山 行 記 録

【平成15年9月13日(土)/筑波山】



麓から望む筑波山


【メンバー】2名(妻)
【山行形態】夏山装備、日帰り
【山域】筑波
【山名と標高】筑波山 876m
【天候】曇りのち晴れ
【温泉】茨城県真壁郡明野町「あけの元気館」700円
【行程と参考コースタイム】
 筑波山神社10:40〜中の茶屋〜御幸ケ原12:25〜男体山12:40〜女体山13:25〜筑波山神社15:10
 
【概要】
筑波山は、深田久弥が「日本百名山」の選定基準としていた標高1500mにははるかに及ばないが、歴史の古さからすればこの山は十分にその資格があるということで「日本百名山」のひとつに選んだ山である。しかし歴史と入ってもいわゆる宗教登山ではなく、遊楽を目的とした大衆登山として古来から行われていたということであった。山頂付近には多くのみやげ物店が軒を連ね、またケーブルカーやロープウェイを使えば労せずにして山頂近くまで登れてしまうなど、まさしくこの筑波山は行楽の山であり、正直なところ100名山を目的にしていなければ登る機会はなかったのかもしれない山でもある。カミさんと登るには手頃な山ともいえそうでもあるが、登るにあたってよくよく地図を眺めてみると、山頂までの標高差は640mあり、また男体山と女体山の上り下りを加えればハイキング気分で気楽に登れるほど安易な山ではない。「日本百名山」によれば、東京の高い建物から筑波山を眺めた青年が、「おお、富士山が見える!」と見誤ったほどの標高差はあるのであり「常陸の平野の真ん中に立った筑波は、意想外に高いのである。」これは実際に登ってみての実感でもあった。

筑波山神社の境内を通り社務所の脇の車道を登って行くとケーブルカーの発着駅につく。登山道はこの右側に付けられており、緩やかな道が薄暗い樹林帯に続いていた。道は木の根が入り乱れていて少々歩きづらい。歩いているとディバックを背負った多くの登山者と行き交った。樹林に遮られて日差しはないものの、途中からは急登となって汗がしたたかに流れる。一気に山頂まで登るものと思っていたら、ケーブルカーのトンネル部分のトラバース道からは少し下るようになった。鞍部にはベンチがあり近くには水場もあるところで、急登を前にしての最後の休憩ポイントになっているところだ。二人とも異様なほど汗が噴き出していて背中はすでにぐっしょりと濡れていた。ここは暑い盛りに登る山ではなかったなあと反省しても後の祭りであった。

鞍部からはジグザグの急斜面となり、最後は丸太の階段を登り詰めて御幸ケ原の広場に出た。ここは男体山と女体山の鞍部になっているところで、ケーブルカーの山頂駅がすぐ目の前であった。広場には売店や展望台が何軒か立ち並び、ケーブルカーから吐き出された多くの行楽客でごった返している。私達はとりあえず男体山から登ることにして左手の売店前の階段を上った。山頂には本殿と呼ばれる祠が建っていて、休憩している人も多かったが、落ち着いて休める場所もなく、私達は山頂から少し下ったベンチのところで大休止をとることにした。ここは涼しい風が吹き抜けるところで見晴らしも良く、眼下には関東平野が広がっていた。

御幸ケ原からは今度は女体山に登る。この頃になると観光客はますます増えていて、女体山に通じる登山道は団体も加わり渋滞気味になっていた。しかし女体山への登りは男体山に比較するとかなりなだらかであり、思ったほどの苦労をすることなく山頂に着いた。ここには筑波山の三角点の標柱があるところですぐそばには祠も建っている。岩が積み重なったような山頂には、へばりつくようにして多くの登山者が休憩中だったが、そこに団体も押し寄せてきたことからのんびりと座って休むどころではなく、私達は少し展望を確認しただけで早々に山頂を後にした。

御幸ケ原に再び戻ってくると、午前中広がっていた薄雲はすっかりと取れて、真夏のような日差しが広場に降り注いでいた。あとは往路を戻るだけなので、御幸ケ原の広場でソフトクリームなどを食べながらのんびりとした時間を過ごした。下山では団体客で渋滞するかも知れないと案じていたのだが、広場にあふれていた人達はほとんどケーブルカーを利用して登ってきたらしく、登山道は思いの外混み合うこともなかった。しかし行楽の山が混み合うのは当たり前にしても、山頂でゆっくりと展望を楽しめないのはやはり残念であった。ここはシーズンが終わった頃か、冬の晴れた日にでものんびりと歩きたい山だと思った。下山後、温泉に向かう途中で車を止めて麓から仰ぎ見た筑波山は、快晴の空になだらかな裾野を延ばして、堂々とした名山の風格を漂わせていた。


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