鳥海山までは長井からかなりの距離があり、朝暗いうちから小雨の降る自宅を出た。雨は西川町を抜けるまで続いたが、月山第1トンネルを抜けると曇りとなり、朝日村から広域農道を走っていると、夜明け前の空に鳥海山の姿がシルエットになって浮かび上がった。天候が一番心配だっただけに今日は何とか持ちそうだとわかると自然と登高意欲が湧いてくるようであった。鳥海高原ラインの終点までゆくと駐車場にはすでに10台前後のマイカーが停まっていて、何人かの人達が登りの準備をしているところであった。登山口のすぐそばにはトイレも兼ねた二階建ての立派な建物が建っており、出発前に中に入ってみると二階は展望台にもなっているようであった。
石畳の道を登り始めると20分ほどで滝ノ小屋に着く。小屋にはまだ泊まった人達がいるのか、何人かの話し声が中から聞こえた。小屋の前を通過し小沢を渡るとすぐに急坂となる。八丁坂と呼ばれるこの道は七合目の河原宿まで約300mの登りが続くところだ。駐車場にもガスが少し漂っていたが、八丁坂から見上げると青空が少し覗いたりした。楽しみにしていた紅葉は思っていたほどではあく、まわりには枯れた灌木が目立ち、先日の月山のような鮮やかさはなかった。晴れ渡ると思われた空模様は、ガスがすっきりとすることはなく、やがて河原宿に着く頃から一面のガスに覆われてしまった。ガイドブックによると河原宿からは心字雪を登るのだが、雪渓はほとんど消えていて、わずかに一部分残っているだけであった。ボサ森の東側のガレ場を横切ってゆき、右の尾根に移るとまもなく薊坂だが、その取付付近で急に前方から名前を呼ばれてびっくりした。その人は職場の大先輩で、所属している山岳会の人達数人と一緒に休憩中であった。一行は昨日から滝ノ小屋泊りで入山し、私と同じルートで登っている途中であった。私は先に登らせてもらったが、この人達とはその後、七高山付近でも再び出会った。薊坂の急坂はスキーでも何回か苦労させられていたが、夏道も同様にきつい登りであった。ガスがますます濃くなっていた。伏拝岳には滝ノ小屋から2時間ちょっとで着いた。残念だったが伏拝岳からの視界はなく、一休みするような天候でもないのでそのまま山頂へ向かうことにした。冷たい風が吹き荒れる天候のため、ここからは長袖とウインドブレーカーを羽織った。行者岳からは短いハシゴを下ると分岐点だ。ここから外輪山をまっすぐにたどれば七高山だが、私は御室小屋から新山を先に回ることにして分岐から外輪の内壁へと下った。
昨日は雨だったはずだが、御室小屋の周囲には宿泊したと思われる登山者が大勢集まっていた。新山へはペンキの矢印をたどりながらいつものように右回りで登った。ほとんどの人達は小屋にザックを置いて空身で登っていた。久しぶりの新山山頂だったが、やはりガスは晴れることはなく視界はなかった。新山での展望はあきらめ、山頂からそのまま時計回りで七高山に向かい、小屋に向かうガレ場の途中から七高山へのルートに出た。鞍部で雪渓の融雪水を利用した水場があったが、水は豊富なのでそのまま通過する。ガレ場の急坂をひと登りすると七高山の山頂に到着した。春山では何回も登っているピークだが雪のない光景も新鮮であった。七高山では祓川を眺める形で座ると風も当たらないので、たくさんの登山者がビールを飲んだりラーメンを作ったりしながら思い思いに休憩中であった。時々雲の間から洩れてくる陽射しで冷えた体が温まり、今日の天候からすれば予想外に気持ちの良い山頂であった。その後も祓川方面の展望には恵まれたが、鉾立側はあいかわらずガスに覆われたままであった。
