山 行 記 録

【平成10年12月12日〜14日/南アルプス 北岳(池山吊尾根ルート)】





ボーコン沢ノ頭で北岳をバックに[1998.12.13撮影]

【メンバー】2名 宮本啓一(甲府在住),蒲生
【山行形態】冬山装備、避難小屋泊、(テント泊&登攀装備含む)
【山域】南アルプス
【山名と標高】北岳3,192m
【温泉】桃の木温泉
【行程と参考コースタイム】
(1日目)
 夜叉神峠登山口9:00−−鷲ノ住山入口11:00−−野呂川発電所吊橋12:00−−
 あるき沢橋登山口13:00−−池山御池小屋17:10着(行動時間8時間10分)

(2日目)
 池山御池小屋5:00−−ボーコン沢ノ頭10:15−−八本歯ノ頭11:40〜12:00−−
 北岳山頂14:30〜15:00−八本歯のコル16:00−−八本歯ノ頭16:30−−
 ボーコン沢ノ頭18:00−−池山御池小屋22:00(行動時間17時間)

(3日目)
 池山御池小屋10:00−−あるき沢橋登山口12:30−−野呂川発電所吊橋13:20
 −−鷲ノ住山入口15:30−−夜叉神峠登山口17:00着(行動時間7時間)

【 経過 】
 積雪期の北岳は約2年ぶりである。やはり甲府の友人、宮本氏と二人で平成9年の2月と翌3月にトライしているが、いずれも途中で登頂を断念していた。今回で私は3回目の挑戦となり、また宮本氏は平成8年の12月にも単独でアタック(ボーコン沢ノ頭で敗退)していることを考えると、この北岳は我々2人にとって因縁の山とも言えそうであった。

 過去の山行を振り返ってみると、昨年の2月の山行では、あるき沢橋から池山御池小屋までは予想以上の積雪でトレースもなく、きついラッセルを強いられて途中で日没になる。ヘッドランプをつけてはいるものの樹林帯の暗闇の中でなかなか小屋を探すことができずに、池山御池小屋に到着したのは歩き出してから既に10時間以上経った18時過ぎであった。結局、このとき翌日の登頂を取りやめたのは、池山御池小屋からボーコンまでの積雪の多さもあったのは確かだが、二人とも初日のラッセルで体力的にバテてしまったことと、天候の読み違いで気力を失ったことが原因であった。

 また、翌月の3月には池山御池小屋で一泊した後、ボーコン沢ノ頭でテントを設営し、翌日の山頂アタックを待つだけという状況まで漕ぎ着けていた。しかし夕方から天候が急変してしまい、翌日の昼過ぎまで続く吹雪のために、その間テントから一歩も出られず停滞を余儀なくされる。結局天候が回復したのは翌日の午後になってからで、一応八本歯ノコルまで足を延ばしたものの、時間切れのため池山御池小屋まで引き返さざるを得なかったのである。

 今回の山行は過去の敗退を教訓に比較的積雪の少ない12月を選び、また八本歯ノ頭からコルへの通過にザイルを用意して安全を期した。
 また、ルートはこの時期だと車で早川林道をあるき沢橋まで入れることもあるが、我々は今回も迷うことなく、クラシックルートである池山吊尾根ルートをたどることにした。ただでさえ、長大な池山吊尾根に加えて、そのアプローチに過ぎないであろう、あの長い南アルプス林道の歩きと鷲ノ住山の登り降りは非常につらいものがあるものの、それだけに充実感のあるルートともいえる。
 積雪期の北岳は年末年始にはそれなりにトレースも期待できそうだが、その時期をはずせば入山者もいなくて、トレースはほとんど当てにはできないと考えなければならなかった。


ルート略図(約1/100,000 地形図)


