山 行 記 録

【平成13年8月18日(土)〜20日(月)/北アルプス 北鎌尾根から槍ヶ岳】


ガスが一瞬切れて、迫力ある槍ヶ岳が姿を現した頃
その手前にはまだまだP13,14,15と岩峰が行く手を遮る
独標を卷いたP12付近から(12:40)



【メンバー】単独
【山行形態】夏山一般装備、小屋泊(大天井ヒュッテ 8300円・槍ヶ岳山荘 1泊8500円)
【山域】北アルプス
【山名と標高】 燕岳2762.9m、大天井岳2922.1m、槍ヶ岳3180m
【天候】(18日)晴れ時々曇り、(19日)晴れ時々曇り、(20日)晴れ
【温泉】新穂高温泉アルペン浴場(無料)
【行程と参考コースタイム】
(17日)赤湯20:26−−22:26大宮22:42−−新宿23:50−−(急行アルプス)−−穂高4:52
(18日)穂高駅−−(タクシー40分)−−中房温泉着 ※タクシー代6850円、5人相乗り1370円/一人

     中房温泉6:10〜合戦小屋8:05-8:15〜燕山荘9:00着(燕岳往復)10:00発〜大天井ヒュッテ12:40
                                     (行動時間6時間)

(19日)大天井ヒュッテ4:30〜貧乏沢下降点4:55〜天上沢出合(朝食)6:40-7:00〜北鎌沢出合7:20〜二俣7:30〜
     北鎌のコル9:15-9:30〜天狗の腰掛10:35〜独標のコル10:55〜北鎌平〜槍ヶ岳15:50〜槍ヶ岳山荘16:10
                                       (行動時間約11時間40分)
                              
(20日)槍ヶ岳山荘5:30〜槍平小屋7:00〜白出沢8:12-8:25〜新穂高温泉9:45(行動時間4時間15分)
     新穂高温泉−−(特急バス)−−松本−−新宿−−東京−−赤湯−−自宅着21:00

【概要】
日本の登山史上、様々な栄光と悲劇の舞台となった北鎌尾根。ここは不世出の単独行者、加藤文太郎や「風雪のビバーク」の松濤明の遭難した場所としてもあまりに有名です。この北鎌は山を志した者にとっては憧れの存在ではないでしょうか。私は以前に「孤高の人」(新田次郎著)を読んで初めてこの北鎌尾根を知りましたが、その時は自分が登る対象とは露ほども考えてはいませんでした。しかし槍、穂高連峰の縦走路や不帰のキレット、八峰キレットなどの岩稜帯を歩き続け、4年前に奥穂〜西穂間を踏破したときには、次はいつの日か北鎌を登りたいな、と漠然ながら考えるようになっていました。とはいってもここは地図上に登山道が記載されていないのはもちろんのこと、ペンキ印、指導標もないいわゆるバリエーションルートであって、つい最近までは記載されているガイドブックもありませんでした。踏跡はあっても正しいルートとは限らないので、常にルートファインディングのセンスが要求され、また途切れなく続く危険箇所にはクサリ、ハシゴなども全くないことから、基本的な登攀技術と共にザイルワークが必要とされるともあります。私はずっと憧れを抱き続けてきたとはいえ、安易に取り付いては命がいくらあっても足りないのではないかと、半分はあきらめてもいたのでした。

そんなある日、以前からHPにリンクを貼ってもらっているsudoさんから、3年越しの北鎌尾根をついに突破した、というメールを頂きました。1999年のことです。sudoさんのHP「やっぱり山が好き!」でその記録を読ませていただいたときには、北鎌尾根の険しさや厳しさ、ルートファインディングの難しさをあらためて教えられて、いつかは自分もという思いと、やはり自分には難しいのではないか、北鎌尾根は憧れだけで行けるところではないぞと、戒められているようにも感じたものです。しかし、読めば読むほど思いが募ってくるのも確かでした。それから2年経つうちに、登攀用具は持っていったけれど使用することもなく、単独で踏破されている人もなかには何人かいることがわかり、だんだんと、なんとかなるのではないかと思い始めてもいました。結局、単独で、それもノーザイル、ノービバークで槍ヶ岳までゆけるのではないかという見極めをつけるまでには時間が必要だったような気がします。

