山 行 記 録

【平成15年12月20日(土)〜22日(月)/八ヶ岳 硫黄岳〜横岳〜赤岳】



赤岳鉱泉のテン場にて(20日午後3時40分)


【メンバー】単独
【山行形態】冬山装備(アイゼン、ピッケルほか)、テント泊(赤岳鉱泉テン場)
【山域】八ヶ岳連峰
【山名と標高】硫黄岳2,760、横岳2,829、赤岳2,899.2
【天候】20日(雪)、21日(晴れ)、22日(晴れ)
【温泉】八ヶ岳山荘 500円
【行程と参考コースタイム】
(12/19) 赤湯19:56(つばさ128号)21:58大宮22:40〜(埼京線)23:09新宿23:54(ムーンライト信州81号)3:35茅野(仮眠)
(12/20)茅野610=(諏訪バス)=648美濃戸口登山口7:00〜美濃戸8:20〜赤岳鉱泉10:40(テント泊)
(12/21) 赤岳鉱泉7:45〜硫黄岳9:50〜横岳(奥ノ院)11:10〜地蔵ノ頭12:10〜赤岳13:10〜行者小屋14:00〜赤岳鉱泉14:30(テント泊)  
(12/22) 赤岳鉱泉6:00〜美濃戸7:30〜美濃戸口8:20
美濃戸口(諏訪バス)茅野(特急あづさ)新宿(JR)東京(山形新幹線)赤湯

【概要】
この連休の東北は大荒れというので冬晴れの期待できそうな八ヶ岳へ向かった。八ヶ岳はちょうど8年振りで、夜行列車で出かけるのも実に久しぶりだったが、新宿発の急行アルプスがいつのまにかなくなっており、ムーンライト信州という快速列車に変わっていた。ムーンライト信州は急行券が必要ない代わりに全車指定席となっており、私のように飛び込みで北アルプスに出かけるような山屋にとってはあまりありがたくない変更であった。この日、未明の茅野駅に降り立った登山者は10人ほどで、始発のバス時間までは待合室にマットを敷いてしばらく仮眠をとる。待合室の片隅ではストーブが静かに燃えており、10人はそれぞれの場所を確保しながら、シュラフに潜り込む者、シュラフカバーだけで眠る者など、みんな手慣れたものであった。私もシュラフカバーで横になってはみたものの、床面からの冷え込みが厳しくてなかなか眠ることができなかった。

茅野駅始発6時10分のバスに乗って美濃戸口まで行く。美濃戸口はやっと夜が明けたばかりで、あたりは一面、雪景色の寒々とした風景だ。この付近の積雪からすると、山小屋周辺でも雪は相当降り積もっているだろうと思われた。登山口にある八ヶ岳山荘の休憩室はマイカーの人達や宿泊した人などもいて、結構混み合っている。スパッツをつけ準備を整えたところで林道に入ってゆく。幕営道具一式と冬用シュラフなどで一杯に膨らんだ65リットルのザックは、ずっしりと重く両肩に食い込んだ。初めは小雪がちらつく程度だったが、次第に雪は本格的となる。登山口では20cm程度だった林道の雪も徐々に積雪が増していった。美濃戸山荘付近からは風雪模様となり次第に心細くなってくる。一刻も早く赤岳鉱泉にたどり着くことだけを考え、北沢沿いの登山道をほとんど休みなしに歩いた。

赤岳鉱泉には美濃戸口から3時間40分かかってようやく到着した。テン場にはまだ2張りしか見あたらない。風雪は相変わらずで、立っているだけで体が凍りそうなほどの厳しい寒さだ。急いで雪を踏み固めてテントの設営をはじめる。指先の感覚はすでになくなっていて、テント設営に思いのほか時間をとられた。ようやくテントを張り終えて、エアーマットを敷き、シュラフを広げるとなんとなく気持ちも落ちついた。あまりに寒いのでシュラフに潜りながらカップラーメンを作った。こんな日は暖かい食べ物が一番だなあとしみじみと思う。厳しい自然の中ではそんな単純なことが一番なのだと教えられる。しかしわずかの隙間からも雪が絶え間なく入ってくるので、テント内は一面真っ白になっていた。今回はうっかりして外張りを忘れてしまい、ゴアライトのテント本体しか持ってこなかったのだ。今日のような風雪の時には、外張りがないとテントに出入りするたびに猛烈な雪が室内にはいってくるのであった。

