14日の朝、大峠トンネルに集合したのは全部で7名であった。うち長野在住の大川夫妻や栃木の松本さんは日帰り参加なので今晩のテント泊は4名だけである。共同装備などを分担して少々ザックは重くなったが、重荷はテン場までなので気分的にはだいぶ気楽なものがある。パッキングを終え、スキーにシールを貼ってビーコンをセットする。今回のルートはもちろん初めてだが、リーダーの藤倉夫妻がこの飯森山の経験者なので何の不安もない。みんな関東出身者にもかかわらず、地元の人間よりこの辺の地形や沢に詳しいのだから全く驚くばかりである。予報では今年の春一番も吹く予報が出ていて、朝から快晴の空が広がっている。今日は予想よりもだいぶ気温が高くなりそうであった。
例年にない大雪のため駐車場からは高い雪の壁を這いあがらなければならなかった。尾根に取り付くと美しいブナ林が広がる木立の中を縫いながら、徐々に高度が上がって行く。尾根に登ってからは気温が高い中での急登がしばらく続き、ここではずいぶんと汗を搾り取られた。まもなくするとシールにダンゴがつきはじめてスキーが異様に重くなる。途中でシールワックスを塗ったのだが余り効果はなかった。登るにつれて左手には遠く日中ダムが望めるようになる。振り返れば会津の山並みの向こうには磐梯山や吾妻連峰も見渡せるようになる。右手には深い飯森沢をはさみ、飯森山から派生する白い尾根が長々と延びているのが見えた。
1462mピークに連なる急斜面を登り始めると、やがて右手奥に真っ白い飯森山が望めるようになる。全山無木立でほとんど樹木も見あたらないこの神々しいまでの姿には、まるで飯豊連峰の盟主の風格さえ感じられるほどで、昔の村人達が見誤ったのも無理はない気がした。やがて登り切った1462m峰手前のヤセ尾根に登り着き少し小休止をとる。この辺りまで登ると樹林も疎らになり、周囲の山々もほとんど見渡せるようになった。ここは見晴らしがよく、休んでいても実に気持ちの良い場所であった。ヤセ尾根では雪庇の踏み抜きに注意して進み、正面のピークを卷きながら右手にトラバースしてゆく。沢の源頭部をつめると左手には雪庇を抱いた鉢伏山の南東斜面が現れた。この輝くばかりの鉢伏山の真っ白い斜面には圧倒されて声も出ない。さらに進むとまもなく鉢伏山の南東側に広がるブナ林の平坦地に到着した。ここが標高約1400m地点の今日のテン場であった。これで重いザックからも解放されるので、ようやくホッと一息気分となる。落ちついたところで、みんなで地均しをしたりしながら、今宵の宿、”ホテル鉢伏山”の設営にとりかかった。森閑としたブナ林には、春のような陽光が降り注いでおり、この人里離れた山奥にこんな夢のような光景が広がっていることに私は感激していた。山頂直下にもかかわらず雪崩の心配もない、ここはまさに桃源郷のようなところだった。
昼食を終えてから一路飯森山に向かう。すでに日帰り組の三人が先発隊となってラッセルをしてくれているので、後発隊はかなり楽をさせてもらう形だ。気温がかなり高いのか、鉢伏山のトラバースは、急斜面が少し崩れている箇所もあって、少し緊張するところ。まもなく地形図で1472mの地点である飯森山と鉢伏山のコルに到着。コルから登り返すと前方には下りの滑降が楽しみな無木立の斜面が山頂へと続いていた。登るにつれて左手からは徐々に飯豊山の本峰が姿を現し始める。天候は少し下り坂なのだろうか、飯豊の山並みは薄く靄がかかっており、すっきりとは見えなくなっていた。飯森山は西と東にピークを持つ双耳峰となっていたが、登り切った西峰から飯森山の山頂までは僅かな距離だ。東峰までの波打つような県境稜線はさすがに強風が吹き止まず、途中でアウタージャケットを着た。ここのちょっとした稜線歩きだけで、先ほどまでの汗はまるでウソのように引いていた。ガリガリのアイスバーンを慎重に登り、飯森山に立つと正面には待望の栂峰がようやく全貌を現した。