【概要】
(1日目)快晴
 前回同様、私は山形を前日の最終の新幹線と新宿からは急行アルプス号と乗り継ぎ、甲府駅には午前2時過ぎに到着。宮本氏と約9カ月ぶりに再会した。コンビニで今日の朝食と昼食を買い込み、そのまま宮本氏の車で夜叉神の森(夜叉神峠登山口)へ向かい車中にて朝まで仮眠をとる。
 駐車場には5〜6台ほど留まっていたが、翌朝、車内で朝食を食べながら見ていると、皆、夜叉神峠か鳳凰へ向かって出発して行き、北岳へは残された我々だけのようであった。

◇9:00 夜叉神峠登山口(1,380m)
 予定では8時には出発したかったが、朝食をとったあと、装備の確認などで手間取り結局こんな時間になってしまった。駐車場前の狭いゲートをくぐり抜けると、長い林道歩きの始まりである。装備はお互い24〜25kgぐらいだろうか。久しぶりに肩にズシっとくるような重さだ。自然と歩きもスローペースである。

 この林道歩きは長い夜叉神トンネルを含めて大小、11のトンネルがある。宮本氏は革製の重登山靴だが、私はプラスチックブーツであり、雪のない林道歩きにはまったく閉口した。以前来たときにはトンネル内が凍結しており、慎重に歩かねばならなかったがこの時期はまだ凍結はしていない。また積雪もなく、周囲はまだ晩秋の雰囲気だ。

◇10:40-11:00 鷲ノ住山入口(1,470m) 
 鷲ノ住山入口付近も積雪は全くなし。鷲ノ住山の山頂(1534m)まではわずかに登り、ピークから野呂川に架かる吊橋までは400mほどの急坂を下る。登りよりはもちろん楽だが、重荷のために体を振られないようにお互いストックを手にして慎重に下る。

◇12:00 野呂川発電所吊橋(1,120m)
 野呂川に架かる吊橋をちょうど正午頃に通過。すぐそばに野呂川発電所があり、タービンの回転音が絶え間なく響いている。
 吊橋から県道まではひと登りだが途中、崩壊している箇所がある。慎重に渡りきった後で、新しく迂回する巻道が出来ているのに気づいた。
 県道からはまたしばらく車道歩きを辛抱させられる。途中3本のトンネルを抜けて広河原方面に進むのだが、前回砂利道だったところも最近ほとんど舗装されてしまい、ここも登山靴での歩きはつらかった。吊橋からはちょうど1時間ほどだが、あるき沢橋登山口(1220m)に着いたときには重荷の疲れもあって、へとへとと道端に腰を下ろしてしまった。それでも、朝、コンビニで買ったおにぎりの残りを食べたりチョコレートを口に入れると少し元気が出てきて、ザックをまた背負う。
 
◇13:00 あるき沢橋登山口(1,220m)
 橋の手前に半分傾いた標識が立っている。そこが吊尾根の登山口だ。
 ここからは池山御池をめざして急坂をゆっくり登る。道はやはり積雪はないがところどころ凍っており霜柱が目立つ。ササと灌木が道をふさいでいてなんとなく歩きづらい。やがてヤブが減ってくると途中にセメントで出来たカマド跡に出る。炭焼き釜の跡らしいが、ここは我々のいつもの休憩場所となっているところだった。

 「ここで5分休憩しようか」とどちらからともなく声をかけ一本入れる。しかし今日は5分、5分といいながらもなかなかすぐにザックを背負う気にならなかった。休んでいるとたちまち10分以上がすぐに過ぎて行く。二人共、疲労がだいぶたまっているようだった。カマド跡からは池山に連なる尾根をめざしてもっと道は急になる。倒木が増えてきて歩きにくく、また途中のやせ尾根付近から積雪も目立ってきた。凍っているので滑らないように気をつけなければならないところである。

 池山尾根に出るとあたりはすでに薄暗くなっており目の前に夕闇が迫っていた。お互いにヘッドランプを出す。ここからはいままでよりもずっと積雪が多くなるが、しかし「つぼ足」でもなんとか大丈夫である。登山道はなだらかな登りだったが、それでもここからは40〜50分ほど必要で、小屋に到着する頃はあたりは真っ暗であった。

