山 行 記 録

【平成9年8月22日〜24日/西穂高岳〜奥穂高岳、ジャンダルム縦走】



ジャンダルム全景 [1997.08.23撮影]


【山行の概要】
 2年ほど前、槍から大キレットを通過して北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、岳沢、上高地と縦走している。その時、奥穂高岳山頂からみたジャンダルムの異様な岩塊がずっと眼に焼き付いており、また、ジャンダルムという魅惑的な名前から、いつかはチャレンジしてみたいものだと、ずっと心にくすぶりつづけていた。しかし、一般縦走路では日本で最も困難で危険なルートとか、国内の第1級の困難さを伴う縦走路とか、どのガイドブックをみてもその危険さを喚起していた。なにしろ西穂山荘から奥穂高岳まで水平距離にしてたった3キロメートルちょっとのコースを踏破するのに、ゆうに9時間から10時間以上を要し、途中には水場、山小屋も皆無なのである。非常な困難さを伴うものの、それゆえアルピニスト憧れのコースということもあって、私も以前から挑戦へのチャンスを伺っていたところだった。コースは痩せた尾根上の切り立った岩峰群や逆層のスラブ状の岩壁や大障壁の連続で、容易に人の進入を寄せ付けないルートとして、ここはあまりにも有名である。

【メンバー】単独)
【山行装備】夏山装備(ただし、前半は小屋泊、後半はテント泊)


ルート略図(10万地形図)


【行程と概要】
8月21日 
pm8:00  山形新幹線にて、新宿へ。
新宿から急行アルプスにて松本へ(8/22 am4:50頃着)

8月22日
松本駅にて、テント泊用具をコインロッカーに預ける。
松本発6・40(松本電鉄)新島々(バス)上高地着8・45

am9:00 上高地出発(曇り&小雨)
上高地は平日と言うこともあってか、それほど観光客も多くないようだった。登山者もまばら。
天気は曇り空だったが、出発する頃は小雨が降ってきた。

am10:00 中尾根 (晴れ)
この頃より、天気が晴れだしてきて、樹林帯にも強い日差しが差してくる。

am11:20 西穂山荘着(快晴)
あまりに早く着いたが、今日はここまで。早速、宿泊を申し込む。(夕食+弁当 8800円)
金曜日で部屋はそれほど混んでいないので1畳一人と快適。山荘前は多数の登山客であふれており、そのほとんどは新穂高温泉からロープウェイから登ってきたようだった。

この小屋は冬の記憶しかないが、(テント泊だったが)夏に見るのは初めて。冬はそのほとんどが雪に埋もれているため、小屋のイメージがだいぶ違うので驚く。明日からの縦走に備え、英気を養わなければならずビール(小550円)を飲む
その後は写真を撮ったり、本を読んだりしながら午後をつぶす。

8月23日 

am4:30(雨&ガス)起床
屋根に雨の音がしており急いで身支度を整えて外の様子を伺う。
昨夜のテレビでは好天が予想されていただけにがっかりした。
外はまだ暗くてよくわからなかったが、ガスにおおわれており、時折、雨足が強くなる。それでも水筒に水をたっぷり2リットルをつめて準備。

am5:00(雨&ガス)西穂山荘出発
入り口に若い遭難対策救助員が立って天候の具合を見ており、奥穂高に向かうことを告げるとひどく驚かれる。「単独のようなので十分に、本当に十分に気をつけてください。滑落しても誰も助けられませんから」と注意をされ、少しビビる。この悪天なのでまだ誰も向かっていないようだった。

全コース痩せた急峻な岩稜歩きの上、岩は雨でスリップしやすくなっており、またスリップしたら間違いなく滑落するこのコースをこの悪天の中ゆくのはたしかに危険である。しかし、夜の天気予報を信じてよくなることを願いながら、西穂高岳までは行ってみて判断することを話して出発した。

am6:00(風雨&ガス)独標直下
ガスも雨もいっこうに止まず、またやはり稜線上は風がすごく強い。吹き飛ばされるほどではないが、独標から先もこの風では危険。いつ引き返そうか、常に念頭にあった。10時頃には晴れ出すはずだという、はかない希望を捨てきれないためになるべくゆっくりゆっくり歩く。

手は強風と雨で凍える。ゴアテックスの手袋をしていたが冷気は容赦がなかった。独標直下の岩陰で、雨と風を避けながら、かじかむ手で弁当を食べる。1300円の弁当代に高いと感じたが、中身はなかなかおいしく、納得する。弁当を食べ終えたところに話し声が下から聞こえてきて、濃いガスの中から2人のパーティが現れた。奥穂高までゆくのか尋ねると、とんでもない、西穂までという。

am6:30(風雨&ガス)西穂独標 (2701m)

ここまでくるのに、雨のため2回ほどちょっとしたスリップをしていた。ここから西穂高岳まではますます痩せた岩稜歩きになり、また大小13のピークを超えなければならない。さらに身を引き締める。不思議だったが2人組は途中でルートとは違う左の稜線に入っていった。

am7:30(風雨&ガス)西穂高岳山頂(2909m)

