山 行 記 録

【平成13年7月14日(土)〜15日(日)/飯豊連峰 石転ビ沢から梶川尾根】



門内岳から扇の地紙に向かう[2001.7.15]



【メンバー】7名(伊藤賢、渡辺、新野、東海林、清水、伊藤孝、蒲生)
【山行形態】夏山装備、テント泊
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】北股岳2024.9m
【天候】14日(曇り時々雨)、15日(晴れ)
【温泉】飯豊山荘 500円
【行程と参考コースタイム】
(14日)飯豊山荘700〜石転ビノ出合1015〜梅花皮小屋1500(テント泊)
(15日)梅花皮小屋730〜北股岳800〜扇の地紙930〜梶川峰1000〜滝見場1145〜飯豊山荘1500

【概要】
今日は久しぶりにテントを担いだ、私たちの山の会の山行。石転ビ沢は今年2回目である。昨夜から降り続いていた雨は、朝方には止み、天気予報もそれほど悪くはなかったはずなのに、小国町玉川の集落を過ぎて、飯豊山荘が近くなる頃から雨が降り始めてきた。それも時折激しく降ってくる始末だった。飯豊山荘の炊事場所を借りて雨宿りしながら出発の準備をする。雨はなかなか止みそうもなく、しかたがないので雨具を来て歩き出した。雨でも気温はそれなりに高いので雨具を着ると、蒸れてTシャツがすぐにびしょぬれになった。予定より1時間以上遅れての出発だった。

雨は降ったり止んだりの状態が続いていて、気持ちも沈みがちである。途中から雨具を脱いだり着たりを繰り返した。視界がない分、陽射しもないので、暑くないだけ歩きやすいのだと、自らを慰めながら歩く。

梶川の出合のスノーブリッジはかなり薄くなっていて、夏道に誘導する黄色い旗が立ててある。私たちはまだ大丈夫と判断しながらもスノーブリッジを恐る恐る通過した。この上を歩けるのもあと1週間ぐらいだろうか。先月6月初めには随分と手前から雪渓歩きができたのだが、すでに石転ビノ出合までは部分的にしか雪渓を歩くことができなくなっていた。

石転ビノ出合でアイゼンを装着し、いよいよ石転ビ沢の雪渓歩きである。梅花皮小屋までの標高差は約1000m。石転ビ沢は稜線への直登コースとはいえ、梅花皮小屋はまだまだ先である。私たちはゆっくりと登り始めた。天候が良ければ梅花皮小屋も見えるのに、稜線は厚い雲の中にすっぽりと入ったままで、北股沢付近さえはっきりわからない。そのうちに斜面はだんだんと急になり、時々途中で行動食を食べながら休憩をした。小雨が降り続く中、後ろを振り返れば少し青空も見えてきていた。下界は晴れているのかもしれなかった。

北股沢の出合を過ぎると雪渓の斜度はますます急になった。中ノ島の両側の雪渓も歩く事は可能だったが、どちらも40度を超す急斜面のため、私たちは夏道に上がって一時アイゼンを外した。中ノ島も完全には出ていないので途中からまた雪渓に戻る。ここからは斜度が45度という急斜面で、いつもながら緊張する箇所だ。ガスの中にはいっているので視界がなく、高度感が少し減少するのがせめてもの救いだろうか。滑ったら止まらないだろうなあと思いながら、足を引っかけないようにみんなに声を掛け、慎重に登った。そして再び草付きが現れたと思ったら、ガスの中からうっすらと小屋が浮かび上がった。梅花皮小屋はもう目の前だった。私は全員が無事に夏道に上がったのを確認して、小屋へ向かった。

小屋への宿泊者は悪天候のためか、それほど多くはないようである。管理棟に行き、早速テン場を申し込む。北股岳側にはすでにテントが3張り設営されていた。我々は小屋の南側にテントを張ることにした。我々のテントは4人用が二張り。天気さえよければ外で炊事も食事も楽しみなのだが、梅花皮小屋の周辺は風が一向に吹き止まないので、テントの中で煮炊きをすることにした。テントの薄い布切れ一枚でも寒さや風を凌ぐことができる。7人が一つの狭いテントの中に入るとそれだけで心がなごむようだった。宴会が始まれば外の悪天候のことはすっかり忘れてしまっていた。その夜、激しく吹き続ける風のため、テントが一晩中、バタバタと激しい音をたてた。