北鎌尾根へのルートは2つあって、以前は高瀬ダムから湯俣経由で水俣川を遡るのが正規のルートだったようですが、今はほとんど通行不可能ともいえるほど荒れているので、通常、表銀座コースから貧乏沢を下るコースが一般的なようです。今回、私のとったコースも貧乏沢を経由するものです。また、テントを持参すれば安心なわけですが、ノービバークで行きたいので、軽装が可能な小屋泊にしました。とはいえ、このコースは合戦尾根を登った後、大天井ヒュッテから900mの標高差を下り、また同じ高低差を登り返したところからようやく北鎌尾根の険しい登りが始まるという、まれにみる厳しいコース。北鎌尾根上だけでもともすれば1泊以上のビバークを必要とするほど険しい岩稜帯が延々と続くので、ビバーク用具が必携なことはいうまでもありません。また稜線上は水場もないのでビバークを予定するならば相当量の水を持ち上げなければなりません。私は、大天井ヒュッテから槍ヶ岳まで一気に踏破する予定でしたから、いくぶん少な目でもよいと考えました。それでも水を3リットル、果物の缶詰2個、和梨2個、ウィダーインゼリー2個と水分だけで結構ザックが重くなり、それに粉末のポカリスエット4個や食糧その他で、結局14〜15kgぐらいになってしまいました。


ルート略図(1/200,000 地形図)


北鎌尾根詳細図(1/50,000 地形図)

(8月18日)
夜行列車から吐き出された登山者は、およそ100名以上はいるだろうというほど大混雑していたのだが、次々とタクシーなどで出ていってしまうと、僅かの時間の間に、穂高駅前からはいつのまにかほとんど人がいなくなってしまった。私は単独のため最後まで残されたものの、幸いに5人でタクシーに乗り合わせることが出来た。お盆のピークを過ぎたとはいえ、登山口の中房温泉はさすがに表銀座コースの入り口だけあってたいへんな混みようである。駐車場もマイカーで溢れている。中房温泉から合戦尾根を登るのは今回が2回目。前回は雪の多く残る5月の連休で、燕岳、大天井岳、常念岳、蝶ケ岳と縦走していた。今日は残雪などどこにも見あたらないので、眺める風景が前回と違って新鮮である。こちらは単独なのですいすい登る。途中で団体や多くの登山者を追い越した。

燕山荘前のテーブルで一休みした後、時間もあるので燕岳まで往復した。その途中から望む槍ヶ岳は北鎌尾根や西鎌、東鎌尾根の裾をそれぞれに延ばして天に突き上げている。明日登る北鎌尾根の北鎌のコルや北鎌沢、貧乏沢をおよそ見当をつけてみたが、遠くてあまりよくわからない。ただいよいよ北鎌尾根を歩くのだなと思うと、武者震いがした。


燕山荘と燕岳間から見る槍ヶ岳と北鎌尾根(右下に下る尾根)
槍ヶ岳はまさに天を突く孤高のマッターホルンだ(9:21)

燕山荘から大天井ヒュッテまではそんなに大きな上り下りもないので快適な縦走路だ。不思議にそんなに多くの登山者に出会わなかった。大天井ヒュッテには昼ちょっと過ぎに着いた。多くの登山者が小屋前のテーブルで休憩している。私は早速ビールとうどんを注文した。大勢の人達と一緒に小屋の前でビールを飲みながら、小屋のスタッフから借りた北鎌尾根の情報板のようなものを手帳に書き写した。作成したのは5〜6年ほど前のもので、特に目新しいものはなかったが、私はどんな情報でも欲しかったのだ。

大天井ヒュッテはそんなに大きな小屋ではないので、かなり混み合うのかなと思っていたら、しばらくするとほとんどの人達が西岳ヒュッテに向かって出発してゆく。残ったのは一人か二人だけで、小屋前の喧噪がウソのように静かになった。どうやら小屋の宿泊の申込みは私が一番早かったようだ。私は小屋の食堂でコーヒーを淹れながら、明日の北鎌尾根に備えて本棚の北鎌関係の本を読んだりしながらのんびりと午後の時間を過ごした。その日大天井ヒュッテに宿泊したのは30人前後だろうか。夕食時は賑やかでいろんな話が飛び交っていたのだが、明日北鎌尾根に向かうような人は誰も見あたらなかった。



