紫灯森から牛首へと緩やかに高度を上げてゆくと山頂直下の急斜面だ。1週間前は腐れ雪だったが今日はカリカリのアイスバーンなのでシール登高が結構きつい。途中からシール登高に耐えきれずに、スキーをロープで曳く者、ザックに担ぐ者など得意の方法でそれぞれ登ってゆく。振り返るといつのまにか大勢の人達が斜面を登っているのが見えた。急に増えだしたのが不思議だったが、もしかしたら早めにリフトが動いたのかもしれなかった。
月山山頂からはこれから向かう念仏ヶ原、北方には真っ白い頂をみせる鳥海山が雲の上にポッカリと浮かんでいるのが見えた。まだ11時と昼食には早かったが、ビールを飲みながらの軽い休憩を終えると、滑降の前にみんなで記念撮影をする。ここまでは11名の大所帯だったが、うち二人は往路を引き返すというので結局念仏ヶ原に向かうのは9名となった。月山の山頂からはいよいよ大雪城の滑降が待っている。見渡す限りに広がる大斜面を前にしてみんな早く滑りたくてうずうずしているようだ。まず佐藤(辰)氏が滑降を開始するとみんな堰を切ったように後に続いて行く。ザックが重くて思わぬところで転けたりと、ターンが少したいへんだが、真っ青な空と眩しいほどの白い雪面があれば何も言うことはなく、急斜面を一気に千本桜まで下った。
千本桜には念仏ヶ原を眼下に美しいダケカンバが立ち並ぶ。念仏ヶ原の雪原の先には避難小屋の黒い屋根がみえており、今年は小屋も雪には埋まってはいないようであった。のんびりと休憩をしているとスノーシューの登山者が一人降りてくる。見覚えのある人だと思ったら塩釜の大和田さんであった。大和田さんとは1月の不忘山でも出会っており、今回もスノーシューで肘折温泉まで下る予定だと言うのだから驚く。このスキーを前提としたツアーコースを坪足で縦走する人に出会ったのは初めてであった。
千本桜の急斜面には少しクラックが入っているもののまだまだ大量の雪が貼り付いていた。一気にザラメ雪の急勾配を下るとなだらかな尾根となる。この大雪城から立谷沢に至る区間が今日のハイライトだろうか。爽やかな風を受けながら、雄大な景色の中を滑って行くこの快適さを何にたとえたらよいのだろう。このまま短時間のうちに下ってしまうのがたまらなく惜しくなるところだ。緩斜面を下って行くとまもなく立谷沢への急斜面に出た。ここまで高度が下がると雪はジャブジャブの状態でスキーはほとんど滑らなくなっていた。いつもの広々とした急斜面は雪崩の心配があるので今回は尾根状の部分を下って行く。ここは狭い上に雪が重いのでみんな滑るのに苦労した。遠藤氏が耐えきれず右の斜面を試しにトラバースしてゆく。すると滑った直後から次々と雪面が雪崩れていった。最近降ったばかりの新雪が斜面から剥がれ落ちて行ったのだった。こんなものを見せられては無謀なことはできない。慎重に横滑りやキックターンで立谷沢に降り立った。
立谷沢からは再びシールを貼って念仏ヶ原に向かう。この付近ではほとんど無風に近い状態で、ジリジリとした陽射しに汗が止めどなく流れ続けた。しまいには耐えきれず半袖のシャツ1枚になる。沢沿いにシールで登って行くと30分ほどで念仏ヶ原の大雪原に出た。雪原には先行者のスキーのトレースが念仏ヶ原の小屋へと続いていたが、近くを大きく横切るスノーモービルの跡がせっかくの雰囲気を台無しにしている。これには感激気分も興醒めであった。この桃源郷のようなところに轟音と排気ガスは似合わない。この無粋な闖入者には自分が大切にしていた庭を踏み荒らされたような、なにか暗い近い気分にさせられてしまった。雪原の肩に腰を下ろして月山を振り返ると午後の陽射しを受けて大雪城が鈍い鉛色に輝いていた。念仏ヶ原からは避難小屋までのんびりと歩いていった。
念仏ヶ原の積雪は5〜6mぐらいだろうか。しかし小屋の周りの雪解けは早く、掘り出すことなく1階の入口から入ることができた。小屋には先客が6、7名ほど入っていた。私達は1階に場所を確保すると、早速小屋前に雪のテーブルを作り早速宴会の準備を始めた。缶ビールを冷やしながら後続の安達氏と草薙氏を待ち、両人が到着したところで早速乾杯だ。時間はまだ3時前。滑ってきたばかりの大雪城や千本桜を眺めながらの憩いの時間は楽しい。太陽はまだまだ高く、気持ちの良い山の最高の時間であった。途中から大和田氏にも加わってもらい宴会はさらに盛り上がった。そしてこの週末同じように月山肘折を計画していた郡山の小林さんグループが5時過ぎになってやってきた。結局この日の宿泊は20名ほどであった。月山に日が沈むと急に気温が下がってくる。雪の食卓を引き上げると今度は小屋の中へと宴会は続いてゆくのだが、下戸の私は途中でダウンした。その夜はストーブもあって小屋内は温かく、シュラフはスリーシーズンのものでも暑いくらいであった。