天候は相変わらずだったが、緊張感を持続しつつ山頂到着。山頂には年配者の3人グループが休憩中であった。私が小屋をトップにでてきたと思っていたが、3人組は午前4時に小屋をでてきており、また、これから奥穂高に向かうとのこと。天候のことを聞くと、やはり同じようにこれから回復に向かうと予想しており意を強くする。そしてまもなく間の岳めざし出発していった。

私は先行者もいるし、引き返す気持ちはなくなり、縦走することに気持ちが固まっていた。休憩していると先ほどの2人組とは違う30歳前後の単独行が登ってきた。そして「ここは、見晴らしがいいのでしょうか?」と尋ねられた。私は、晴れていれば奥穂高や吊り尾根が目前に見えることなどを説明したものの、初めての山にこんな天候の時にここまできてしまうというのはよく考えると無謀ではないかとも思わずにはいられなかった。

さてここからは私にとっては未知の領域だ。いよいよ憧れのコースに足を踏み入れるのである。ワクワクしてきて胸の高鳴りを押さえるのに苦労した。するといきなり岩稜直下の鎖場が出現した。さきの3人組からはだいぶ遅れて出発したのに、まだ鎖場に張り付いていた。どうやら3人のうちの1人だけが岩場にはまだ不慣れな様子である。リーダーから手や足の置き所の指示を受けている。ほぼ垂直の岩壁に取りつけらた鎖場のために足の置場所が見えないのだ。そしてこの鎖場はやけに長いのである。

この頃から、少しだけ日が射してきた。ガスの晴れ間からときどき岳沢や飛騨側が見え隠れする。安心感が体中に広がるのがわかる。スリップの心配が減るし重い雨具を脱げるのだ。

途中、赤石岳山頂で3人組が小休止をしていたので上着の雨具をザックにしまった。3人組をおいて出発する。

am9:00(風雨&ガス)間の岳山頂(2907m)

山頂と入っても標識が見あたらず半信半疑。岩は逆層で、そのうえ岩全体がもろく不安定で、また痩せているので緊張の連続。常にホールドを確実に探しながら、一歩一歩慎重に登る。疲れてくると注意力や緊張感が散漫となり、無意識に不安定な岩をつかんだりするので、3点確保、3点確保、と口ずさみながらゆっくりゆっくりと登る。なにしろ一歩踏み外しただけで、またザックを岩角にぶつけただけで滑落の危険が常にあるのだ。

天狗岳に向かう途中で後方から落石があった。ちょっとした石だと思うのだがその音が妙に乾いた金属音で長く長く響きわたる。まるで地の果てに落ちて行くような恐ろしい音にも聞こえた。人が滑落したのでなければいいがと思いながらまた歩き出す。この頃になると岩肌がだいぶ乾いてきたので、靴底のソールのフリクションもしっかりして安心感が広がる。逆層のスラブの岩壁を鎖を頼りに一気に登って天狗の頭に着く。

am9:30(晴れ)天狗岳山頂(2909m)
ここでやっと一息をいれる心境になる。山頂は狭いが三脚を据えて写真ぐらいは撮れそうである。振り返れば間の岳や西穂高岳が予想より至近距離に見える。とくに西穂高岳山頂には天気も良くなったせいか、だいぶ登山者が登ってきているのが遠目にも確認できた。西穂からはだいぶ進んできたと思い地図を広げる。しかし奥穂までのまだ半分にも進んでいなかった。


天狗のコル

天狗岳からは天狗のコルまでこんなに下るのかと思うほど下る。ペンキ印を見失わないようにジグザグに下り、コル直前で長い鎖場が出現した。私はこの鎖場がちょっと怖かった。コルに降りる直前がオーバーハングになっており、足の置き場が見えないのだ。鎖に頼りすぎると、体が降られてかえって危険だった。慎重に降りていると鎖を支えているボルトが最後の2本だけ全く抜けていた。私は鎖につかまりながらも思わず心臓が止まりそうだった。

やっと天狗のコルに降り立つ。ここから岳沢に下降するこのコース唯一のエスケールートがある。しかし、このエスケープルートも岩がもろい上に崩壊が激しそうで簡単なルートではなさそうに見えた。

途中、奥穂からの縦走者とすれ違った。3人パーティと2人組。またその少し後で単独者ともすれ違った。コルからコブ尾根の頭をめざし飛騨側の急傾斜の岩稜をひたすら登る。登り切ると急に目の前にジャンダルムが現れた。はじめはよくわからなかった。しかし見覚えのあるドーム状の山頂である。山頂に一人登山者が立っているのが見えた。