翌日はまだ薄暗い4時に起床した。日の出を前にして蔵王連峰の上空が赤く染まっている。見渡せば美しい雲海になっていて山並みが海の上に浮かんでいるようだ。風が強いので小屋の入り口付近でご来光を待った。北股岳も梅花皮岳もガスに隠れて山頂付近は見えない。しかし周りを見渡せば、薄暗い中にも青空が透けて見えて、今日は晴れそうであった。

朝食後、テントを撤収して北股岳に向かった。山頂付近はまだガスに包まれていてよく見えない。洗濯平付近はニッコウキスゲのお花畑が見事なのだが、今年はまだそれほど咲いてはいなかった。山頂に着いたときにはまだ視界がなかったものの、休んでいる内にだんだんとガスが切れてきて、しばらくするとほとんど見渡せるほどに晴れ渡った。いつのまにか飯豊本山や梅花皮岳、烏帽子岳も姿を現し始め、振り返れば門内岳から扇ノ地紙、地神山となだらかな山並みが続いている。さらに杁差岳まで目を向けると遠く日本海まで望むことができた。梅雨のさなかとはいえ、抜けるような青空と鮮やかな白い雲はまぶしいほどで、飯豊連峰はとっくに夏山にはいっているようだった。

涼しい風が吹く中、雲上の楽園ともいえる主稜線をのんびりと歩いた。昨日の悪天候がウソみたいに思えるほど、晴れてきていた。高山植物はちょうど端境期でそんなに多くはないのだが、ヒメサユリやニッコウキスゲが笹の濃い緑に映えて美しく、ヨツバシオガマや門内小屋の前ではシナノキンバイも見られた。飯豊の特産種、イイデリンドウは門内岳付近で数輪、ひっそりと咲いていた。

扇ノ地紙で新潟の山々に別れを告げて梶川尾根を下り始める。梶川峰までも様々な花が登山道に彩りを添え、花園をゆくような気分だ。下るに従って、昨日喘ぎながら登った石転ビ沢の雪渓も全景が見えるほどになってきた。この梶川尾根から石転ビ沢を眺めると、雪渓の上部はまるで垂直の壁にさえ見えるほどである。立ち止まっては、よくあんな急斜面を登ったものだとみんなで溜息をついた。梶川峰を過ぎるとほとんど樹林帯の中にはいるので風がなくなった。その頃は気温もかなり高くなっていた。長い尾根歩きということもあるのだが、私はこの暑さでだんだん体力が奪われて行くようだった。

五郎清水で冷たい清水を水筒に補充はしたものの、歩き始めるとすぐに体中から汗が吹き出して、水筒はたちまち底を突きそうだった。この時期、私のように夏が苦手な者にとってはつらい季節だ。直射日光が当たるとそれだけで目眩がしそうなほど体が暑くなっていた。休むときもなるべく風通しの良い木陰で休むように心がけた。この梶川尾根は登るのもつらい急登続きだが、下りも延々と続くので、特に夏場はペース配分がむずかしい。飯豊山荘が眼下に見えて、もうまもなくだと思ってもそれからがなかなか長いのだ。仲間の足どりもなかなか揃わなくなり、みんな自分のペースで歩くのが精いっぱいのようだった。

暑さで目眩を感じながらも、ようやく梶川峰の登山口に降り立った私は、すぐに湯沢の河原に下り、冷たい水で顔を洗うとやっと生き返った気がした。軽い熱中症になっていたのかもしれなかった。遅れてきたメンバーも次々と下山してきては、湯沢の水を体中に浴びる。仲間のみんなもそれぞれに疲れはてた顔をしていた。


梶川の出合付近の雪渓[2001.7.14]



蔵王連峰からのご来光の瞬間(午前4時28分)[2001.7.15]




朝日に輝く北股岳(午前4時30分)[2001.7.15]



テントを撤収する
後ろは梅花皮岳
[2001.7.15]


石転ビ沢の全景(滝見場から)[2001.7.15]


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