藤十郎を過ぎると薄黒い雲が上空を覆い始めていた。予報ではそれほど悪くはなることはないはずであったが気圧の谷でも通過中なのだろうか。しかこれから好天に向かうだろうという期待は弥兵衛平が近づくあたりから脆くも裏切られることになる。まもなく風雪が強まり、やがて完全なホワイトアウトとなってしまった。こうなると文明の利器、GPSが俄然頼りになってくる。しかし岡田さんのGPSがどうも調子が悪いらしく、明月荘がいっこうに近づかないのであわてた。まもなく正面に沢が現れてきて、明月荘へのルートから逸れているのがおぼろげながらわかってくる。見覚えがあったがどうやらここは明月荘から東側に落ちこんでいる沢の源頭部のようであった。右往左往するなかで明月荘の山小屋が白い闇からうっすらと浮かび上がったときにはさすがに安堵感がこみ上げた。
小屋の周囲でも暴風雪の様相を呈していた。とりあえずシールを外して小屋に入り昼食とする。小屋には誰も見あたらず立ち寄った形跡もなかった。外は猛吹雪だったが小屋に入れば一安心だ。しかし寒さが厳しくてビールを飲もうとする者もいない。私は好天を予想してスキー用タイツを一枚脱いできたものだから寒さは特にこたえた。防寒着を着込んでも体の震えは治まらず、そそくさとした食事を終えると下山を急ぐことにした。栂森経由はもちろん中止となった。
外に出ても地吹雪はいっこうに弱まる気配はなかった。明月荘までは背中に西風を受けながらだったが、今度は風雪が正面から当たるようになるので目出帽やゴーグルで完全装備に身を固めて歩き始めた。雪面はクラストしていたがクジラの大斜面に出ると雪が適度に柔らかくなる。天候は最悪だったが気温が低いだけに雪質は良好だ。そして少し滑降してゆくと風が嘘のように和らいできたのだ。雪は休みなしに降り続いていたが、緊張感からはようやく解放された。
忠ちゃん転ばしでは私も含めて何人かが雪だるまになりながら下った。渋川の渡渉点に降り立つとようやく安心感が広がり小休止をとる。悪天候の中をなんとかここまで下りてきたという安堵感がみんなの顔にも浮かんでいる。風は納まっていたものの雪の降り方が激しさを増していた。ここからは再びシールを貼って砂盛との鞍部をめざして登り始める。しかし岡田さんのGPSが再び調子を崩して、記憶にない場所をさまよい始めていた。どうも栂森のほうに少し登りすぎてしまったようであった。しかし方角さえ間違わなければ林道に出るはずなので、ここからシールを外して滑降してゆくとまもなく本来のルートに戻った。砂盛のコルからはパウダーに近い深雪だけにみんな快哉をあげながら下って行く。林道に出るとそこからはほとんど直滑降だ。途中の杉林を抜けて放牧場の上部に出ると、北の空にはようやく青空が広がり始めていた。山並みはひときわ鮮やかに白く輝いている。ここにきてやっと天候は快復したようであった。ここはこのコース最後の滑降を楽しめるところで、ゲレンデのような広大な緩斜面をみんな思い思いに下って行く。地吹雪の中の行動が続いたこともあって精神的にもみんな疲れているようだったが、この広々とした緩斜面を滑ることができて少し元気がでたのだろうか。みんなの顔には喜びの表情が溢れていた。再び林道にでるとここも直滑降で一気に大沢駅をめざした。みんなの汽車時間が目前に迫っていた。上空にはいつのまにか雲もすっかり消え去って、澄み切った春のような青空が広がっていた。