山 行 記 録

【平成15年4月13日(日)/姥沢〜月山】



氷詰めの鍛冶小屋



【メンバー】単独
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、日帰り
【山域】出羽三山
【山名と標高】月山 1,980m、姥ケ岳 1,670m
【天候】濃霧&強風
【温泉】西川町 水沢温泉館 200円
【行程と参考コースタイム】
姥沢8:15〜リフト終点(小屋で停滞)8:45-9:45
リフト終点出発9:45〜月山山頂(鍛冶小屋)11:45〜牛首13:00〜リフト終点(小屋)13:30-14:00〜姥ケ岳14:30〜駐車場14:45

【概要】
予報では移動性高気圧に覆われて絶好のツアー日和になるはずであった。ところが姥沢駐車場にきてみると、下界の好天からは信じられないほど濃いガスが立ちこめており、あたりはまるで夕暮れのような薄暗さに包まれている。濃霧に加えて強風も吹き荒れる状況に、喜び勇んでいた気持ちも急速に萎えていった。

準備を終えてもすぐには出発する気にはなれず、しばらく車の中で様子を伺ってからリフト乗り場に向かった。リフトは強風に煽られてときどき途中で何回か止まったりした。リフト上駅付近ではガスと強風はさらに激しさを増しとても歩ける状況ではない。しょうがないのでしばらく天候が回復するまでの間、小屋の中で待つことにした。私と同じように天気予報に誘われたのだろう。ザックを背負った山スキーの人達が、強風に追い立てられるように休憩小屋に転がり込んで来て、初めは私一人だった小屋の中もたちまち大勢の人達で満杯になった。私はのんびりとコーヒーを淹れ、遅い朝食を食べたりしながら時間をつぶした。1時間程してから外に出てみると、視界はほとんどなく悪天候は相変わらずだったが、このまま下る気持ちにもなれず、行けるところまでいってみようかと意を決して出発することにする。天候が徐々に快復基調だという判断もあったのだが、いつものいい加減かつ無計画な行動パターンである。山頂に向かっている人は誰も見あたらなかった。

2〜3m先しか見えないというホワイトアウトの中、上へ上へと目指せば山頂に着くだろうと、真っ白い闇の中をただひたすら登り続ける。危ないときは自分のトレースを引き返せばいいのだと考えながらのシール登高だ。いよいよ頂上直下と思われる急斜面に差し掛かった頃、単独のテレマーカーに出会った。聞いてみると私と同じ頃に小屋を出てきたらしく、悪天候も納まる気配がないので、もうそろそろ引き返そうかと思っていたとのことである。そこから鍛冶小屋まではひと登りであった。さすがにここまで登るとガリガリのアイスバーンとなっているので滑落しないように注意した。風もかなり強いので、吹き飛ばされないよう慎重に登ったものの、できればアイゼンとピッケルが必要な状況だ。斜度がようやく緩くなるとガスの中から突然目の前に
鍛冶小屋が現れた。

鍛冶小屋は小屋の一部だけが出ているだけで、屋根から雪にすっぼりと覆われており、まるで一軒家がまるごと氷詰めにされているようだ。裏手にまわるとわずかに風が弱いものの、それもいささかであり、ほとんど変わりがない。月山神社の建つ山頂はすぐ目の前だったが、今日はこの鍛冶小屋を山頂と決めてすぐに滑降の準備をする。何も見えない状況ではなんの楽しみもなく長居は無用であった。シールを剥がしていると先ほどのテレマーカーが登ってきた。単独氏も到着するなり、早速シールを剥がして下山の準備を始めていた。少し下れば視界は良くなるはずだと思い、私は金姥から湯殿山に向かうことを話したところ、単独氏は登ってきたルートを素直に引き返すそうである。下る直前、ガスでよく見えなかったのだが、山頂に向かう山スキーの二人連れを見かけた。

相変わらず一歩先も見えなかったが、何回も下っている場所なので地図も磁石も確認しないまま尾根伝いに下りはじめた。アイスバーンはしばらく横滑りでしのぎながら高度を下げてゆく。ところがいつのまにかかなりの急斜面とヤセ尾根を下っていることに気付いた。それでもまだ牛首に向かっている筈だと思いながらさらに下ってゆく。ルートを大きく誤ったと気付いたのは標高300m以上も下ってしまってからである。今にも崩れ落ちそうなヤセ尾根上で立ち止まり、現在地をなんとか思い出そうとしたのだが、両側が切れ落ちるような急斜面は全く記憶になかった。混乱する頭でどうにか考えたことは、どうやら金剛沢側の尾根に迷い込んだらしいということである。3月下旬に降った大量の雪が稜線付近で大きく崩れ始めており、大きなクラックが延々と続いていた。いつになく不安感がどっと押し寄せ、呼吸が困難になりそうな恐怖感が襲ったが、シールを再び貼って登り返すことにした。かなり高度が下がったはずなのにガスは少しも晴れることはなかった。そこからはトラバースしながら南に向かう。小尾根を何カ所か乗り越して長い急斜面をジグザグに登るとようやく稜線に登り詰めた。高度計と移動した距離を考えると、どうやら牛首付近に出たらしく、足元を良く見るとスキーのトレースもある。ようやく姥ケ岳への稜線に出たのだと思うと安堵感に包まれた。時間は既に午後1時を過ぎていた。引き返し始めてから本来のルートに戻ってくるのに実に1時間以上もかかったことになる。息を整えながら小休止していると、鍛冶小屋で見かけた山スキーの二人がスキーを担いでおりてきた。

牛首からは再び白い闇の中をトラバースしながら下ってゆき、リフト上駅には約30分で戻った。濃霧と強風は相変わらずで、すぐ目前に聳えているはずの姥ケ岳も全く見えなかった。私は休憩小屋で遅い昼食を取る。小屋の中では、朝方一緒だったと思われる人達から声を掛けられ、山頂まで行って来たことを話したら驚いていた。今日、月山の山頂に向かったのは私と単独のテレマーカー、それに先ほどの二人の山スキーヤーを含めて、結局4人だけのようであった。私は休憩を終えると姥ケ岳までひと登りしてから広い斜面を姥沢小屋まで下った。黄砂の影響からか雪面はかなり汚れていてスキーはブレーキがかかったように滑らなくなっていた。姥沢小屋までおりてくるとようやく視界が戻ってきたが、時間切れのために、予定していた湯殿山や石跳川はあきらめるしかなかった。今日も充実感にはほど遠く、小さな達成感だけが残った。


リフト乗り場と姥沢小屋(右奥)
(一時的に視界が戻る)


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