まもなく後発組も山頂に到着し、栂峰をバックに全員で記念撮影をする。結構きつい登りが続いただけにみんなの顔には、笑顔と目的を達成した喜びが溢れているようである。全山がコメツガに覆われた栂峰はまるで一面に胡麻粒を蒔いたようでもあり、この光景は実になつかしく、私は一年前の山行がよみがえってくるようだった。蛇行するような栂峰までの県境稜線を眺めていると「栂峰までゆくには稜線伝いではアップダウンが多過ぎて時間がかかるから、蔵王権現沢と思案沢の合流点まで滑り込んでから登れば楽にゆけるぞ」と藤倉さんがそっと耳打ちして教えてくれた。しかし今日はこの飯森山の山頂に立てただけで大満足であった。
西峰に戻ってシールをはずすといよいよ待望の滑降だ。深雪は柔らかくてみんな快適に歓声をあげながら滑って行く。正面に聳える鉢伏山もできれば滑ってみたいところだったが今日は残念ながら登り返している時間がない。一気にコルまで下ってしまうとそこからは元の道をトラバース気味に下って行く。登りに何時間もかかったところもスキーだとあっという間にテン場が近づいていた。
テン場に戻り日帰り組の3人を送り出すと、残された4人は早速幕営の準備だ。ザックはテントの中では邪魔なのでツェルトをかぶせて外に出した。食材やシュラフなどをテントに運びいれ、準備を終えたところで、今日の好天に感謝しながらさっそく缶ビールで乾杯となった。天候は下り坂の気配を見せていて明日の天候はどうも思わしくはなさそうだったが、春を思わせるような快適な今日の山スキーに不満などあるはずもなく、一日持ってくれた好天にただただ感謝した。夕食は藤倉氏の奥様が腕を振るって作ってくれた鍋料理に舌づつみを打ちながら楽しい時間を過ごした。日も暮れて夜になると予報どおり雪が降り始めた。やがて大きな風の音とともに外は吹雪模様となったが、”ホテル鉢伏山”の室内は暖かで、厳冬期の山奥にいることを忘れていた。その夜は一晩中、雪や風の音が耐えることがなく、寝ている間も時折強風に煽られてテントが大きく揺れた。
翌朝になっても風雪は止まなかった。ラジオの予報によれば今日の天候はますます荒れ模様となるようであった。シュラフの中でうつらうつらしていると、こんな天候でも今野さんが朝早く起き出して外の偵察をしてくれていた。昨夜からの降雪は予想以上で、新たな降雪は60〜70cmもあり、みんなのザックを保管していたツェルトやスコップはすっかり雪に埋まってしまっているらしかった。晴れれば鉢伏山や飯森沢を何本か滑るのも楽しみにしていたのだが、それどころではない状況となっていた。登山口に戻るだけでも難儀しそうなので今日はこのまま下山となった。気持ちは盛り上がらなかったが、起き抜けにコーヒーを飲み、朝食に熱いうどんと餅を食べると少し気力が湧いてくるようであった。
ゴーグルに目出帽、そしてネックウォーマーなど完全防備で悪天候に備える。テント撤収は猛吹雪の中だったが、作業が終われば急いでザックをまとめて下山開始となった。悪天候ということもあってヤセ尾根まではシール登高である。昨日のトレースなど残っているはずもなく、ほとんど視界のない中、深雪のラッセルがしばらく続いた。ヤセ尾根からはシールを外していよいよ滑降のスタートだ。樹林帯の中に入ると風も弱まり、気持ちもようやく落ちついてくるようであった。藤倉夫妻や今野さんはブナ林の深雪を気持ちよさそうにウエーデルンで下って行く。私は快適な滑りとはとてもゆかず行く先々でこけまくった。テレマークスキーでは少し樹林が混んでいるようでもあり、また両足はラッセルだけでかなり疲れ果てていた。また堅雪の上に新雪が乗っているので雪面が妙な具合に波打っており、思わぬところで足元をすくわれたりした。
それからも晴れる気配はなく、激しく雪が降り続いた。途中で下る沢をひとつ間違え、思わぬ登り返しをしたりしたため余計な時間がかかったりしたものの、それでも少しずつ大峠トンネルが近づいていた。やがて国道121号に架かる赤い橋が、木々の間からチラチラと見えてくるとゴールもまもなくだった。そして最後の急斜面をキックターンや横滑りで慎重に下りながら、ようやく大峠トンネルに全員無事に降り立つことができた。大荒れの大峠の駐車場には我々の車が2台留まっているだけであった。車に分厚く降り積もった雪を下ろし、雪まみれのザックを車に投げ入れると、私達はすぐに喜多方の温泉に向かった。