山 行 記 録

【平成15年1月26日(日)〜27日(月)/吾妻連峰 天元台〜東大巓〜大沢駅】



東大巓から望む秘峰、中吾妻山
右奥は磐梯山



【メンバー】単独
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、テント泊
【山域】吾妻連峰
【山名と標高】中大巓1,964m、東大巓1,928m、
【天候】26日(晴れ)、27日(雪)
【温泉】米沢市「鷹山の湯」400円
【行程と参考コースタイム】
(1日目)天元台リフト終点9:20〜中大巓10:20〜人形石10:30〜東大巓12:00〜昭元山とのコル12:20
     〜東大巓13:10〜明月荘13:30〜渋川14:50〜放牧場最上部付近16:50(幕営)
(2日目)テン場6:45〜放牧場7:00〜大沢駅7:40
     大沢駅(JR)米沢駅(バス)白布温泉湯元駅(※車回収)

【概要】
西吾妻周辺では前日まで大荒れの天候が続いていたが、朝方になって吹雪もようやく収まり、今日は一転して快晴の空模様が広がった。今回は谷地平を経由して吾妻を縦走する予定である。大寒の真っ直中では風雪は長引くかも知れないと案じていただけに正直この好天はうれしい限りだ。しかし、前日まで降り続いた大雪のため積雪はきわめて多く、樹林帯の登りはかなりの困難が予想されるため、テント一式を担ぐことにした。

北望台では山スキーの人達が何人か準備をしていた。そのうちの4人のグループは若女平を下り、単独と夫婦者らしい2人組が大沢下りの計画だという。西吾妻山までの往復だというワカン組も3人ほどいた。はじめに単独の人が人形石を目指して登って行き、私は少し遅れてそのトレースを追った。どうせ途中まで同じ行程なので追いついたらラッセルを交代しようと思うのだが、こちらは幕営用具が入っているザックが結構重くて、全く追いつくことができない。少し経つと遅れて登りはじめた夫婦者からも追いつかれてしまった。二人は東京から大沢下りをするためにきたらしく、彼らとはしばらくの間、抜いたり抜かれたりしながらの行動が続いた。

中大巓からはシュカブラが発達し、昨日までの大雪が信じられないほど雪面は堅く凍っている。稜線の風のすごさをあらためて感じた。しかしおかげでスキーがほとんど潜らないので人形石までは快適なスノーハイキングである。人形石からは遠くに明月荘がぽつんと見えた。この地点からも見えるほどだから今日はよほど天候が良い証拠である。私は人形石でシールをはずし、コルまでの緩斜面のパウダーをちょっとだけ楽しむ。二人はシールはつけたままだったが、私はコルからもシールなしで歩いた。藤十郎を過ぎると大沢下りの夫婦者は明月荘に向かってまっすぐに進み、私は東大巓へと右寄りに登って行く。東大巓の登りにさしかかったところで再びシールを貼った。

東大巓山頂ではしばし展望を楽しむ。後ろを振り返れば中大巓から西吾妻山のなだらかな稜線が続き、右奥には真っ白い飯豊連峰が輝いている。もちろん朝日連峰、蔵王連峰も薄雲の上にぽっかりと浮かび、月山の右肩には鳥海山も望めるほどだった。さらに山頂をぐるっと回り込むと、今度は烏帽子山から家形山、一切経山、東吾妻山へと続く主稜線が見渡せた。東吾妻山の右手には秘峰、中吾妻山と磐梯山が聳えている。抜群の眺望にただただ見とれるばかりだった。

当初の計画では谷地平小屋に一泊をして五色沼から高湯温泉へと縦走する予定であった。しかし谷地平付近の樹林帯ではかなりの積雪が予想されることと、翌日の天候が大きく崩れそうだといういうのも気にかかり迷いはじめていた。結局、縦走の中止を決めたのは東大巓の東斜面を滑り、昭元山とのコルまで下ってからである。引き返すとなると時間も心配ではあったが、時間切れの場合は途中で幕営してもかまわないと考えていた。東大巓からはエスケープルートとして明月荘から大沢駅に下ることにした。コルまで下った標高差はたいしたことはなかったものの、振り返ると東大巓の山頂ははるか遠くに見えるほどで、東大巓への登り返しでは結構足にきた。山頂でザックを下ろし、しばらく休憩をしてから明月荘に向かった。

