山 行 記 録

【平成16年1月24日(土)〜25日(日)/吾妻スキー場〜吾妻小舎〜高山〜土湯温泉



吾妻小屋のオーナー、遠藤さん(25日朝)


【メンバー】2名(小林@郡山)※2日間とも大川@松本、藤倉@埼玉ほか自然を滑る会のメンバーと行動を共にする
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、小屋泊
【山域】吾妻連峰
【山名と標高】一切経山1,949m、蓬莱山1,802m、高山1,805m、
【天候】(24日)晴れのち雪(25日)晴れ
【行程と参考コースタイム】
     自宅6:45〜吾妻スキー場9:00
(24日)吾妻スキー場リフト終点10:45〜五色沼13:00〜コル14:00〜酸ガ平避難小屋〜蓬莱山14:40〜吾妻小舎15:20
(25日)吾妻小舎7:50〜鳥子平8:40〜高山9:40〜林道11:40〜土湯温泉13:00
     土湯温泉(タクシー)吾妻スキー場

【概要】
2週間ぶりの高山下りである。今回は郡山市在住のテレマーカー小林さんと吾妻スキー場のリフト券売り場で落ち合うことになり、一方では、長野在住のテレマーカー大川さんも、「自然を滑る会」のメンバー10人とのツアーを予定していて、それならば一緒に登ろうかということになったものである。私はみんなに出会えるのはもちろんうれしかったが、それ以上に二人のテレマーカーが一緒だというのはことのほか楽しみであった。東北では山スキーをしている人はいても、テレマークスキーを楽しんでいる人にはなかなか出会えないのだ。

日本海側は強い冬型のため朝から風雪模様だったが、栗子トンネルを抜けると目の覚めるような青空が広がっていた。小林さんと大川さんとは吾妻スキー場で予定通り合流し、さっそくリフトを乗り継いでリフト終点をめざす。手違いで私達3人が「自然を滑る会」のメンバー達に遅れて追いついた形となったのだが、リフト終点では既に登るばかりの体制を整えて、私達を待っていてくれた。といっても今日の行程は吾妻小舎までなので別に急ぐ必要もなく、私達はのんびりと後ろの方からついてゆくだけだった。

春山のような日射しの中で登りはじめから汗が流れ、途中から我慢しきれずにアウターを脱いで登った。しかし大根森が近づくにつれて日射しは徐々になくなってゆき、まもなく雪が舞い始めた。つい先ほどまでは稜線がくっきりと見えていた吾妻の山並みもいつのまにか鉛色の空と見分けがつかなくなっている。大岩から五色沼に下りてゆく付近では、急遽、私達の一行に一人の女性が加わった。その人はシールの不具合から同行のメンバー達とは別れ、五色沼から引き返すつもりだったらしいのだが、「自然を滑る会」のメンバーの一人がシールの応急処置をしてくれたらしく、吾妻小舎まで私達と一緒に行くことになったようであった。

いつもは強風が吹き荒れる五色沼だが、今日は雪が少し降り続いていたものの、風がなくいたっておだやかであった。小休止後、五色沼の縁をたどりながら一切経山と前大顛とのコルをめざす。コルはさすがに冷たい風が吹いており、シールをはずしていると手がかじかんだ。コルからは酸ガ平避難小屋までの深雪の急斜面を下ってゆく。ここは蓬莱山と並んで滑降が楽しみな斜面が広がっているところで、シュプールのない斜面をみんな我先にと下っていった。酸ガ平避難小屋に立ち寄ってみると、たまたま小屋の中に休憩中の人達がいて、それが先ほどの女性と一緒だったメンバー達だというのでみんな驚いた。そして小舎から女性と一緒に出てきたリーダーは、時々私のHPを訪れてくれている東京の「たつ」さんとわかり、こちらも予想もしなかった偶然の出会いに驚いた。「たつ」さん達はテントの入った重いザックを背負いながら、リフトも使わずにゲレンデを登り切り、翌日には東吾妻を登って高山から土湯温泉に下る予定だという。若いとはいえ、その体力や気力には脱帽するばかりであった。酸ガ平避難小屋からは木道を横断し、蓬莱山へとトラバースすると適当なところから浄土平に下ってゆく。ここにも手つかずのパウダー斜面が一面に広がっており、みんな先を競って斜面に飛び込んでゆく。小林さんは最後に華麗なテレマークターンを決めながら下りてきた。他人のテレマークターンを眺めるのは滅多にないので楽しいばかりだ。浄土平でシールを再び貼って桶沼を回り込んでゆくと今宵の宿、吾妻小舎はまもなくだった。