大天井岳と牛首山の鞍部に建つ大天井岳ヒュッテ

(8月19日)
朝、ザックをまとめて4時半に小屋を出る。まだ真っ暗なのでヘッドランプをつけて歩き出した。水筒などを満タンにしたので昨日よりザックが重い。途中で水を汲むことも考えたが、ザックの重さに慣れておきたかったのだ。まだ道が暗いので慎重に歩く。木のハシゴを通過する頃になり、東の空がうっすらと明るくなり始めてきた。小屋を出て約20分で貧乏沢への分岐点に着く。ガイドブックには石に赤いペンキ印があるとあるが、今はりっばな木の指導標が立っていて、そこをひと登りして峰の反対側に出る。そこからが貧乏沢の下りの始まりだった。ハイマツの薮を漕ぐとすぐに急斜面のガレ場でガイドブックによれば貧乏沢の下りは30度あるそうである。その急斜面に大小の石が張り付いているという感じだ。まもなく後方右側から沢が合流する。やはりこの沢も伏流水だ。途中で明るくなってきたのでヘッドランプをはずし、長袖もザックにしまった。貧乏沢はガイドブックに書かれているほど簡単な沢下りではない。おおむね左岸の巻道を下るのだが、潅木帯の薮漕ぎで道もはっきりとはしないので、ほとんど石がゴロゴロしたガレ場を下った。そのガレも途中でスラブ状の大きな石を下る場面が何回かでてくるのでその通過に結構苦労する。右手から水量の豊富な滝が現れると、ここで大体貧乏沢の半分を下ったことになる。貧乏沢下降点からちょうど1時間ぐらいだった。



表銀座縦走路の途中に貧乏沢への分岐がある
もっとも標識はここだけで、あとは全くない(4:53)



貧乏沢を下る途中で北鎌尾根に朝日が差す
左のピークが北鎌の独標(5:57)



広々とした河原の天上沢を遡る
テントが一張りあるが北鎌が目的のテントではないような感じだった(7:00)

そこから約1時間ほどで天上沢の出合に到着した。時間は6時40分。貧乏沢は750mほどの下りだが、大天井ヒュッテからだとおよそ900m下ったことになる。ここで朝食とした。昨夜の内に小屋からもらっていた弁当だが、煮豆や昆布の佃煮だけでも結構うまい。ただご飯は冷えてかたくなっているのでおせじにも美味しいとはいえない。これから今下ってきた分をまた登り返さなければならないので無理して腹につめこんだ。

そこからは広々とした河原の天上沢を遡ると、左手にテントが一貼り見えた。人の気配がないので通り過ぎると、ザックを担いだ若い人が3人、対岸を下ってくる。といっても山から下ってきた様子はなく、なんとなく付近を散策してきた感じである。声をかけてみたが誰も返事をせずに、また振り返ろうともしなかった。何とも不思議な感じだった。それからまもなく北鎌沢の出合に出た。ケルンなど別に見あたらないが石がうずたかく積まれているのですぐにわかった。すると右に回り込んだ所で、意外にも河原を登っている登山者が前方に見える。全員ヘルメットをかぶり登攀用具を持った男女の中高年6人パーティだった。追いついたときに声をかけてみた。みんな大天井ヒュッテを朝の3時50分に出かけたのだという。彼らも北鎌沢出合で朝食を済ませたばかりらしい。私は「滑落したらよろしく」と冗談を言って先にゆかせてもらった。今回、北鎌から槍ヶ岳に向かっているのは、もしかしたら自分一人だけなのかも知れないと思っていた矢先だったので、後ろからでも同じルートを共にする人がいるだけでなんとなく安心した。