ジャンダルムに登るにはコルにいったん降りて、ペンキを頼りにジャンダルムを飛騨側に巻くようにトラバースしてゆく。途中で信州側に折り返したのだが、山頂へのペンキ印が見あたらなく、そのままロバの耳へのコース口まできてしまった。おかしいなとは思いながらそこから登ろうとしたら頂上直下に垂直にロープが下がっている。ここを登るにはかなり危険が伴いそうなので引き返す。そしてあらためて飛騨側の方から山頂を登り返した。途中、ジャンダルム山頂に立っていたと思われる登山者が一人降りてきた。その人は、先ほどの垂直のロープの直登コースを登ってきた、とあっさりと言うので私は驚くばかりだった。

am11:10(晴れ)ジャンダルム山頂(3163m)
ついに山頂だ。やっと着いたのだ、という感慨がじわっと沸き上がってくる。奥穂まではまだまだ安心できないが、それでもここまではずいぶん遠かった、と胸が熱くなる。涙があふれそうだった。

緊張の連続の岩稜歩きで、精神的にも肉体的にも疲労がだいぶたまってはいたが、憧れのジャンダルムに立って、疲れなどは吹き飛ぶようである。奥穂高岳山頂を見ればたくさんの登山者であふれている様子がわかる。また話し声さえ聞こえてきそうだった。写真をたくさん撮りながらも、できればジャンダルム山頂に立っている姿を奥穂山頂からでも誰かに写してもらいたい気持ちであった。山頂からは先ほど間違って進んだ地点まで戻る。ジャンダルムの信州側をトラバースするのだがこの岩場も鎖のない数センチの岩角を伝いながら歩くので結構怖い箇所である。

さて、ロバの耳の通過も相変わらず緊張の連続である。特に下りの鎖場がいやらしくて結構緊張した。下り着いたところからは、最後の難所である馬の背の通過だ。馬の背はよく聞く名称なのだが、これほどの危険な馬の背はほかにないのではないか、と思われるような場所だった。ナイフリッジの両側がスッパリと切れ落ちており、わずか数10センチの岩の上の刃渡りである。天気もいいだけに信州側も飛騨側も真下がはっきり見えた。例えていえば高層ビルの屋上から下界を眺めているようで、高所恐怖症の人はここで立ち往生してしまうだろう。それでも私は登りだからいいが、奥穂からだと下りになるため、この何倍も恐怖感があるだろうと思う。


ジャンダルム(ロバの耳から)


馬の背[1997.08.23撮影]


  
途中、何度も何度もジャンダルムを振り返る。その黒く異様な岩の塊をみているだけで畏れというのかおののきさえ覚える。遠くから見ればただ変わった形の岩としか見えなくもないが、近くで見るとまるで地獄の底からでも湧いてきたとしか言いようがない。どうするとこのような岩の塊ができるのかという畏怖の念さえ感じた。

馬の背を過ぎるとようやく安心できた。奥穂高岳はもう目の前。それでも痩せた岩稜の先端を飛び石みたいに渡って行くのだが、ついにこの困難な箇所を突破してきたのだという充実感と達成感で胸が熱くなる。奥穂高岳山頂は穂高岳山荘から登って来る人や、前穂高岳から縦走してくる登山者で溢れていた。

pm0:00(快晴)奥穂高岳山頂(3190m)
ここから振り返ってみるジャンダルムは実に感慨深いものがあった。2年前、ここからジャンダルムを眺めたときはまだ夢でしかなかったこのコースを、つい先ほど山頂に立ってきたのだ。私はしばらく満足感と充実感に浸っていた。

山頂で記念写真を何枚も撮る。もう危険な場所はない、死の恐怖はもうないのだ、という安心感が体中に満ちてくる。ここから穂高岳山荘までも鎖場や梯子場が連続するが先ほどまでの恐怖感はもう無いだろう。20分ほど休憩をして山荘へ向かう。

pm0:40(快晴)穂高岳山荘
状況によってはこの山荘への宿泊も考えていたが今日は土曜日であり、また予想外に天気もよくなり、登山者があふれている。ザイテングラートをみれば列をなして登山者が涸沢から登ってきていた。またこの山荘には2年前も泊まっていたし、休憩してから涸沢まで下ることにした。空は快晴であり、朝方濡れた雨具などを山荘前のテラスで乾かした。

pm2:00(快晴)涸沢ヒュッテ着
テラスもパノラマ売店前にも人があふれていたが、宿泊(一泊2食8500円)を申し込みながら、今日の混み具合をきいてみると、それほどではないという。今夜も布団1枚に一人で寝られそうである。
テン場は70〜80張りぐらいだろうか。かなり賑やかだったが、多いときで300〜500もテントでいっぱいになるこの涸沢では少ない方なのだろう。テラスで生ビール(800円)を飲みながら一人祝杯をあげる。翌日は涸沢から下山して、明日中に室堂までゆかなければならない。夕食後は早く休もうと思ったが、今日の緊張した場面が次々と思い出されてきてなかなか寝付けなかった。



      [Part 2(劔・立山連峰の縦走編)へ] [ギャラリーの写真を見る] inserted by FC2 system