◇17:10 池山御池小屋着(2,000m)
 小屋の中には誰もいなく真っ暗だった。冷え冷えとしているが、我々には2年ぶりの小屋であり懐かしさが漂う。何しろ我々はこれまでに何泊もしているのだ。
 小屋付近の積雪は30〜40cm。早速、宮本氏が水を作るための雪を袋に詰めてきてくれた。宮本氏が持参してくれた花梨酒やウィスキーのお湯割りで乾杯し、冷え切った体を温めた。
 就寝前に外に出てみると、満天の星空であった。いったいどこに隠れていたのかと思われるほどの星の数だ。気温は氷点下10度を軽く超えているだろう。キーンと張りつめた夜空に無数の星が煌めいている。鼻の穴や皮膚がピリピリと痛かった。明日も好天が予想される。

(2日目)快晴
◇3:45 起床
シュラフの隙間から忍び込んでくる冷気で目が覚める。気温はかなり低い。外はまだ真っ暗であった。ヘッドランプをつけて食事の準備を始める。ラジオの天気予報を確認しながら、餅をいれた雑炊をかき込む。

◇5:00 池山御池小屋
 当初の予定ではボーコン沢の頭に幕営をし、翌日、北岳をピストンする予定だったが、翌日の天候が崩れそうだということと、今日一日の天候が安定しそうだと言う判断で空身で北岳をピストンすることに変更することにした。空身とはいえ、ツェルト、ザイル、無線、携帯電話、ストック、ヘルメット、ピッケル、コッヘル、ガスコンロなどなど、二人のザックはそれぞれ10kgほどにはなる。しかし、昨日までのザックとは比べようもなく快適に登り始める。午前5時、池山御池小屋を出発。

 日の出まではまだまだ早く、ヘッドランプで前方を照らしながら登る。まもなく我々の背中を追いかけるかのように東側から昇り始めた三日月が樹林の間から照らしてくれた。しかし星明かりもあったが鬱蒼とした樹林帯のため薄暗く、ヘッドランプの光をたよりに、城峰までは胸突き八丁ともいえる急登が続いた。
 城峰からはタル沢のコルと呼ばれる鞍部にいったん下り、そこからは砂払いまでは再び急登である。小屋からずっと先頭だった宮本氏と、途中でラッセルを交替する。雪は膝から腰あたりまでと多く、つぼ足も限界となったため、しばらくしてから二人ともワカンをつける。


間の岳と農鳥岳(左)

 森林限界に出たところでワカンをはずし、やっと一息をいれる。正面にはボーコンが目の前だ。左手には間の岳から農鳥岳に続く稜線が強い冬の日差しを浴びて輝いている。後ろを振り返れば富士山がくっきりと浮かんでいる。しかし北岳の姿はここからはまだ見ることができない。

◇10:15 ボーコン沢ノ頭(2,802m)
 ボーコン沢ノ頭到着は午前10時をとうに過ぎていた。予定では、9時過ぎには着けるだろうと考えていたがやはりラッセルがきつかったためだろう。御池小屋からすでに5時間以上を費やしている。二人ともあえぎあえぎのボーコン到着であった。


ボーコン沢ノ頭から見る北岳

 しかし、ボーコンまで登り詰めると突然、北岳が目に飛び込んできた。山容の大きさとバットレスの壮観に圧倒される感じだ。これを見ただけでもう十分満足とも思えるほどの光景が視界いっぱいに広がっている。
 2年前にここに幕営した時は雪を踏み固めてテン場を作ったのだが、今年のボーコンのピークは雪が少し張り付いている程度でほとんど積雪がない。
 お互いに北岳をバックにして写真を撮り合った後、ケルンの片隅にワカンをデポして、八本歯に向かう。

