山 行 記 録

【平成14年5月12日(日)/上和田から豪士山と駒ヶ岳】




豪士山の山頂
右奥に見えるのが山形駒ヶ岳
(下山時に撮影)

【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、日帰り
【山域】奥羽山脈南部(置賜東部)
【山名と標高】豪士山 (ごうしやま)1,022m、駒ヶ岳 1,067m
【天候】曇り
【温泉】米沢市 鷹山の湯 500円
【行程と参考コースタイム】
登山口850〜水場〜豪士峠1020〜豪士山1040〜ひかば越え1100〜1074m(最高点)1135〜駒ヶ岳1200〜豪士山1310〜1325豪士峠(昼食)1345発〜登山口1440

【概要】
ガイドブックによれば豪士峠はその昔、高畠町上和田と福島市茂庭を結ぶ古い街道上の峠だったようである。高畠村は古くは屋代郷に属し、江戸時代において幕府の直轄領となったり、米沢藩の一時預り地となったりして時代の流れに翻弄されたところだが、その屋代郷民にとって豪士峠は二井宿街道に対する間道として利用されていたらしく、またそれは米沢福島間の表街道である板谷峠に対する、いわば裏街道だったようでもある。この街道は福島県側から高畠町の亀岡文殊堂までの最短距離だったことから、昔は多くの参拝者に利用されていたらしいが、その昔日の面影も今はまったく見られず、街道があったことさえ知る人は稀である。

その豪士山から先にも登山道が続いていると知人から教えられたのは最近のことである。それも駒ヶ岳という名前なのだから驚いた。この山形県にも、それも意外に身近なところに山形駒ヶ岳とも呼べる山があったのである。もちろんガイドブックには記載されてはいない山である。また2万5千の地形図には駒ヶ岳の名前はあるものの、豪士山から駒ヶ岳までは県境の境界線があるだけで登山道の記載はなかった。それが最近整備されたおかげで問題なく歩けると聞き、にわかに登高意欲が湧いてきたのである。

登山口に向かう林道の途中には整備されたばかりのキャンプ場があった。そこにはこの駒ヶ岳周辺の登山案内図の看板が立っていたのだが、うかつにも私はこれをよく見もせずに通り過ぎてしまった。私は登山口を探すのに少しあせっていたのかも知れなかった。私は山から下り、帰るときにあらためてこの看板の前に立ち止まってみて非常にがっかりしてしまった。この案内図によると駒ヶ岳からは信濃沢経由で直接、登山口に戻るコースが整備されていたのである。これならば変化に富んだ山歩きを楽しめるうえに、往路を戻らずに周回できるので縦走するのはずっと楽になるのだ。今回、私はこの周回コースを知らなかったばかりに、駒ヶ岳を往復する長いコースとなったものである。

今日は朝から曇り空で、時々雨模様も予想されるパッとしない天候だったが、往事に思いを馳せながら旧街道を歩いてみるのも悪くはないだろうと思い立って自宅をでた。以前は標識もなく登山口さえ見つけるのは困難だったらしく、私も最初は豪士山の登山口をなかなか見つけられないでいた。ようやく林道の途中にある登山口を見つけたのはだいぶ迷ってからである。ここには十分な駐車スペースもあり、すでに乗用車が5台駐車中だった。今日は天気予報も思わしくなく、登山者など誰もいないのではないかと思っていたところに、意外にも多くの車があるのでなんとなく安心した。私が登山口に着いた時、ちょうど8人ほどのグループが出発するところであった。

登山口からは小沢を渡り杉林を登り始める。道形ははっきりとしており、だいぶ歩かれている様子だ。登山道は徐々に急坂になりたちまち背中から汗が流れはじめた。この急坂の途中で先に出発した8人組を追い越す。付近は松の木やミズナラなどの広葉樹の樹林帯で、やがてヤセ尾根の岩稜帯に出た。両側には色鮮やかなヤマツツジがかなり咲いており、新緑の単調な色彩の中では心が和む思いがした。江戸時代の旅人もこのヤマツツジを眺めながら同じように疲れを癒したのだろうかと想像するのは楽しかった。さらに登ると今度は別の登山者に追いついた。数えてみると12人ほどの団体だった。このマイナーとも思われる豪士山に、このような大勢の登山者に出会うとは全く予想外で、今日はもしかしたらこの豪士山の山開きではないかと思ったほどである。聞いてみるといずれのグループも豪士山までの往復らしかった。

しばらく平坦な道が続いた。右側から沢音が聞こえ始めるころから道は再び急坂となり、ジグザグに登ると途中で沢の源頭に出会った。ここはちょうどよい水場となっているところだ。登るにつれて見晴らしが利くようになり、振り返れば高畠町の田園風景が広がっていた。しかし右手に見える筈の駒ヶ岳は厚い雲に隠れて見えない。下界は晴れているのにちょうどこの吾妻連峰から蔵王連峰にかけての奥羽山脈一帯に薄黒い雲が厚くのしかかかっているかのようである。登り詰めるとようやく標識の立つ豪士峠に着いた。標識の側面には「豪士山の会」とある。この会の人達が標識や登山道を整備されたのだろう。以前にはこの峠にも標識がなかったとあるからずいぶんとありがたいことである。峠の反対側には福島県側の農村地帯が小さく見えた。