北鎌沢を遡ると10分ぐらいで二俣に出る。左俣の方が大きいのでついつられてゆきそうになるが、右俣がルートである。ここからはまっすぐに北鎌のコルまで突き上げている。やはりわずかに水流があるだけでここもほとんど伏流水だ。わずかに流れている水をコップに掬って飲んでみるとさっぱり冷たくはない。しかし、ここまでで減った分だけ水筒に継ぎ足した。




湯俣から突き上げる北鎌尾根の下のピーク群(北鎌のコル付近から)
見るからにかなり険しいルートだ(9:51)

北鎌沢はガレ場の登りで快適に登ってゆくことができた。途中、大きな石が現れて高巻をする場所も2箇所ほどでてきたものの、草付をつかんだりしながら何とか攀じ登った。ザイルが残されている箇所もあったが、何となくたよりないので、極力頼らないように心がけた。やがて前方が開けて青空が大きくなり、草付きを登り詰めると稜線に飛び出した。北鎌のコルである。ここにはテント1張り分のスペースしかないので、HPの写真でみたのとは少し違う場所のようだ。本当の北鎌のコルはもう少し戻ったところになるらしい。まあ、些細なことではある。これから本当の北鎌尾根が始まるのだと思うと思わず身震いした。小屋を出てから5時間になろうとしていた。とはいえここまでは予定どおりの時間である。小休止することにして梨とアンパンを一個ずつ食べた。沢のどん底まで下った後で、また同じ高さの登り返しはたしかにつらかったが、意識してペースをゆっくりと保ったせいか、足のふくらはぎあたりの筋肉が少し張っている程度で体調はまずまずである。これから両手両足を総動員しなければならないので、今まで使用していたストックはザックに納めた。後続の6人組のお互いに声を掛け合うのが下の方から聞こえる。声の大きさからまだコルまでは少し時間がかかるようである。




登るに従ってだんだんと迫力ある独標が近づく
手前はP8(10:31)

北鎌のコルからは、左奥に見える北鎌の独標が大きい。目前に聳えるP8とP9のピークは別名天狗の腰掛とも呼ばれているところで、そこまではハイマツの絡むヤセ尾根の急斜面を登る。手がかりは潅木だけという感じで、木の枝をつかんで体を引き上げた。最初から緊張する場面だ。そして天狗の腰掛からは一段と大きく下る。ザレた道をトラバースする所もあって全然気を抜けない。どうにか稜線上の踏み跡にもどると独標がいよいよ近くに迫っていた。そしてその手前が鞍部となっていて一段と低くなっている。独標のコルのようだった。北鎌沢を登っているときは暑い陽射しが差していた上空も、いつのまにかガスが広がり始めていた。まだ10時過ぎなのに東鎌尾根や遠方の山々はガスに隠れて見えなくなっている。

独標のコルからはいよいよ今日の核心部が始まる。私は早速ルートファインディングの難しさにぶつかり、最初からここで40分前後もロスをしてしまった。ガイドブックによると独標は水平に巻道をトラバースするとあるので、それにとらわれてしまい、ハイマツをかき分けて無理に進んだりして行き詰まり、目の前のガリーをよじ登っては引き返したりしたので、そんなことを繰り返すうちに両足がつってしまったのである。貧乏沢から北鎌のコルまでの疲れがもう足にきているのかと、暗澹たる思いになった。独標のコルに戻って足を休めた後、試しに思い切って直登している踏跡を追い続けてみると、道は独標のピークを卷くように続いており、道がつながったのをやっと確認した。高みで一休みしていると後続の6人組がP9の急斜面の岩場を下っているところだった。私が道を探している間のロス時間を考えると、彼らはだいぶ遅れているようである。そこからは足の疲れをダマシながらゆっくりと先に進んだ。

トラバース道はほとんど千丈沢側の急斜面につけられた狭いバンドとなっていて緊張の連続だ。浮き石も多く、少し石を落としただけで大量の石屑がすごい音をたてながら雪崩のように谷底まで落ちて行き、後には乾いた金属音がいつまでも耳に残った。また、岩が結構脆いのでつかんだ岩が不意に剥がれたりするのだから冷や汗が出る。だから大きな岩を抱え込みながら回り込むところでは、この岩が動いたらどうしようか、などといらない不安も増してくるのであった。