 ボーコンから八本歯までのこの吊尾根は夏ならば快適な稜線漫歩が楽しめそうだが、積雪期は急斜面をトラバースする箇所や雪庇が張り出している所が何カ所かあり、また八本歯に近くなるほど次第にやせ尾根になるために慎重な歩きを要求されるところだ。しかし今回は積雪がそれほどではないので、ストックでバランスをとりながらのつぼ足で何とか通れそうだった。
 八本歯ノ頭への登りは以外と斜面が急で、風が強く雪もかたく締まっている。ところによってはキックステップもきかない箇所があり、二人ともアイゼンをまだ着けていなかったために極めて慎重に歩く。

◇11:40-12:00 八本歯ノ頭
 予定では北岳山頂に到達している時間だったが、まだ八本歯ノ頭である。予想外に時間を取られている。宮本氏は「なかなかこの吊尾根は楽をさせてくれないなあ」とためいきをついた。

 さすがに遮るもののない3000メートルの稜線である。空は快晴だが非常に冷たい強風が絶えず吹いており、たちどころに体が冷えてゆく。ゆっくりしている時間はなさそうで、行動食を手短に口に入れる。
 ケルン型の遭難碑を背に風を避けながら、アイゼン、ハーネス、ヘルメットを装着。ストックはケルンにデポして、午前12時、いよいよ目標の北岳のピークに向かって出発した。
 八本歯ノ頭から見るバットレスはすぐ目前でもあり、そのボリューム感、威圧感に圧倒される思いだ。岩登りやクライミングに惹かれる人達の気持ちがわかるようだった。


北岳とバットレス

 さて、八本歯の頭から八本歯のコルへの岩場は雪が付着しており、ルートはほとんど隠れている。ノコギリの歯のような岩場であり、3点確保で最初降りるが、少し下った垂直の岩場まできたところでザイルを出す。たぶんここがこのルートの核心部であろう。岩の上部の鉄製のピンを支点にして、そこから50mのザイルをのばす。エイト環をつかった懸垂下降で降りるのだが、結構恐いものがある。途中に針金や工事現場で使うようなロープが部分的に張られているが、ゆるんで宙に浮いており危なくて頼りにはならない。


八本歯のコル付近での宮本氏

 大樺沢からのコースが合流する分岐からは見覚えのある夏山ルートである。しかし、これまで以上に積雪が多く、ハシゴも手すりがかろうじて見える程度。ハシゴは2カ所あるはずだったがもう一カ所は完全に雪に埋まっている。ここは斜面が急な分だけ、雪壁が目の前に立ちふさがる感じで、そのラッセルに体力を消耗してゆくようだった。

 北岳山荘への近道である分岐の標識付近まで来た時には、時間はすでに午後1時をまわっていた。予想より大幅に遅れているために今後どうするかを決断をしなければならなかった。池山御池小屋へ引き返すには午後2時がタイムリミットだった。しかし、引き返せば北岳にチャレンジすることはもうないだろう、今回が最後のチャンスかもしれない、と言葉には出さなかったものの、お互いに考えていたようである。もう山頂は目前なのだ。やはり今日中に北岳のピークは踏むことで二人の意見が一致した。しかし体力も限界だったために今日は北岳山荘でビバークして明日の朝、池山御池小屋へ戻ることにした。乾燥した冷たい風が終始、吹いており、喉が乾ききっていた。雪を時折口に入れて喉 の渇きをいやしながらの登りが続く。
 念願の山頂にはもうひとがんばりだった。吊尾根との分岐からはお互いに励ましながら北岳の西斜面を巻いてゆく。山頂はこの斜面の影にあるのだ、とわかっていてもなかなかピークが見えなくて、雪のついた岩場を黙々とただ、ひたすら登る。二人ともあえぎながらの登りだった。
 