晴れていれば硫黄岳を今日のうちに登っておく予定だったが、今日はテントからは一歩も出る気にはなれなかった。まだ昼前なのに赤岳鉱泉の周辺では夕暮れのような薄暗さに包まれている。食後はシュラフに潜って一眠りした。午後になるとこんな悪天候にもかかわらず登山者は続々とやってきて、テントはいつのまにかかなりの数に増えていた。小屋泊りも多く、ガイドツアーのような団体達も次々と登ってくる。私は暗くなったところでヘッドランプをつけ、シュラフに入ったままで夕食を作り始める。今日はフリーズドライのご飯とレトルトの牛丼、それに熱い味噌汁だ。ザックから取り出したビールやペットボトルはすでにシャーベットとなり、一部は堅く凍り始めていた。もっともこう寒くてはビールを飲む心境ではなく、ザックの奥にしまいこんだ。ガスコンロを使用している間、換気のためにテントを少しだけ開けていると、その僅かな隙間からは絶え間なく雪が舞い込んだ。その夜はホッカイロを背中に抱き、湯たんぽまで作ってシュラフに潜り込んだのだが、それでも寒くてなかなか眠れることができなかった。明日も風雪が続くならば停滞するか、登らずに撤退するしかないかも知れないな、そんなことをシュラフの中でずっと考えていた。

翌日、まだ真っ暗な4時過ぎ、テントから顔を出してみると満天の星空であった。夜半まで降り続いていた雪はいつのまにか止んでいた。あまりに冷え込みが厳しいので腕時計をテントの外に出して外気温を計ってみた。氷点下18度であった。夜はもっと冷え込んだような気がするので氷点下20度を下回っていたのかもしれなかった。ライトで照らしてみるとテントの内部にはびっしりと霜が張り付き、シュラフカバーの内側も水蒸気が凍り付き真っ白であった。

熱いラーメンの朝食を食べ終えるとすぐに出かける準備をした。今日の天候ならば硫黄岳から横岳、赤岳と縦走できそうである。昨日の段階では今回の山を半分あきらめていただけにこの好天は嬉しいばかりだ。テルモスに熱い紅茶を入れ、行動食と最低限必要なものだけをザックに詰める。登山靴を履いたりスパッツの装着はすべてテントの中で行った。テント内と行っても外と同じ様なものだが、風が当たらないだけましであった。意を決して外に出ると、快晴の空に赤岳や硫黄岳の稜線が眩しい。しかし風は相変わらず強く、阿弥陀岳の山頂付近では大きな雪煙が舞っていた。10本爪アイゼンを付けると小屋前から早速硫黄岳へと登り始める。登りはじめてすぐにアイゼンがはずれ、しばらくするともう片方もはずれたりした。なぜだろうと思って調べたら登山靴のコバの部分が凍り付いていてうまく金具が引っかからなかったようだ。ピッケルで叩いて氷を砕き、アイゼンを再装着する。冷え込みが厳しいだけにこのちょっとした行動が結構つらいものだった。顔面は凍りそうなほどで、指先だけでなく足先も感覚がなくなっていた。

昨夜からの風雪でオオシラビソの樹林帯は、枝も幹も雪で真っ白に化粧している。一部には樹氷も出来ていて、森全体がすっぽりと雪に包まれているといった雰囲気だ。積雪もところどころでは膝上までもある。八ヶ岳でも東北のような大雪が降るのだなあと妙に感心した。すでに多くの登山者が登り始めた後なので、しっかりとトレースができていたが、最初の人はラッセルにかなり苦労しただろうと思われた。途中で振り返ると迫力ある赤岳や阿弥陀岳が大きく聳えていた。森林限界を越えると赤岩ノ頭に出た。ここは吹きさらしの稜線で、風速は15m〜20mもあるだろうか。うっかりしていると体ごとが吹き飛ばされそうになり、すぐに目出帽をザックから取り出した。赤岩ノ頭からは快晴の空を背景にして新雪の硫黄岳が輝いている。なんの変哲もないような山が一級の冬山へと変貌していた。

広く平坦な硫黄岳山頂にはケルンが立ち、標柱をバックにたくさんの登山者がお互いに写真を撮りあっている。ここからは赤岳から阿弥陀岳の迫力ある景観や、北八ツへのなだらかな縦走路が一望のもとだ。もちろん今日は北アルプスや南アルプスも全て見渡せるからうれしい。久しぶりに眺める光景にしばし見とれるばかりだった。赤岳と横岳の鞍部付近では白い雪煙が絶え間なく舞い上がっている。稜線ではかなりの風が吹いているようだった。山頂に大勢いた登山者達はほとんど赤岳鉱泉に引き返していった。横岳に向かう人は見あたらなかったが、私は予定通り横岳への縦走路と進んだ。稜線はほんど雪が飛ばされてしまって岩と氷の世界と化している。横岳に向かう途中から眺める八ヶ岳の主峰、赤岳は特に素晴らしく、いかにもアルペン的な風格にただ感激するばかりだ。この風景をデジカメで撮ろうとしたらバッテリーが動かなくなっていた。充電済みのバッテリーに交換したばかりなのに、あまりの冷気に動作しなくなっているようだった。仕方がないのでバッテリーを取り出し、素肌で少し温めるとなんとか動作した。それでも2、3枚撮影するとまた動かなくなった。