天狗の腰掛(P8、P9)を振り返る(10:47)



天狗の腰掛からの下りで独標のコル付近を見下ろす(10:50)



P9の急斜面を下る6人組
望遠で撮影しているので私のいる位置までまだ1時間以上かかる
(独標コルの上から)(11:31)



残置スリングのある岩壁(11:43)



独標トラバースルート(11:46)



前方の独標トラバースルート(続き)
ここからは緊張する箇所が連続する(11:52)



一息を入れた場所から、後方を振り返り見る
バンドのような独標トラバースルートが見える(11:54)



残置ロープの垂れ下がっているチムニー(12:00)

私は独標のピークを踏むつもりはないので、このままトラバースしてゆけば自然に稜線に出るものと思っていたら、正面に大きな岩場が立ちはだかった。そこはチムニーとなっていて、どこかの写真で見た黄色い残置ロープの垂れ下がっているところである。ロープが残されているからといって簡単に登れるところではない。私は左の方から斜上することにした。ほとんど垂直の岩場なので確実なホールドと足場を探しながら伝って行く。ここでかなりのアドレナリンが湧出した。しっかりとした足場を選びながら斜めに高度を上げてゆくと、まもなく稜線に出た。振り返るとガスの中にピークらしきものが見える。どうやら悪場を切り抜け、独標を卷くことが出来たようだ。ここではさすがに胸を撫で下ろした。喉がカラカラに乾ききっていた。ザックから果物の缶詰を取り出して小休止する。甘い蜜と果肉は、こんなに美味しいものが世の中にあったのか、と思うほどうまかった。ここはP12かニセ独標と呼ばれるところだろうか。稜線の延長線上には多くのピークがガスの中に見え隠れしていた。そしてまもなくガスが少し切れると、小槍を従えた大槍が姿を現した。手前には多くの岩峰が蛇行しながら、まるで砦のように槍ヶ岳の前に立ちはだかっているという感じだ。すごい迫力に度肝を抜かれそうである。そして素晴らしい光景だった。

そこからもガレ場のトラバースが続き、そして行き詰まっては引き返して新たな踏跡を進んだ。いわば道なき道を進んでいるという印象である。いくつかのピークを千丈沢側に卷いているとまたも嫌らしいトラバース。先に進むには飛び降りるしかないような急峻な岩場である。しかもその下を眺めると踏跡が続いているようにも見えるのである。しかし危険をおかすわけにはゆかない。稜線まで戻ることにした。引き返すうちにまた両足がつった。もう簡単なストレッチ程度では直らなくなっていた。治まるまで待つしかないようだった。迷ったがしばらくしてからピークを直登することにした。ここを登るのはいいが、もし間違っていたらザイルなしにクライムダウンは難しいだろう、と思われるところだった。一段高みに登るとまた目の前にピークが立ちはだかる。右手の千丈沢側に踏跡が続いているのでトラバースしてみたが、ここでもやはり行き詰まった。結局リッジ上を進むのが正規のルートのようであった。ここはP14付近と思われるところで、北鎌尾根は基本的には稜線上を進み行き詰まったらトラバース道を選ぶのがやはり正しいルートのようである。




独標を卷いて稜線に飛び出した頃
いよいよガスの中から槍ヶ岳が姿を現す
すごい迫力に度肝を抜かれそうだ(12:29)



上の岩の間を抜けて千丈沢側に大きく下ってトラバースする途中で
P13付近か(?)(12:39)



唯一、ガスが晴れた瞬間
恐竜の背中のような、荒々しい岩峰はまだまだ続く(12:41)



赤茶けた奇異な山肌が目を引く硫黄尾根と背後には後立山連峰(14:03)

ガイドには「場所によっては両側につけられる場合もあるので、天上沢側をとったほうが無駄がない」とある。しかし、天上沢側にはほとんど歩けるような踏跡が見あたらず、3年前の地震で崩落したものと思われた。P14付近からはほとんど千丈沢側を卷いた。ピークを回り込むと所々にハーケンやスリングが残されている。行き詰まっては懸垂下降でしのいだのだろうか。