◇14:30-15:00 北岳山頂(3,192m)
 長い間、二人の念願だった北岳のピークについに到着した。お互いに、無言でがっちりと握手を交わす。私は思わず涙が溢れそうだった。しかし不思議に大きく込み上げるような 実感がなかなか湧いてこないのも事実だった。体調は悪くはなかったが目的を達したための放心状態だったのかも知れないし、疲れのためにはしゃぐ元気さえなかったのかもしれない。積雪期の北岳の山頂を踏むのにこれほど苦労をしなければいけないのか?といった思いもよぎった。
 しかし、天候は快晴。山頂は稜線以上に強風が吹いていたが、それでも360度の展望を二人で思い存分に楽しむ。雪を抱いた仙丈岳や甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山や八ヶ岳の峰峰。反対側にはくっきりと塩見岳が端麗な山容を見せている。
 しばらくして、宮本氏が携帯電話を取り出し、待機(?)してくれているであろう東京の友人、稲葉氏に電話をかける。なんとかつながったようで宮本氏がピーク到着の報告をする。途中で電話を変わりこれから北岳山荘にビバークすることを伝えたところで、急に電話が切れた。低温のためだろうか。


北岳山頂(右奥は甲斐駒ヶ岳)


北岳山頂の宮本氏(左奥は仙丈岳)

 下りは軽快だった。吊尾根の分岐まではたいした時間もかからずに戻ってくることができたために、北岳山荘の冬季小屋へ行くか、池山御池小屋に引き返すかを再度相談する。あれほど山頂では選択の余地がないほど疲労困憊していたはずだったが、体が思いのほか軽かったためか長い尾根の下りでもそう難しくは思えなかった。結局、今日中に池山御池小屋まで戻ることにした。
 途中、日が落ちてしまうのは目に見えていたが、ボーコンまで戻れば後は自分たちの踏み後を探しながら下るだけだ、という判断だった。一方でツェルトがあるので万一の場合は風を避けた樹林帯でビバークもできるということも頭の隅にあった。しかし、一晩とはいえ何もない北岳山荘の冬季小屋でこの寒さの中、果たして耐えられるだろうか?といった漠然とした不安がそう決めさせたのかもしれなかった。

◇16:00 八本歯のコル
 雪の斜面を転げるようにして下る。八本歯のコルは我々のザイルが張られていたが、登りではそれほど必要ではなく三点確保で十分だった。登り切ったところで宮本氏はザイルを回収するが疲れのためになかなか引き上げられずにいる。代わってザイル撤収を手伝うものの、私も単なるナイロンロープがやけに重く感じる。すでに午後4時を大きく過ぎており、ふたりの顔は夕陽で頬が赤く染まりもう日没が迫っていた。

◇16:30-16:45 八本歯ノ頭
 八本歯ノ頭に着いたときは完全に 日没になり、間ノ岳付近からの夕陽が富士山や甲斐駒ヶ岳をつかの間、輝かせた。こんな美しい風景を見る機会はそうないだろうと思い、写真を手当たり次第に撮りまくる。


八本歯ノ頭で(奥は富士山)

 ここからボーコン沢の頭まではほとんど平坦な歩きだが、私は体が疲れているのを今更ながらあらためて確認することになる。足が思うように出ないのだ。無意識に前に運んでいるような状態だった。のどはカラカラだったが、不思議に水を飲みたくはなかった。体が受け付けないようだった。途中で、宮本氏からボーコンにデポしておいたワカンを自分が受け持つので、完全に暗くなる前にボーコンからの下りの岩場付近で樹林帯への降り口を探しておいてほしいと頼まれる。暗闇ではその下降点がわかりずらいだろう、とは私も考えていた。私はザックにワカンを取り付ける、という簡単な作業でも難儀に思えていただけに宮本氏の申し出はありがたかった。ただ歩くだけならば何とかなりそうだった。宮本氏をおいて先を急いだ。

◇18:00 ボーコン沢ノ頭
 日没後は雪明かりを頼りにしばらく歩いたが、途中でヘッドランプをつける。ボーコン沢ノ頭に到着する頃はすでにあたりは真っ暗になっていた。遠くに街の灯が見える。芦安村の灯だろうか。美しい風景だったが、それでいて妙に哀しいような灯だった。