中ノ沢峠への道を左に見送り県境稜線を南下する。前方には豪士山が雲に見え隠れしていた。道はいったんゆるい下り坂となり、登り返しから豪士山の東側を巻いてゆく。右への切り開きの道をたどり、残雪がまだ残る斜面をひと登りすると豪士山の山頂だった。まだ誰もいない静かな山頂だった。眼下にはやはり置賜の田園風景が見渡せたが、曇り空のために眺望は今ひとつだ。前方に見える筈の駒ヶ岳も上部付近に厚い雲が相変わらず居座っているので山の全体像はわからなかった。

晴れるのを期待しながら豪士山を後に駒ヶ岳に向かうことにする。ここまでは割合にはっきりしていた道も、豪士山から先はほとんど登山者がいないのか道は荒れていた。やっと整備されたばかりだという感じで夏場になればヤブに覆われそうな道である。小さなアップダウンを繰り返しながらぐんぐんと標高を下げる。150mほどだがもったいないほどの下りである。下りきった所は広々とした草原になっていて「ひかば越え」という標識が立っていた。ここからは正面のピークを目指して再び尾根伝いに登らなければならない。疲れていたが休憩はとらずに先に進んだ。この付近の登山道はやっと道形がわかる程度で、初心者ならば迷いそうなところだ。

このあたりからブナの木が多くなった。途中で誰もいないのが急に不安になり熊避けの鈴をザックにつけた。2つの小さなピークを通過しながら徐々に標高を上げてゆくとやがて1074m峰に着いた。ここには「高畠町最高地点」を示す標注が立っていた。地図をみるとここから南側はもう米沢市である。尾根はこの先にも続いているようだったが道はなく、駒ヶ岳へは右の支尾根伝いにいったん下る。鬱蒼としたブナ林をひたすら下り、鞍部から登り返すと駒ヶ岳の山頂だった。ほとんど休憩なしに歩き通して豪士山からは1時間20分かかった。ようやく着いたという感じだ。山頂には山形駒ヶ岳の標識と案内の標注が立っていた。ここもやはりガスに覆われていて展望はなかったものの、目的をようやく果たせたという充実感にしばらく浸った。この山頂からは左に下る登山道が続いていた。標注には「信濃沢へ」とあるものの地形図にもその沢の名前はなくてどこに下るのかよくわからなかった。身近な山だけに晴れていれば展望を楽しんだり、春の陽射しを浴びながらゆっくりと昼寝でもしたいところだが、視界のない曇天ではそれもかなわない。風もかなり強いので休憩するには寒すぎるため、昼食は豪士峠まで戻ってからすることにして、ここでは行動食だけをとって早めに山頂を下った。

駒ヶ岳も豪士山も標高はあまり変わりがないので、下りとはいえ復路も往路とだいたい同じ時間が必要だった。いつかは陽射しが戻るだろうと期待したものの、空はますます薄暗さを増してきたような気がした。豪士山に戻ってみると、20人ほどの登山者で賑わっていたであろう山頂には人影は見あたらなく、二つの団体はとっくに下ってしまっていた。振り返ると雲が少しだけ切れて、遠方にようやく駒ヶ岳の全体像を見ることができた。豪士峠で遅い昼食を始めたときは雨が降り出しそうな空模様になってきていた。

山全体を覆っていた重苦しい雲は終日頭上に居座り続け、結局晴れることはなかった。陽射しがなかったせいか気温は低く、登山口が近づく頃には体も冷えきってしまい、私は一刻も早く温泉に飛び込みたい心境になっていた。天候に恵まれない一日だったが、以前から気になっていた山をようやく登ることができたのは正直うれしかった。それに豪士山まではハイキングの域を出ない山でも、駒ヶ岳まで足を伸ばすことによっていっそう充実感のある山歩きを楽しめるということを知っただけでも収穫があった。次回もし来るとしたら今度は紅葉のシーズンになるだろうか。広葉樹が多い山だけに錦秋に彩られた駒ヶ岳は想像しただけでも魅力的な気がしていた。

※参考
キャンプ場の案内図による標準的なコースタイムは、登山口から豪士山までは2時間30分。さらにこの先の駒ヶ岳までは2時間20分を要するとあるので、この区間を往復するにはほとんど一日がかりの行程だが、駒ヶ岳山頂から信濃沢経由で周回コースをとれば2時間ほど短縮できるようである。


豪士山の登山口
以前は標識もなく、登山口さえわからなかったが
「豪士山の会」により最近、整備された


岩稜のヤセ尾根には色鮮やかなツツジが咲き乱れていた



豪士峠直下から高畠町の街並みが見えた
上空には重くのしかかるような黒い雲が終日居座った



ようやくたどり着いた、山形駒ヶ岳山頂
ここもやはりガスに覆われていて展望がなかった



キャンプ場にあった駒ヶ岳の登山案内図


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