体は相当疲れていた。不思議なことに指先が思うように動いてくれない。両手の筋肉がつっているのだ。巻道の踊り場のようなところで少し休む。そして、またゆっくりゆっくりと心がけながら岩稜帯を進んだ。やがて大きな岩が積み重なった箇所が現れ、岩塊の上をたどりながら登った。左手が幾分平らになっている岩場で、どうやらそこは北鎌平らしかった。私はトラバースするうちに北鎌平の上に出てしまったのだった。右手にはもう大槍が迫っている。すると100mほど先に登山者が見えた。大きな岩の先端を歩いているところで、どうやら二人いるようである。人気のない北鎌尾根をここまでずっと不安を抱えながら単独で進んできたので、こんなところで登山者に出会うのは予想もしていなかった。その二人組には大槍の取付付近でやっと追いついた。二人ともやはり疲れて小休止しているところであった。聞いてみると昨夜は北鎌沢の出合で幕営して、今日の早朝出発してきたとのことである。岩だらけの無機質な北鎌尾根を歩き続けて、加えて途切れることのない緊張感の連続のせいで心がささくれだっていたのかもしれない。人に会えたことが無性にうれしかった。

大槍の取付からはいよいよ最後の登りだった。先行する二人からは少し距離を置いて出発したが、まもなく追いついてしまった。最初の1ピッチ目は天上沢側に広いバンドが続いていたが、二人は直登していったので同じルートで後を追う。この辺は急な岩場の登りだが特に問題はなく、まもなくすると有名な一つ目のチムニーが現れた。先の二人は難なくこのチムニーを通過していったが、バランスが悪いのか私は意外に苦労して時間をとられた。手にも力が入らなくなっていた。その上の二つ目のチムニーはさっきよりもっと腕力を必要とするらしく、私は右への巻道をたどり岩を攀じ登った。ここでも上に抜けるのに予想より難儀して時間を費やしたが、なんとかチムニーの上に出た。木の杭の立つ岩場が目の前だった。

その白杭に導かれて先に進む。見上げると山頂にさっきの二人組が休んでいるのが見えた。右側の岩をよじ登る。もう少し。あと3メートル。そして15時50分。見覚えのある祠の横からついに槍の穂先に到達した。朝、大天井ヒュッテを出てから11時間20分経っていた。祠の前で休んでいた高校生が怪訝な面もちで私の顔を見ている。視界がないためか登山者が少なく静かな山頂だった。もう緊張感を解いてもいいのだとは、にわかには信じられなくていた。
近くにいた登山者に写真を撮ってもらう。周りはガスのためになにも見えなくともそんなことはどうでもよかった。ただただ、うれしい。静かな喜びがこみ上げた。3回目の槍ヶ岳の山頂だが、今回は前回までとは全く感動が違った。先に到着していた二人組ともお互いに健闘を称え合い、無事を喜びあった。




大槍の取付付近を登る静岡の小野川さんと鈴木さん
北鎌平の少し上でこの二人組と出会う(14:49)



上の写真の全体像
大槍の山頂がうっすらと見えるが、なかなか晴れない(14:49)



いよいよ最後の大槍への登りだ
最初の1ピッチ目(15:09)



下のチムニーを登る静岡の鈴木さん(15:23)



祠の右手からよじ登り、ついに念願の山頂に着いた!
「キタカマ」とペンキで書かれた岩は地震でなくなっている(15:49)

槍ヶ岳山荘に下ると皮肉なことにガスが晴れだしてきた。受付で二人組はテン場の申込をし、私は小屋への宿泊を申し込んだ。割合にすいているらしいので今晩はゆっくりと眠れそうである。玄関を出てみると、あたりは再び濃いガスに覆われていて槍ヶ岳の山頂付近は全く見えなくなっていた。そして夕暮れがすぐ近くまで迫っていた。気になるのはまだ北鎌尾根に張り付いているはずの6人組である。少なくとも私より2時間以上は離れているはずなので、この分では途中でビバークするものと思われた。二人は食後に飲み直そうよ、と言い残してテン場に向かった。私は部屋に入る前に小屋前のテラスで早速缶ビールだ。冷えたビールは疲れ切った細胞の一つ一つに染み渡ってゆくようで、一気に飲み終わるとその後急に目眩がやってきた。