 ボーコンのピークからはただ下るだけだったから楽なはずだった。しかし、下りはじめてまもなく疲れのためか足が一歩も動かなくなり腰を下ろす。ボーコンのピークを見上げてもまだ宮本氏のヘッドランプの明かりが見えない。私は立ち上がる気力がなかなか出てこなかった。
 しばらくして宮本氏が追いつき、声をかけられたが、返事をするのが億劫なほど疲れていた。声を聞くと宮本氏もだいぶ疲れている様子だった。
 そこからは先頭を宮本氏に変わってもらい、後ろをたどるようにして歩く。登ってきたときの二人の踏み跡は暗闇では予想よりはるかにわかりずらいものだった。時々、踏み後を見失っては懸命に探しながら、ハイマツと岩がゴロゴロしている尾根を下る。月明かりもなかったためだが、それでも心配した樹林帯への下降点は時間はかかったがどうにか見つけることが出来た。このころの私は気力と惰性だけで足を動かしていた感じだった。

 宮本氏が寒風を避けた樹林帯のなかで、一本入れようと言う。雪を解かして白湯を作り、無理にでも飲むように勧められる。ありがたかった。腹はなにも欲してはいなかったがそれでも熱い湯が体に入ると生き返るようだった。少し元気が出てきたようだった。やはりほとんど口にせずに行動していたために体が冷え切っていたのだろう。この間の作業は皆、宮本氏が行ってくれた。私はそれでも体のふるえが止まらずヤッケの中に防寒着も着込む。
 ザックの中のザイルもここからは宮本氏に替わってもらった。たいした重量ではないのだが、これも今の私にはありがたかった。
 砂払いを過ぎて、樹林帯に入り風がなくなると正直、安堵感をおぼえた。黙々と宮本氏の後をついて雪の坂道を下る。

 午後7時30分頃だろうか。急坂をひたすら下っていると途中で踏み後がわからない、と宮本氏がつぶやいた。思わず目が覚める思いがした。場所はほとんど絶壁に近いような急斜面であった。二人で道を探すが見当たらなかった。急斜面の雪がいたるところで崩れており、暗闇の中ではその跡が人の踏み跡にも見えるのだった。動物の足跡も我々を混乱させた。ふたりでそれぞれに道を探し回るものだからかえって道がわからなくなるようだった。闇の中で ヘッドランプの明かりだけが四方八方に乱れて、時間だけが過ぎていった。

 そんなはずはない、という思いだった。踏み後はしっかりしていたはずだった。
心臓が高鳴っていたが落ち着こうと自分に言い聞かせる。最悪の場合、ビバークしよう、と宮本氏と声を掛け合う。
 迷ったときの鉄則としてはっきりしている場所まで戻らなければ、ということだけが念頭にあった。現在の標高を宮本氏と確かめ合って、現在地を確認しようとした。いままで下ってきた斜面の様子も宮本氏に尋ねる。
 結局考えたのは現在地は下りすぎていることと、タル沢のコルと城峰をまだ通過していないことがおぼろげながらわかった。それでもその判断には全く自信はなかった。
 引き返してみると、こんな垂直に近いような斜面をアイゼンなしで朝方は登らなかったのでないか、と宮本氏に確認しながら登る。

 斜面が少し緩やかになった付近で雪の上に大きな倒木が横たわっていた。ヘッドランプを何気なく倒木の向こう側に向ける。闇の中にうっすらと踏み跡が見えた。大きな声で宮本氏を呼ぶ。大きな倒木が本来の道をふさいでおり、踏み跡をわからなくしていたのだった。明るければなんということもないのだろうが、暗闇では全くわからない状態だった。
 そこからはまもなくタル沢のコルがあり、本来の道に戻ったのを確認した。