翌日は6時過ぎに小屋を出た。今年も朝日に輝く月山の光景を眺めたかったのだが残念ながら朝から曇り空に覆われている。50分ほどで小岳に着く。山頂直下の登山道入口を示す国立公園の標識は半分だけ頭を出していた。快適に下って行くとスキー技術一番の佐藤氏が転倒して額に少し怪我をした。どんなところでも転ばないような達人でさえもこんなことがあるのだとみんな驚く。アイスバーン化したスノーモービルのキャタピラ跡が原因だったが、カットバン程度の怪我で済んだのは幸いだった。右岸の尾根から赤沢川に沿って下って行き、途中から978m峰に登り返す。ここでは先発していた他のパーティも休憩中であった。曇り空とはいえ薄日も射していて気温は今日も徐々に高くなっていた。腰をおろすといつも缶ビールが誰かのザックから出てくる。一口ずつの回し飲みだが乾いた喉にはこれがこたえられない。
978m峰からはネコマタ沢の急斜面に出る。スキーがうまい人にとっては腕の見せ所であり、不安な人にとっては少し恐怖感も漂う斜面だ。ザックの重さも手伝って斜面の途中で立ち止まったり転けたりと様々である。それでも雪が柔らかいので転んでも心配はなく、みんな思い思いに下って行く。ザックだけが上から転がり落ちてきたりして、沢底から眺めていたメンバーからは笑い声が上がる。ここは二日目で一番のハイライトのようであった。ネコマタ沢の出合からは778m峰に直登するのだが今回は少し先に回り込んでから小休止をとる。あとは尾根をトラバースしながら大森山へと下って行くばかりだ。迎えにきてくれる山中氏とは休憩中に無線がつながったらしく落ち合う場所などを確認していた。
大森山のコルにはほとんど雪がなく、急斜面にも半分ぐらいしか雪はないので、ここは全員スキーを担ぐ。今日最後の踏ん張りどころだ。汗がしたたかに流れ続けるので今日も途中から下着一枚になった。ここを登れば大宴会が待っているぞ、と誰かからともなく激が飛ぶ。今日も暑い一日であった。大森山山頂に着くと早速ザックから残っていたアルコール類をみんな取り出した。ビールにワイン、ウイスキー、焼酎などなど、瞬く間に宴会モードに切り替わった。ここまでくればあとは少しの下りと林道だけである。小岳と月山が山並みの向こうに見えていたが、それはすでに遠い存在であった。頭上からは暑い陽射しが降り注いでおり、酔いと疲れも加わってつい心地よくなった私は、ザックを枕に昼寝を決め込んだ。みんなも同様だったらしく、まもなくするといびきをかく音がどこからともなく聞こえてきた。大森山へは私達が一番早い到着だったはずだが、休んでいる間に、次々と他のグループが登ってきては早めに下っていった。
大森山を下ったのは結局1時間以上の休憩を終えてからであった。大森山から林道に出る区間が今日の最後の滑降である。ここはブナ林が混み合う急斜面だが、ザラメ雪を撫でるようにしながらテレマークターンで下って行くのは意外と快適で、たちまち林道に飛び出した。推進滑降で林道の途中まで進むと迎えの山中氏と合流した。山中氏は二日酔いといいながらシール登高で1時間以上ここまで登ってきたらしく、木の枝にシールを乾かしながら私達を待っていてくれた。そして山中氏は私達のために缶ビールを冷やしていてくれたのだから頭が上がらない。感謝しながら頂いたビールの一口は、終生忘れられないほどのおいしさであった。
そこからは山中氏と共にショートカットを繰り返して林道を突っ切ってゆくと肘折温泉はまもなくであった。林道終点では柴田氏の奥様が私達を待っていてくれた。今年の月山肘折ツアーはこうして多くのサポート隊に支えられて終了することができた2日間でもあった。好天に恵まれたおかげで私は日焼けが一気に進んでしまい、風呂にはいるとヒリヒリとした痛みが走った。肘折温泉の熱いお湯に浸りながら、私は心地よい疲れと共に充実した昨日からの行程を振り返っていた。