まだリフトが動いていないので姥沢の駐車場からシール登高が始まる。姥沢小屋もリフト小屋もまだ人の気配はなくひっそりとしている。無木立の広大な姥ケ岳や月山は久しぶりで、眺めていると巨大な白さに圧倒されるようだ。ブナ林の中をリフト沿いに登っていると、早くも姥ケ岳の斜面を滑降してくるスキーヤーが一人見えた。堅い雪面に10〜20cmほどの新雪が積もり、姥ガ岳や正面の月山は真っ白い大山塊と化している。いつ見てもこの時期の月山には感動させられる。ラッセルを交代しながらのシール登高だったが、途中圧雪車が通過してゆき少しだけ楽をさせてもらった。
リフト終点からは姥ケ岳を卷きながら牛首をめざしてゆく。振り返ると雲海とともに朝日連峰の残雪に覆われた美しい山々が見渡せた。誰も登っている人がいない我々だけの静かな月山であった。牛首からは急斜面の登りが山頂へと続く。しかしいつものアイスバーンはあまり見られず、雪が柔らかいだけに意外と楽に登ることが出来たのは幸いだった。鍛冶小屋は取り壊されて今はなくなっており、台座だけがわずかに残っているだけであった。小屋跡からは波打つようなクラストした雪面とシュカブラに難儀する。結局姥沢からは3時間半ほどかかって頂上に到着した。山頂はさすがに真冬のような冷たい風が吹く。頂上小屋の東側の窪みで風を避けながら昼食をとる。次週に予定している月山肘折のため、山頂から念仏ヶ原を眺めておきたかったが、ガスに覆われて視界はほとんどなかった。みんなは早速ビールをザックから取り出して“燃料”の補給に余念がなかった。
あまりに肌寒いので昼食会場もそそくさと店じまいとなった。滑降を開始する前に、雪に埋もれた月山神社の上に立ち、みんなで記念写真を撮る。あいにくの空模様で視界はあまりなかったが、それでも雲海の間隙を縫って遠くの山並みが見え隠れした。滑りだすとクラストした斜面にみんな苦労させられる。視界はおよそ50〜100mほどもあるだろうか。下って行く尾根は大体わかるのだが、雪面の凹凸感が全くわからず、思わぬところで足元をすくわれたりした。視界がないのでほとんど尾根伝いに下って行く。新雪とクラストが交互に現れる難儀な斜面だ。1時間も下ると眼下に仏生池小屋が見えてくる。ちょうどガスも少し晴れたため、東側に広がる斜面を下って行き小屋をめざした。雪は思いの外快適でこの時期の月山の素晴らしさに思わず感動する。
仏生池小屋からは僅かに登り返し、月山八合目へと下ってゆく。雪面がよくわからないというのはつらかったが、リーダーの柴田氏は不安定な雪面をものともせずに先頭を走ってくれるので、後続部隊の私達は大分助けられた。見渡す限りに広がる弥陀ヶ原はまさしく雪の砂漠ともいえるもので、広大な大雪原をほとんど直滑降で下って行くと前方に八合目の小屋が見えてくる。気温が上がればスキーもあまり走らないような緩斜面だったが、陽射しがないだけに今日はスキーがよく走り、たちまち八合目のレストハウスまで下ってしまった。
この付近からメンバーの足がだんだんと揃わなくなり、予定していた通過時間を大幅に過ぎてゆく。八合目からは道路をかすめながら下らなければならないのだが、道路が雪に埋もれていてよくわからず、ひとつ西側の尾根に下ってしまったために、ここでも思わぬ登り返しに時間をとられたりした。このころになると雲海からやっと抜けだして眼下には八幡町の街並みが見渡せるまでになっていた。前方にはまだうねうねとした長大な尾根が続いている。滑っても滑ってもまだまだ先は長いのだ。雪は柔らかくて滑りは快適だったが、山スキーでは結構難儀している人もいるので、今日はテレマークスキー向きの雪質なのかもしれなった。
弥陀ヶ原を過ぎるとヤセ尾根がめだつようになった。1111m峰からは立谷沢川沿いに建つ北月山荘がようやく小さく見えてきた。やっと目的地が見えてきたことで、みんなも少し元気が出てきたようであった。そこからはブナ林の斜面を滑って行き前方の983m峰へとつないでゆく。コル付近では周囲の美しいブナ林に目をみはった。983m峰からはブナの緩斜面を下って行く。ターンの度に難儀しているメンバーもいて、みんなにも疲れが目立ちはじめていた。湿った雪は重く、私も何でもないところでスキーが引っかかったりした。他人の心配よりも自分も怪我をしないように注意しなければならなくなっていた。
三角峰までくると鶴巻池はもうまもなくだ。立木が少し混み始めたが雪が柔らかいのでなんとか騙しながら下った。斜面の途中からは夕陽に染まりはじめた日本海や飛島が見えた。予想もしなかった荘厳な景色に言葉を失いしばし沈黙が流れる。私達は疲れも忘れ呆然と暮れゆく西の空を眺めていた。マッチ箱のようなコテージの赤い屋根も牧歌的な雰囲気を醸し出している。雪に閉ざされた鶴巻池の周辺は不思議な国に迷い込んだような、そんな幻想的な感じさえするところであった。そこからは木立の中を縫いながら慎重に下り、少しヤブっぽいところを抜け出てやっと池の畔にでた。正面の高みを登り返せばそこはもう北月山スキー場である。スキーを担ぐ足どりはみんな重かったがもうひとがんばりであった。ピークに立つと正面にはピンクに染まり始めた鳥海山、そして眼下には北月山荘が飛び込んできた。今は営業をしていない北月山スキー場のなだらかな斜面をみんな思い思いに下って行く。まもなく10時間近い長い一日が終わろうとしていた。
予定の時刻を大幅に遅れてしまい、楽しみにしていた北月山荘の温泉には入ることができなかったが、全員無事に踏破出来たのはなによりであった。山スキーでなければ成し得なかった長い行程を終えて、私は心地よい達成感に浸っていた。3時間近く遅れながらも北月山荘で延々と待っていてくれた山田さん、佐藤さん両氏に感謝しつつ、急いで後かたづけを終わして私達は北月山荘を後にした。立谷沢の集落を走る車からは、民家に明かりが灯り始めているのが見えた。山峡の村にはすでに夜の帷(とばり)がおりようとしていた。