◇22:00 池山御池小屋着
 二人とも倒れ込むようにシュラフにもぐり込む。
 宮本氏は雪を解かして何かを食べようとしたようだったが、結局何も食べられずに眠ってしまったようだった。私も死んだように深い眠りに陥った。

(3日目)晴れ
◇10:00 池山御池小屋出発 ◇12:30 あるき沢橋登山口
 朝は思いの外暖かく、目を覚ましたときはすっかり日が昇っていた。
 宮本氏はアイゼンの片方とピッケルとワカンを途中で見えなくしてしまっていた。北岳の登頂と引き替えに冬の装備を失ったわけだった。すぐ後ろを歩いていた私は全く気がつかなかった。それほど極度の疲労と暗闇での歩きは危険だということかもしれなかった。
 疲れは残ってはいたが一晩ぐっすり眠ったためか元気も出てきたようで、軽く食事をしてから小屋を後にする。しかし、足どりはやはり重かった。あるき沢橋登山口に下りたのは午後0時30分。下りなのに時間が予定よりだいぶかかっていた。


池山御池小屋を出発する

◇13:20 野呂川発電所吊橋
野呂川発電所の吊橋で昼食、休憩。お互いに写真を取り合ったりするが口数が少なかった。昨日の疲れがまだまだ尾を引いている感じだ。




野呂川発電所の吊橋を渡る


 この吊橋から鷲ノ住山への登りは下山時の核心部といってもいい所だろうか。24〜25kgのザックと400mあまりのこの標高差は、今日の我々には拷問のような気がした。
 長い時間登り続けた気がして高度計を確認したが、100mしか登っていないと知るとめまいがしそうだった。キツイなあ、キツイなあ、となんどもお互いに口に出しては歯を食いしばる。

 山登りで下山といえばあるき沢橋に下り立った時点で十分に完了しているはずなのに、鷲ノ住山への登りはこれはこれで別のもうひとつの山登りとも言えそうなものである。しかし、「この山を往復して、ホント―の北岳だよねー」と宮本氏が負け惜しみをいう。もちろん私も同意見ではあったが。

◇15:30 鷲ノ住山入口
 南アルプス林道に出る。
 ここからはまた、往路と同じ車道歩きだった。振り返ると北岳から間の岳の峰峰が真っ白い山肌を見せていた。

 私は頭の片隅には長年の懸案であった北岳のピークをついに踏んだのだ、という思いが常にあって充実感を感じながらの歩きだった。きっと宮本氏も同じ思いで歩いていたのだろう。ラジオではアジア大会での日本人の活躍をうるさいほど頻繁に伝えていたが、苦労と困難の末に 北岳のピークを手にした ことは二人にとっては何にも代え難い大きな勲章だった。
 最後のトンネルである夜叉神トンネルを抜けたときはすでに日が暮れていた。

◇17:00 夜叉神峠登山口着
 駐車場には我々の車が1台停まっているだけだった。誰もいない向かいの手洗いの小屋だけが電灯が灯されていて、場違いなように煌々と明るく印象的だった。

◇18:00 桃の木温泉
 私たちはここから30分ほど下った所にある芦安村の桃の木温泉に足を延ばすことにした。あいにく従業員の慰安旅行で温泉は閉まっていたが、宮本氏が半ば強引に宿泊をお願いしてくれたおかげでこの3日間の疲れをとることができることは幸運だった。溢れるほどの温泉があって、暖かい食事と暖かい蒲団。極楽のようであった。

 私たちは”本懐” をとげたはずなのに、充実感はあっても二人とも虚脱状態というか、放心状態だった。温泉に浸っただけでは足の痛みやこの三日間の疲れはなかなか取れそうもなかった。振り返ろうとしてもこの3日間の行程をなかなか思い出せないのがちょっと不思議だった。宮本氏は今回の大きな目的を果たして、しばらくの間、充電期間に入るという。私も全く同じ思いであった。

(4日目)晴れ

◇10:00 桃の木温泉を出発。

◇11:30 甲府駅で宮本氏と分かれて解散。


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