小舎には10人ほどの先客がいた。10人は東京からの山スキーのグループで、すでに宴会が始まっているのかストーブの周りは喧噪を極めていた。そこへ私達の13名も加わったために結局、その夜の吾妻小舎はかなりの混み具合になった。私と小林さんは3階を割り当てられて、濡れたものなどを片づけ終えると早速ビールで乾杯した。そして階下に降りてゆき、大川さんや「自然を滑る会」の人々との楽しい夕刻の時間を過ごした。久しぶりの邂逅に話も弾み、「自然を滑る会」の人達が大鍋で作ってくれたおでんをいただいているうちに、用意してきた夕食の食材を使うこともなく二人とも結構満腹状態となってしまった。そしていろんなアルコールをいただいているうちに私は酔いが回ってしまい途中でダウンした。小林さんも少し体調不良らしく早めに寝床に上がっていった。ただでさえストーブで暖かい山小屋は、3階の屋根裏ということもあって、その夜は暑すぎるほどの快適さだった。

翌日は朝から穏やかな天候であった。小林さんと昨夜食べるはずだった食材で朝食を済ませると8時に小舎を出た。一緒に下るのは小林さんと大川さんや藤倉さん、そして地元の荒木さんとの5人だけである。すでに他の人達はみんな東吾妻を経由する予定で、小舎を早めに出ていってしまった後であった。高山への踏み後は全くなく、5人でラッセルを交代しながら進む。鳥子平からは追いついてきた東京のグループにラッセルをまかせながら高山を登った。巨大な反射板の建つ高山の山頂からはいよいよ待望の滑降開始である。トレースの全くないファーストトラックにはみんな胸が高まるばかりだ。私は固形ワックスをしっかりと塗り、スキーのボッコに備える。気温が高いといつもここからの下りではボッコが張り付いたりするので思わぬところでこけてしまうのだ。しかし今日は日射しはあったが、まだまだ時間も早く快適なパウダーであった。小林さんは一足先に颯爽と急斜面を滑ってゆき、ビデオを持って下で待ち構えている。私は深雪にバランスを取られないようにと大きなターン孤で慎重に下ったが、大川さんは粉雪を舞い上げながらあいかわらずきれいなテレマークターンで滑ってくる。好天のもとでのここの滑降は、二日間のツアーでも最大のハイライトであった。

私達は麦平の先で休憩をとった他はほとんど休憩らしい休憩もとらずに林道をめざして滑ってゆく。行く先々が手つかずのパウダーなのだから緩斜面を下ってゆくのは楽しいばかりで、こんな快適な高山下りはめったにないだろうとベテランの藤倉さんも驚いている。林道からは雪が多いだけに、スキーもほとんど滑らなくなり、トップはラッセルを余儀なくされたが、それでも土湯温泉まではこれまでにないほどの滑りを楽しむことができた。2週間前の高山下りもそうだったが、今回の滑りの快適さは厳冬期の厳しさとは表裏一体のものなのだ、ということを改めて再認識した二日間であった。




家形山のコル付近
(24日)



蓬莱山の急斜面をくだる郡山のテレマーカー小林さん
(24日)



高山に向かう(25日朝)




高山を登る



高山のパウダー斜面を華麗なテレマークターンで滑る大川さん
(25日)


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