【平成14年1月6日(日)/蔵王連峰 刈田岳(馬ノ背まで)】
馬ノ背近くのリフト終点
蔵王ライザスキー場のリフト終点からは早速シールを貼って出発する。すでにスキーのトレースが東へと伸びていた。しかし踏み跡は一人だけのようである。時間はすでに10時を過ぎており、もっと多くの人が登っているだろうと考えていただけに少し拍子抜けだった。積雪はだいたい2m弱ぐらいだろうか。降雪があったばかりなので雪はほとんど締まっていない。幅広のテレマークスキーでも20cm前後、深いところでは膝まで潜るほどだ。ツボ足やワカンならばかなり深く潜ってしまうだろうと思われた。
先人はてっきり私と同じように馬ノ背に向かうものと思っていたら、スキーのトレースはまもなく右に大きく逸れていた。最初のエコーラインを横切る付近である。もしかしたらクロカンスキーで周辺の散策だけが目的なのかもしれなかった。そこからは誰もいない広々とした樹氷原を歩いた。風は冷たかったが、踏跡が一つもない雪山に自分だけのトレースが、後方にまっすぐに伸びて行くのを眺めるのは実に気持ちのいいものだった。
ブッシュが少し目障りなちょっとした急な斜面を登るとお田ノ神避難小屋まではそんなにかからない。見上げると上空はほとんど青空が占めていたが、熊野岳や馬ノ背、刈田岳の稜線は北西から広がりだした薄雲に見え隠れしている。しかし雲はそれほど厚いものではなく、やがてきれいに晴れるだろうとその時は思われた。お田ノ神避難小屋は周囲を分厚いエビのシッポに覆われていて窓と入口の一部しか見えなかった。氷結した小屋を眺めていると、この付近の風雪の厳しさを物語るようだ。小屋は帰りに立ち寄ることにして休憩はせずにまっすぐに馬ノ背に向かうことにした。
天候が悪化する前のお田ノ神避難小屋と熊野岳
小屋を過ぎると風はますます強くなった。皮膚を突き刺すような北からの冷たい風がビシビシと頬に突き刺さる。つい今し方まで晴れていた空模様も、登山リフトの小屋が近づく頃から雲の中に突っ込んだらしく、周囲の視界が極端に悪くなってきていた。登山リフトは沢を挟んで平行して2基ある。私は途中から右側のリフト沿いに登っていった。
予想に反して細かい雪を伴った風は濃いガスと共に激しくなるばかりで、視界は全然良くならない。あたりは風雪模様になっていた。それでも少し下れば好天の空が広がっているはずで、悪天候なのは山頂付近だけだろうと思い、途中何回か休みながらも馬ノ背をめざした。
リフト終点には氷詰めされたようなブロック造りの小さなリフト小屋があった。周りはほとんど見えなかったが、もう馬ノ背は目前のはずである。その小屋の陰で風を避けながらしばらく腰を下ろして休んでいた。雪の上に座り身をかがめていると、登りで温まっていた体もたちまち冷えてしまい、やがてガタガタと震えてきてしまった。30分ほど待ってから少し登ってみることにした。するといくらも進まないうちに小屋はガスで見えなくなった。視界はほとんど5mぐらいしかなく、まさに白い闇の中にいるようであった。
このリフトを離れては戻るに戻れなくなるかもしれない。急に私はそんな恐怖感に襲われてしまい、あわててそこから引き返すことにした。馬ノ背から一瞬でも氷結したお釜を眺められたらとなどという望みはもう吹っ飛んでいた。
視界もないことからリフトの支柱沿いに下る。もちろんシールをつけたままである。膝まで潜ったはずの自分のトレースは風雪のために全く消えていた。下のリフト小屋付近を通過しても周りは全く見えなかった。先ほどまでは青空も見えていた場所である。予報とは裏腹に天候は悪化するばかりで午前中の様相とは一変していた。下りはじめたときはお田ノ神避難小屋に立ち寄り、温かいラーメンを作ってから下ろうと思っていたのだが、その小屋付近も白い闇に包まれていてよく見えない。私は一刻も早く下りたい心境になっていた。小屋からは首にぶら下げていた磁石を取り出し、真西に方位を合わせる。
小屋から一段下った雪原まで来たところで、ずっとシールをつけたままだったのを思い出し、途中ではずした。指先もそうだったが、顔の感覚が寒さでわかなくなっていた。フリースの帽子を2枚かぶってはいたものの、今日は目出帽はつけていなかった。強風の中でザックから取り出すのが億劫だったのだ。ホワイトアウトの中での緊張感からか余裕がなくなっていたようである。そこからは平坦な雪原を推進滑降で進むと、ようやく前方にライザスキー場のリフト終点がうっすらと現れた。私はこの日、めずらしく顔に軽い凍傷を負った。