二人は静岡の某山岳会に所属する小野川さんと鈴木さんといい、岩や沢のかなりのベテランだった。食後、早速小野川さん達がやってきて、受付の前のテーブルを囲む。お互いに北鎌尾根を踏破してきた後だけに、話もはずみ話題は尽きなかった。




山頂から槍ヶ岳山荘を見下ろす(16:06)



皮肉なことに山頂から下りたらガスが晴れだしてきた
(槍ヶ岳山荘前から)(16:22)



桂姉妹によるフルートコンサートがこの日の夜、槍ヶ岳山荘の食堂で開催された

この日、槍ヶ岳山荘では予想もしていなかったイベントが催された。以前からウワサには聞いていた、あの美しい桂姉妹による槍ヶ岳山荘のフルートコンサートが、今夜、開催される日だったのである。私はもちろん参加を決めて、小野川さんと鈴木さんも一緒に食堂へ誘った。コンサートは夜7時から8時過ぎまで続き、その美しい音色を聴いていると北鎌の疲れも忘れるようであった。この槍ヶ岳山荘の夜のコンサートは、北鎌を踏破してきた私達にとって思いがけなくも最高にうれしいプレゼントになったのである。

なお、北鎌尾根でビバークしたものと思っていた6人組は、日も暮れて暗くなった7時半頃になって槍ヶ岳山荘に無事到着したことを知った。その人たちとは食堂でのコンサート終了後、談話室で会うことができ、話を聞くことができた。ちょうど遅い夕食を食べ終わったところで、みんな疲れ果てた顔をしている。6人パーティのうち4人が男性、残りが女性で、その二人の女性がなんと北鎌の経験者であった。年輩の男性を連れての北鎌尾根とはすごいとしかいいようがない。その二人の女性の話によれば、前回の北鎌は今回よりはるかに楽だったという。それが3年前の地震によりトラバースルートも大きく崩れ、悪場が増えたのだろう。ザイルも3箇所で出さなければならないほど予想外に難儀したらしく、これが大幅に到着予定時間が遅れた理由らしかった。彼らは早朝に小屋を出てから槍ヶ岳山荘まで16時間近くもかかったのである。6人は疲弊しきった顔つきで「こんなに苦労をするとは思わなかった」と深い溜息をついた。

その夜、体は非常に疲れていたのに、目を閉じると北鎌尾根で緊張した場面や岩にしがみついている場面などが次々と浮かんできて、なかなか寝付かれなかった。


(8月20日)
日の出は槍ヶ岳の右手から始まった。天気がいいので暗いうちから槍ヶ岳の山頂に登る人も多いようだ。小屋の前では多くの人達がカメラを構えてご来光を待っていた。予定では東鎌尾根をたどってまた中房温泉に戻るつもりで計画を立てていた。しかし台風11号が近づいているので、念願の北鎌尾根を達成したこともあり、無理はしないことにした。槍ヶ岳山荘からは上高地に下ってもよかったのだが、急遽予定を変更して、初めてのコースである、槍平経由で新穂高温泉に下ることにした。私はテン場を通り過ぎる時に、小野川さんと鈴木さん達に最後の挨拶をし、飛騨乗越から飛騨沢を下っていった。飛騨乗越付近から眺める笠ガ岳や裏銀座の山々は、朝の清々しい空気の中で、なだらかな稜線を見せている。それは昨日までの荒々しい北鎌尾根とは全く別の、とても穏やかで優しい北アルプスの姿だった。



朝の槍ヶ岳(4:49)



飛騨乗越付近から見る西鎌尾根、裏銀座の山々(5:33)



槍平山荘
登山者もではらってひっそりとしていた
槍ヶ岳山荘からここまで1時間30分で下る(7:00)



白出沢で最後の休憩をする
ここからは林道歩き1時間30分ほどで新穂高温泉だ
なお、この先の白出小屋からは奥穂高岳まで直登できる(8:12)


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