【メンバー】2名(大川、蒲生)+(二宮@東京)
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、日帰り
【山域】南会津
【山名と標高】会津駒ヶ岳2,132.4m、大戸沢岳2,089m、
【天候】晴れ
【温泉】福島県南会津郡伊南村 古町温泉「赤岩荘」310円
【行程と参考コースタイム】
自宅3.00=桧枝岐村700
滝沢橋8:10〜共同アンテナ9:40〜会津駒ヶ岳山頂13:15〜大戸沢岳14:20〜三岩沢出合16:10〜R121下戸沢スノーシェッド16:40
【概要】
会津駒ヶ岳を登り、大戸沢岳から派生する尾根を下るコースは以前から気になっていた縦走ルートである。しかし会津駒ヶ岳までは標高差1200mを登らなければならず、大戸沢岳へ向かうとなるとさらに1時間は余計にみなければならない。この時期トレースは期待できるはずはなく、ラッセルを考えれば単独で安易に実行できるコースではなかった。しかし前日たまたま行ったメールのやりとりの際、大川氏は会津駒ヶ岳、私は大戸沢岳のピストンをそれぞれに予定していることがわかり、それを急遽合体した形が今回の縦走である。初めてのコースであっても大戸沢岳の経験が豊富な大川氏が一緒であれば心強いのは確かだったが、結果的に今回は二人で合流したことが正解だったようである。単独であれば予想以上の深雪のラッセルに、半分も登れず撤退しなければならなかったはずである。例年よりも雪が少ないとはいっても、まだこの時期の会津駒ヶ岳は容易に人の進入を許さないような深い雪に包まれていた。
ガイドブック「東北山スキー100コース」では大戸沢岳から南東尾根と北東尾根が紹介されている。しかし今回私達が下るコースはそのどちらでもない、いわば北北東尾根とも呼べるもので、北東尾根のもうひとつ北側の尾根から三岩沢と桑場小沢の出合へと滑り降り、出合からは下大戸沢沿いに国道まで滑ってくるものである。これは大戸沢岳から登り返しの全くないという大川氏の推奨コースで、最後は北東尾根と同じ地点に下ってくることができるのだという。車を1台、下山予定の下大戸沢スノーシェッド付近に置き、もう1台で会津駒ヶ岳の登山口である滝沢橋に向かった。
準備をしていると何となく見覚えのある人が駐車場から歩いてくる。それは5日前の吾妻連峰で若女平を一緒に下った東京の二宮氏であった。奇遇ともいえる偶然にはびっくりするばかりだが、山スキーの世界は本当に狭いものだとあらためて認識する。ラッセル要員は一人でも多いほどいいので、二宮氏とはその後も一緒の行動をとることになった。当然ながら林道はまだ除雪はなされておらず、トレースも皆無である。軽の四駆が1台、近くに留まっており早くから準備をしていた様子だったが、なかなか動き出す気配はない。どうも我々の出発を待っている様子であった。
登り始めるとカモシカの足跡が縦横無尽に散在している。厳冬期の今は入山する人もまれで、冬の野山は野生動物の自由な遊び場となっているのだろう。今日は林道沿いを歩かずに沢筋を登る。杉林を抜けるとこの尾根に上がるまでの急登はかなりきつい登りで、汗が止めどなく流れた。このあたりの雪はスキーで膝下程度まで沈むもののラッセルはそれほどきつくはない。しかしスリップしやすいので3人とも勝手気ままにそれぞれのトレースで登って行く。中央付近は雪崩の恐れがあることから二宮氏は沢の左手から登って行き、大川氏と私は右手から尾根をめざした。しばらくして谷底を見下ろすと小さく人影が何人か見えた。我々の出発を待って登り始めた人達のようであった。
ふと見上げると2頭のカモシカが尾根に沿ってゆったりと歩いていた。近くまでいって写真を撮りたいのだが待っていてくれそうにはない。登り切るとちょうど共同アンテナの直下に出た。一気に400mほどを登ったことになり、ここからは積雪がぐんと深くなった。スキーでも膝上まで潜ってしまいそうなほどの積雪量である。共同アンテナ付近で左の小尾根から早めに登ってきた二宮氏が待っており、小休止後はおおむねラッセルを交代しながら会津駒ヶ岳をめざした。
そこからはブナ林の中の快適なシール登高が続いた。見上げると快晴の空が広がっており、2月なのにまるで春山のような日差しだ。しかし気温はかなり低く、この膚寒さは間違いなく厳冬期を感じさせた。大川氏は汗を拭うたびにタオルが凍りつくと驚いている。やがて1700mを過ぎ、左手から燧ヶ岳が見えてきたところで大休止する。あたりはオオシラビソの針葉樹林帯となり、風の弱い場所を選んでザックを下ろした。軽い昼食を終えるとそこからは大戸沢岳の稜線が右手から徐々に見え始め、樹林帯を抜けるとまもなく会津駒ヶ岳が正面に姿を現した。久しぶりに見る無木立の白い大斜面に感動する。源六郎沢は美しいグラデーションの雪面に覆われ、駒の小屋は屋根の頭だけを出して雪に埋まっていた。