七高山を後にすると、外輪山をたどって伏拝岳に戻った。ここからは文殊岳、七五三掛と下ってゆき、御田ヶ原分岐へと向かった。途中では鉾立から登ってくる何人もの登山者と行き交った。しかし御田ヶ原分岐から万助道に向かうと、全く登山者とは出会わなくなった。はっきりしない天候ということもあるのだろうが、このコースを歩く人はそうはいないのかも知れなかった。扇子森の山腹を進むと、この辺一帯はまるで絨毯か毛布を敷き詰めたような草紅葉の草原に覆われていて、その柔らかくて穏やかな風景には心が安らぐ思いがした。扇子森の山腹を卷き終わるとT字路にぶつかり、右手に続く丸太の階段を少し登ると鳥海湖の畔であった。ここからの鳥海湖もいい眺めであり、しばらくここでのんびりと休憩とした。天候は相変わらずだったが、ガスはこの鳥海湖まで下りてくる様子はなく、見ていると湖の上を雲が次々と流れていた。私はコンビニで買った寿司と果物を食べながら、鳥海湖の畔にいる釣り人達をしばらく眺めていた。
T字路からは丸太の階段を真南に下りてゆく。ペンキ印を目安に沢の中を進むと万助道分岐の標柱があり、そこから小沢を2ヶ所渡ると湿原にでた。ここはすでに千畳ヶ原の一角であり、少し進むと木道も現れ、ひと登りで広大な千畳ヶ原に出た。千畳ヶ原は溶岩台地のようなところに広がる湿原で、鳥海湖の南側にこんなに広い湿地帯があることに驚いた。この時期にはとくに草紅葉の広い草原となっていて、ここは間違いなく今日のコースのハイライトといえそうである。T字分岐付近では登山者が3人ほどいて昼食中だったが、みんな河原宿からの往復のように見えた。千畳ヶ原T字分岐からは真っ直ぐの道が二ノ滝経由の登山道で、河原宿へは左に進むのだが、湿原がただ荒れているだけのようでもあり、ここは標柱と地図を確実に確認しないと、誤ってりっぱな木道のある二ノ滝への道に進んでしまう恐れがありそうであった。私は急いでこの湿地帯を通り過ぎてしまうのが惜しくて、何回か立ち止まったり、少し木道を戻ったりした。時間さえ許せばこの千畳ヶ原をいつまでも眺めていたい心境であった。
千畳ヶ原からは二つの大きな沢を渡って月山森への登りとなる。大きな石がゴロゴロするカラ沢の幸治郎沢は急坂で、またペンキがかなり薄くなっているので山慣れしていない人はちょっと不安になるところだろうか。この幸治郎沢から後ろを振り返ると紅葉の千畳ヶ原が見渡せた。幸治郎沢を登り詰めると潅木に囲まれた一角に標識が立っていて、ここまでのコースが間違っていないことを知ってホッとした。まもなくボサ森と月山森の鞍部にでると展望も広がり、鞍部の一番高いところが月山森の入口となっていた。月山森へは割合にはっきりした踏跡があり、ここまできたついでにと月山森へ登ってみることにした。50mほどの登りだが、この山頂には標識などもなく、石がすこしゴロゴロあるだけのなんの変哲もないピークに過ぎなかった。ピークからまっすぐに進めば鈴木小屋を経由する三ノ俣道コースだが、地形図によると登山道は難路を示す破線となっていて、踏跡もあまりはっきりしていないようであった。月山森には登りに7分、下りに5分かかった。月山森の山頂から見下ろすと、眼下には湿原といくつかの池塘が広がり、また適度に石が点在する光景は、小さいながらもまるで日本庭園のような感じがした。
月山森を下るとまたガスが濃くなり始めていた。ここまでも長いコースを歩いてきたのだが、不思議と疲れはそれほど感じなくて、今日はどこまでも歩いてゆけそうな気がしていた。河原宿には午後1時半に戻った。歩き出してからすでに8時間近くたっており、すでにみんな下ってしまったのか、小屋には誰も見あたらなかった。休んでいると伏拝岳付近に一時青空が広がり、山肌が一瞬鮮やかに見えたのだが、それもまもなく見えなくなってしまった。しかし雲の流れが激しく、小屋の軒先で小休止している間に、河原宿小屋付近がすっきりと晴れ渡り、酒田市の市街地や日本海まで見渡せる程まで天候が回復した。河原宿からは気持ちの良い陽射しと風を楽しみながら滝ノ小屋をめざした。今日はいままで知らなかった鳥海山の魅力の一端を知った一日であったが、この鳥海山はまだまだ奥が深いのをあらためて感じていた。下山後は国民宿舎「鳥海山荘」の温泉に入って一日の疲れを癒してから帰宅の途につくことにした。