硫黄岳山荘付近はちょうど横岳と硫黄岳とのコルとなっていて風の通り道になっている。強烈な雪煙に顔も上げていられず、私はしばらくの間、近くの岩陰に避難した。見上げると横岳を登っている3人グループとその先に単独の人が一人見えた。耐風姿勢をとっているのか、4人の動きがときどき停止している。私は風が少し弱くなったのを見計らって横岳の登りに取り付いた。先を行く3人組は横岳の肩で休憩をとっている時に追い抜いた。山頂直下には垂直のハシゴがあり、登り切ると痩せた岩稜となる。強風に晒される時はちょっと危険な箇所でもある。ようやく横岳の奥ノ院に到着すると山頂には先行の単独の人が休んでいた。話をしてみると新潟の人であった。縦走路を振り返ってみても他に登山者は見あたらず、今日の縦走者は我々5人だけのようだった。

横岳奥ノ院からは急峻な雪稜がしばらく続いた。いわゆる悪場が連続するところで、ここも慎重な通過が必要なところだ。稜線を卷いてゆくと積雪が急に増した。新潟氏とはその後も交互にトップを交代しながら進んだ。地蔵ノ頭まで来るとようやく悪場も終わり、八ヶ岳の主峰、赤岳まではもうひと登りだ。ここまで歩いてきて結構疲れもあり、とりあえず小休止とした。すでに昼を過ぎており、登山者はほとんど見あたらなくなっていた。地蔵ノ頭からは赤岳北面の雪稜を急登して赤岳の山頂に立つ。赤岳の山頂からは迫力ある阿弥陀岳が目の前だ。新潟氏とはここでお互いに写真を撮りあった後、私は先に下ることにした。山頂からは岩と雪のミックスした長い斜面を鎖につかまりながら慎重に下りて行く。文三郎道分岐からは稜線に別れを告げ、眼下に見える行者小屋をめざした。午後になって気温は少し上がったものの、それでもまだまだ氷点下であった。陽射しがあるのに汗はほとんどかかなかった。

行者小屋を通過すると中山乗越から赤岳鉱泉まではまもなくだった。新たに登ってきた人達も多くいて、テン場のテントはずいぶん入れ替わっていた。雪と氷で凍っていたテントは強い陽射しを浴びてほとんど乾いていたが、シュラフに入れていたビールは半分凍ったままであった。今日は昨日の悪天候からは信じられないくらいに晴れ渡ったが、陽射しがなくなると、たちまち冷え込んでくる。太陽はまもなく阿弥陀岳の山陰に見えなくなりそうであった。コッヘルにお湯を沸かし、ビールを少し解かしてからひとり乾杯した。この日の夜は雪こそ降らなかったものの、放射冷却現象で昨日以上に冷え込んだ。

翌日は4時頃から起きていた。シュラフの中で時計をながめながら夜が明けるのを待った。寒さに加えて妙に頭の片隅に痛みが残っていてほとんど眠れないでいた。頭痛の原因が風邪なのか、あるいは食あたりでもしたのかよくわからなかった。5時になったのを確認すると、意を決してシュラフを抜け出してみる。昨夜のうちにザックのパッキングをほとんど済ませていたのでそれほどかたづけるものはなかった。登山靴をはき、スパッツをつけて外に出た。まだまわりは真っ暗だったが、すでに起き出している人達もいて、テントからはランタンやヘッドランプの明かりが漏れている。撤収したテントはバリバリに凍っているので無理やり畳んでザックにくくりつけた。午前6時。アイゼンを装着してテン場を後にした。暗い夜道だったが、ヘッドランプの光が新雪に反射して意外と明るく、大勢の人が下った後だけに道もはっきりしているので、歩くにはそれほど苦労することはなかった。ただ、昨夜からの頭痛と吐き気はいくら経っても納まることはなかった。30分ほど歩いていると空は徐々に薄明るくなってきたものの、それでもまだヘッドランプははずせない。八ヶ岳山荘の風呂に入ればこの頭痛も少しは直るかも知れないと、それだけを考えながら、まだ薄暗い雪道をひたすら下り続けた。



硫黄岳への樹林帯(21日)



硫黄岳への登りで(森林限界を抜け出る)



赤岩ノ頭付近



硫黄岳山頂
左から横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳



横岳への縦走路から



横岳奥ノ院から縦走路を振り返る
鞍部で3人組が休憩をとっている



横岳から赤岳への岩稜帯をトラバースする



横岳を目指す登山者
地蔵ノ頭付近にて



赤岳から下りの途中で阿弥陀岳を仰ぐ


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