駒の小屋から稜線に出ると雪面は少し堅めとなり、シール登高も少しだけ楽になる。越後三山や平ヶ岳を左手に見ながら山頂直下の急斜面を登り切るとようやく会津駒ヶ岳山頂に着いた。私は少しバテ気味であったが、3人で深いラッセルを続けてやっと登ることが出来た山頂であり、さすがに感無量で達成感でいっぱいになる。登りはじめてから5時間。すでに午後1時を過ぎており、この時間ではこれから登ってくる人も見あたらない。我々のトレースを追ってきた人達は途中で引き返したようであった。会津駒ヶ岳山頂からの眺めはまさに360度。周囲を有名無名の多くの会越の山々に囲まれ、見渡す限りの大展望が広がっている。しかし晴れてはいたが寒さは厳しく、のんびりと風景を眺めているわけにはゆかなかった。2時までに山頂に着けないときは大戸沢岳はあきらめようと大川氏と話しながら登っていたのだが、予定より少しだけ早く着いたこともあって早速大戸沢岳に向かうことにした。
大戸沢岳まではシールをつけたまま進んだ。吹きさらしの稜線なのでガリガリの雪面を想像していたが、予想外の深い積雪にスキーはほとんど走らなかった。この大戸沢岳までの広い雪原は吾妻連峰の弥兵衛平を思わせた。2098mのコブを卷きながら約1時間で大戸沢岳に着いた。広い山頂でどこがピークかわからなかったが、ここでようやくシールをはずした。遮るもののない稜線には強烈な寒気を伴った風が容赦なく吹き付けており、あまりの冷たさに指先の感覚がわからなくなっていた。二宮氏ははやる気持ちを抑えきれないのか、シールをはずすと一気に北東尾根をめざして一人で滑り降りてゆく。しかしあまりの積雪の深さにいくらも進まないうちに止まってしまったようだ。私と大川氏は少し先の大戸沢岳北東のピークに進んだ。やがて正面には全山雪に覆われた真っ白い三岩岳が姿を現した。
大戸沢岳の広大な斜面から滑降を開始すると、ふかふかのパウダーは適度なブレーキがかかって快適なテレマークスキーだった。しかし少しでもスピードが落ちると膝上までの雪にスキーは止まってしまう。トラバースしようものなら深いラッセルに身動きさえできなくなってしまうのだ。その後、下で待っていた二宮氏と合流し、予定どおり北北東尾根をめざして左手に進んで行く。目標はちょうど三岩尾根の1426mのピークをめざして下ればいいのだと大川氏がアドバイスしてくれて、しばらく思い思いのコースを楽しみながら下った。
ようやく一息を付けるところまで降りてきたところで小休止をとる。そこは三岩岳が極めて間近に見える場所で、その神々しいまでの美しさにはただ圧倒されるばかりだった。大川氏は行動食を食べ終えると早速ビデオ撮影を楽しんでいる。私は厳冬期のこの時期に快晴の大パノラマを見られる機会はそんなにないのだと思うと手当たり次第に写真を撮りまくった。
しかし、さらさらのパウダースノーは長くは続かず、少しずつ雪質は重くなり始めていた。モナカほどではないものの表面がパックされた深雪にところどころで足を取られたりした。そして私は必死になって起きあがるうちに太股がつってしまったのだ。会津駒ヶ岳へのラッセルの疲れがもう足にきたのかもしれなかったが、他の二人のなんともない様子には自分の体力のなさを痛感するばかりだった。
そこからは林間のコースをだましだまし下った。雪質はいまひとつでも、きれいなターンが少しでも決まると自分だけの満足感があった。ブナ林の斜面は結構長く続き、雪質がもう少し良ければ快適だろうと思われた。ようやく沢底まで滑り降りるとそこからは下大戸沢沿いに下るのだが、沢は雪が少なくて完全にはまだ埋まっていなかった。大川氏によると前回は沢形もわからないほどの積雪量だったというから今年はかなり雪が少ないのだろう。ルートは沢沿いに下るだけだから迷うような心配はなかったが、沢を横断して対岸に渡らなければならないところが2ヶ所ほどあるという。三岩沢と桑場小沢の合流点付近でなんとか雪がつながっている場所をみつけて沢を横断した。
長かった今日の行程もようやくエンディングが近づいていた。春のような日差しを一日中降り注いでくれた太陽は、いつのまにか山の陰に隠れてしまい、辺りはすっかり薄暗くなっている。振り返れば三岩岳の稜線は残照に染まり、この奥深い桧枝岐村には早くも日没が迫っていた。クラストした雪原をボーゲンで滑りながら、最後のスノーブリッジを渡って対岸に移ると、ヤブを漕ぐこともなく畑のような場所に出た。下大戸沢のスノーシェッドはもう目前であった。