寒河江市幸生から畑集落までの林道は30cm近い積雪があり、除雪もされていないので車が入るのがやっとの状況であった。冬タイヤでなければ今日の山行は確実に取りやめになっていたはずである。1台分のタイヤ跡はきっと柴田氏のものだろうと思いながら、雪を蹴散らして早朝の林道をひた走った。畑集落では民宿も別荘もみな新雪にすっぽりと覆われていた。人の気配は全くなく、森閑とした佇まいはほとんど厳冬期を思わせた。駐車場では時折雪が舞う曇り空だったが、昼前後には低気圧が東北地方から抜けるだろうという予報を期待するしかなさそうである。こんな天候の中では私達の他は誰もやってくる人もなく、夏には大勢の人達で賑わうこのミニリゾート地も今日は二人だけの貸し切り状態であった。
シールを貼って歩き出すとすぐに30cmほどのラッセルとなった。5月も近いというのにこんなに深いラッセルをするとは思いもしなかったのでなんとなく新鮮な驚きがある。スキーでも膝下まで潜るところをみると今回の降雪は40〜50cmといったところだろうか。小尾根に取り付き、葉山市民荘のキャンプ場を過ぎると樹林帯の登りとなった。厳冬期のような厳しさは感じられないものの、しばらく視界がなくなるような荒れ模様が続いた。なだらかな尊仏平からは1358mのお花畑までトラバース気味に登ってゆく。稜線にでるといっそう風が強まったが、急に青空が雲の切れ間からのぞいたりして、天候は徐々に快復傾向のようであった。小僧森に近づくあたりからはようやく厚い雲が遠ざかり、上空には爽やかな青空がのぞくようになった。
天候の回復とともに気分は晴れ晴れとしてきたが、一方では春の湿ったような新雪に私は難儀していた。私は予想外にも股関節が痛みだしてしまい、途中からはラッセルのほとんどを柴田氏にたよらなければならなかった。セカンドでも追いつけないのだから体力のなさには我ながら情けなかった。お花畑からは小僧森が正面だ。急速に晴れてゆくときの青空がまぶしく、小僧森の目映いばかりの白い斜面は感動的ですらある。ジグザグに登って小僧森に立つといくつかのピークの先には葉山神社が建つ奥ノ院が見えた。数えてみると奥ノ院までは3つのピークを越えてゆかなければならないのだからまだまだ遠いという印象だ。奥ノ院からは右手に山ノ内コースからの稜線が続き、新雪を抱いたアルペン的な風貌は眺めていて飽きることがなかった。
小僧森から葉山まではシールを貼ったままアップダウンを繰り返してゆく。ほとんど標高差のない上り下りなのでこの区間のシール登高は稜線漫歩の心地よさがある。しかし右手は雪庇が張り出しているのであまり無防備には歩けないところだ。雪庇の下は火口壁の絶壁になっているので慎重に登って行く。やがて潅木やチシマザサの目立つ葉山山頂につく。葉山神社の建つ奥ノ院まではもう一投足の距離であった。
奥ノ院からは月山が正面に見えた。どこまでも白い大雪城と羽黒山へと裾野を延ばしている長い尾根が印象的だ。降雪直後の風景は見るもの全てが美しく、豊饒の雪景色といった趣を感じさせた。振り返っても他に登ってくる人は見あたらず、無垢の白い雪面には我々二人だけのトレースが続いていた。すでに正午を過ぎており、奥ノ院の直下にツェルトを張って昼食とする。上空には雲はほとんどなくなったものの、まだ低気圧が抜けきっていないのか風は止まなかった。
ツェルトの中では薄い布を通して差し込んでくる陽射しの暖かさが心地よく、ほんの少しのビールで酔いが廻った私はほとんどまどろみかけていた。のんびりとした休憩のひとときを終えると下山にとりかかる。ツェルトから出ると風もおさまり穏やかな天候へと変わっていた。奥ノ院からはシールのまま進んで葉山山頂へと登り返すと、一足早く登った柴田氏が無線の交信中であった。知り合いの登山者が、たった今鳥海山に登ってきたという無線が急に飛び込んできたものらしかった。
小僧森まではまだ二つの登り返しがあったがシールはこの葉山山頂で外すことにした。しかし気温の上昇とともに雪はすっかり重くなっていて快適な滑降とはほど遠いものになっていた。小僧森からの急斜面は斜度があるだけになんとかターンが可能だったのだが、少し斜度がゆるむとほとんどスキーが走らなくなり、そこからはストックで漕がなければならなかった。それではとワックスをかけてみるもののほんの気休め程度にしかならなかった。ゆるやかな斜面が広がる尊仏平はほとんど往路のトレースをたどった。
今日は登りではラッセルに苦しめられ、下りではその新雪が悪雪に変わってしまい、結局、新雪の楽しみとはまるで裏腹の結果になった一日であった。もしかしたらパウダーを楽しめるかもしれないという朝の期待もむなしく、この時期の予想外の新雪は少しもありがたいものではないということをあらためて認識させられたようなものであった。しかし新雪の葉山奥ノ院を踏むことができたうえに、季節が逆戻りしたような厳冬期の光景をこの時期に楽しめたことで、私は心地よい達成感と充実感に浸ることができたのだった。