明月荘は2階への入口が完全に雪に埋もれていた。単独行と夫婦者はとっくに小屋を出たらしく付近には誰も見当たらない。小屋の前をそのまま通過すると夫婦者のトレースと単独行氏のトレースが北に続いていた。くじらの大斜面を一気に下ると、そこからは樹林帯に入る。樹林は大部分が深雪に埋まり、滑降はまるで海の上を漂っているような浮遊感を感じる、いわゆるディープパウダーであった。

はじめは先行者である単独と夫婦者のトレースを追いかけていた。しかし途中でずいぶん左寄りにコースをとっているのに気が付き、私は途中で追いかけるのを止め、右寄りにコースを変更する。下っているうちに見覚えのない場所に出てしまい、コースを外れているのがわかった。しかし徘徊しつつも一方ではトレースがない深雪の滑りは結構楽しかった。ただザックが重いのでこけると全身が雪に埋まったりした。ようやく渋川を渡る地点に出たもののそこはいつもの渡渉地点ではなかった。少し下りすぎており、そこからは再びシールを貼って登り返さなければならなかった。

登り返すとようやく林道らしきところにでた。かなりの積雪があるのでなんとか道形がわかる程度であったが、見覚えのある地点まで下ったことでやっと安心感が広がった。シールをはずしながら何気なく振り返ったら、すでに大沢駅まで下ったと思っていた単独行氏が後ろから追いついてきたのでびっくりした。彼もコースを迷ってしまったらしく、途中から私のトレースを追ってきたようであった。単独行氏は埼玉の人で大沢下りは慣れている人らしかったが、それでも誤って立岩付近まで進んでしまったらしかった。私も以前誤ってそこに迷い込んだことがあるのだが、そこまでゆくと引き返すにも引き返せないような絶壁にでてしまうのだ。トレースが全くない大沢下りの難しさをあらためて思った。不思議だったが、先に下った筈の夫婦者のトレースにはまだ出会っていなかった。そこからはコース的に問題はなく、しばらく単独行氏と一緒に下った。しかしかなりの積雪のために林道は終始、ラッセルを強いられてしまい、スキーは全く走らない。大沢駅の汽車時間にはすでに間に合わなくなっていた。

日が暮れかかっていた。私はテントを張るからといって単独行氏と別れ、林を抜けた放牧場の最上部付近で幕営することにした。雪を踏み固めてテント設営し終えると、スキーヤーが二人、樹林を抜けてこちらに向かってくるのが目に入った。二人は心配していた東京の夫婦者であった。詳しくは聞かなかったが彼らも道に迷ってしまったのだった。予定の時間をはるかにオーバーしていたが二人はこれから汽車で東京に帰るのだといって、薄暗くなった放牧場を下っていった。

私は簡単にアルファー米とレトルトのカレーで夕食をすませてシュラフに潜り込んだ。シュラフとシュラフカバーの間に水筒とブーツのインナーを入れて凍結防止に備える。しかし外張りのないテントとスリーシーズン用のシュラフではこの時期の夜は寒すぎた。半身用のエアーマットのため足元をザックに突っ込んだが、それでもガタガタと体が震えた。天候が良かっただけに放射冷却現象でかなり冷え込んだのかも知れなかった。朝になったら真っ先に熱い飲み物を飲もうとそれだけを考えながら、ただ長い夜が明けるのを待ち続けた。少なくとも快適に眠るためには冬用のシュラフは持ってくるべきだったと反省した。夜は強風が吹き荒れ、張り綱を張っていないテントは一晩中大きく揺れていた。

朝方、テントを出てみると周囲は風雪に包まれていた。昨日の踏跡は全くなくなっている。視界はほとんどない状態で、昨日は谷地平を断念して正解だったようである。広々とした放牧場の緩斜面を下るとまもなく林道に出た。林道に出ると再び昨日のトレースが現れたが、積雪は結構深く、昨日の3人のトレースがなければこの林道も間違いなくラッセルが必要な区間だった。そのトレースのおかげで思ったよりもスキーが良く走り、予定していた汽車よりもひとつ前の列車に乗ることができたのは幸いだった。しかし結局、好天に恵まれたのは昨日のたった一日だけということを考えると、厳冬期における縦走の難しさをあらためて思うばかりだった。


藤十郎付近の大雪原を歩く
遠方の稜線は一切経山や東吾妻山



東大巓から望む中大巓や西吾妻山
右奥は飯豊連峰



東大巓の東斜面を下る



放牧場付近で日が暮れる



テント設営を終える



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