豊連峰だったが、秋晴れに恵まれた充実した2日間がようやく終わろうとしていた。地蔵岳山頂で、三角点に腰を下ろしていると、いつのまにか日差しはなくなり、飯豊山は薄雲に覆われようとしていた。好天が続いた飯豊連峰も天候は下り坂に向かっているようであった。



目洗清水から仰ぐ飯豊山




御坪のダケカンバ



切合付近から望む飯豊本山



モルゲンロートに染まる御西岳と大日岳



御西岳の標柱と大日岳



大日岳直下の急斜面
登山道は堅い雪面となっている


大日岳山頂
背後は北股岳から烏帽子岳へと続く主脈の稜線


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